EX2-2 嗚呼遥かなるイルミナルグランデⅡ



『ようこそ! あなたの輝かしい未来がある夢の国、イルミナルグランデへ!』



 乾いた夜風に吹かれ、ぎぎぎと錆びた音を鳴らす経年劣化で茶色になった鉄製の看板。

 夢も希望も在庫切れしてそうな寂れきった村の片隅で傾いている、自虐ギャグにしては痛々しいウェルカムボードもどき。

 昔の名残か地元の悪ノリかは知らないが、今はこんなのどうでもいい。


 おれは闇の隙間に視線を走らせ『猫』の姿を探す。

 キャッツがいれば安心レベルが爆上がりなのだが……前回と同じく、どこにもいない。

 やはり距離制限でもあるのだろうか? 旧市街の外は圏外なのか? 


「……っすよね?」

「……も笑えねえけどな」

 なにやらこしょこしょ話をしているマナナとミゲル。その視線の先にあるのは件の看板。


「もしかして、この『イルミナルグランデ』って、聞いたことある?」

「……いえ、あまり学がないもので」

「名前くらいは知ってる。めちゃくちゃ遠くにある、ネグロニアとはほぼ国交のない国だな」

「じゃあ、わたしの顔を見て、ローゼガルドに恨みを持つやつが殴りに来たりは?」

ないから安心していい」

「安心するのは、ルーナを確保してからにしましょうよ」


 その通りなので、さっさと出発する。

 いないものをアテにしてもしょうがない。できることをやるしかない。


 おれたちの目的は、ピラミッドさんが『助けろ』といったルーナの保護。

 ただしこのルーナ、追われる身にもかかわらず、なぜだか殺る気満々らしい。

 勝てるならそもそもルーナママは灰になってない。勝てないから逃げた。なのに殺ってやるとみずから向かって行く。明らかに冷静さを失い自棄やけになってる。

 そんな彼女が返り討ちに遭う前に、どうにかこっちで保護しなければならないのだが……。


「どうやってルーナを見つける?」

「先に標的を押さえる」

 ルーナの狙う先。敵の親玉。おそらくはルーナママに致命傷を与えた、敵側の貴種ノーブル

「具体的には?」

おびき寄せよう」

えさは?」

「無視できねえ脅威をチラつかせる」

「手下を殺るんすか?」

「ああ、一撃で炭屑すみくずになってくたばりゃ、怖くて怖くて知らんフリなんざできねえさ」

 だろ? とおれに奇怪な目配せを送るミゲル。


 あ、おれがやるのね。

 なんか妙に強気だと思ったらそういうことね。


「……交渉の余地はないかな?」

「既に母親が死んでる。ほんの少しでも向こうに寄り添う素振りを見せると、俺たちは一瞬でルーナの敵になっちまう。この感情を軽視するのは駄目だ。逆にここさえ押さえれば、あとは俺たち次第でどうとでもなる」


 ルーナを助けるのがおれたちの目的。

 ルーナと敵側の貴種ノーブルは、もう決定的に割れた後。


「それに、あの影に居た奴、アマリリスさまを殺す気でしたよ。警告もなしってことは、味方以外は皆殺しの命令が出てますよ、たぶん」


 話し合いどころか、殺らなきゃ殺られるぞとマナナが警告する。


「なら、やるしかないかあ」

「意外っすね。アマリリスさまはのりのりで皆殺しにすると思ってました」

「マナナはわたしを誤解してる。そんなことしてなにが楽しいんだよ」


 おれはボディ旧王家だが、頭旧王家ではない。


「ならとりあえず、適当にその辺うろついてる奴でも連れて来ますか?」

「いや、いかにも隊長格って感じの偉そうなのが陣取ってる広場があった。もうちょっとで、丁度いい絶景スポットに出る」


 今おれたちは、立ち並ぶ古びた家屋の隙間を縫うようにこっそりと進んでいる。

 ミゲルのいう通りなら、きっといい感じに不意打ちできるベストポジションへ辿り着けるのだろう。


「アマリリスが俺のボルトに『なにか』をする。それを使って撃ち抜けば相手は死ぬ。この理解で合ってるよな?」

「うん。間違いないよ」


 元ネタを考えると、屋内にいる相手を『引きずり出す』方が十全の効力を発揮できそうだが……最初から外にいてくれるのなら、わざわざ『引きずり出す』手間が省けるとも取れる。そもそも、なにもかもを無視して『再現』を押し付けるのがこの反則技の醍醐味だ。うん、いける。いけろ。いけたらいいな。


「けどもしダメだったら、とりあえず1回ダッシュで逃げよう」

「いいね、その心構え。俺好みだ。なら1度、練習しておこう」


 いってミゲルが「まっすぐそのまま、俺の後に続くんだ」と、なにもない空間を踏みしめ、まるで階段のようにすいすいと上り始める。


 ……おいおいおい、空中を歩くとか、なんでもありだな王の血統。


 一瞬だけ躊躇ったが、えいやっとその後に続く。するとおれの足も見えないなにかを踏みしめ、そのまま階段のように上れた。なるほどこれは、周囲の闇と完全同色の『足場』か。

