婚約者を譲ったら、次がなかなか決まらないんです

uribou

第1話

「伯爵、ドロシー嬢、頼む! シリルを譲ってくれ!」


 父様とともにいきなり王宮に呼び出されたかと思ったら、偉そうな人達がズラッと並び、陛下に頭を下げられた。

 何事かと思ったら、わたくしの婚約者シリル・アボット伯爵令息を譲れとの仰せだ。

 いや、陛下の要請を断れるものではないというのは一三歳のわたくしでもわかる。

 でも本当に何事?

 事情くらいは説明して欲しいと思ったら、お付きの文官が説明してくれた。


 ――――――――――


 最近夜な夜な王都に怪異が現れる。

 どんな悪魔や死霊の類とも違う、雲に目鼻が付いたようないっそユーモラスと言っていい外見なのだが、あらゆる攻撃が通用しないのだ。

 その怪異自体による直接の犠牲者はないが、肝を潰して転んだり物を破損したりとかの被害が後を絶たないのだと言う。


 実は私も見たことがある。

 たまたま寝る前に窓を開けたら、外にいたのだ。

 噂に言われていた通り、大人の倍くらいの大きさだったのですぐわかった。

 不思議と怖いとは感じなかった。

 しばらく見ていたら、段々薄くなって消えた。

 まさしく怪異だ。


 文官の説明によると、怪異の正体がわかったんだって。

 何と当代一の天才魔道士グウィネス様の夢が具現化したものだという。


 精神が未熟で想像力の強い子供の夢が具現化することは稀にあるらしく、ゴーストと呼ばれるものの大部分はそれなんだそうな。

 普通は成長とともに精神が発達するため、夢がゴースト化することはなくなる。

 しかしこれがグウィネス様ほどの天才魔道士ともなるとイメージ力が半端じゃないため、大きいわ感触もあるわ街中を動き回るわっていう怪異になっちゃうんだって。

 グウィネス様すごい。


 ただグウィネス様の生み出したものとなると、何が起こるかわからない。

 無意識のまま怪異が暴れ出す可能性もなくはないらしい。

 攻撃が一切無効であるので、発生させないことが第一義となる。

 どうすればいいか?

 結婚すればいいという結論らしい。

 何それ?

 

 つまりグウィネス様の夢見がちな性格はイメージ力の源泉ではあるけれども、今回の怪異みたいなことも起こり得る。

 結婚させて現実を見せろってことなんだって。

 強引な結論怖い。


 そもそもグウィネス様が怪異を発生させるようになった背景には初恋があるそうで。

 これまで魔道の研究と実践に邁進してきたグウィネス様の初めての恋。

 思い悩んでゴーストの発生という現象を起こしてしまっている。

 超級魔道士ともなると、起こす事件も想定外だなあ。

 で、その初恋の相手というのがわたくしの婚約者シリル・アボット様なのだった。


 ――――――――――


 状況はわかった。

 父様よろしくと思ったら、わたくしを見てるじゃないか。

 えっ、緊張でお腹痛くなってきたからわたくしが返事しろって?

 全く頼りにならないんだから!


 もっとも父様は婿だ。

 本来ロンズデール伯爵家を継ぐ立場にない。

 当主の母様が亡くなったので、わたくしが成人するまでの繋ぎで伯爵を名乗ってるに過ぎない。

 つまり次期当主のわたくしの意思でなければ決められないから、最初からわたくしが答えるというのは間違いではないな。


「はい、シリル様がよろしいのでありましたら、ロンズデール伯爵家としては婚約の解消、異存はございません」

「そうか! 賢明な結論を出してくれたこと、まことに感謝する」


 お偉いさん方の一様にホッとした顔、これでいいのだ。

 グウィネス様なんかよほど嬉しかったのだろう。

 おかしな踊りを踊ってますよ。


 大体シリル様はわたくしより六つも年上でいらっしゃる。

 確かシリル様はグウィネス様と同い年だったはず。

 お似合いだと思う。


「こたびドロシー嬢には、まことに相すまぬ仕儀となってしまった。国庫から補償金を支出しようと思うが、その他に要求はあるか?」

「いえ、補償金はいりません」


 父様、そんな顔したってダメだ。

 我がロンズデール伯爵家は当面資金には困ってないんだから欲張るな。

 ここで補償金を受け取ったら、金欲しさのために婚約者を売ったとの悪評が立ってしまう。

 ただでさえわたくしは婚約解消した傷物なんだから、悪評が立ったら婿に来ようとする令息のランクがガクンと下がるぞ?

