掌編400字・老木
柴田 康美
第1話
それは老いたモチノキだった。この頃とんと耳が遠くなってしまった。遠くで叫ぶような声がする。小さな声なのでよく聞きとれない。助かったとも聞えるし死んだとも聞える。ひとの足音犬の吠え声。どこかの人が遭難したみたいだ。そのうち捜索隊がやってきた。見つかったか?隊長がきいた。いや、まだです。若い隊員は白い息を吐きながら答えた。救助はきのうからの雪が深く難航している。空からの応援を頼め。すぐにだ。
やがてバタバタとヘリが飛んできた。羽がちぎれそうなくらいに山の尾根をかすめて飛び回った。探しても探しても発見できなかった。死体はおろか足跡さえも見つからなかった。夕暮れがせまっていた。山中で生きているなら白い雪に黒い服。たちまちわかるはずだ。疲労が襲う隊員のなかには老木にもたれかかる者もいた。助けることはだれの目にも難しいとおもえた。
夜になった。もたれかかった隊員に聞いてみた。おい、どうなった。「家に帰ってました。電車に乗って。」
(了)
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