 いや待て、この形は……。


「これって、踏んでも大丈夫なの?」


 こと『闇』に関して、おれは異常なまでに見通せる。実際に触れたなら大体わかる。


「急に落ちたりはしねえから、心配すんなって」


 いやそういう意味じゃなくて――と続けようとしたところで足首がぐねっとなる。

 世界一しょうもない落下死(たぶんおれならこの高さでも死ねる)をかましそうになった間抜けは、ただ黙ってバランスをとるマシーンと化した。

 そうしてどうにか足場の終点から2階建て民家の屋根上に到着。そのまま三角屋根の影に身を潜める。


「この向こう側に、村の中心部になってる広場がある。さっき見たままなら、3つのまとがアホ面さらしてる筈だ」


 反射的に覗こうとして、慌てて止めた。

 もしなにかの拍子にばっちり眼が合ったりしたら、折角の不意打ちが台無しだ。

 たぶんそういう位置の確認とかは、いつの間にか消えているマナナがやってくれているのだろう。

「……しばらく待ち?」

「ああ。まだなにもするなよ。闇やら何やらの動きを、向こうが察知できるかもしれない」


 そうして空いた時間に、ついついおれは口を開いてしまう。


「さっきの足場。あれって……楽器のケースだよな? たぶん弦楽器を入れる、大きめの堅くて頑丈な木製のケース」

 あの先端がしゅっと細くなったフォルムにボディのサイズからして、ギターやヴァイオリンじゃなくてもっと大きな……チェロあたりの。


「……踏んだだけでわかるのか?」

「この身も一応、王の血統らしいからね」

「一応どころか、一番やべえ系譜のやつな」

「叔母上と姉さま以外も、アレな感じなの?」

「ヒルダの母親、ダリアガルデ様ってのが一番やばかったそうだ。3つ続けば、もう立派な系譜だろ。アレな意味で」


 ダリアガルデ。

 たしかもう随分と前に亡くなっている、姉さまの母親でローゼガルドの姉。

 おれの元となった存在。

 その死後の扱いが、どうにも引っかかる存在。


「――で、なんで楽器のケースをわざわざ足場に?」

 ミゲルが話を逸らそうとしていたので、ちょっとだけつついてみる。

「……他に使い道がねえからだよ。継承できたはいいが、どうやっても開かねえ」

「継承って、誰から?」

「初代無法者の星アウトロースター。同じ両親から生まれた、俺の実の兄貴から」


 継承ってことは、元の持ち主は……。


「ごめん。好奇心で聞いていい話じゃなかった」

「いいさ。知ってる奴は知ってる話だ」


「広場、クリアっすよー」


 そこで響くマナナの声。

 屋根の影に潜むおれたちにも届くワリと大きな声。


 いや潜んでる意味!


 なにやってんのと焦るおれをよそに、ミゲルはすっと立ち上がり、そのまま広場の方へと『足場』を出しつつ下りて行く。

 慌ててその後を追うおれの目に飛び込んでくる、異様な光景。

 2階建ての屋根上という高所からは、村の中心部らしい広場が一望できた。


「……こりゃまた、悪趣味だねえ」


 広場の中心部に突き立つ、白く長い棒状のなにか。

 あえて言葉にするなら、地面から生えるバカでかい『とげ』だろうか。

 それが6本、サイコロの6の目のように立ち並んでおり、1本につき1人。


 まるでトカゲの丸焼きのように、串刺しになっていた。


 股から入りノドから飛び出て、そこからさらに30センチほど先で血と脂でべたべたの切っ先が天を突いている。

 6人ともに黒いタキシードっぽい防刃装備を着用していることから、ほぼ間違いなくさっきの男の仲間。傷が超スピードで治る『上』『中』『下』の『中』に位置する敵の兵隊。

 いうまでもなく、誰一人として動く者はいない。


「あーなるほどなあ。そりゃ当然、股座またぐらや脇の下は普通の布地だよな。そこまでガチガチにしちまうと、まともに動けなくなる」


 なのでそこからブチ抜きました。

 理屈としてはわかるのだが……。

 だからといって本当にをぶっ刺しちゃうとか、なんというか、ビジュアル的にきつい。血とかだばだばでめっちゃグロい。

 そりゃたしかに血管とかが集中してる急所だけどさあ。



「先、越されちゃいましたね」

「ここまで悪趣味にやるつもりはなかったよ。マナナは俺を誤解してる」



 はりつけになったそれぞれの足下には、素麺そうめんでも流しそうな、割った竹でつくったようなレールっぽいなにかが敷かれていた。

 高さを調節されたそれは、死体から滴り落ちる血を受け止め、そのまま滑り台の要領で低い方へと流す。

 そして終点に設置された、おそらくは家畜の餌でも入れていたであろう粗末なおけへと、それぞれから流れた血が溜まり、溢れ、周囲はむせ返るような赤でびちゃびちゃになっていた。


「これ、読めます? 向こうの文字っすよね?」

「読めねえけど内容の想像はつくな。きっとお袋のことをバカにしてる」


 血で溢れるおけに打ち付けられた木の板に書かれた文字。

 ピラミッドさんによって脳カスタムされたらしいおれには普通に読めるその内容を、声に出していう。



「粗茶ですが、どうぞ。――ルーナより」



 うわあ。

 なにこのガチな悪意。かかわりたくねえ。

 どんよりした気分のまま、おれは2人に聞く。


「これ本当に、ルーナがやったと思う?」

 それはそれでおかしい。

 こんなことできるなら、ルーナママが灰になる前にやっていた筈だ。


「そこは安心していい。やったのはルーナじゃない」

 いってミゲルが、バカでかい白い棘を小突く。

「こいつは魔術の基礎たる『杭』から派生する『棘』だ」


 魔術。正しくは闇魔術だったか。

 強化措置の普及に伴いその存在を消していった過去の栄華。

 かつての王侯貴族の嗜みにして力の象徴、とかなんとか。


「元は闇色なこれをわざわざ全部白塗りにするのは――まあいっちまえば、くそカルトのよくわかんねー教義やらポリシーやらだな」


 魔術。くそカルト。――闇の薔薇。

 たった2つのワードでもう確定する、難易度激低な連想ゲーム。


「正確には『尊き純白の担い手』っすよ。連中の中でも最高位の存在にしか許されない特権技術の担い手にして教導者。いってみればトップの証ですね」

「……そういえば、副首領を名乗ってたイグナシオの『手』や『棘』は白かった」

「今代の『尊き純白の担い手』は2人。副首領イグナシオと、その兄であり盟主のクラプトンっすね」


 ……んん? 兄?

 それって、まずくね?

 いや待て、まだ決まったわけじゃない。


「ここの現地民が、たまたま同じ魔術を使えた可能性は?」

「ない。闇魔術はネグロニア固有の特殊技能だ。似たような現象を起こす『なにか』はあったとしても、ここまで一致する可能性はゼロだ」

 イグナシオはもういないから、単純な引き算で、

「……じゃあその盟主さん――クラプトンが今、ルーナと一緒にいると」

「そうなる。この白い棘は『眩しい闇』を凝固させるとかいう、まじモンの超高等技術なんだよ。もうヒルダか外法クラプトンくらいしか、できそうな奴が残ってない」


 そういや姉さまとの植物園デートの時に見たな、その眩しい闇。

 部屋いっぱいに滞留させて、お洒落空間の演出に一役買ってた。


「実は姉さまが来てるって可能性は?」

「もしヒルダの仕業なら、近付いた時点で連鎖爆破して広場が消し飛んでる。あいつは無駄な遊びはしない」


 たしかにそうだよなあ、と納得しつつ真っ白い『棘』を眺めていて――ふと気付く。

 間違いなく白い棘これは、あの植物園で見たやつを凝固させた物だ。

 どの角度から見ても間違いない。完全に一致してる。



 ……なんで闇の薔薇の首領が、姉さまと同じことができるの?



「もしかして、姉さまの使う闇技術って、闇の薔薇が魔術と呼ぶものと同じ?」

「王家が主流で向こうが傍流だけどな。ちなみに俺のボルトも『杭』の応用になる」


 ここで明らかになる衝撃の事実!

