第5話 宮藤嗣晴が取り戻したいもの

 嗣晴さんの告白は、自嘲から始まりました。


「僕は澪に飼われていたんです」


 私は、言葉を失ってしまいました。

 飼うなんて、人が人に使う言葉とは思えなかったからです。


「それは、どういう……?」

「父が商売で大きな失敗をして、慶介はウチへの融資元として、澪を紹介してくれたんです。宮藤家は資産家で、義父は今は県会議員を務めるような人ですからね」


 なるほど。

 この人の言う紹介とは、普通とは違う、そういう意味の紹介だったのですね。


「僕が宮藤の婿入りすること。それが融資の条件でした。澪がつけた条件でした」


 つまり嗣晴さんは、実家を救うために宮藤家に身売りをした。

 それは、令和にあったこととは思えないくらい、前時代的な話に思えました。


「慶介の身代わりだったんですよ。僕は」

「ぇ……」

「慶介と澪は、幼馴染だったんです。知っていましたか?」


 それは、今の今まで全く知らなかった、完全に初耳の話でした。


「あの二人は、大学で出会ったんじゃ……?」

「違うようです。あの二人は小・中と一緒で、高校で別の学校に進んだらしいです。高校の頃にはあの二人は付き合っていて、高校卒業直前に一度別れたみたいなんですよね。それで大学に進んで、慶介はあなたと出会い、僕に澪を紹介した」


 慶介さんと澪さんが別れた理由は、何となく想像がつきます。

 彼は束縛をあまり好まない人で、その辺りが澪さんと合わなかったのでしょう。


 だから慶介さんは、逆らえない理由を持つ嗣晴さんを、澪さんに紹介した。

 自分に執着させないための生贄、人身御供として。


「慶介とあなたが結婚して四年目頃でしょうか、こっちに大きな変化が起きました。澪が、僕のDVを理由にして離婚裁判を引き起こしたんです」

「意味がわかりません……」


 裁判なんて、わざわざ起こす理由がどこにあるのでしょう。

 それはむしろ、嗣晴さんの方が起こすべきものではないかと思えました。


「澪は、僕をとことんまでいたぶって遊ぼうとしたんです。そのためにわざわざDVの証拠をでっち上げて裁判を起こして、結局、僕は負けました」

「何故それを知っているんです……?」

「最期の夜に澪から笑いながら言われたからですよ。僕はいいおもちゃだった、と」


 最後の夜ではなく、最期の夜。

 そのニュアンスから、私はそこがこの人の核心なのだと悟りました。


「DV夫の烙印を押された僕を、義両親はクズと罵り、金を返せとまで言ってきました。父からもその件で勘当されて、僕は帰る家を失いました」

「ひどい……」

「そして、あの最期の夜が来ました」


 嗣晴さんはコーヒーをまた一口。

 一方で、私の前にも紅茶が置かれていますが、それどころではありません。


「興信所から送られてきた調査結果をまとめていたら澪が来て、慶介の子供ができたと自慢してきました。そして最後にコーヒーくらいはいれてやると言い出して……」

「そのコーヒーに、毒が?」

「飲めと命令されましたからね。最後の最後まで僕を下僕扱いするつもりかとイヤな気分になって、さっさと飲み干して帰ってもらおうと思ったら――」


 そこで言葉を切って、嗣晴さんは自嘲すると共に肩をすくめました。


「僕は動くのが遅すぎたんです。だから澪に先を越されて、今に至ります」


 語り終えて、宮藤さんは「はぁ」と嘆息を一つ。

 私は、幾つか彼に確認を取ります。


「今日、私を呼び出したのは……」

「もちろん、あなたへ忠告するためです。事故の件は澪に関する調査で知りました」

「私が流産しなければ、流れが変わるかもしれないと思った、と……?」


 宮藤さんはコクリとうなずきました。


「僕は別にあなたを心配しているわけじゃありません。ただ、澪の思い通りにさせたくないからこうしているだけで――」

「それは違うと思います」


 その反論は、自然と私の口を突いて出ました。


「違う、とは?」

「さっき、私があなたと同じだとお話したとき、宮藤さんはとても優しい目で、私のことを案じてくれました。私は、そう感じました」


 私は少し語気を強くして、それを言いました。

 そして思ったのです。この人はきっと私と同じで、本当は人と争うのが苦手な人。

 だけど、私と同じく心に『黒』を秘めている。


「宮藤さんは澪さんに復讐なさるおつもりなのですね?」

「ええ」


 それは確固たる意志による、即答でした。


「僕は、澪が破滅するところを見届けなければならないんです」


 破滅。

 それはフィクションの中でした見たことのない、とても強い言葉でした。


「大した人間ではない僕ですが、それでも一人の人間としてのプライドがあります。澪には、命と一緒にそれを奪われました。僕が取り戻さなくてはならないものです」


 決然と、彼は私に向かってそれを語ります。

 その言葉は私の心に強く響きました。この人は選択を終えているのですね。


「宮藤さん」


 気がつけば、私は嗣晴さんに提案していました。


「私達、協力できませんか?」

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