第11話 冷めゆく熱を眺めながら

 結婚して二年半を過ぎた、ある週末のことでした。


「お出かけですか?」


 玄関前で、余所行き姿の慶介さんとばったり出くわしたのです。

 一瞬だけですが、彼は気まずげに顔を歪めました。


「あ、ああ。付き合いでちょっと。夕飯はいらないから」


 今、時刻はお昼を回ったばかりです。

 これから外に出て夕飯も不要、と。かなり遠出ですね。


「わかりました。行ってらっしゃい」


 私は何も求めず、彼を見送りました。

 出がけのキスなんて、しなくなって久しいです。


 新婚の頃は休日のたびに一緒にお出かけしていました。

 しかし最近は、休日はもっぱら趣味の読書に費やしています。


「……このパターンは初めてですね」


 読んでいた本を閉じて、私はタブレットを手に取ります。

 個人会話用のSNSで早速慶介さんと澪さんのやりとりが始まっていました。


『家を出た。そっちは?』

『こっちもよ。久しぶりのデートね。何年ぶりかしら!』


『おまえがうるさいから一回だけ付き合うだけだ』

『縁がいるのに?』

『許可は取ってあるよ』


 そうですね、外出に関しては私は別に反対してません。


『今日のことは縁にも言ってある。やましいところはない』


 でも、次のこれは明確に嘘ですね。

 近頃の慶介さんは、平気で私に嘘を重ねるようになっていました。


 少しして、二人の書き込みが止まりました。澪さんと合流したのでしょう。

 次に書き込みがあったのは、日付変更直前頃、澪さんでした。


『あんたヘタレよね~。ま、いいけど。どうせ今日のこと縁には何言ってないんでしょうし? 次のデート、楽しみにしておくわね♪』


 二人は、この日は一線を越えなかったようです。

 そしてこの頃から、休日は慶介さん一人で出かけることが多くなりました。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 人の変わるさまを、リアルタイムで俯瞰視点から追いかける。

 それは、現実のはずなのに現実感を欠いて、まるでゲームのようです。


『慶介、昨日はすっごい気持ちよかった』

『俺も気持ちよかったよ。やっぱ体の相性はいいな』


 こちらは、つい一週間前の二人のやり取りです。

 二人が肉体関係を持ったのは、三か月ほど前でしょうか。


 この時期、私達の家は一戸建てに変わっていました。

 慶介さんが義両親から離れることを口実にして建てた家です。


 なおこの家、慶介さんと澪さんの密会場所であるマンションに、相当近いです。

 あの人は私のためと言ってはばからないでしょうけどね。


『次の休日は東京ね。行きたいお店があるのよ!』

『都内か。遠いな』


『縁とは行ったことないの?』

『あいつは近場で満足してくれるよ』


『安い女ね』

『無償の家政婦だぜ。最高だろ?』


 一週間ほど前のログです。慶介さんもすっかり地を晒すようになっています。

 私への本音をおおっぴらにし始めたのも、随分前のことです。


 私はチラリと壁掛け時計を見ます。

 そろそろ、夜の十時。

 慶介さんは澪さんとやり取りをするばかりで、こっちへの連絡はなし。


「……そろそろ、頃合いでしょうか」


 慶介さんは私への関心を失い、完全に澪さんの方に傾いた。

 そう判断してしまって、よいのでしょうか。


 だって、今日は三回目の結婚記念日。

 それを完全にすっぽかすようなら、そう思ってもいいですよね?


 そろそろ、私も次の行動に移るべきかもしれません。

 そう思っていたところで、玄関が開く音がして慶介さんが帰ってきました。


「ただいま。遅くなってごめん」


 玄関に出ると、帰ってきた彼はその手に大きな包みを持っていました。


「ほら今日、結婚記念日だろ? だから、プレゼント買ってきたんだ」

「まぁ……!」


 私は両手を口に当てて驚いたフリをしました。

 そしてすぐにリビングに戻り、自分も用意しておいたプレゼントを持ってきます。


「私からは、これを」

「おまえも用意してくれてたのか、ありがとう」


 互いにプレゼントを交換して、私と彼は素直に喜び合います。でも、


「慶介さん、遅かったから今日は何もないものかと……」

「ああ、悪い。最近、仕事が忙しくなってきてるんで、ある程度はどうしてもな」


 嘘。

 さっきまで澪さんのマンションで過ごしてたクセに。


 夜の散歩がてら、マンションの前を通りかかってそれは確認済みです。

 もちろん写真に収めておきました。全く、隙だらけなんですよ。


「慶介さん、本当に嬉しいです」

「ん? ああ、うん。そうだな。俺もだよ」


 表面だけでも喜ぶ私に、慶介さんの反応はかなり淡泊なものでした。

 ちょっとだけ笑って、でもよく見ればその笑顔はただの愛想笑いだとわかります。


 それでも盲目を演じる私は、笑顔を保ち続けます。

 いいですよ、慶介さん。

 もう少しだけ猶予をあげます。


 僅かながらではありますが、あなたはまだ私を意識しているようですから。

 それが全てなくなる日まで私はジッと待ち続けます。


 あなたが私への関心をなくしたとき。

 そのときが、あなたを殺すための準備が始まるときなのですから。


「愛しています、慶介さん」


 私は満面の笑みを浮かべて、心にもない嘘を吐きました。

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