 おれ産の黒杭、実は魔術だった!


 ……まあどうでもいいな、うん。


「てことは、まさかクラプトン、姉さまに匹敵するレベルだったり?」

 ミゲルは「俺はヒルダの底を知らねえからな」と前置きしてから、

「少なくとも、魔女殿が排除せずに抱き込む程度には、やりやがるだろうよ」


 そこだけ聞くと、実に頼りになるナイス助っ人に思えるが……この股間串刺し血みどろ流し素麺もどきを作っちゃうようなやつとか、どう贔屓目に見ても、


「クラプトン、人格に問題があるやつ?」

「問題しかねえ」「異常者っすね」


 そんなやつを喚ぶとかピラミッドさん、アホなの?

 理性的な話し合いは、ちっとも期待できそうにない。

 なので最悪のケースを想定する必要がある。

 それは、とてもシンプルかつ実際に起きそうな即死パターン。



 弟をやったのは誰だ!

 おれだ!

 成敗!



 おれは流れるように隠蔽工作へと走る。

 個人の事情を皆の問題にすり替える、こすい一手を繰り出す!


「クラプトン、弟のイグナシオをやった犯人、知ってるかな?」


 ミゲルとマナナがおれをガン見する。


「知りようがないっすよ。だってあいつ、コーシンの場に居たんでしょ?」

「いや、一定の純度を超えた血統なら、兄弟の生き死にはなんとなくわかる。逝った瞬間に『あ、今あいつ死んだ』って理屈抜きに感じるんだ。少なくとも俺はそうだった」


 瞬間的におれたちの間で交わされる、奇怪な目配せの数々。


「……やっぱ凄えよな、魔女の巫女!」

「そっすね。やっぱとんでもなかったっすね、魔女の巫女!」

「ターナの歳であの動きはちょっと信じられないよね! 凄いや魔女の巫女!」


 そういうことになった。


 嘘はいってない。

 ただ伝えていない情報があるだけ。


 頭ピラミッドになったおれたちは、事前に大きなトラブルの芽を摘めた満足感のままにイエイと軽やかなハイタッチを交わした。



「で、次はどうする? もうちょっとここで待ってみる?」

 今おれたちは身を隠すでもなく広場のど真ん中にいるが、相変わらず周囲は無音のままでなんの動きもない。

「うーん、ここまで派手な見世物にされて黙ってんのは、流石に不自然すぎるけどなあ」

「たしかに、物音ひとつしないって、逆になんかウソくさいっすよねえ」


 なにやら話し合う2人の声を聞きながら、おれはふと思い立ち手を伸ばしてみる。

 なんでも『眩しい闇』を凝固させたとかいう白い棘。

 おれ産の黒杭はべしっと弾かれたのに、こちらはちゃんと敵を貫けている白い棘。

 これは是非ともパクりたいと、まずは概要を把握しようと伸ばしたおれの手が触れたその瞬間、


 ずるりと。


 空間が剥けた。


 まるでそれは、早回しの定点カメラでつぼみの成長を見ているかのような。

 剥けた空間が、広がり渦巻きながら1枚1枚剥がれ落ちてゆくかのような。

 開花と剥離がごちゃ混ぜになった喪失の一幕は瞬く間に過ぎ去り、ただ結果だけが残される。幾重にも包まれていた薄幕が消えたことで、その核心がつまびらかになる。


 そうしてさらけ出された『内』にいたのは、おれたち3人。……プラス1。

 遮られていた外と内が繋がり、途切れていた風が、空気の流れが、音が、衝撃の波が、一気に押し寄せる。


 砕け、へし折れ、突き抜け、倒壊。

 音として口にするなら『べき』とか『ばきばきぐしゃ』とか『がっしゃーん』あたりか。

 耳をつんざく破壊の音が絶え間なく響き続け、秒ごとにその発生源は移動し続けている。誰かが、破壊を振りまきながら移動し続けている。

 いやこれは、


「派手にやり合ってますね。だんだん離れて行ってます」


 遠ざかる騒音の先を見れば、夜空に瞬く月が目に入る。さっきまではなかった月。雲ではないべつのなにかで覆われていて、これまでは見えなかった三日月。


「こいつは――特定の視覚と聴覚の遮断か? 知覚できねえレベルでそっと静かに包み込む、向こう独自のローカル魔術。攻撃じゃないから痛くない。痛くないから気付かない。……面白ぇな」


