私を殺したあなたへ、真実の愛を捧げます

はんぺん千代丸

第1話 あなたが私を殺したから

 ああ、これが『幸せ』。

 私の前で全てを失って泣き叫ぶあなたの姿は、この世の何よりもいとおしい。


「これが報いというものです。慶介けいすけさん」


 そう、これは報い。

 私を殺したあなたを私が殺す。これは最高の報復なのですから――、



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 五回目の結婚記念日の夜のことでした。

 私――、眞嶋縁ましま ゆかりは夫・慶介さんの実家に呼ばれていました。


 和風のお屋敷の一室で、義両親と対面しています。

 深い飴色をした座卓の向かい側には義両親。


 お義父さんもお義母さんも、厳しい顔で沈黙しています。

 とある一件から、私は二人に疎まれ、嫌味を言われ続けてきました。


 今日は結婚記念日のお祝いをしたかったのに。

 慶介さんもおらず、私一人なのが本当に心細いです。


「あの……」


 この部屋に通されて一時間。私は耐えかねて口を開きます。

 しかし、お義父さんもお義母さんも無表情で無反応。なしのつぶてです。


「遅くなってごめん」


 そこに聞こえた声は、慶介さんのものでした。

 今の私にはまさに救いの声です。


「お邪魔しま~す♪」


 しかし、別の人の声も聞こえました。

 彼の隣には、派手に着飾った茶色い髪の女性が一緒でした。


 彼女は、宮藤澪くどう みおさん。

 私と慶介さんと同じ大学を同窓生です。


「え……」


 どうして澪さんが、ここに?

 彼女の父親は県会議員で、お義父さんが後援会長ということは知っていますが。


 唖然とする私をよそに、慶介さんは澪さんを隣に置いて座ります。

 座った位置は私の右脇側。コの字の縦棒に来る場所です。


「揃ったな。……あれを」

「はい」


 お義父さんに促され、お義母さんが卓上に広げたのは――、え?


「縁さん、これに名前を書きなさい」


 それは離婚届でした。

 ただでさえついていけていないわたしは、それで何も考えられなくなります。


「縁さん」


 しかし、お義父さんに呼ばれて私は我に返りました。

 目の前には、やはり離婚届。しかも慶介さんの名前が書かれています。


「何で、ですか……?」


 急に呼び出されて待たされた挙句、慶介さんは澪さんと一緒で、何なんです……。


「実はねぇ~、縁」


 澪さんが、ねっとりとした声で私を呼びました。

 彼女はおなかをさすり、得意げに、そして私を見下し言ったのです。


「私ね、妊娠しちゃったのよ。慶介の子供」

「……は?」


 聞き間違えかと思いました。

 しかし、追い打ちのつもりか、澪さんは重ねて告げてくるのです。


「今、三か月目なんですって」

「そういうわけだ。縁さん」


 お義父さんが澪さんに追従して、お義母さんもうなずきます。

 何も言えなくなった私に、澪さんは笑いながら、


「子供を生めないあんたが悪いのよ」


 容赦なく、現実を叩きつけてきたのです。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 私は、子供を作ることができない体です。