 わたくしは次期当主としてそんなことは受け入れられないのだ。


「わたくしはロンズデール伯爵家を継ぐ身でありますれば、その旨陛下によくよく御考慮いただければと思います」

「うむ、しかと忘れぬ」


 これでいい。

 シリル様に代わる婿に困ることはないと思われる。


「もう一つ願いがございます」

「うむ、申してみよ」

「わたくしはグウィネス様の弟子になりたいのです」

「弟子? 魔道のか?」


 これは意表を突いたようだ。

 陛下や宰相閣下も困惑気味だし、グウィネス様もポカンとしている。


「このままですとわたくしとシリル様とグウィネス様の三角関係が、口さがない者どもの格好の話題になってしまうのですよ。ところがわたくしがグウィネス様の弟子になりましたなら、円満な解決だったんだなと世に知らしめることができます。陛下やグウィネス様に意見する者も現れますまい」

「ドロシー嬢は賢者だな! グウィネス嬢、どうか?」

「もちろん賛成ですわ!」


 やった!

 グウィネス様の教えを受けることができる!

 嬉しいなあ。


「これにて一件落着! 伯爵、ドロシー嬢、感謝するぞ!」


          ◇


 ――――――――――三年後、貴族学院にて。第四王子ネルソン視点。


『令嬢というより、王国の藩屏たる領主貴族の振る舞いであったな。一三歳にしてあの知恵、あの度胸。ドロシー・ロンズデールは輝かしき個性であった』


 父陛下があそこまで褒めるなんて珍しい。

 僕と同年のドロシー嬢の名は心に刻み込まれた。


 一四歳で貴族学院に入学するとすぐ、ドロシー嬢を探した。

 ペールブラウンのクセのないロングヘアにヘイゼルの瞳。

 平凡な取り合わせではあったが、整った顔立ちと意思の強さを秘めた目元が印象的な令嬢だった。


 ドロシー嬢はとにかく優秀だ。

 天才魔道士グウィネス卿の唯一の弟子なのだから、当然といえば当然ではある。

 かつて婚約を解消したことがあるとはほとんど知られていないようだ。

 むしろロンズデール伯爵家を継ぐ身であり、婿を探しているということがよく知られている。


『わたくしに認めさせてみなさい』


 というのがドロシー嬢の口癖だ。

 つまり婿になりたくば秀でているところを見せてみろ、ということだ。

 これまでのところ、ドロシー嬢に挑んだ全員が撃沈している。

 いや、座学で敵わないのはともかく、体術で勝てないってどういうことかって?

 グウィネス卿直伝の身体強化魔法を自在に使いこなすから。

 ドロシー嬢無双。


 そんな僕も例に漏れず、ドロシー嬢に魅かれているわけで。

 少なくとも僕の第四王子という身分は不足がないし、ビジュアル的なバランスも悪くないと思うんだ。

 ただ僕はドロシー嬢に一度もチャレンジしたことがない。

 何故なら勝てる気がしないから。


 学院での成績は僕だってかなりいい方だ。

 ドロシー嬢が優秀過ぎるんだよお。

 僕だって王子の端くれなので、帝王学教育の初歩は受けている。

 だから政治学や経営学ならドロシー嬢ともいい勝負ができるんだけど、他はなあ。


 末っ子のせいか、どうも僕はメンタルが弱い気がする。

 一度ドロシー嬢に拒絶されたら立ち直れないと思う。

 でもこのままだと卒業までの二年間の内にドロシー嬢の婚約者は決まり、僕もまたどこかに婿入りってことになるんだろうなあ。

 一度もチャレンジしないままの未来を想像すると泣けてくる。


 待て待て、落ち着いて考えろ。

 父陛下はドロシー嬢を高く評価しているから、僕がロンズデール伯爵家の婿になったって絶対に文句は言わない。

 加増昇爵の可能性だってある。


 ……加増昇爵を父陛下にねだり、それをエサにドロシー嬢を釣れないか?

 いや、ドロシー嬢は婚約解消の際に補償金を断わったと聞いている。

 そんな俗な方法じゃダメだ。


 貴族学院卒業までに婚約者が決まっているのが普通だ。

 タイムリミットは近い。

 早めに仕掛けなければならないのもまた事実。


 待てよ?

 ドロシー嬢は『わたくしに認めさせてみなさい』と言っているのだ。

 負かしてみせろと言ってるのではない。

 ここに勝算があるんじゃないか?

