第3話 八併軍の戦士

 球状の機械の大群が湖の方から町の方に押し寄せてくる。

 未知の何かがこんなにも大量に飛んでくると人間が取る行動は大体決まっている。

 逃亡である。


 湖を眺めていた町の人達が一斉に建物から出てきた。そして、この町を脱出すべく走り出す。

 僕と姉も町の人達と同様に湖とは反対の方向に向かって走り出す。


 何が起きているんだろう? あれはいったい何なんだろう? 

 どうしてこっちに向かってくるんだろう? どうして逃げているんだろう? 

 これからどうなるんだろう? 僕らはどこへ逃げればいいんだろう?


 多くの疑問が頭を覆ったが、今は何も考えずに走り出す。とにかく走る、遠くまで。


 ドラミデ町を縦断し、三角錐湖から丘の方へと伸びている大通りに、大勢の人がなだれ込む。

「うわああああああ!!」

「おせえよ! どけよ!」

「キャー! 痛い! やめて、踏まないで!」

 町は一気にパニックにおちいった。


 湖から離れるために、全員が反対の丘の方へ向けて緩やかな坂を駆け上がる。

 余裕の無い人間とは恐ろしい。途中転んでしまう人を躊躇ためらうことなく踏みつけ、走るのが遅い高齢者などには目も止めずに一目散に逃げていく。


「待って! 足がもつれて……、誰か助けて! 痛い! 踏まないで下さい!」

 かく言う僕も同じだ。転んで置き去りにされる女の人を、横目で見て見ぬふりをした。

 後ろめたくて、目を合わせることができなかった。こんな状況では、とても助けることなんてできない。


 普通自動車程度の大きさを持つ、金属塊きんぞくかいの群れは、すぐそこまで迫っていた。

「嫌だーーー!! 誰かーーー!!」

 後方から悲鳴が聞こえだす。絶望の叫びだ。


 振り返ると、さっきの転んだ女の人が片手を伸ばして必死で助けを求めていた。

 しかし、僕のように振り返る人はいても、救いの手を差し伸べる人は誰一人としていなかった。


「助けt……」

 直後、女の人の頭をあの球状の機械が呑み込んだ。


 空から彼女に迫り、球体の下部を開いて自身の体内に取り込んだのだ。

 未知の機械は、彼女の頭部を飲み込んだ後、数秒してすぐに開放した。

 女性の体はパタリとその場で倒れる。そしてそのまま動かなくなった。


 ここで僕は初めて自分たちが逃げている理由に気づく。

 死が迫ってきているからだ。あの機械たちに捕まれば死ぬ。

 実感が湧いてきた。汗が止まらない。


「キャアアアアアアアアア!!」

 彼女が動かなくなる様を見て悲鳴が上がり、逃げ惑う人々のパニック度合いに拍車をかける。

 僕も姉も人の波に揉まれながらも、絶えず走り続ける。

 この状況下で足が止まれば、その時点で助からないだろう。逃げ行く人たちの足蹴あしげにされる。そして、あの置き去りにされた女の人と同じ運命を辿るのだ。


「やめろ!! うわああああああ!!」

「お、終わりだ……」

「まだ、死にたくない……」


 後方から聞こえる悲鳴の数が多くなる。

 死ぬ間際の生を求める人の声が聞こえ、聞こえたと思った次の瞬間には途切れる。


 僕たちは、奴らを前にして実に無力だった。

 恐怖から来る生への執着が、各々を利己的な思考に陥らせる。


「やめろ! 引っ張るな!」

「うるせえ……、お前をおとりにして、俺は逃げる! 家族がいるんだ!」

 遂には、前を走っている人を蹴落とす者まで現れた。


「本当にやめろ!」

「すまねえな」

 後ろを走っていた男性が、前を走る男性の足を右足で払った。

 前方を走っていた男性の体は綺麗に地に崩れ落ち、後ろを走っていた男性の踏み台となる。


「てめええええええ!!」

 転倒させられた男性が地に伏しながら、強い怒気を込めた叫びを後方から響かせる。

「わりいな……。俺が生きるためだ」

 転倒させた方の男は、その声にも振り返ることなく走り続ける。罪の意識を感じてか、その瞳からは涙が零れていた。


「じゃ、同じことされても文句は言えねえな」

 今度は別の男が、涙を流す男を転ばせる。

 転ばされた方は、恨みを込めた眼差しで自分をおとしめた男をにらんだ。

 各所で似たようなことが起こり出す。まさに地獄絵図だ。


 数分経って足が動かなくなってきた。僕だけでなく隣の姉も同じようだ。

 球状の機械たちはどんどん差し迫ってくる。後ろの方から聞こえてくる悲鳴が徐々に近くなってきていた。

 都市伝説などでよく挙げられる人類滅亡の日というのは今日この日なのだろうか。


「はぁ……、はぁ……、ソラト……」

 息を切らしながら姉がつぶやく。

「ちょっともうダメ見たい。足ひねっちゃって、これ以上走れないかも……」

 彼女は微笑んでいた。僕に少しでも心配をかけまいとする心遣いからだろうか。


「何言ってるんだよ。姉ちゃん、しっかり、あともう少しだよ」

 僕はそう言って励ます。

 何があともう少しなのだろうか。このまま逃げてもいずれ追いつかれる。僕の体力も限界に近い。


「ソラト、自分の夢って簡単にあきらめちゃダメなんだよ。絶対に後悔するんだから!」

 姉がおかしなことを言っている。まるで僕と会うのは今日で最後であるかのようなセリフだ。

「ギャー」と悲鳴が近くから聞こえてくる。


 僕は無言で姉を背負った。

