アンナ・ダーニア(2)

 私たちはラウタロ国に戻ってからも港の宿屋から動くことが出来ず、すでに4日が経過していた。

 理由の1つは着いてから見舞われた台風の影響。

 これによって、外に出ることもままならなかった。

 でも、それ自体は方便のような物だった。

 エルジアさんの所までなら移動することが出来ないほどの風雨では無かったのだから。

 

 一番の理由は私だった。

 

 あの船でのアンナさんとの一件。

 そこで私は今まで感じたことの無い恐怖を覚えた。

 今まで自分がどこか別の世界の事と認識していた「死」

 その姿を垣間見たような気がした。

 

 そして、アンナさん。

 私はあの時、確かにアンナさんに恐怖した。

 氷のように冷ややかな言葉。

 そして、暗い海面をのぞき込んで深淵に引き込まれるような恐怖を感じていたときの、闇に包まれた顔。


 優しくて、明るくて、私の味方だったアンナさん。

 それだけにショックが大きかった。

 もう死にたいなんて思わない。

 でも、前へも進めない。

 自分が万物の石であることは変わらない。

 だったら……どうすればいいの?

(私が全ての元凶でした! でもおじいちゃんやコルバーニさんと戦って悪の世界を作ります。みんな協力して!)とでも言うの?


 もう進むことも引くことも出来ない。

 ただ、自分も自分を取り巻く物も全てが怖い……


 私はそれから逃れるように、宿屋に着くとすぐに部屋に籠もり、ずっとベッドの中に頭から潜り込んでいた。

 それは学校に通えなかった頃、自宅のベッドに潜り込んでいた頃を思い出させた。

 朝なんて……来なければいいのに。

 このまま、眠るように苦しみも恐怖も泣く天国に行けたら……


 そこで優しいおじいちゃんやコルバーニさん、それにアンナさんと過ごしたい……


「もう……嫌だ。いじめないで……」


 そうつぶやくと、耳元で「リムぅ……」と悲しそうなライムの声が聞こえたので、ビックリして目を開けると、いつの間にベッドに潜り込んだのか、私の顔の前でしょんぼりとした様子で座っていた。


「ライム……いつの間に入ってたの」


「ずっと。リムが部屋に籠もるとき、一緒にスルッと入り込んだ。リム、船でもずっとお籠もりだったじゃん? だから心配になってさ」


「ありがと……でも大丈夫だよ。もう死のうなんて思わないから」


「それは分かってる。でも、今のリムじゃ全然安心できないよ。みんな心配してるよ。リーゼもクロノも……アンナだって」


 その言葉に私は目を伏せる。


「アンナさんは……違うよ。きっと呆れてる。私なんかに着いてくるんじゃ無かった、って後悔してるんだ」


「それは違うよ、リム。アンナ、あの船の時……船室に戻るアンナは泣いてたよ。で、言ってた。自分はリムを支える資格は無い、って」


「そうなんだ……」


「アンナはリムに死のうなんて思って欲しくなくて、あえて悪者になったんだよ。私もクロノもリーゼも出来ないから。アンナにしか出来なかった。だからやった。でもリムを一番心配してるのは……」


「もういい」


「リム……」


「もういい。もうおしまい。全部おしまい。……もう嫌なの。前になんか進みたくない。だって、どこを目指したら良いの? 私の道なんて誰も喜ばないじゃん? もう死なない。約束する。でも、前にも進みたくない。……ねえ、ライム。あの時言ってくれた事……元の世界に帰してくれる、って奴。まだ大丈夫?」


 そうだ。あの時、ライムの言葉に従って帰ってれば良かった。

 私はなんて馬鹿だったんだろう。

 格好付けたりせずそうしてれば、みんな……私も傷つかずにすんだ。

 もし……まだ間に合うなら。


「ゴメン……もう……無理。私も力を無くしたし、ユーリもハッキリとリムを……」


「……分かってる。聞いてみただけ……ありがと」


「それにさ、仮に出来たとしても嫌だよ」


 え?

 思わずライムを睨み付けたが、ライムも構わずにらみ返してきた。

 ベッドのシーツの中で妖精とにらみ合ってるのも、滑稽な絵だけど今の私にふさわしい。


「今のリムが元の世界に帰ったら、元通りじゃん。全てから逃げてたままの山本りむ。私やリーゼと向き合ってたリムは強かった。選ばれし者だった。今もそうだよ。リムは全ての局面をひっくり返せる唯一の存在。もちろん絶対正義じゃ無いかも知れない。でもリム次第でひっくり返せる。……全ての業を受け入れる覚悟があれば」


 もう……いい。


「この世界を包んでいた、ぼんやりした暗闇。それをひっくり返せるのは万物の石であるリムなんだよ。それにさ……万物の石だって、リムはリム……」


「もういい!」


 大声を上げてベッドから跳ね起きた私をライムは呆然と見ていた。


「出てって! 出てってよ! 世界なんて知るもんか……正義とか悪とか知るもんか! みんな勝手に期待して……背負わせて……そんなの知らないよ!! 私、学校にも通えなかったんだよ。ただの不登校の子供だった。それがなんで選ばれるの? 海のそばの図書館で本読んでれば幸せだった……世界なんてどうでもいい!!」