 

 ロンズデール伯爵領について調べてみるかと、図書室へ向かおうとしたら、折りよく向こうからドロシー嬢が歩いてきたじゃないか。


「やあ、ドロシー嬢。調べごとかい?」

「ネルソン殿下ではございませんか。失礼いたしました」


 考えごとをしてたみたいだな。


「難しい顔をしているけどどうしたんだい? ドロシー嬢を悩ませるほどの案件じゃ、僕では助けにならないかもしれないけど」

「御謙遜を。実は魔道具に関してなのです」


 やっぱりムリな案件だった。

 グウィネス卿の弟子ドロシー嬢が眉根を寄せるような魔道具で、僕に何ができるって言うんだ。


「魔道具に関してでは言葉が足りなかったですね。魔道具の研究に関してなのです」

「研究?」

「はい。わたくしはグウィネス様の弟子として、魔道具や薬草の研究に没頭したく思います。しかしロンズデール伯爵家を継がねばならぬ身の上が、それを許さないのです」


 なるほど、いくらドロシー嬢が優秀でも身体は一つしかないから。

 あっ、閃いた!

 しかしドロシー嬢はどう思うだろうか。

 ずうずうしくないか?

 いや、最も勝算があると思われるここで勝負しないで、いつ勝負するんだ。

 勇気を出せ!


「いい方法があるよ」

「まあ、どんな方法でしょう?」

「僕がロンズデール伯爵家に婿入りすればいい」


 目を丸くしている。

 チャンスだ。

 ドロシー嬢の理解が追いつく前に押せ!


「つまりドロシー嬢には魔道具の研究と領主の仕事、二つの重要な役割を課せられているわけだろう?」

「はい」

「その内の一つ、領主の仕事を僕に任せてくれないかと言っているんだよ」

「ええと、あの……」

「知っているだろう? 政治学や経営学の成績なら、僕はそうドロシー嬢に劣らないんだ。人脈ならドロシー嬢以上だと思うよ」

「はい、あの、本当によろしいのですか?」

「もちろんさ!」


 通った!

 こんな嬉しいことがあるだろうか!

 ニコッと笑ったドロシー嬢が言う。


「ネルソン殿下に婿として入っていただけるのならば、こんなにありがたいことはありません。我がロンズデール伯爵に断わる理由はありませんので、陛下の許可をお待ちしておりますね。


          ◇


 ――――――――――グウィネスの魔道研究所にて。


 グウィネス先生は『魔道参与』という職に就いている。

 もちろんこんな職にあるのは先生だけで、身分は伯爵相当だ。

 必須の職務があるわけでなく、ソーサリーワードや魔道具の研究をしている。


 ……遊ばせておく代わりに、発明発見の権利に少々国を関係させろ。

 また有事の際は協力してね、という職なのだと理解している。

 特別扱いが許されるグウィネス先生すごい。

 そして先生の立場は結構暇だったりする。


「どうだった? どうだった?」

「バッチリ食い付いてきました。先生のおかげです」

「やったあ!」


 何のことかって、私の婚約者事情のことだ。

 『わたくしに認めさせてみなさい』という条件はさほど厳しいと思わなかったのだが、どうもアタックしてくる令息はレベルが低かった。

 お相手に困ることはないが、質的にどうかという感じ。

 おまけにこれはと思う方にはチャレンジしていただけない。

 ロンズデール伯爵家を継ぐ身として、こんなことでいいわけないのだ。


 学院卒業まで二年と少ししか残っていない。

 時間とともに候補者は減っていく。

 わたくしも焦っていたのだ。

 そして同学年の第四王子ネルソン殿下に狙いを定めた。

 性格、身分、成績と申し分ないからだ。


 しかし相手は王族、わたくしは女。

 こちらから声かけするのも礼を失しているようだし、大体はしたない。

 思い余って先日、グウィネス先生に相談した。


 ――――――――――


『よかった! ついにドロシーもお相手を決めたのね。どなた?』

『決めたというか。ネルソン殿下がいいなあと思っているのですが』

『ネルソン殿下? 楽勝じゃない』

『えっ?』


 楽勝だそうだ。

 何ゆえ?


