リムと魔法が消えた世界

京野 薫

第1部:リムの旅立ちと小さな萌芽

海辺の図書館と秘密の扉

 私は呆然としながら全ての光景をただ、目に映していた。

 

 そう。

 私の目は観察とか理解とかじゃなく、ただ「うつして」いたのだ。

 だって、何がどうなっているのか理解できないのだから。


 私の後ろには傷つき倒れている、炎のような真っ赤な髪の美しい男性。

 目の前には、映画で見たような鎧を着て弓矢を構えた人たちと、その内1人が放った矢。

 

 そして……その矢は私のすぐ前にある、2メートルはあろうかという半透明で青い炎の様な揺らめきを持つ青い鳥によって防がれてる。

 

 それを出したのは……私。

 ほんの数時間前まで、学校の教室に入ることが出来ず逃げ帰っていた私、山本りむだった。




(山本。まずは勇気を出してみないと。一歩踏み出さないと何も変わらないんじゃないか)


 かすかな潮騒しおさいに包まれながらトボトボと歩く私の脳裏に、先月聞いた担任の神崎先生の言葉が、波間のブイみたいに沈んでは浮かんでいた。


 無理もないよね。

 高校に入学して1月で不登校になって、もう2ヶ月も顔を出してない生徒なんて、先生としてもどう扱ったらいいか分かんないだろうな。

 私が先生でも嫌だもん……

 

 でも「勇気」と言う言葉を、万能の魔法のように軽々しく使う先生に、悔しさと悲しさを感じてもいた。

 相手の苦しみや葛藤かっとうを理解して無くても、しようとしなくても「勇気を出して」と言いさえすればアッサリ正義の側になれる。

「勇気を出す」って、レンジで温めるみたいに簡単にできるの?


 7月の曇り空におおわれた金曜日。

 両親にあまりに強く言われて渋々しぶしぶ学校に行ってみたけど、校門に近づくとすでにそこは異世界だった。

 見たことのある建物、聞いたことのあるクラスメイトの話し声だったはずなのに、それらはビックリするほど別の物体や音のように思えた。

 私をはねけようとする一つの生き物のように。


(無理……怖い)


 これ以上進んだら引き返せなくなる。

 クラスメイトの誰かに気付かれたらもう教室に入らないと行けない。

 そしたらもう逃げられない……

 そう思った時、私の足は回れ右をしていた。


 平日の海辺を歩いていると、まるで別世界に片足を入れちゃったみたいな、不思議な気分になる。


 また逃げちゃった……

 惨めさと不安感で息が詰まりそうだった私は、家に帰る気にならずそのまま少し先に見える建物に向かった。


「うみのちかく図書館」


 あきれるほどひねりのない名前を持つ、一見童話に出てきそうなお屋敷は、私の祖父「石田裕利いしだゆうり」が若い頃に私費を投じて建てた図書館だ。

 小さな図書館なので、来館者は日に片手で数えるくらいだけど、この建物の外界から切り離されたような静謐せいひつさと図書館特有の陰影いんえいに満ちた館内が大好きで、ほぼ毎日顔を出していた。


「ようこそ、りむ。いらっしゃい」


 豊かな銀髪を後ろになでつけ、いつもスーツを着ている祖父は彫りの深い顔立ちもあってまるで俳優のようだ。

 そして、60歳に見えないほど若々しく見える。

 いつも館内のどこかの席で読書をしており、私が来るたび「ようこそ」と言って迎えてくれる。

 

 何も聞かずに。

 それが心地よくて、ホッとする。

 受け入れられている事を実感できる。


「こんにちは。また、何かお手伝いしたいんだけど」


「もちろん。じゃあ今日は書庫の整理をお願いしようかな」


「うん! 任せて」


「いい返事だ。りむは真面目でしっかりしてるから頼もしいよ」


 おじいちゃんの日だまりのような暖かな笑顔で言われると、自分が本当に言葉通りの人間に思えて、顔がほころぶ。

 

