初めてのハッピーバースデー

三郎

本文

『お前なんて生まれなければ良かった』

 それが私の母の口癖。誕生日を祝ってもらったことなんて一度もなかった。母曰く、私を産んだのは当時付き合っていた男を繋ぎ止めるためだったらしい。だけどその男は、結局私と母を置いて逃げ出した。母は母なりに、私を愛そうという努力をしているらしい。『私が貴女に暴力を振るうのは貴女が悪いからなのよ』『お願いだから良い子にして』『私だって辛いの』

 母の言葉通り、良い子になろうと努力をした。母の機嫌を損ねないように、常に顔色を窺っていた。

 ある日、学校から帰るとリビングに手紙が置いてあった。それは母からの手紙だった。そこに書かれていたのは私に対する謝罪。泣きながら書いたのか、文字はところどころ滲んでいた。手紙の最後は、別れの言葉で締められていた。家の中を探し回っても、母はどこにもいなかった。靴も無くなっていた。一人で外に出てはいけないという言いつけを破って、鍵をかけて外に出た。だけど、母の行きそうなところは見当も付かなかった。

 玄関先で泣いていた私に、通りすがりの女性が声をかけてくれた。知らない女性に話しかけられてさらにパニックになった私の隣に座ると、女性は「ナカハラヨウコ」と謎の単語を発した。意味を理解できずに首を傾げると「私の名前。君の名前は?」と優しく問いかける。


「知らない人と話しちゃだめって言われてる……」


「君はもう私の名前知ってるから知らない人じゃないよね」


「……」


「……信用できない?」


 私は恐る恐る、彼女に手紙を見せた。彼女はなにこれと不思議そうに手紙を受け取ると「中見ていい?」と私に許可をとり、中身を見る。だんだんと、彼女の表情が険しくなっていく。


「君、家はどこ?」


「そこ……」


「この手紙見て飛び出してきたんだ?」


 頷くと、彼女はどこかに電話をかけ始めた。話終わると、また違うところに電話をかける。彼女が電話をかけた先は警察と児童相談所だったと知ったのは、しばらくしてのこと。

 警察の捜査の結果、母はすぐに見つかった。ちょうど数時間前に一人の女性が線路に飛び込み、自殺していた。それが私の母だった。

 私が悪い子だったからと自分を責める私に、陽子さんは言った。「うちの子になるか」と。


「陽子さんの……子に……?」


「養子って分かる?」


「うん……」


「私の養子にならないか。……つっても、たまたま通りかかっただけのよくわからん女にそんなこと言われても困るよな。私、君の名前もまだ知らないし」


「……かな」


「かな?」


「……天津あまつかな。わたしの名前」


「かな。どういう字を書くの?」


「ひらがな」


「かなちゃん」


「うん。……わたし、悪い子だよ。お母さんはいつも言ってた。産まなければ良かったって」


「……私は君のことをほとんど知らない。けど、これだけは言えるよ。悪い子は、お母さんが死んだのは自分のせいだなんて言わない」


 そう言う彼女の声は震えていた。やがて、彼女の瞳からポロポロと涙が溢れる。泣きながら、彼女は私を抱きしめた。


「私は君のことを何も知らない。でも、君を放ってはおけない。私も同じだから。母から産まなければ良かったと言われて育った。ずっと、自分を責めていた。だから……エゴかもしれないけど、君には、幸せになってほしいんだ」


「幸せに……」


「うちにおいでよ。かなちゃん。私が君を幸せにするから。生まれてきてごめんなんて、もう二度と言わせないから」


「……うん」


 そうして私は、その日たまたま知り合ったよく知らない女性の養子になった。


「かなちゃんのこと知りたいから、色々聞いても良い?」


「うん」


「じゃあまず、誕生日は?」


「誕生日……」


 誕生日は、母が亡くなったちょうどその日だった。それを話すと陽子さんは「そうか」と静かに相槌を打った。握った拳が震えていた。腕が上がり、殴られると思い身構える。だけど彼女は私を殴らず、抱き寄せた。そして優しい声で言う。「少し遅くなったけど、お祝いしようか」と。


「お祝い……?」


「誕生日はね、祝うものなんだよ。おいで。ケーキを買いに行こう」


 差し伸べられた手を取り、外に出る。ケーキ屋に着くと陽子さんは、好きなケーキを選ばせてくれた。だけど私は選べなかった。好きなケーキというものがわからなかったから。


「そうか。なら……私のおすすめでいいか?」


「……うん」


 陽子さんが注文したのはさまざまなフルーツが入ったケーキ。ショートサイズを二つ。


「ハッピーバースデー。かなちゃん」


「はっぴーばーすでー?」


「幸せな誕生日って意味だよ。十歳だっけ? おめでとう」


「……ありがとう」


「ああ。来年はちゃんと当日にお祝いするから。それまでに、君がどんなケーキが好きなのか、一緒に探そう」


「……このケーキ、美味しかった」


「お。そうか。なら、来年の誕生日ケーキ候補だな」


「……うん」


 この日、私は初めて誰かに誕生日を祝われた。その人は一切血の繋がらない、まだよく知らない女性。だけど、これから私にとってかけがえのない家族になる人だった。

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初めてのハッピーバースデー 三郎 @sabu_saburou

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