知らない呼び名

 ゆうちゃん、と日常的にわたしを呼ぶのは母くらいしかいない。父はゆうきと呼ぶことが多い。

 だから新学期の教室でいきなり「ゆうきちゃん」と呼ばれたとき、プライベートな部分が外に漏れ出てしまったような気分になってぞわっとした。

「高崎さん」

 ゆうきちゃんとわたしのことを呼んだ相手を、強調するように名字で呼び返した。

「鈴、でいいよ」

 高崎さんは気に留める様子もなく答えた。高崎さんの下の名前は、初日に出席をとったときには覚えていた。高崎鈴子。呼ばれた彼女は本当に鈴の音のような、ハリのあるよく通った声で、はい、と返事をした。

「鈴子っていい名前だね。似合ってる」

「ほんとう? ありがとう。あんまり見ない名前ねって言われる」

 彼女はパッと顔を明るくして答えた。ありがとう、は本当の丁寧な言い方で、その声にわたしまでうれしくなってしまった。自分の名前を大事に思っているのだと思った。名前は本当に似合っていると思う。

「ひらのでいいよ」

 わたしは言った。

「名字の方が呼ばれ慣れてるから」

「うん。平野、ね」

 高崎さんはありがとうと同じくらい丁寧にそう答えた。気を悪くしていないみたいなのでホッとする。名字で呼ぶのはよそよそしいと思っている人もいるから、そういうことを考えるとちょっと慎重になるのだ。

 何が変わるというわけでもないはずだけれど、中学校と高校では呼ばれ方が違った。女の子の友達なら下の名前で呼ぶものという意識が薄いような気がした。なんて呼んだっていい、女子同士が名字を呼び捨てしたっていいんだよねと、前より思えている気がした。


 鈴子とは、呼び方を確認しあったときから一緒に書道の授業に向かうようになった。

 芸術科目は音楽・美術・書道から選択する。クラスによってばらつきはあるけど、全体的に音楽選択の人数が一番多い。心なしか音楽の子たちが一番華やかな気がした。美術と書道は少なめに同じくらいだった。鈴子の声なら音楽も得意そうなのにと思ったけれども、わたしが鈴子に本当に惹かれたのは、彼女の字を目にしたときだった。

 わたしの隣の席で喋りながら鈴子は手際よく道具を広げ、筆を持ち、息を吐くように最初の一枚を書いた。それが、もう鈴子の字にしかない美しさだった。りん、と鈴の音のような印象を字からも感じた。特別に力強いわけではなく、線も細いのに輪郭がきりりとしていて、節々がぴっと際立っている。わたしの書いたのはそれと比べるとぼやけていた。墨汁の匂いが急に崇高なものに思えた。

 小学生の頃に書道をやっていたという鈴子の字は、確かにきちんと習った印象の字をしていた。かといって、お手本通りというわけでもなかった。鈴子の字は、そんなふうに書いてもいいんだとわたしが驚くようなこともあった。わたしはお手本通りの字を書こうとしていて、鈴子は綺麗な字を書こうとしているように見えた。

 筆を持つとき、目の前の白い紙に鈴子の意識はすっと落ちる。そのときだけ彼女の鈴の音は止む。字が綺麗なことは素敵なことだと思った。

 でもお喋りな鈴の音が消えるのはあくまで筆を持ったときだけ。終了のチャイムがなった瞬間、それどころか自分が字を書き終えた瞬間には、また隣に座るわたしに今書いたことの感想や全然関係ないことを話し始める。

 お喋りには二種類ある。自分の話を聞いてほしいお喋り、ただ口が動いてしまうお喋り。鈴子は後者。

「『鈴がいるとラジオいらず』とか『FM鈴子』とかよくお母さんに言われるんだけど、そんなにうるさいかなぁ」

 鈴子は言うけれど、なるほどなぁとちょっと感心した。


「五組の長谷川です。べえ、って呼ばれてるのでそう呼んでください。由来は知りません」

 五時間目の合唱祭実行委員会の集まりだった。わたしの隣に座っていた長谷川さんがハスキーな声とさっぱりした口調で、そこまでがワンセットみたいにそう自己紹介した。それで初対面同士の委員会の緊張感は一気に崩れた。五組、というと福島と同じクラスだ。

 あだ名があると親しくなりやすいことは知っていたけどここまでのは初めてだった。遠慮し合って探り合うような空気がなくなって、みんな意味もなく「べえ」「べえちゃん」と呼んだ。初めてまともに顔を合わせた他クラスの相手を、もうそんなふうに呼ぶのが可笑しい。

 ずっとそれがあだ名なのだという。本名を聞いても全然結びつかないから「なんで、べえ、なの?」とつい聞きたくなってしまう。その質問も彼女には慣れっこで、だから最初から「由来は知りません」ということまで込みで自己紹介をした。それがまたおもしろかった。

 各クラス一人ずつの合唱祭実行委員が集まって、机を寄せて班にして、第一回目の実行委員会はそんな程度で終わった。顔合わせがメインの、ほとんど形式上の委員会。行ってみてわかったことに、実行委員と言ってもやるのはほとんど雑用らしかった。合唱祭の件でクラスを代表する者が一人いた方が都合がいい、という程度の役割。福島の指摘は必要なかったわけだ。実際にクラスの合唱の指揮を取る(文字通り)人や、伴奏をする人、歌の指導には音楽が得意な人を別に募るらしい。

「ほら、エグゼクティブ・プロデューサーってことだよ」

 合唱祭委員の担当になった国語科の安藤が飄々と言った。エグゼクティブ・プロデューサーになることはわたしの人生では初めてだけれども、たぶんこの場合、かっこいいのは名前だけなんだろうとなんとなくわかった。安藤、とこの先生が入学早々に生徒から呼び捨てされているのも、親しみの呼び捨てなんだろうというのもなんとなくわかった。

 教室に戻るまでの道すがら、めずらしくわたしは自分から訊ねた。

「べえちゃんのべえは、べえなの? それともべーなの?」

 べえちゃんはショートカットの黒髪を払いのけ、一重まぶたの目を爛々とこちらに向けて、

「そんなこと初めて聞かれた」

 と笑った。呼び名と同じく髪型やその目も昔から変わっていないのだろうとわたしは想像した。

「べえ、の方が好きだから、べえね」

「わたしもそっちの方がいいと思ってた」

「なんて呼べばいい?」

 五組の教室の前で足を止め、べえちゃんが聞く。

「ひらの」

「オーケー。平野またねぇ」

 べえちゃんは軽やかに答えて、手を振って自分の教室に入っていった。


 知り合いたての友人について書くことは難しい。近くの席だからなんてだけで親しく話してみて、全然仲良くならないことだってある。気が合うか、話が合うか、好みが合うかなんて、第一印象じゃわからない。仲良くなった気分で最初に楽しく書き残して、後々苦笑いして見返すようなことはしたくない。

 だからわたしはなるべく客観的に、野鳥観察の結果でも書くように、鈴子とべえちゃんと話したきっかけ、名前、そして呼び方と呼ばれ方について書いた。

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