ありがとう。ごめんね。
「……エッタ。シーナ。この子は首ね。外に連れ出して。他の二人も私に危害を加えようとしているから、一緒に」
「この子は……大人になったら優しいお母さんになりたい、って言ってるんです」
「無理ね。この子は近く発症する」
「だったら出来る事ってないんですか! お医者さんなんですよね。目の前の人を助けるのがお仕事でしょ」
「あなたって……イライラするわね。ずっと我慢してたけどやっぱりダメ。どこかあの人に似てるわ。その目。私が今までどんな思いで……あの人との罪を……」
え?
あの人……
その時。
突然、ベッド上のエリスちゃんが大きな悲鳴を上げて苦しみだした。
身体が何度も大きく跳ねている。
これって……
「シーナ、エッタ。発症した。残念、間に合わなかった。あとはいつも通り処理して。サンプルの回収も」
エルジアさんの事務的な言葉にエッタさんとシーナさんは頷いて、部屋の隅から薬のような物と試験管のような物を持ってきた。
「お姉ちゃん……苦しい……」
エリスちゃん。
私は呆然としながらエリスちゃんを見ているしか出来なかった。
そんな私をエリスちゃんは涙を溢れさせながら見た。
「お姉ちゃん……」
誰かの犠牲……医学の発展。
綺麗事……
私の脳裏にリーゼさんの憤怒に満ちた表情が蘇る。
分からない……でも、分かってる……
「分かんないよ、そんなの!」
私は自分でも驚くほどの大きな声でそう言うと、指輪に向かって叫んだ。
「ねえ、私の言うことを聞いて! あなたは災厄をもたらすだけの存在なの? 動きなさいってば!」
そう言うと、私はエリスちゃんの所に駆け寄った。
そして、苦痛に顔を歪める彼女に向かって言った。
「エリスちゃん……ゴメンね、何も出来ないダメなお姉ちゃんで」
「……リム……ちゃん」
呆然とつぶやくコルバーニさんや他の人たちに向き直ると、私は叫ぶように言った。
そうしないと、心が……負けちゃいそう。
「みんなの役に立つってなに! 何も与えられなかったこの子が、病気だからって最後は実験台? この子の人生って何! あの子たちの人生って何! 病気になっても……笑いたいし甘えたいんだ!!」
私はそう叫ぶように言うと続けた。
「お姉ちゃんを許して。あなたはいつか私を恨むと思う。でも……憎まれたって殺されたって……」
そう言うと、私はずっと前に護身用にと渡されたナイフを取り出した。
そして……自分の右腕を切った。
焼けるような痛みと共に右腕を暖かい血が伝う。
私はそれをそのままにエリスちゃんの口に向けた。
「リムちゃん! ダメ!」
コルバーニさんの声が遠くから聞こえる。
そして、もっと遠くからエルジアさんの「誰かあの子を止めなさい! 狂ってるわ!」と言う声が聞こえた。
そう。
おじいちゃんがコルバーニさんにしたこと。
もしかしたら、この子を……不老不死に出来るかも知れない。
それであれば……あるいは……
腕の痛みが強くなる。
でもいいの。
これで……この子は……
その時。
私の腕を誰かが強く掴んで、引き寄せた。
驚いてみると、それはアンナさんだった。
「アンナさん……」
「ヤマモトさん」
アンナさんは目を大きく見開いたまま私をじっと見ている。
「アンナさん、離して。もう決めたことなの」
「それは……本当に納得しているのですか? それで、この子は幸せになると思っているのですか?」
私は、一瞬の間を置いて叫ぶように言った。
「思ってる! だからやってるの! 邪魔しないで」
「邪魔します!」
そう言うとアンナさんは私をいきなり引き寄せると、そのまま強く抱きしめた。
「先生と同じ不老不死。確かにこの子は助かるかも。でも、この子が望まぬ形だったら? 望まぬ生を与えられた先には孤独と絶望。誰もが先生のようにはなれない。ヤマモトさんも不老不死になるのですか? そうでなければ、この子に病の救いと共に、不死の絶望と孤独を与えるのですよ!」
「じゃあ、どうすればいいの!」
「分かりません! でも、ヤマモトさんの望む『勇気』はこんな形では無い。ええ、そうです! 私はあなたの事しか考えていません! だってあなたの事を愛してるから!」