 誰かに必要としてもらっている。

 私はいらない子なんかじゃない。

 早速、書庫に入って種類がバラバラになっている本を種類ごとに整理する。


「ありがとう、りむ。素晴らしい……これで資料の確認がしやすくなった。じゃあ、ここからは受付をお願いしようかな。りむが対応してくれると、かなり評判良くなるからね」


「そんな……でも、頑張る」


「よろしく頼むよ。そして、ペンダントも有り難う。ずっと着けてくれてるね」


 そう言われて、私は胸にかかっているペンダントを見た。


 それは中学の入学祝いに、おじいちゃんからもらった物だった。

 コインのような形をした深い青色の石で、よく見ると夜空の星の様な細かな粒が無数に入っている。

 それがまるで深い海の底の景色に見えて、もらった瞬間に一目惚れして以来寝るときとお風呂、学校の時以外ずっと着けるようにしている。

 学校でもお守り袋に入れて大切にしていた。


「だって、これ凄く気に入ってるから。でも、これって何て石なの? 見たこと無いけど……」


「う~ん、私もよく分からないんだ。でも、これはいつかりむを守ってくれるかも知れない。だから、気に入ってくれてるのは嬉しいよ」


 私ははにかみながら小さく頷いた。

 これを着けていると、おじいちゃんに守られているようでホッとする。


「さて、私は今から少し第2資料室に行ってくるよ。急ぎの仕事があるから、1時くらいまでかかるけど、それまで受付をお願いできるかな?」


「うん、まかせて」


「頼もしいな。で、分かってるとは思うけど……」


「大丈夫『第2資料室には入らないように』だよね。もちろん分かってるよ。おじいちゃんのお仕事の邪魔はしないから」

 

 そう言うと、おじいちゃんは優しい笑顔で私の頭を軽く撫でてくれた。


 午後4時。

 私は第2資料室の扉の前に立っていた。

 心臓の音がうるさいくらい体の中に響く。


 どうしよう……

 

 おじいちゃんは1時までかかると言った。

 今まで時間通りに帰ってきていたのに。

 もちろん、仕事が長引いてるのかもだけど、何も言わずにこんなに……

 

 そして、資料室の中からは不気味なくらい何も聞こえてこないのだ。

 ふと、部屋の中でおじいちゃんが倒れている姿が浮かび、背中がヒンヤリとした。


(ごめんなさい……一回だけ、許して)


 心の中で誰にいうでもなく謝ると、私はドアを開けて……開かない。

 鍵がかかっている。


 そんな……

 私は怖くなってドアを何度も叩いた。


「おじいちゃん! 開けて! 大丈夫? ねえ」


 不安と苛立ち、悲しさが、まるでコップから溢れる水みたいに心にこぼれてくる。

 その時、胸のペンダントが淡く光っている気がしたけど、それどころじゃない。

 

 私はどうしちゃったんだろう。

 何を思ったか数歩後ろに下がると、そのままドアに向かい全力で走り出したのだ。

 身体ごとぶつかるように。


「開いてってば!」


 その時。

 

 ペンダントがハッキリ分かるくらい光りだした。

 深い青色の、まるで海の底のような光は目の前のドアを包み込み……開いた。


 海の底のような光で目の前が見えなかった。

 第2資料室はこんな凝った照明があるんだ、とのんきな事が浮かんじゃっていた。

 でも……こんなに最新の設備はないよね。

 私は呆然としながら目の前の景色を見ていた。


 私が座り込んでいるのは、小高い丘の上。

 そして、眼下にはまるで樹海の様な広大な森が一面に広がっていたのだ。


「何……これ」


「まさか、体当たりなんて斜め上もいいとこの行動ね。帰って親御さんに報告するのかな~と思ってたら……ここはね、リグリアと言う国の辺境にある森ね。結構凶暴なモンスターがいるから、注意して」


「そうなんだ。ありがと……」


 って……だれ!?

 

 私はヒッ、と空気が漏れたような悲鳴を上げると、周りを見回した。

 今の声……なに?

 だが、私はすぐに理解した。


「そうか……ずっと学校行けてないの、やっぱり辛かったんだ、私。だからストレスでこんな幻覚」


 そうつぶやくと、ペンダントをギュッと握りしめた。


「おじいちゃん、ゴメンね。家帰ったら、一度病院行ってみる。当分、会えないかも……」


「オッケー。じゃあ何とか帰る方法見つけないと。まずは状況確認だよ、りむ……なんてね。それよりまずやってもらうことあるんだから」


「……って、何なの! この声!」


「こっちのセリフよ! そんな馬鹿でかい声、モンスターに聞かれたらヤバいでしょ!」


 慌てて見回すと、右肩の辺りに片手くらいの大きさの女の子……青色のブレザーを着たウェーブのかかった金髪の子。まるで西洋人形のような可愛らしい……が、フワフワ浮かんでいた。

 その子はポカンとしている私に向かって、ため息をつきながら言った。


「初めまして……じゃないけど、一応ご挨拶。私はライム。あなたの着けているペンダントに住んでいる可愛い女の子。年齢は何千……じゃない、何万歳くらいかな? もう3年以上一緒に居るのに何だけど、今後ともよろしくね」

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