#いい色の日

夢美瑠瑠

(#これは、今日、アメブロに投稿したものです)




 色、を感じるのはもちろん視覚で、まあ普通は目、眼球、ですね?

 

 メカニズムは生分かりですが、レンズ状のものがあって、まあカメラのような構造の感覚器官ですか…?

 というか、カメラの方が目をシミュレートしたのか…


 多分、光というものっがあって、光を頼りに世界を知覚しているのが五感のうちのオプティカル センサー?、視覚器官?光、音、温度、匂い、味、質感、世界の構造がそういうものなのは「般若心経」でも「無眼耳鼻舌意」というくだりがあるのでもおなじみ。

 

 「分かる」のは「分ける」が語源らしいが、知るとか分かるということの元はまあ、五感から来る情報であって、それを脳みそで取捨選択して、統合して、まとまった意識になるのか。主観とか意識というのは普段はそういう風に分析して構造まで考えないですが、改めて意識するとずいぶん複雑で、科学的には普段、人間は「無数の情報にさらされている」とかいうことになるらしい。


 どうやって測定したのかわからないですが、今調べたら、「1秒間に50ギガバイト」、4000億ビットの情報が知覚されているらしい。これは全部処理すると「821年かかる」らしくて、99.8%を「捨てている」そうです。


 だからそれでなくとも無数に無駄な情報にさらされているのが日常の常態で、それは五味川純平ではないが「人間の運命」なのです。「いい脳」、「デキル人の脳みそ」というのは、「いらない、くだらない情報」を切り捨てることに長けていて、本質だけをわかろうとする…


 いわゆる「鈍感力」が、賞揚されて、他人志向的な軽薄さはリースマンの「孤独な群衆」とかでもたぶん「現代人の通弊、欠点」みたいに指摘されているのだと思う。


 情報過多で本末転倒、本質を見誤る、ダメだとわかっていてもしばしばそうなりがちで、そこは人間存在の構造に根差す、しょうがない錯誤なので、メディアリテラシーみたいな、きちんと「分かる」ために「分ける」、そういう訓練鍛錬、理性知性の涵養、が必要なのかと思う。


 目で見るのではなく、「心で観るのが大事」、そういう一般論に落ち着くとかそういうことなのだろうか…


色即是空、空即是色。 





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