私は瞬間、息が止まるような気がして目の前のアンナさんを見た。
アンナさんは大粒の涙をこぼしながら続けた。
「あなたにしか出来ない救いがあるのではないですか? 石を使ってきたあなただからこそ出来る……本当の勇気と優しさを持つあなただからこそ」
アンナさん……
そうだ。私は本当は……こっちをやりたかった
「私……出来るの? 間違ったりしない?」
「出来ます。もし違ってたら……一緒に背負います。世界の果てまで」
私はアンナさんの顔を見た。
そして、エリスちゃん。
お父さんからもお母さんからも見捨てられた子。
優しいお母さんになりたいと言っていた子。
私は指輪を見た。
「ねえ、お願い。私の言うことを聞いて。……お願い。で、ないとあなたを。……どんな事しても壊してやる!」
そう怒鳴りつけたとき。
窓の方からクスクスと笑う声が聞こえた。
「リム、万物の石に脅迫なんて相変わらず発想が斜め上ね」
ハッとして声の方を向くとそこにはライムが立っていた。
「ライム……」
「やっほ、リム。お久しぶり。でも、今は余計なことは抜き。あなたのやりたいことは分かる。本当にそれでいいんだよね? 後悔はない?」
私は真直にライムを見つめると、大きく頷いた。
それを見たライムは私に歩み寄ると、指輪に触れた。
「1回だけね。あなたの覚悟に免じて特別サービス。イメージは……できるよね?」
その途端、指輪が鮮やかな……青色に光り出した。
「有り難う」
短くそう言うと、私はすでに苦痛のせいだろうか、呼吸が短くなり身体が硬直しているエリスちゃんに近づいた。
そして、指輪で彼女の胸にそっと触れた。
ライムが前に言っていた。
万物の石は周囲の全てをプログラムのように書き換える、と。
だったら……この子の意識を書き換えてやる!
私は、ギュッと目を閉じて必死にイメージした。
この子の事は分からない。
だから全部不完全だけど……ゴメンね。
その青い光はエリスちゃんを包み込んだ。
そして……エリスちゃんは目を薄く開くと言った。
「パパ……ママ……どうして」
「エリスちゃん……目の前に居る人たちはあなたのパパとママ。心配して来てくれたの。だってここはあなたのお家なんだから。あなたはずっとパパとママと一緒に暮らしてたの」
「エリス……捨てられてなかったの?」
「そう。あなたは捨てられてなんか無い。だって、パパとママが居るでしょ? それに周りはエルジアさんのお家じゃ無いでしょ? あなたは風邪をひいてただけ。そして、お仕事先からパパとママが急いで駆けつけてくれたんだよ!……良かったね」
「ほんと……だ。エリスのお家とちょっと違うけど……でも、お屋敷じゃない。それに、全然痛くないし、苦しくない。パパ、ママ……凄い……沢山お菓子買ってきてくれたんだ。……クッキーも。ほら、やっぱりパパとママは優しいんだ。言ったでしょ」
脳内から分泌される脳内麻薬。
本で見たことある。
石で……ありったけ出してもらう。
それは、苦痛の消去と共に恐怖を消してくれる。
脳へのダメージは計り知れない程大きい。
恐らく回復不能なほど。
でも、私の作ったイメージも信じ込んでもらえる。
……その次は。
その時、シーナさんと、ドアの外から数名の先生が入ってきた。
でも……その時、ライムの隣に居たリーゼさんがシーナさんの腕を掴んだ。
そしてリーゼさんは「リム・ヤマモトの邪魔はさせない。アリサ! あなたも手伝いなさい!」と言った。
「リーゼ……さん」
「いつでも見てるって言ったでしょ。それが、あなたの覚悟なのね」
私は無言で頷いた。
「だったら、やりなさい。全部背負いなさい!」
私は頷くと、エリスちゃんを見た。
次のイメージを……以前エリスちゃんが。おままごとで「私がママよ」と語りかけてたお人形。
あれならイメージできる。
少しするとエリスちゃんはあらぬ方を見つめながら、うわごとのように言った。
「可愛い子……お人形みたい……わあ、笑ってる。『ママ』だって……エリス、この子のママなの?」
「そうだ……よ。エリスちゃん……ママになれたん……だよ」
私は涙で息が苦しくなりそうだった。
今、この子の脳内では走馬灯のようにママになった自分の日々が流れてるのかな?