 原因は、交通事故です。


 慶介さんと結婚して一年経った頃、私は待望の子供を妊娠しました。

 ですが、産婦人科に通う途中、ひき逃げに遭ったのです。


 子供は流れ、私も一時は生死の境をさまよいました。

 そして子供を生めなくなったのです。


 ひき逃げ犯は今も見つかっていません。

 私も顔を見ていませんし、目撃者もいませんでした。


 この事故をきっかけにして、優しかった義両親の態度が一変しました。

 眞嶋家は名家で、慶介さんは一人息子です。私が子供を生むことは義務でした。


 子供が生めない女に眞嶋家の嫁の資格はない。

 事故後、私は義両親からそんなことを言われ続けたのです。


 事故から一か月くらいの頃、気を病んだ私は彼に離婚を切り出しました。

 でも、慶介さんは言ってくれたのです。


「子供なんていらないよ。おまえがいれば十分だ」


 彼はそう言ってくれたのです。

 その言葉が、私を絶望の底から救ってくれました。


 私は誓いました。

 この人を生涯をかけて愛そう。私がこの人を幸せにしよう。って。


 それなのに――、



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 慶介さんが、初めて口を開きました。


「悪いな、できちゃったんだ」


 その言い方は、まるで事態の重さを理解していない軽いものでした。


「何が……、何が『悪い』ですか!?」


 彼の言葉が信じられず、私は声を荒げてしまいました。

 お義父さんは不快そうに顔を歪め、お義母さんは「はしたない」と一言。


「そんなムキになんないでよ~」


 澪さんに至っては、そうやって私を嘲って笑ってきました。


「何でですか? どうして澪さんが慶介さんの子供を……?」

「不倫とかじゃないぞ。澪は前から俺のセカンドパートナーなんだよ」


 セカンドパートナーは配偶者以外で恋愛関係にある異性を指す呼び方です。

 でも、そこに肉体関係は存在しないはずです。するなら、それはただの不倫です。


「それはセカンドパートナーじゃ……」

「言わないでいいよ、縁」


 反論しようとする私を、彼はめんどくさげに遮りました。


「どうせ不倫だとか騒ぐんだろ? そういう汚いのじゃないからさ」

「じゃあ、何だと……!」


「交代だよ、今日でおまえと澪は立場を交代するんだ」

「な、何ですか、それ?」

「だ~か~ら、明日から澪が俺の奥さん。おまえがセカンドパートナー、ってこと」


 こ、交代……?

 私と、澪さんの立場が、交代? ……そんな、モラルも何もない理由で!?


「それっていいアイディアよね~。誰も不幸にならないわ~」

「女二人を養うか。慶介の甲斐性も大したものだな」

「早く孫の顔が見たいですわね~」


 信じられないことに、私以外の全員が朗らかに笑っていました。

 何でですか。どうしてみんな、そこで笑えるんですか。この和やかさは何ですか?


「……ぉ、おかしい、です」

「あ? 何が?」


 身を震わせて絞り出した私の言葉に、きょとんとする慶介さん。

 もう、その反応からしておかしい。おかしいです。こんなのおかしすぎます!


「何で私が慶介さんと離婚しなくちゃいけないんですか!? 私、ちゃんと頑張ってきたのに! 慶介さんの奥さんとして――」

「バカを言っちゃいけないな、縁さん」


 悔しさに涙を溢れさせて全力で訴えようとする私を、お義父さんが鼻で笑います。


「子供も作れない欠陥品に慶介の嫁が務まると思っているのか?」

「本当ですねぇ。子供を生めないあなたに何の価値があるのかしら」


 そこにお義母さんまで加わって、私は人間扱いもしてもらえませんでした。

 耐えかねて、私は叫んでしまいます。


「私だって、あの子を生みたかったですよ! 私だって……!」

「いつまでもうるせぇな! 子供を死なせちまったのはおまえの不注意だろうが!」


 そして、慶介さんにそう怒鳴られたのです。

 誰よりも私の苦しみを知ってくれていたはずの、彼に。


「慶介、さん……?」


 私はその言葉を受け入れられず、完全に呆けてしまいます。

 すると彼は、チッと強く舌打ちをして、私を激しく睨みつけてきたのです。


「いいかげんにしろよ、縁! 俺と離婚したあとも別れないでいてやるって言ってるだろ? それの何が不満だ? 金か? 俺から慰謝料をむしり取ろうってのか!?」

「ち、違います! 私は――」


 私は、わかってほしかっただけです。

 この苦しさを、辛さを、慶介さんにわかってほしい。ただ、それだけで……、


「慶介さん、言ってくれたじゃないですか! 子供はいなくていい、奥さんは私だけだよって! 私に言ってくれたのに、それなのにどうして……!?」


 必死になる私に、慶介さんは何故かそこで不思議そうな顔をしました。


「あ? ……言ったか、そんなこと?」

「ぇ……」


 そ、そんなこと……?

 何で、そんな反応なんですか。慶介さん、まさかあのときのことを、忘れて……?


「ちょっとぉ慶介~、それはひどいんじゃないのぉ~?」

「いや、覚えてないんだって。多分、そうとでも言わなきゃこいつがウジウジし続けてウザかったんだろ。こいつ、そういうところがめんどくせぇんだよ」

「わ、こいつ最低ェ~!」


 呆然とする私の前で、慶介さんと澪さんが笑っています。

 その笑い声が、私の中にある彼への愛情と信頼を、黒くにじませていきます。


 嘘。嘘です。こんなの、こんな……。

 まばたきもできず、涙を流したままかぶりを振る私を、慶介さんが見て、


「けど、もういいわ、おまえ」


 そう告げる彼の、私へ向けるまなざし。

 それは完全に興味も関心も失った、まるで石ころを見るかのような冷め切った目。


「縁。もうおまえ、いらないわ」


 その一言が、すでにひび割れつつあった私の心を粉々に砕きました。


「ぃ、や、いやああああああああああああああああああああああああああぁ!」


 そして私は、両手で頭を抱えて絶望の声をほとばしらせたのです。

 このとき、私の心は死にました。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 気がつくと、チカチカと不規則に明滅する街灯が私を照らしていました。