 イメージとしては蚊帳かや

 蚊をはじめとする虫の侵入を防ぐ寝具。

 寝床をすっぽりと覆い、熱や風は素通りするが、害虫の侵入は阻止する薄幕。

 通すものと通さないものを使用者が選別できる、おれにとって未知の闇技術。

 おそらくはこの広場全体を覆っていた、特大テントのような設置型の区切り。


「なんでそれが、いきなり壊れたんすか? そういやアマリリスさま、前にグリゼルダの隠行も剥がしてましたよね?」

 んなこといわれても。

「実はわたしが一番びっくりしてるよ」

「だな。俺もこんな楽なパターンは想定してなかった」

「さっきまでは間違いなく居ませんでしたから……あの娘の姿も『遮断』されてたんすかね?」

「あり得るな。結局は視覚と聴覚がほとんどだからな」


 相変わらずやかましいどんぱちの喧騒は続いていたが、徐々に遠ざかるそれはもう、おれたちにとってはどうでもいいものになっていた。


 おれたちの目的は、ピラミッドさんが『助けろ』といったルーナの保護。

 だからこちらに注力するのは当然であり、いってみればもう大詰めのチェックメイトみたいなものだった。



「――初めまして、俺はミゲル。こっちはマナナとアマリリス」



 誰が行く? と空白が挟まる前にするりと自然に行動できるこいつは、やはり他人を率いる資質の持ち主なのだろう。


外法クラプトンとはまあ……友達ダチってほど親しくはないが、ちょっとした顔見知りだ」


 ミゲルはにこやかに、剥けて解けた空間の中心――悪趣味な6本のオブジェのさらに向こうへと声をかける。


「キミはルーナ、でいいんだよな?」


 ミゲルが語りかける先には、小学校高学年くらいの女の子がいた。

 雑に地面に置かれた、そこらの民家から適当に持ってきたであろう椅子へ逆向きに腰かけ、背もたれを抱えるようにしてこちらを見ている不機嫌そうな女児。

 きっと親の趣味から多分な影響を受けているであろうレザーファッション(どこで売ってんのその子供服)が妙にキマっている彼女は……まあ間違いないよな。

 灰になった母親と同じ流れるようなブロンドヘアに、これまたそっくりの気が強そうな目元。ここまで共通項が多いと、むしろ他人だった方が驚く。

 そんな彼女、推定ルーナが、ゆっくりと椅子から立ち上がり、


「……てめーらは、クラプトンの敵か?」


 やだこの女児、見た目は可愛らしいのに、なんか荒い。


「敵じゃない。外法クラプトンを知ってるってことは、やっぱルーナなんだよな?」

「だったらなんだ? てめーらもママに呼ばれた使いっぱしりか?」


 やはり彼女がルーナ。

 よし勝った。

 妙なことになる前に無事合流できた。


「俺たちは外法クラプトンの敵でも使いっぱしりでもない。キミを守る為に参上した騎士ナイトさ」

「は? てめーラリってんのか? それともあたしをナメてんのか?」


 やだこの女児、きれっきれ。ジャックナイフみたい。

 これ以上ミゲルに任せると事態が悪化しそうだったので、おれが1歩前に出る。

 大人の男が警戒されるのは、まあしょうがない。

 その点おれなら、


「動くな。こっちに近づくな」

 めっちゃ警戒される。

 外見年齢的にはおれが1番近いのに、ガードが緩まる気配はない。


「ぜんぶ聞いてた。おまえ、見たままのトシじゃねーだろ。そういうの、原初主義だっけ? 一部のくそノーブルどもの、わけわかんないステータス」

 なにをいってるのかさっぱりわからない。

「……一番大切なことを、まずは聞かせてくれ」

 だからとりあえず、向こうに刺さりそうな言葉を投げてみる。


「君のママの名前は、なんていうの?」


 返事はなし。構わず続ける。

「教えてくれ。知りたいんだ」

「……知ってどうする?」

 よかった、喰いついた。

 ここで無視されたら、こっそり後へ回り込もうとしているマナナの出番になってしまうところだった。

「誰に頼まれたのかわからなければ、話にならない。いつどこでだれに、っていうのはとても重要なんだよ」

「……そうなの?」

「そう。だから君のママの名前を教えて欲しい。わたしにとっては、とても大切なことなんだ」


 大切なママのことを思い、優しい気持ちになってもらうのは……とても重要だ。


「……ドミノ。それがママの名前」

「ありがとう。じゃあこれから、ドミノに頼まれたことを果たすよ」

「ママが? おまえに?」

「うん。なにをしようが構わないから絶対にルーナだけは助けて、って頼まれたんだ」

 しばらくの間、じっとおれの顔を見つめてからルーナは、

「へえ。嘘じゃないんだ。じゃあ連れていって」

「どこへ?」

「あのうるさい音の中心へ。クラプトンが、あのくそ野郎をぶっ殺す瞬間が見たいの」

 さてはルーナこいつ。

「……邪魔だからって、置いて行かれた?」

「違う。クラプトンは『首を持って来るから待ってろ』とかいってたけど、ただ待ってるのに飽きただけ」

「なんで見たいのに、ついて行かなかったの?」

「なにをしても、この広場から出られなかったの」


 いや、閉じ込められてるじゃん。

 それ絶対、邪魔だからってこの広場に隔離されてたやつじゃん。


 事実をありのままにいうのは時に摩擦を生むと知っていたおれは、ただ静かにミゲルの方を窺った。


「現実的じゃねえな。外法クラプトンの野郎、周囲の被害とか一切お構いなしで暴れてやがる。近付けばこっちも巻き込まれる」

「そう。じゃあいいわ」

 とだけ残したルーナは、そのままくるりと踵を返し、思いのほかしっかりしたフォームで走り出した。

 身長的にはおれとほぼ同じくらいなのに、その足はめちゃくちゃ速い。瞬きひとつが終わる頃にはもう広場の端に差し掛かっている。なんだあのスピード。ルーナあいつ、単なる荒い女児じゃねえ! ママが貴種ノーブルってことは当然ルーナも貴種ノーブルで、やっぱ身体能力は化け物じみてるのか!


「挟むぞマナナ!」


 一息遅れてミゲルが駆け出す。反対側からはマナナが迫る。

 その鼻先に、



「――ッ!!!」



 ルーナの大声が響くと、ミゲルとマナナのスピードが目に見えて落ちた。


「ちょ、なんすかこれきっつ!」

「ははっ、足、重すぎ!」


 ルーナママ――ドミノは『魅了』や『魅惑』のような、相手を意のままに動かす力を持っていた。

 だからその娘であるルーナにも同種の力があるのではないかとミゲルは予想した。


 が、これはそうじゃない。


 今ルーナは2人の瞳を見ていなかった。

 ただ進行方向を向いたまま、大声を出しただけ。

 母親にあった『視線を合わせる』という制約がない。

 ならばこれは、同種どころの話ではなく――完全に上位互換だ。


「いやマナナさ、諦めんの早くね? 頑張ったらいけそうだぜこれ」

「この手のヤツはゴリ押しじゃ効率悪いっすよ。どうやったら早く『抜ける』か、イロイロ試した方が有意義っすよ」

「お? たしかにこれ、蹴り抜く時の感覚で押せば抜けるな。つーか『走るな』に対して走れてる時点で、もう既に勝ってる。ならあとは時間の短縮か」


 ……ちなみにルーナの『声』は、おれには効かなかった。

 まったく、微塵の影響もなかった。

 しかしおれの出せる全速力は、スピードダウンしたミゲルとマナナに余裕で置いて行かれた。

 2人のフィジカルが余りにもモンスター過ぎる。

 もしかしてこいつら、普通に貴種ノーブルと殴り合ってもそのまま勝てるんじゃね?


「なんでアマリリスさま、足止め喰らってたわたしらより遅いんすか」

「だから、いったろ、マナナの、思ってる、10倍は、遅い、って!」

「しゃーねえ、背負えマナナ! 今はとにかく追うぞ!」


 がしーんとマナナの背にライドオンしてゴー。

「嫌がるかと思ったら、微塵の躊躇いもないんすね」

「もう慣れたよ!」

 グリゼルダ、ハニーに続き3回目ともなれば、おれの背負われスキルも一定の熟練度に達している。カーブの際にさりげなく重心を傾ける謎テクニックを披露すれば、続く一本道の先に見えるルーナの背中。こちらの足音に振り向き『え? なんで動いてんの?』みたいな顔をしてから、止めていた足を再び動かし始める。見る見る背中が小さくなる。


「わかった! わかったから、とりあえずちょっと待て! ここから先はまじでやべえ――」


 ミゲルの言葉が耳を素通りする。

 やばい。

 たしかに、これはやばい。

 大きなカーブを曲がった先、おそらくは村のメインストリート的な一本道の先を走るルーナの背中。その左右に立ち並ぶ、民家よりは少しだけ立派で背の高い建物たち。宿や商店の類だろうか、掲げられた看板らしき物を見上げたおれの視界の端にちらりと映り込んだそれ。

