伽藍

閨房哲学

略述

 屋敷にある家系図から確認するところによると、僕の一族は、古くは、華族から成っているようであった。父母とか、既に亡くなった祖父母とかには、複数の異様な共通点が見いだされ、というのも、僕の家は、先祖代々、高潔なる血を保存するため、といったような目的のもと、近親交配によって子孫を残してきたからであった。彼らに通じているのは、生物的合理的機能性を著しく欠いている、という点である。外見は、頬はこけ、眼は青色で金属のようであって、髪は色が薄く、細身、身体は病弱、といった次第であった。そういうわけで、祖父母は、僕が生れる以前、若くして病死したと聞いた。

 生みの親であるところの両親のことはよく知らなかったのだが、尊敬とか感謝とかの念もなければ、憎悪もなかった。両親は家のしきたりと、自然動物的本能とに従って、僕を産み落したに過ぎず、第一、彼らには、病に苦しむばかりで、子を育て上げるための能力が無かったのだ。したがって、僕がおもに関わったのは、屋敷で働く使用人たちであった。ただ、使用人らが退屈で話が合わなかったのか、僕自身がお喋り好きな性格でなかったのか、僕が使用人らに関心を寄せることはあまりなく、書庫に閉じ籠って読書をして過ごすことが多かった。

 使用人連中も、僕のことをよく知らないので、誤って、僕を、お嬢ちゃん、とか、お嬢様、とか呼んでくることが多々あった。僕は、生まれつき、遺伝子の妙というべきか、近親交配にともなって男性的特徴が着々と衰退しているらしく、伸ばしている髪も相まって、限りなく少女じみているというか、世の中に実在している大多数の少女よりも少女の特徴を具えている、というべき容姿であった。

 病弱体質についても、継承されているので、僕自身、腺病質と貧血症に悩まされる少年時代を過ごしていた。一向に改善の見込がなく、むしろ、着々と悪化してゆくばかりなので、このまま年齢を重ねる度に苦痛が増し、身体が許容できなくなった瞬間、死ぬのだろうと思った。通学もできないので、勉学のため家庭教師が雇われていた。未就学児のころは、碌に教育を受けていなかったのに、不気味なほど早熟であったらしいが、学問に没頭することは一切なく、人格も、相当に捻くれた頑固者であって、家庭教師の連中も手を焼いたと聞く。特に、自然科学の類はてんで駄目であったが、形而上学の議論をふっかけて、そこに隠れた誤謬だとか欺瞞だとかにたいし、癇癪を起していたらしい。

 一定の発育を遂げると、家庭教師や使用人らとの会話も、一層億劫になり、書庫で本を読んでばかりの孤独な生活が続いた。それに加え、人間に代わって、自然と触れ合う機会が増えた。天気のよい日は、屋敷の庭園を散歩したり、外に出て山に越えたりして、一日を終えることがしばしばあった。かかる習慣は、人類への軽蔑の念に基づいていた。他人と話したり、仲良くしたところで、それが面白かったり価値があったりするようには、とても思われなかった。人間との付合いにおいて、自分の望む感情が、提供された経験というのは、一度たりともなく、甚だ気分を害されるばかりなのであった。他人のことを理解したい、とか、自分を理解してほしい、というふうな欲求もなく、人ひとりひとりが、強固かつ明晰な自我を有していれば、それでよいので、人間と思想を交換することが、まことに不毛な活動であるように思われた。人と人との馴れ合いというのは、白痴のごとく自我が確立されていない人々か、社交生活に毒され、きちがいじみた虚栄心に囚われた民主的な人々のためにのみ、存在しているのであって、僕には必要のないものであると結論した。

 自然への情熱は、かくした社会的人類への軽蔑によるところである。あのルソーが、自然に帰れ、という標語を発したように、大多数の低能児のために築き上げられた社会の悪しき風習が、悲劇を生んでいるのである、と考えた。そして、僕は、無人の地をもとめて、あらゆる場所を徘徊した。

 或る日、僕は、人気のない樹海をさまよい歩いていた。人がいない場所だからといって、不安だとか居心地悪さだとかは、まるで感じられず、むしろ、そうした状況は、僕にとって非常に落ち着くし、好都合であった。この時の記憶は定かではないのだが、何時間も歩き続けた結果、肉体が疲れ切って、気を失ったのだろう。

 その後、気付けば僕は、人里離れた森の奥にある旧い施設に、保護されていたようだった。どうやらそこは、女子修道院であるらしく、神父と数多くの少女が住んでいて、修道生活を営んでいるようであった。

 修道院は鬱蒼とした木々に囲まれており、自らの屋敷に帰る術も思い浮かばないし、神父も、僕を修道院にとどまらせようとするので、しばらく、この修道院で生活することになった。常に孤独が保証されない状況は不本意であったが、自然に囲まれた環境だとか、宗教施設における建築や家具の神秘性だとかは、僕の心を打つものであった。かくして、僕は突如として家を捨て、修道生活を始めたのである。

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