 当然だ。姉弟なのだから。受けてきた恩も大きい。

 ここで彼女を見捨てたら、僕は本当に何も持たない人間になってしまう気がした。


「何してるの? おろして! 早く逃げなさい!」

 背中の姉の言葉に耳を傾けず、無言で歩き続ける。

 僕の意識も切れかかっている。終わりは近い。

 後方を走っていた人たちに追い抜かされる。


 ウイン、ウイン、ウイーン。

 無機質な機械音が大きくなってくる。最後尾が近づいてきている証拠だ。

 じきに僕の番となってしまうのかもしれない。


 そんな時、僕は目の端に逆方向に走っていく人影を捉えた。どこかの制服を着ていた気がする。

 直後、さらに数人が、逃げ惑う住民とは反対方向に向かっていった。

 全員が同じ制服を身にまとっていた。


「八併軍が来てくれたぞー!」

 前方の方からそんな声が上がった。

 逃げ惑う住民たちの足の速度が緩まり、彼らは逃げてきた方向を振り返る。

 そこにあったのは、制服を着た八併軍の戦士たちが、今まさに未知の機械たちを相手に立ち向かっていく姿であった。


「八併軍!?」

「やった……、助かった……」

「いけー! 頼んだぞ、八併軍!」

 あちこちから声援や安堵あんどの声が上がる。彼らは今この状況において、僕らのヒーローなのだ。


 一般人よりも遥かに強いであろう屈強な男たちが30人程度で、無数の球状の機械を迎え撃つ。

 そのうちの一人が住民に対して指示を出す。

「皆さん。危険ですのでここからできるだけ遠くに避難してください。協力お願いします!」

 力強い声が響き渡る。があったが頼もしい。


 しかし民衆は愚かだった。その注意喚起には耳を貸さない人が多く、避難する人は少数だった。

 皆、八併軍の戦いぶりが見たいのだ。


 僕は我に返り、姉を背負いながら注意喚起に従いできるだけ遠くに向かって走った。

 全力で走っている途中で後ろを振り向いた。


 その時の僕の目に移ったのは、制服を着た屈強な戦士が、球状の機械に頭を押さえられて動かなくなる瞬間だった。

 そしてあっという間に屈強な男たちが倒れていった。


 さっき避難警告をした男の人の声の違和感の正体に気づいた。

 あれは怯えて、少しだけ声が震えていたのだ。決死の覚悟で立ち向かっていったのだろう。


「うわあああああああああ!!」

 八併軍の勝利を信じて疑わずに、避難を怠った民衆が慌てて走り出す。

 しかし遅かった。「奴ら」はすぐそこまで迫っていた。


「ギャアアアアアア!!」

「いや……、だ……」

 あっという間に被害は広がった。さっきよりも速いペースで、人々の頭が喰われていく。


「おい……」

 最前線の人達の進行が止まる。

 坂を上るにつれ、人口密度が上がっていく。


「何してんだ! 早く行け!」

「止まってんじゃねーぞ!」

「死にたくない死にたくない死にたくない」

 状況を掴めていない、僕と姉のいる後方集団から焦りの声が上がる。


「無理だ……」

「何だこれ!?」

「進めないわ!」


 前方集団は、口を揃えて進行不可を唱えるも、その原因までは口にしない。と言うよりも、彼らも理解できていない様子だった。

 前は進まず、後ろからは未知の虐殺機械たちが迫ってくる。

 この限界状態に耐え切れず、泣き出す者、発狂してしまう者、気が狂ってしまったのか、急に笑い出す者まで現れた。


 ウイン、ウイン、ウイーン。

 またあの音だ。姉を背負う僕の身に、再び絶体絶命が近づいてくる。


「あはははははは! あっはははh、…………」

「神様、お願いです。助けてください。本当におねがっ……」

 絶えず声が途切れ続ける。笑いながら死ぬ者、神に祈りながら死に逝く者。


「あ、あわわわわわわ」

 逃げ場など、もうどこにもない。手、膝がガクガクと震えだす。自身の死が近づいていることを、僕の体が感じ取っているのだ。

 坂の上の前方集団に目を向けるが、進んでいる様子は全くない。


 ウイン、ウイン、ウイーン。

 さらに機械の音が近づいてきた。もうすぐそこ。

 ここまで音が大きく聞こえたことは無い。至近距離まで迫っている証拠だ。


「うぎゃあああああああああ!!」

 僕のすぐ後ろから悲鳴が上がる。

 一つ後ろにいた男の人が喰われて、目の前で地面に倒れる。ピクリとも動かなくなってしまった。


 ウイーン。

 僕の顔前、手を伸ばせばすぐ届く距離に無機質な絶望はいた。

 丸いその機体にある、赤く点灯している部位を僕の方に向け、ここまで何度も見てきた、人の頭を食べる形態へとフォルムチェンジする。


 ウインウイーン。

 ああ……。この音が、僕がこの世で聞く最後の音になるのだろうか。


 キュイーーーン。


 その瞬間、僕の知らない技術の結晶であろう大型の戦闘機が頭上を通過した。

 そこから何かが降ってくる。

 人だ……。


 パキン、パキキン。

 おもむろに、目の前の未知なる機械が凍り出す。

 パリン。

 そして、氷が割れたと同時に、その姿は完全に消滅した。


 ドサッ。

「おい。俺に押し付けられた超絶な面倒ごとってのは、これで合ってるか?」

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