 一度気づいてしまうと、もう目が離せなくなってしまったそれ。


 三日月というには、余りにも直線的。

 月にしては、不自然なまでに真っ白。

 そもそも本物の三日月は、今おれの背中側に浮かんでいる。


 なら、あれは。

 ついつい月と見間違う、夜空に浮かぶ、どうにもスケールがはっきりとしないあれは。


「……なんすか、あれ?」

 マナナの口からこぼれた疑問におれは答える。



「杭だ」



 白い杭だ。

 馬鹿げたサイズの、樹齢何百年の大樹の幹のようにぶっとい、もはや杭というよりなにかの塊と形容した方がしっくりくるような、それでも何故か杭であると一瞬で確信できる、超特大の白い杭だ。


 そこで気付く。

 知りたくもない事実を把握してしまう。

 やはりこと闇に関しては、ピラミッドさんのおかげか、異常なまでに見通せる。


 あれは、遺骨を加工してつくられた呪物。

 先達の残骸をこねくり回して組み立てた使い捨ての継承品。

 故人の末期まつごにこびり付いた死に際の渇望を炸裂させる、最低なまでにはた迷惑な八つ当たり。

 打たれた銘は『はすうてな半座はんざを分かつ』というどこかの神話をもじった悪趣味な諧謔かいぎゃく


 されど銘には意味があり、意味には物語がある。

 べつに知りたくもないが、ただその強大さゆえに嫌でも目に入ってくる。飛び込んでくる。爆音の選挙カーに似た厚かましさが、心底どうでもいい情報を叩き込んでくる。




 決戦に勝利した彼は、怨敵の最後の悪あがきにより未開の山奥へと飛ばされ遭難の憂き目に遭う。魔術の腕とサバイバル技術はまたべつのもの。水と食料はどうにかなっても、それだけはどうにもならなかった。時間の経過と共に意識は朦朧とし、全身の痙攣が止まらなくなり、彼は死んだ。その今際いまわきわに遺された、心底からの渇望。教養だけはあったので、なにが足りないかはわかっていたが、どこをどう探そうともそれを見つけることだけはできなかった。


 つまりは。


 塩。

 塩。

 塩が要る。

 塩が欲しい。

 塩を寄越せ。

 塩が欲しい。欲しい。欲しい! 欲しい!!


 その願いが今、時も場所も越えて、ぶちまけられる。




「ルーナ上だ! 早くこっちに!」


 叫ぶ。

 駄目だ。

 あれは駄目だ。

 耐久力とか防御とか、そういった次元の話ではない。

 あれは問答無用で即死する。


「マナナ、全速で前!」

「え? あれにつっ込むんすか? 絶対に死にますよね!?」

「だからミゲル。ルーナ拾ったら上に」

「高度か?」

「うん。さっきの屋根上くらいで。接地と同時に一瞬で広がる」


 瞬時にミゲルがスタートを切る。

 おれを背負ったマナナも後に続く。


 べつに2人は命を預けるレベルでおれを信頼しているわけではない。

 ただ選択の余地がないだけ。

 このままなにもしなければ、絶対にルーナは死ぬ。


 当のルーナもそれを理解したのか、慌てて急ブレーキをかけて逆走。こちらへ向かって駆け出した。

 まだあれは落下を開始していない。ルーナのスピードなら、たぶんギリで間に合う……筈だ。


「クラプトン、アホなんすか!? ルーナまで殺っちゃダメでしょ!?」

「だから広場で隔離してたんじゃね?」


 護衛対象を安全ゾーンに隔離してから大技で一気にケリをつける。

 そのプラン自体は悪くない。むしろ多勢に対する最適解にすら思える。


 ただどこかの阿呆が、血気盛んな護衛対象を隔離し守る『囲い』をぶっ壊したから、今こんな全滅のピンチに陥ってる。

 誰だ! そんないらんことしたやつは!?

 うん! おれだな!


「あれ、なんかルーナが……」

 そこでさらに重なる最悪。

 超スピードだったルーナの走りが、なんか急にぼてぼてっとした感じになった。露骨にアゴが上がりよたよたし始めた。

 ……嘘だろルーナあいつ、バテやがった。

 瞬発力はあるけど持久力はないとか、ここでそんな衝撃の新事実、いらないから!


「あ。なんか飛んだ」


 そこでさらにもうひとつ追加。

 超特大の白い杭の真下から、真っ赤な細長い棒状の物――おそらくは槍が飛び出した。

 山なりではなく直線。投擲ではなく射出。真紅の槍が真っ直ぐに下から白い塊を突き上げ――貫いた。


 あれはおそらく、敵側の貴種ノーブルが放った一撃。

 眩しい闇とかいう意味不明の塊を真正面から撃ち抜く反則技。

 あの血のように紅い槍は、きっとルーナママドミノに致命傷を与えた必殺の一刺しだ。

 詳細は不明だが、なんか凄いことだけはひしひしと伝わってくる。


 だが違う。そうじゃない。

 おれはついつい内心でつっ込みを入れてしまう。

 砕いても意味がない。

 目標にすべきは破砕ではなく、消滅であるべきだった。


「……砕けた分、被害が軽くなったりしねえかな?」

「総量は変わらないから一緒だよ。むしろ強制的に落下が開始された。最悪だ」


 あれに触れながらも砕いてみせた真紅の槍は、きっと素晴らしい逸品だったのだろうが……その当然の帰結として真白に染まり、共に砕けて地に落ちる。


 これは、間に合わない。

 もうバテバテで、おれとタメを張るくらいのスピードしか出せてないルーナでは、どう足掻いても間に合わない。


 ミゲルが速度を緩めることなく足場を作り駆け上がって行く。おれを背負ったマナナもそれに続く。まあそうなる。ルーナと心中することに大した意味はない。あの降り注ぐ雨のような純白の外法は、勇気や根性でどうにかなる次元のものでは決してない。


 だからおれは黒杭を射出した。


 発射位置はルーナの斜め後方。

 それぞれ後頭部と背中をぶち抜く勢いで、全力で引いた。



 3段階あるらしい吸血鬼っぽいやつらの位階。

 上、中、下。

 その内の『中』のやつは、おれ産の黒杭をべしっと弾いてなんか元気にすらなった。

 なら『上』であるルーナは、果たしてどうなるか?