それとも両親との生活。
どっちもありったけイメージしてみた。
それをありったけ流し込んだ。
でも……これで最後。
この子が、苦しむ前に。
「石さん。この子に……心地よい眠り……を」
エリスちゃんの手を握りながら、しゃくりあげながらハッキリと言う。
だって……私に泣く権利なんて無い。
助ける事の出来なかったちっぽけな私に。
エリスちゃんの目がゆっくりと閉じ始めた。
万物の石によってもたらされた全身麻酔。
きっと2度と目覚めることの無い。
これで……最後。
その時。
エリスちゃんが薄く目を開けて言った。
「有り難う……お姉ちゃん」
え?
私は驚いてエリスちゃんを見た。
「エリス……楽しかった……ありが……」
言い終わる前にエリスちゃんは眠るように目を閉じて……そのまま二度と目を開けることは無かった。
私はその場にへたり込みそのまま涙が流れるままに任せて何度も呟いた。
「ごめんね……ごめんなさい……」
エルジアさんは、真っ青な顔でその場に立っていた。
「こんな事しても……何もならない。病の根絶にはならないの!」
エルジアさんの声を聞きながら、私は振り返ると自分でもビックリするくらいの怒鳴り声で言った。
「だから何! 何が正しいかなんてわかんないよ……じゃあ教えてよ! 文句ばっか言ってないで。あなたと一緒なんだよ……」
私は声を張り上げて続けた。
「私たちが万物の石を……破壊します! 私の命をかけて。それでこの病気を……無くす! 何を犠牲にしても……」
「……分かったわ。やっぱりユーリの言った通り。あなたは『選ばれし者』……危険すぎる」
そう言ってエルジアさんは引き出しから……クロスボウを取り出して私に狙いを定めた。
その時。
アンナさんがエルジアさんの前に出ると、クロスボウの先を掴み自分の胸に押しつけた。
「ヤマモトさんを撃たせない。それなら私を撃ちなさい」
「止めなさい、エルジア」
その時、ライムの声が聞こえた。
ライムは右手を小さく上げると、エルジアに近づいた。
「引きなさい、エルジア。もうエリス……だっけ? あの子は死んでる。あなたがどうこうしても無駄」
「有り難う……ライム」
「ん? その言葉は辞退するよ。私は見に来ただけだから。『私たちの敵の姿』を」
「敵って……元々そう言ってたじゃない」
「違うね。今までのあなたたちは単なる『邪魔者』今は……『排除しなくてはならない敵』」
そう言ったライムの表情に私は背筋に氷を埋められたような気分になった。
表情の無い目……前にテレビで見たことある。
獲物を捕らえようとする肉食獣の……色の無い目。
「ついに一歩踏み出したね。今のリムはもう石に対して躊躇しない。でも、私は……もうリーゼから聞いてるだろうけど、石を使って新しい世界を作りたい。今の連中って落第点ばっかだしね。でもあなたの望む世界は違う。お手々繋いでみんなで進もう。ならば……私かあなたのどちらかが消えるのみ。リム……自分の大切な人達を守り……大切な世界を作りたいなら、私を消し去りなさい。でなければ、私があなたを消す」
「申し訳ありません……ライム様。勝手な事を」
「ん? いいよ。って言うかゴメンねリーゼ。実は全部把握済み」
リーゼさんはライムに深々と頭を下げた。
「エルジア! 悪いんだけど私とリムに時間をちょうだい。そうね……半年はどうかな? それまではリムを見逃してやって欲しいの。その後、状況がどう変わってるか。この屋敷での『治療方針』もあなたに引き続き任せる。変えるかそのままにするかはあなたに任せる」
エルジアさんはリーゼさんと同じくライムに対して深々と頭を下げた。
「さて、リム。私とリーゼはもう帰るけど、その前に2つ教えてあげる。ここまで足を踏み入れたなら、あなたは聞かなくてはならない。もちろんアリサもね。1つ目は、エルジアとユーリは過去に共同でとある仕事をしていた」
「ライム様! それは……まだ」
「黙って、リーゼ。あなたに意見を求めてない」
そこまで言うと、ライムは氷のような微笑を浮かべていった。
「2つ目は、その仕事……結晶病を作ったのはあなたのおじいちゃん。ユーリよ」
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