第2話 あなたを殺すための五年間が始まる
鏡に映るのは、清らかで煌びやかな純白の花嫁でした。
それが私と気づくまで三秒かかりました。
「な、何で……?」
死んだ私が、どうしてこんな格好を?
大窓からは明るい光が射し込んでいます。そんな、夜ですらない?
状況がわからず、疑問が渦を巻きます。
目の前には何故か鏡台。そこに戸惑う花嫁姿の私。
こんな部屋、見覚えが――、いえ。
ある。あります。この部屋には見覚えがあります。
だけど、そんなこと……!
自分の居場所がわかって、私は混乱を深めました。
コンコン、と、誰かがドアをノックしたのは、そのときでした。
私は反射的に「はい」と返してしまいました。
「そろそろだよ、
部屋に入ってきたのは、白タキシード姿で髪をきっちり整えった慶介さんでした。
彼の顔を見た途端、私は呼吸するのを忘れてしまいました。
「け、慶介、さん……?」
「ああ、そうだけど。……どうかしたのか、縁?」
私の反応に逆に驚く彼は、記憶の中にある彼よりも、若く見えました。
それに気づいた私は、まさかと思いました。
「あの、慶介さん。今日は――」
私は、とある日付を口に出しました。
すると慶介さんは、
「そうだけど、何だよ、忘れてたのか?」
そう言って、屈託のない笑みを浮かべたのです。
ああ、やっぱり。今日は私と彼の結婚式が行なわれる日です!
これは、夢?
それとも、さっきまでの出来事の方こそ、夢?
だけど、私はしっかりと覚えています。
慶介さんの裏切りに心を殺され、澪さんに突き落とされ体を殺された、あの痛み。
「行こう、縁」
慶介さんが、朗らかな笑顔で私に手を差し伸べます。
複雑な胸中のまま、私はその手を取ります。
指先に感じる、彼の手の感触。私のつける手袋から聞こえる、布を擦る音。
とても夢とは思えません。
「みんなに見せつけてやろう、世界一の花嫁の姿を」
私にそう言う彼は、記憶の中にある私を愛してくれる慶介さんそのままでした。
でもそれは、薄汚い本性を覆い隠す仮面でしかないのです。
怒りが顔に出ないよう必死に耐えつつ、私は彼に連れられ部屋を出ました。
結婚式が始まります。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「綺麗よ、縁さん!」
「慶介、縁さんを幸せにしろよ~!」
厳粛さなんてない、割れんばかりの歓声と祝福が、私を迎えてくれます。
慶介さんはチャペルの奥で、私のことを待ってくれています。
私は、父に手を引かれてバージンロードを歩いています。
その様子を、式に列席してくれた皆さんが、笑顔で見守ってくれています。
「ついにこの日が来てしまったんだなぁ、嬉しいような、寂しいような」
ちょっとだけ涙声の父に応えつつ、私は慶介さんのいる場所へ。
私を待つ彼は、ほんのりと頬を朱に染めていました。
「真っ白な君は、特別に綺麗だ、縁」
そんな歯の浮くようなセリフも、今の私には白々しく聞こえるだけです。
ですが、周りの祝福はまごうことなき本物で、私はそれに浸ることにしました。
何もかもがお祝いの色に染まった景色。だけど、私は気づきました。
ある一方から私を突き刺す、異質なまなざし。
――宮藤澪。
黒い服を纏った彼女が、私を憎々しげに睨んでいました。
私が感じていた温かいものは、その視線で一気に温度を失いました。
澪さんの隣には男性が立っています。
黒縁の眼鏡をかけた、柔和な印象のおとなしそうな男性です。
彼は澪さんの夫で、
高校からの親友である慶介さんからの紹介で澪さんと出会ったのだとか。
隣に彼がいて、どうして澪さんは慶介さんにこだわるのか……。
「縁?」
慶介さんに呼ばれてしまいました。今は、式に集中しましょう。
前回ほど楽しめそうにはないですけど。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
披露宴を終えた私達は、ホテルのスペシャルスイートで初夜を迎えます。
「これで俺達、正真正銘の夫婦になったんだな」
子供みたいにはしゃいで、慶介さんが私の手を取ってそんなことを言います。
彼は、少しロマンチストなところがあります。
その性格もあって、結婚式が行われたあとで私と彼は入籍しました。
つまり、今日は結婚記念日でもあるのです。
「これからお願いします。慶介さん」
「こっちこそ、縁」
慶介さんは満面の笑顔でうなずきました。
ですが、未来を知る私には、この会話も空虚な響きを持って届くだけです。
「そろそろ、ベッドに入ろうか?」
少しだけ二人でお酒を飲んで、夜十一時を過ぎたところで、彼は言いました。
これから彼は私を抱きます。
前回は、それはとびっきりの幸せな時間であるはずでした。
ですが今は――、
「ちょっとお手洗いに」
私は一度洗面所へと逃げました。
そして、鏡に映る自分を見て、深く呼吸をします。
「……今の私に、道は二つ」
一つは『慶介さんと幸せになる道』です。
私が持つ未来の記憶を使えば、あの交通事故を防ぐこともできるでしょう。
私はあの子を失わずに済むし慶介さんにも裏切られる結末も覆せる。
今の私なら、その未来を選択することも十分に可能です。
もう一つは『二人に仕返しをする道』です。
未来の記憶を使って、澪さんと慶介さん、二人に対して復讐を行なう。その選択。
せっかく何もかもを取り戻せるのに、その選択に意味はあるのか。
式が終わってから、私はずっと考え続けていました。
ですが、私の中に凝り固まった『黒いもの』が訴えてくるのです。
私の命を奪ったのは澪さんでも、私の心を殺したのは慶介さんの方だ。と。
「――フフフ、フフ、フフフフ」
鏡の向こうにいる私が、泣きながら笑っています。
今日、私を愛してくれたあなた。でも、五年後にはあなたは私を裏切るのです。
私の心は死んだまま。
腐り果て、黒く変色したそれは私から『幸せ』という感覚を奪いました。
ああ、選択の余地なんて最初からなかった……。
私は、持ってきた手提げ鞄から錠剤を一つ、取り出しました。
生理が重かった時期があって、そのときにお医者様に処方してもらったものです。
「慶介さん、私はあなたの子供を宿しません」
決意と共に、私はピルを飲み下しました。
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