 どうせなにもしなきゃ絶対に死ぬのだから、やらなきゃ損だ。ならやろう。

 それに予感としてはたぶんいける筈。いやいける。いけろ。いけたらいいな。



 ここで攻撃されるなんて夢にも思ってないルーナの背中に、後頭部に、黒杭はごすっとめり込み……そのままちゅるんと吸い込まれた。

 瞬間ルーナはきれっきれの走りで彼我の距離をゼロにしそのまま跳躍、内心もう見捨てるつもりで足場を駆け上がっていたミゲルのかかとを引きずり下ろす勢いでキャッチ。実際に半分ほど足場から落ちかけたミゲルをおれとマナナで引っ張り、どうにか全員、落下だけは免れることができた。


 そこで着弾。

 散弾のようになった無数の大小からなる白い杭たちが、その本懐を果たそうと滴り落ちた。


 例えるなら、波。

 水面に落ちた、無数の雫。


 発生した大小様々な円が交わり拡大し、瞬く間にひとつの大きな波紋となり一瞬で走り抜ける。

 家屋等の人工物は素通りし、土や木や家畜といった『生きている』ものだけを真っ白に染め上げ、瞬きよりも速く広がり満ちて捕らえて冒す。

 遠くにいたタキシード男も瞬時に真っ白に染まったことから、おそらく生命に貴賎はない。生きているものはあまねく全て白に染まり固まり終わる。


 時間にすると、およそ2秒ほどで村全体の地面が白に染まり切った。

 村の境で波が途切れたのは、無駄を嫌う術者の性格からくるコストカットでしかない。本来ならこれは、元となった彼が遭難した山全てを飲み込むという、掛け値なしの大災害を引き起こす大量破壊兵器だ。


「……なんすか、これ?」

 闇色の足場から真っ白になった地面を見下ろして、マナナがこぼす。


「塩だよ」


 範囲内で地に足をつけているものを問答無用で塩の塊にする、即死の外法。


 彼が最後に心底から望んだ、切なる願い。

 それを都合よく切り取った、悪意に満ちたパッチワーク。

 なにより救えないのは、元となった彼――闇の薔薇第4代盟主は、こうして使ことに心底から納得しているという事実。

 最も優れた術者が、最も優れた切り札になるは自明の理にして誇り高き義務。

 倫理と呼ばれる犬の餌を皿に盛ることを止めた連中のみが成し得る、異次元の継承。

 クラプトンが何代目かは知らないが、こんなものが最低でもあと3つは存在するという事実が嫌すぎる。



「けどこれ、高所に移動すれば助かるなら結構フツーに避けられませんか?」

「知らなきゃ普通は物陰に隠れるよ。初見はまずやられる」

「あと高所っつっても、自然物はダメみたいだな」


 木に止まっていた鳥は真っ白になっていた。

 風に吹かれた細い足が折れて地に落ち、粘着質な塩の粒をぶちまけた。


「今ので敵の貴種ノーブル、仕留めたかな?」

「たぶんダメでしょ。あんなでっかい声で逃げ道を教えたら、どんなアホでもその通りに逃げるわよ」

 足場に腰かけたルーナが、なぜかしたり顔でいう。

 いやお前が勝手に突っ走ったのが原因だろうが。


「わかった。じゃあ今度からは黙っておくよ」

「は? あたしを助けろってママにいわれたんだろ? つーかおまえ、背中からあたしになんかぶち込みやがったよな?」

「なにをしても良いっていわれてるからね。……痛かった?」

「砂糖の塊を口いっぱいに詰め込まれた感じ。痛くはないけど、あれはもうイヤ。なんか太りそう」

「なら最低限、こちらの指示には従って欲しい。そんなに無茶をいうつもりはないから」

「なら、あたしのいうことも最低限は聞いてよ。クラプトンの弟を殺したことは黙っててあげるから」


 あー、そういや居たんだよな、あの広場に。

 ……これまずくね? 

 最低でもあと3つはドッキリ大量破壊兵器を持ってるやべーやつと殺り合うとか、絶対にゴメンなんだけど。


「オウケイ。わかったよルーナ。キミは向こうの貴種ノーブルがくたばるところを見たい。俺たちはキミを守りたい。両方とも採用しよう。それで全部解決だ。そうだろ?」

「いいわ。特別に守らせてあげる」

「そんな尖らなくても、わたしらは攻撃したりしませんよ」

「は? もともとあたしはこんなんだし」

「足もと危ないですからほら、手」

「出さねえし繋がねーよ」


 ぞろぞろと足場から降り、白くなった地面に足をつける。

 ほんの少しだけ『もしかしたら』という期待があったが……やはり強制お帰りホールは現れなかった。

 こうして確保しただけではダメ。ピラミッドさんのいう『助けろ』はいまだ達成されていない。


「……物音ひとつしないけど、ホントにまだ生きてるのかな?」

「あんなやべえモン見せられたら、そりゃビビって隠れるだろ」

「あの切り札っぽかった紅い槍、消滅しましたもんね。無手になって強気になる奴は、まあいませんよね」

「いい気味。ママを刺した下品な棒切れなんて、消えて当然よ」


 やっぱりドミノママはあれでやられたの?

 そう開きかけた口を閉じる。

 今ルーナにそれを聞くのは、さすがにないよな。


「ここからは隠れんぼっすかね?」

「いや、向こうの方から出て来たな」


 ミゲルの視線がつつつと上へ向かう。

 つられて見ると、屋根をぶち抜き飛び出す影が1つ2つ3――合計7つ。

 そのどれもが黒いタキシード姿なのは予想通りなのだが、


「……んん?」


 なんか全員、飛び上がったまま空中でホバリングしてる。

 目を凝らすと、背中らへんでなにかがしゃかしゃか動いてる。

 ……どう見ても飛んでる。ジャンプじゃなくてフライ。

 背中から黒くぬたりとした羽を生やして、どいつもこいつも当然のように夜空を飛んでやがる。


「いや、あれ、ダメじゃない?」


 空を飛ばれたりしたら、まず勝ち目なんてなくなる。

 ちょっと賢い原始人なら、高所から物を落とすだけで一方的にこちらを殺せる事実をフル活用できる。

 わざわざ目の前まで急降下して謎の肉弾戦を仕掛けてくれるサービスタイムなんて、期待する方が間違ってる。


「ダメというか、アホなんすかね、あいつら」

「いやマナナ、たぶんあいつらはまじでやってる。腹の底から大真面目だ。考えてみりゃあ、向こうが『こっちのこと』なんざ知ってるわけがねえんだよ」

「ね、ねえ、あいつら、じっとこっち見てる。逃げた方がいいんじゃねーか?」


 おれもルーナに大賛成だが、ミゲルとマナナには微塵も慌てた様子がない。


「大丈夫っすよルーナ。あれって、単なる自殺でしかないから」

「は? ……わかる言葉でしゃべって」

「そう難しい話じゃない。ちょっとした歴史の積み重ねだ」

「同じことを2度いわせんな」

 ジャックナイフ系女児がぎらぎらする。だがミゲルは気にした様子もなく「よしなら3行でまとめよう」と続けた。

「俺たちの住んでる大陸地元ってさ、大昔は『空を飛べる連中』がはばを利かせてたらしいんだ。けどイカしたご先祖様たちがあれこれ頑張って片っ端から狩りまくって、最後にはトップの座についた」

