第16話 変わったもの、変わらないもの

「元々、澪は慶介への好意を隠そうとしませんでした」


 その言葉から始まった嗣晴さんの説明は、とてもわかりやすいものでした。

 彼が三年近く前から澪さんを調べていたこと。


 調査の結果、澪さんと慶介さんの関係が明るみになったこと。

 澪さんが偽の証拠で嗣晴さんへの訴訟を起こそうとしていたことまで。


 ひき逃げ以外の全ての事実を、彼は数多くの証拠を用いて説明しました。

 積み上がった証拠の山を見れば、言い逃れなどできないことは誰でもわかります。


「私が出した写真は、嗣晴さんからお借りしたものです」


 彼の説明の最後に、申し訳程度に私がそれだけ添えます。

 お願いしようと訪れた興信所で私と彼は偶然出くわしたという筋書きです。


「――以上です」


 こうして、嗣晴さんの説明は終わりました。

 すると、冷え切った鉛の塊にも似た重々しい沈黙が場を満たします。


 お義父さんと、お義母さんと、宮藤さん。

 三人が、テーブルに積まれた証拠資料を手に取って読み込んでいます。


 全員がその顔を赤くしたり、青ざめさせたり、歪ませたり無表情になったりと。

 一つの動きがあるたび空気は温度を下げ、その分、圧がどんどん増していきます。


 もちろんそれは、三人の怒りの圧です。

 部屋の隅では慶介さんと澪さんが床に正座させられ、情けない姿を晒しています。


「……く、ぅぅ」


 慶介さんは、死刑の執行を待つ囚人のように怯え切った表情をしています。


「……何で私がこんな目に」


 しかし澪さんには、まるで反省の色が見えません。

 父親が自分を助けてくれないこの状況に納得がいっていないのでしょう。


 嗣晴さんは、ひき逃げの写真で宮藤さんを味方につけました。

 彼は、自分の義父が娘より政治家としての保身を選ぶことを見越していたのです。


「……慶介」


 お義父さんの低く抑えられた声が、静寂を破りました。


「縁さんと離婚しなさい」

「……な――」


「せめてもの謝罪の証として、縁さんには彼女が望む額の慰謝料を支払うんだ」

「縁と離婚って、本気で言ってるのか……!?」


 話を続けようとするお義父さんを、慶介さんが怒鳴り声で遮ります。


「逆にきくが、ここまでのことをやったおまえに他に何ができるんだ?」


 問い返すお義父さんの声に感情の響きはありません。

 どこまでも激しい怒りが、逆にこの人の顔から表情を奪っていました。


「だ、だけど……!」

「これ以上はみっともないわよ、慶介」


 慶介さんは食い下がりますが、お義母さんがピシャリと言い放ちました。


「『縁が隣にいても全然楽しめねぇわ』」

「ぁ、そ、それは……!?」


 お義母さんが読み上げたのはSNS会話ログの一部でした。


「『何であんなマグロ女と結婚したんだろうな、俺。いつも敬語で距離感じるし、えっちも反応薄すぎて、勃ってるモンも萎えちまうよ』」

「や、やめろ、やめてくれ! 何でそんなの読むんだよ!」


 淡々と読み続けるお義母さんに、慶介さんは半泣きで制止しようとします。


「自分で選んだお嫁さんそんなことを思っていたなんて……」

「ち、違う! これは……!」


 彼は汗まみれの顔で、必死に弁解しようとします。


「これは、澪が俺に言わせたんだよ!」


 そしてあろうことか、彼は自分の暴言の責任を澪さんになすりつけたのです。


「な、何言ってんの、慶介!」

「うるせぇ、おまえのせいだ! 全部、おまえが悪いんだ!」


 髪を振り乱し、ツバを飛ばして澪さんに指を突きつける慶介さん。

 その醜い姿には、義両親も閉口するしかありませんでした。


「あんた言ったじゃないのよ、縁なんかより私の方が気持ちいいって!」

「黙れ、しゃべるな! 俺は浮気なんてしてない、俺はこの先も縁と暮らすんだ!」


 そして始まる、慶介さんと澪さんの無意味な言い争い。

 それはドラマよりも無様で、情けなくて、滑稽で、とても恥ずかしい光景でした。


「ねぇ、パパも何とか言ってよ!」


 澪さんが憤りも露わに、宮藤さんに助けを求めます。


「どうして助けてくれないのよ!? 私、悪いことなんて何もしてないのに!」

「悪いことをしていない? 本気で言ってるのか?」


 その澪さんの発言に、宮藤さんの額に太い血管が浮かび上がります。


「当たり前でしょ。ただ恋愛することの何が――」

「違う」


 言いかける澪さんを制して、次に宮藤さんが口にした言葉は衝撃的なものでした。


「おまえは自分が殺人未遂犯だという自覚もないのか。と、きいているんだ」

「さつ……!?」


 お義父さん繰り返そうとして絶句し、場の空気が一気に張り詰めました。


「こちらを」


 嗣晴さんがついに事故の写真を取り出しました。

 ひかれる私の姿も、運転席の澪さんも、車のナンバーも全部はっきりわかります。


「ある筋から入手しました。合成ではありません」


 入手経路について、嗣晴さんは涼しい顔で嘘をつきました。


「な、なぁ……?」

「こんなバカな……!?」


 でも、嗣晴さんの言葉なんて誰の耳にも届いていませんでした。

 義両親も、慶介さんも、事故の写真に釘付けになったまま完全に硬直しています。


「澪は、自首させる」


 宮藤さんが、重苦しい声でそれを言いました。


「は? な、何それ? 冗談よね、パパ……?」

「冗談で済む話か。これだけの証拠がある以上、おまえを庇えば俺も危ういんだよ」

「そんな……!?」


 まさかの父親からの切り捨て宣言に、さすがの澪さんも放心状態です。

 彼女が逮捕されれば、その影響は間違いなく宮藤さんにも波及するでしょう。


 それでも、澪さんを庇って自分まで罪状を抱えるよりはマシ。

 という判断のようです。


「澪、おまえってやつは……!」


 そして慶介さんも、澪さんへの怒りでその身を打ち震わせます。

 前の人生とはまるで真逆の構図です。


 あのときは、事故の件を知りながらも彼は澪さんと共に死にゆく私を笑いました。

 それが今、私を殺そうとした澪さんに憤怒の形相を向けているのです。


 人は変われば変わるものです。

 まぁ、そう仕向けたのは私なのですが。


「……本当に、いいの?」


 ですが、澪さんはまだ折れませんでした。

 彼女はニヤリとほくそ笑むと、自分のおなかに手を当てて、言ったのです。


「私のおなかには慶介の子供がいるのよ?」


 最後の爆弾が、この場に投下されたのです。

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