『同じクラスでしょう? 可愛くて優秀なドロシーが気にならないわけがないじゃない』

『そ、そんな……』

『その優秀な頭で考えてみなさいよ。ネルソン殿下が公爵として臣籍降下する目はないでしょう?』

『ありませんね』


 公爵領を設置できるほどの広大な余剰地がない。

 そもそも側室腹のネルソン殿下は、家臣の婿か他国の王女と縁付くかが規定路線と思われる。


『ドロシーはいい子ってことあるごとに陛下に吹聴してるから、絶対に王家は反対しないし』

『ええっ?』


 グウィネス先生はそんなことしてたのか。

 恥ずかしい。


『陛下のドロシー評価が高いのは元々なのよ? あたしにシリルを譲ってくれた時の態度と措置が素晴らしかったって』

『誇らしいですね』

『あたしが今あるのだってドロシーのおかげよ? 感謝してるんだから。ドロシーには幸せになってほしいの』


 たまに愚痴を聞かされることもあるけど、基本的にシリル様とグウィネス先生の仲はいい。

 わたくしも嬉しくなってくる。


『ドロシーがネルソン殿下をと思い定めたのなら、あたしが全面協力するわ』

『どうすればいいでしょう?』

『ネルソン殿下の前で家を継がなきゃなんだけどってことを、チラッと漏らしてみなさい。絶対に食い付いてくるから』

『そうでしょうか?』

『間違いないわ。王家の根回しの方はあたしに任せて』


 ――――――――――


 グウィネス先生の言う通りにしたら、本当にネルソン殿下が食い付いてきた。

 今まで全然そんな気配なかったのにな。

 グウィネス先生のカンはすごい。


「伯爵代理は今、王都にいる?」

「はい」

「数日中に王家から使いが行くわ。楽しみに待っててね」


          ◇


 トントン拍子に話は進み、殿下はわたくしの婚約者になった。

 貴族学院卒業後に、ネルソン殿下がロンズデール伯爵家に婿入りすることになる。


 グウィネス先生に言われて行っていた新型魔物除けと薬草の魔道促成栽培の研究が評価され、少しだが加増されることも決定した。

 本来これは先生の功績なんだけど。

 どうもシリル様の件でわたくしに借りがあると考えているようなので、素直に受けておいた。


 『侯爵にしてあげなさいよ。ネルソン殿下が婿入りするんだし!』とグウィネス先生が食い下がってくれたらしいが、ムリなものはムリだった。

 ただし将来新型魔物除けが普及すると可住域面積がかなり増えるそうで、その際に再評価されて侯爵になれるわよ、と先生は言っていた。


 まだネルソン殿下には言っていないが、爵位は殿下に継いでもらおうと思っている。

 何故ならわたくしは今後もグウィネス先生の弟子として研究を続け、領主貴族としての実務は殿下に任せるつもりだから。


 私を取り巻く現在の状況は概ね以上の通りだ。

 唯一つ計算外だったことがある。


「ねえドロシー。中央通りに新しいスイーツのお店ができたんだよ。知ってた?」


 卒業後は臣籍降下するもののまだ殿下であるネルソン様が、最近いつも気持ち悪いくらいにニコニコしている。


「存じております」

「じゃあ今度食べに行こうよ。ああ、ドロシーが婚約者だなんて幸せだなあ」


 緩んだ顔だなあ。

 ネルソン様ってこんな人だっただろうか?

 ストレートに好意をぶつけられるのは悪い気はしない。

 でも後ろの護衛騎士がニヤニヤしていますよ?


「ドロシーは僕のことどう思ってる?」

「素敵な方だと思っております。正直私にとってはベストパートナーだと」

「そうでなくてさ」


 ネルソン様が私の手を両手で包み込む。


「僕はドロシーのことが本当に大好きなんだ。だから嬉しくて嬉しくて」

「ありがとうございます」

「で、ドロシーはどうなのかなあと思って」


 グウィネス先生はシリル様に恋焦がれていたようだ。

 それこそ怪異を起こすくらいに。

 シリル様とはお似合いだ。

 シリル様もグウィネス先生もわたくしに関わりのある方なので、お二人が仲良くしていらっしゃるのは心がほっこりする。

 

 わたくしはロンズデール伯爵家のために、ネルソン様を得るという最良の選択をした。

 あくまでも条件的には、だ。

 恋愛感情的にはどうだろう?

 シリル様とグウィネス先生のようになれるだろうか?


「申し訳ありません。ネルソン様がわたくしにとってもったいないほどの方だとは思っております。でもそれ以上のことはわからないのです」

「伯爵家のことを考えているのかな? ドロシーは責任感が前に出過ぎるなあ」

「ただ、わたくしの婿を選べと言われた時に、ネルソン様以上の方はいなかったと、自信を持って言い切れます」

「そう?」


 あっ、嬉しそうな顔になった。

 ネルソン様が嬉しそうな顔をしていると安心できる。


「まあいいや。これからこれから。もうドロシーは逃げやしないんだから」


 ネルソン様はいい方だなあ。

 グウィネス先生とは違った意味で信頼できる。

 違った意味?

 わたくしの手を包むネルソン様の手、そして笑顔。

 心臓の鼓動が速くなる。

 これが、恋か。


「ところでスイーツどうしよう?」

「今から行きましょう!」

「えっ? うん」


 わたくしの顔が熱を持っている気がする。

 多分赤くなっているんだろう。

 いつまでも浮かれているわけにはいかない。

 でも今くらいは甘々な気分でいたいのだ。

 ネルソン様の手をぎゅっと握った。

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