「だからなに?」

「蓄積されたノウハウがある」


 つまりそれは。


「空を飛ぶやつ対策が伝わってるってこと?」

「はい。その方法を普及させてイニチアシブを握った集団が王家の始まりとかいわれてますね。……なんでアマリリスさまが知らないすか?」

 いや知るわけねーだろ。こちとらまだネグロニア歴1週間のルーキーだぞ。アレなお薬でぶっ飛ぶ店のお姉さんはいたけど、実際に空を飛ぶやつなんていな――いやいたわ。

「そういやイグナシオが飛んでたな。けど前に進めなくなって……たしか『鳥殺し』とか」


 そこでホバリングしていた7人が、航空ショーのように編隊を組み飛び去ろうとして――そのまま近場にあった家屋へと突っ込んだ。こう地面にダイブする感じで、ずがんと頭から一直線かつ全速力で。


「今のが『鳥殺し』だ。一定以上の質量を持つものを強制的に墜落させる」

「……なにそれ? 便利すぎない?」

「しかも超簡単だ。決められた手順を決められた通りにやるだけで誰にでもできる」

「昔の人たち、鳥に恨みでもあったの?」

「あったんだろうな。鳥ってのは飛べる連中――かつて空を制していた旧支配層への蔑称だ。王家の始祖たちは無料ただで全種族に『鳥殺し』をバラまいて、かつての王者を地に引きずり下ろした」


 引きずり下ろすどころか、あの高さから勢いよく突っ込んだタキシード軍団は全員即死してると思う。

 けど。


「イグナシオの時は、あんな風に落ちたりはしなかった」

「だからあれはまじモンの異常事態だったんだよ。そのイグナシオは、不可避だといわれてた『鳥殺し』を一時的とはいえ無効化しやがった。基石きせきによる自動機構が破壊されても、軍の哨兵しょうへいが『発見次第落とす』手筈になってたんだが……野郎はそれをものともせず、当然のように旧市街の上を飛びやがった」


 誰にとっても死地である筈の空を自由に飛んでみせる。

 つまりそれは。


「ヒルダの馬鹿げた出力によるゴリ押しでどうにか止めはしたが、あれは軍事の常識がひっくり返るレベルの一大事だったんだぜ?」


 叔母上ローゼガルドが闇の薔薇を潰した理由がよくわかった。

 あいつら、ガチで危険すぎる。

 なんでカルト教団が大量破壊兵器を所持して、さらにパラダイムシフトまで起こしてるんだよ。



「おい、いつまでくっちゃべってんだ。ついてこねーなら置いてくぞ」

 いつの間にか歩き始めていたルーナがこちらを振り返った。

 いやお前、行くもなにも。

「ぐちゃぐちゃの死体を見に行くの? たぶん顔の判別とか無理だと思うけど」

「あいつは死んでない。落ちる瞬間、部下をクッションにしてた」


 まじで? という思いを込めてマナナを見ると「まじっす」と返ってくる。


「なんかこう、2人がばしゃって弾けて、他の全員を包む黒い膜みたいになってましたね」

 なにその嫌なクッション。

「けど2人潰れた。これで残りは5。いいね、そろそろ終わりが見えてきた」


 とくになにもしていないのに『ようやく追い詰めたぜ』みたいな顔するミゲルとは違い、ルーナの表情は硬いままだった。


「やべーのはこっからだ。残ってるのはたぶん貴種ノーブル直属の側近――騎士どもだ。これまでのザコとは格が違うから、気をつけて」

 それだけいって、再び真っ直ぐに歩を進めるルーナの背を追いつつ、

「騎士? ここって、騎士とか貴族とか、そういう社会制度なの?」

「そんなのとっくの昔に崩壊してる。けど貴種ノーブルって基本的にカイコ主義なの。だから今でもそんなことばっかいってて、バカみたい」


 けどルーナも貴種ノーブルなんだよね? じゃあその騎士とかいう側近はいないの? そもそもドミノママにはいなかったの?


 浮かんだ疑問は、言葉として吐き出す前に呑み込んだ。


 そんな存在がいるのなら、ドミノはおれたちを喚ぶ必要なんてなかった。ルーナは1人で逃げてなかった。

 最初からいなかったのか、死んでいなくなったのか。

 その確認に、大した意味はない。



「ヘイルーナ。連中が墜落したポイントからズレてる。もうちょい右手だ」

「こっちであってるわ。あいつらはもう移動してる。行き先は……あの犬小屋か」


 ルーナの視線の先にある、しょぼいあばら屋ばかりの村の中では立派に見える大きめの建築物。たぶん村長とかそういう偉い人が住んでると思しき、古びた木造の大きな2階建て。


「……なんでそんなことがわかるんだい?」

「うーん、言葉で説明しづらいんだけど、なんか自分の『騎士』の位置はわかるみたい。ずっと動き続けて、あいつらを追いかけてる」


 ……んん?

「自分の……ルーナの、騎士?」

 え? いるの?

「クラプトンよ」


 あーなるほどね。ルーナの『騎士』がクラプトンだと。


「……なんで?」

「しょうがないだろ。あいつ本気で死にかけてたんだから」

「なぜ死にかけ?」

「そりゃ再従弟妹はとこ殿がやったからだろ、あの地下祭壇で」

「あ」



 クラプトンが最初の地下空間にいたのだとしたら、きっとおれが死に物狂いで放った『あれ』を喰らった筈だ。

 最高の闇環境で組み上げられた『姉さまの完コピ4種の必殺黒杭』の雨あられ。

 それぞれ「病」「傷」「死」に至る願いと物理的に死ねる破壊力がミックスされた、殺意ましましのオーバーキル仕様。


 ……生き延びただけでも、結構本気で凄いな。



「その『騎士』にしたら、死にかけの状態から回復するの?」

「あたしだって詳しくは知らねーよ。けどあいつが『レディなら必ずできる』とかいうからやってみたら、なんか元気になりやがった。死にそうなくらいガリガリだったのが急にめきめきめきって膨らんで、すっげえ気色悪かったな」

「え、なにそれ怖」


 ニュアンス的には『力を与える』とかそんな感じか?