「……ここは?」


 辺りは薄暗くてよく見えず、私は周りに視線を巡らせます。

 すると、眼下に長い階段があって、それを見てわたしは気づいたのです。


「山の上の、公園……」


 そこは、結婚前に慶介さんと一緒に来たことがある公園でした。

 入り口は長い階段を上がりきった一カ所だけで、人はあまり来ません。


 階段の一番上で、振り返った私は夜の街の風景を眺めました。

 ほとんどが闇に沈みながらも、でも、家々に灯る明かりに生活の息遣いを感じる。


 慶介さんは地元を見渡せるここが好きだと言っていました。

 私も、初めてその光景を見たときはとても感動したのを覚えています。


 ……でも、もう過去です。


「私は、これからどこに行けば……?」


 現実を受け入れられず、私はお屋敷から逃げ出したのです。

 そして我をなくしたまま走って、こんなところまで。


 今さら、家にも戻れません。

 実家は違う県だし、私、一体どうすれば……。


「おまえに帰る場所なんてないぞ、縁」


 急に、後ろから慶介さんの声がして――、


「え……」


 私が驚きながら振り向いて――、


「あは♪」


 そこには何故か澪さんが立っていて――、


「ぁ」


 私は、彼女に突き飛ばされて、世界がグルンと大きく回りました。

 そこから、ドンッ、ガヅッ、グシャッ、と生々しく鈍い音が何度も聞こえました。


 それは、私が階段を転げ落ちる音でした。

 最後には頭から道路に叩きつけられ、ゴギッ、と首の骨が折れる音を聞きました。


 痛みなんてありませんでした。

 ただ、自分は死ぬという確信だけがありました。


「人の首ってこんな角度に曲がるのね、これは今度こそ死んじゃったわよねぇ~」


 ほとんど何も聞こえない中、近づく澪さんの声だけやけに鮮明に聞き取れました。

 今度こそ、って、何が……?


「ごめんねぇ~、縁。あんた、このままだと離婚届なかなか書いてくれなさそうだからさ、スパッと死んでくれた方が、私が再婚するのに手っ取り早いのよねぇ~」


 この人は、そんな理由で、私を……。


「前にひいたときにあんたが死ぬなり、離婚するするなりしてくれてれば、こんな手間かけないで済んだのにさ。これってあんたが悪いんだからね?」


 今、この人、何て……?

 前にひいたとき……? 前、に……!?


「くだらないことを言うな、澪。それは俺のガキでもあったんだぞ」


 今度は、慶介さんの声まで聞こえてきます。

 どうしてです、慶介さん。どうしてなんですか、何で、澪さんなんかと……!


 澪さんは、あの子を殺した犯人なのに。

 この人のせいで、あの子は生まれてこれなかったのに……。


「こんな女があんたの子供妊娠してさ、殺したくなるに決まってるでしょ」

「女は怖いな。ま、ガキならおまえの腹にもいるからいいか」


 そんな、そんな……!?

 あの子は身代わりがきくような存在じゃないのに!


「はぁ~、スッとしたぁ~。ずっとこいつをこうしてやりたかったのよね~」

「つまんない女だったよ、こいつは」


 私を殺しておいて、二人の声には罪悪感なんてカケラもありませんでした。


「そろそろ帰るか。じゃあな、縁。化けて出るなよ」

「じゃ、バイバ~イ!」


 声が遠ざかっていきます。でも、私にできることは何もなくて。

 考える力も残されてなくて、世界の全てが真っ白に変じていくばかりで―――、


 ああ、ああ……。

 何もできずに終わってしまう。


 あの子を守ってくれなかったあの男に、何も報いを与えられずに。

 イヤです。そんなのイヤ。そんなの、悔しい……。


 悔しい。

 悔しい。


「け、い、す、け、さ……」


 …………。…………。…………。…………。…………。…………ころしてやる。


 ――私は、死にました。

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