 ライムは悲しそうな表情で私を見る。

 そんなの……知るもんか。


「おじいちゃんも、コルバーニさんも、アンナさんも……みんな、みんな大嫌いだ! 旅なんて嫌だ……学校なんて嫌だ。立ち向かうなんてヤダ!!」


 言っちゃった……

 ライムの顔をチラッと見ると、ライムは目に涙を溢れさせていた。


「ゴメンねリム。背負わせちゃって。私、ずっとペンダントの中でリムを見てた。あなたが普通の女の子だった頃から。できるなら……そのまま普通の子で居させてあげたかった。……駄目な私でゴメンね」


 そう言うとライムは笑顔で言った。


「私、本当はリムの監視役だったんだ。それでペンダントの中に居たの。あなたが石の力に目覚めて暴走しないように。でも、途中からそんなのどうでも良くなった。リムのそばで……お話しは出来なかったけど、あなたと一緒に過ごしてるうち、気が弱いしすぐ逃げちゃうけど、心が優しくて自分と同じくらい周りを愛せる山本りむが、友達みたいに思えたの」


「ライム……」


「私ね。元々はユーリによって作られた存在だったんだ。石の研究を進めるための助手として、万物の石の一部とユーリの細胞の一部を組み合わせて。彼は万物の石に魅入られてたから。でも私は万物の石の一部だから石の記憶も意思も共有している。だから、魅入られた人間達の愚かな欲望の果ても知っていた。この世界が万物の石によって高度な文明を作ったのに、その欲望の果てに滅んだことも。だから、ユーリを止めたかった」


「……出てって。そんなの聞きたくない」


「そうだね。リムにとっては嫌なだけだよね。ゴメンね。でもさ、これだけは覚えといて。私は万物の石とか関係ない。山本りむちゃんが大好きなの。そのままのあなたが」


 そう言ってライムはドアの隙間から出て行った。

 それをじっと見た私は、ドアに向かって枕を思いっきり投げつけた。

 そして……


 ※


 台風による雨と風は夜になってやや落ち着きを見せ、風が止んだせいか降りしきる雨だけになった。


 丁度良かった。


 私は周囲を見回すと、誰も居ないことを確認してバックパックを背負い直し、宿を出た。

 1人で。


 そう。私は出て行く。

 港に行ってどこでも良いから遠くに行く船に乗せてもらうんだ。

 そして、見知らぬ町……誰も追いかけてこない町で過ごしたい。

 そこでペンダントと私自身の力を使って、色々調べよう。

 元の世界に帰る方法を。


 もう日本に帰りたい。

 こんな所嫌だ。

 誰も信じられない。


 自分が冷静で無いかも……とは思う。

 でも、誰もどうすれば良いのか教えてくれないじゃない。

 だったら自分の好きに動いてやる。


 雨の中、フードを被って足音を立てずに宿を出る。

 うわ……雨が痛い。

 

 想像以上に強い雨にいきなり弱気になる。

 けど、行くんだ。

 

 私は走り出したが、また台風が酷くなってきて雨は横殴りになった。

 苦しい……息が……


 でも構わず誰も居ない通りを頑張って走ったけど、途中で足を滑らせて大きな音を立てて、転んでしまった。

 

 全身を走る痛みと冷たい水の感触。

 そして何とも言えない惨めさに私はそのまましくしく泣き出した。

 私……1人じゃ何にも出来ないの?


「辛い……寂しいよ」


 地面に顔を埋めながら泣いた。

 そのまま泣きながら繰り返した。


「ヤダ……ヤダ! 寂しいよ……誰か……寂しい」


 その時、身体を打ち付ける雨が突然さえぎられた。

 え……?


 恐る恐る顔を上げると、そこには穏やかな表情のアンナさんが立っていた。

 見ると、大きなマントを私の上に広げていた。

 

「アンナ……さん」


「大丈夫ですか? ヤマモトさん。身体……冷えましたね」


 その声と表情は私の知ってるアンナさんだった。

 そう思うと突然押さえてた物が溢れるように涙が止まらない。

 そんな感情のまま、気がつくと泣きながらアンナさんに抱きついていた。

 声を上げて泣きながら。


「辛かったですね。怖かったですね。いいんですよ、泣いて。……でも、ここじゃ冷えます。……宿に……戻れますか?」


 私は首を振った。


「どこか……行きたい。進むの……怖いの」


「分かりました。じゃあお付き合いします」


 そう話すアンナさんに連れられて、私たちは別の宿屋に入った。

 意味の無いことかも知れない。

 でも、私はどこでも無い所に居たかった。

 誰にもなりたくなかった。

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