「その『騎士』ってやつには、俺たちでもなれるのかい?」

「うーん、この中じゃアマリリスしかムリだろーな」

 そこでルーナは足を止めおれに振り向き、

「おまえがどうしてもっていうなら、してやらねーこともないけど?」

「ついさっきまで、騎士なんて懐古主義でバカみたい、とかいってたクセに」

「だからいいんじゃねーか。くだらないアホどもが、そのバカみたいなものにぶっ殺される。あたしからすれば、たまたま居た奴にくれてやる程度のものに虫ケラみたいにすり潰される。お似合いだと思わない? ざまあみろと思わない? たしかカイギャク? だったっけ?」


 毒しかない甘い笑みが目に痛い。

 諧謔かいぎゃくとかいう似合わないワードが飛び出すあたり、こいつたぶん、クラプトンに上手いこと乗せられたっぽいな。


「それルーナ、用済みになったら背中から刺されるやつじゃん」

「ないない。騎士は絶対に主には逆らえない。血とは最初の約束で、裏切れないの」


 もしそれが本当なら。

 きっとこれは、ピラミッドさんが用意した安全装置だ。

 実力はあるが信用ならないクラプトンの手足に嵌める枷。

 それをみずから進んで欲しがるよう仕向ける差配。

 クラプトンを瀕死のままここへと落とし、おれたちより先にルーナと接触させた。

 やつが生き残るには、このパターンしかなかった。


 なんというか。

 相変わらず、やってんなあ、あのピラミッド。



「ここだ。細かい位置まではちょっとわかんねーけど、なんか中でごそごそやってる」

 村全体のしょぼさから相対的に豪華に見えてしまう、古びた木造の大きな2階建て民家へと辿り着いた。

 たしかこの手の建物は、なんちゃらコロニアルとかいうオールドアメリカンなやつだった気がするが……うん、おれは建築士じゃなかったのだけは確実だ。


「どうやら中で『待ってる』のは間違いないみたいだ。歓迎会の準備でもしてんのかな」


 どっしりと重そうな入り口のドアは閉ざされている。……が、その足下にはタキシードっぽい黒服だけが『どうぞこちらへ』と示すようなかたちで並べられていた。


「上下セットが2人分。クッションになって潰れたやつらのかな?」

「入って来いって、これ見よがしにアピールしてますね」

「死にたいってアピールして来んなら、望み通り殺してやろーぜ」

 ひとり蛮族がいるが、誰もがスルーした。

 と思いきや。

「それもそうだな。ちょっと下がってな」

 いってミゲルが無造作に、炎をまとったボルト――火矢を撃ち込んだ。

 よく燃えそうな木造建築物の屋根や壁に、それぞれ3、4本ずつ刺さる火矢。

 しかし延焼はせず、そのまま静かに火は消えた。


「油でも探して来ます?」

「いや、こりゃ何かやがるな。急に火が吸われて消えた」

「ダメっぽいっすか。ちょっと裏、見てきます」

 一瞬のタイムラグもなく流れるように放火へ走ったミゲルに内心で引いていると、ささっとマナナが帰ってきた。

「裏口はなしで、窓は塞がれてました。壁をぶち抜くには頑丈なつくりですし、思ったよりもちゃんとしてますよ、これ」

 いくつかあった窓は内側から黒い粘土のようなもので塗り固められていたらしく、試しに殴ってみてもびくともしなかったそうだ。

「……意外と冷静に『勝ち』にきてやがるな。塩にならない人工物の中で待ち伏せ。こっちとしては、わかってても踏み込むしかねえ」


 だってここで「危ないから入るのは止めよう」とかいうと、絶対にルーナは1人で突入する。

 おれたちには、行く以外の選択肢はない。

 今のところ、敵の貴種ノーブルよりもルーナの方がよほど厄介だというのは、おれたちの共通認識だった。



「けど、そう悪いことばかりでもないよ。この『敵が屋内に潜んでいる』っていう状況は丁度いい。ぴったりそのままだ」



 おれはすぐ側で転がっていた、馬が逃げた馬車の後ろ半分――幌馬車のキャビン部分――の中を確認する。うん、空っぽ。中身は既に誰かが根こそぎかっぱらった後だ。じゃあこれでいいか。


「ミゲル、マナナ、ちょっとこれの向き変えるの手伝って」


 原作ではごつい四駆のフロントバンパーあたりに付いていたが……まあこれも車の一種だし問題ないだろう。

 よしならいくぞ、せーの、っせ!


「アマリリスさまは手伝わなくていいんで、そこで見ててください」


 幌馬車キャビンは思ってた10倍は重かった。

 なので当然おれは戦力外通告を受けた。


「これ、なにをしているの?」

「あいつらを炭屑すみくずにする為の準備だよ」

 ならあたしも手伝うと、ルーナがキャビンを押す2人に手を貸す。

 すると、ぎゅるんずざざざっと一瞬で向きが変わった。


「……そのパワーがあるなら、逃げなくてもよかったんじゃ?」

「こうなったのは、クラプトンを『騎士』にしてからだよ。じゃなきゃ、あの場で全員殴り殺してたに決まってんだろ」

「騎士がいると主も強化される?」

「知らない。ママはあたしが力を使うのを禁止してた。その方がいいって、いつもいってた」

「なにも教えてくれなかったの?」

「他の血統については聞かせてくれたけど、自分に関してはなにも」


 あ、やべ、いつの間にかドミノママの話になってた。

 おれはそそくさと、さも忙しそうに作業へと取りかかった。


「なあルーナ。いっこ確認なんだが、ルーナもあいつらみたいにすぐ傷が治るってことでいいんだよな?」

「は? んなワケねーだろ。そりゃ普通より回復は早いけど、あんな異常な再生はムリだって」

「え? まじで? あれが貴種ノーブルの標準じゃねえの?」

「違ぇよ。あれは連中の血統、いと名高き『エスマイラ』っていう貴種ノーブルの中でも指折りのアホどもだけの特権だ」


 なぜ集中して作業しなければいけない時に限って、興味深い話が始まるのだろうか。

 おかげでちっとも集中できない。


「まあ血統てのは大体想像がつく。その『エスマイラ』ってのはどんな連中なんだ?」

 ルーナは「べつにいうほど大したもんじゃねーよ」と前置きしてから、

「力が強くて動きも速くて夜目が利いて空も飛べて頭数もいてチームワークもばっちりな金持ちでちょっと不死身なだけ」

「笑っちゃうくらい強い要素しかないっすね」

「あと影に潜る、が抜けてるな。この調子じゃまだいくつか隠し玉がありそうだ」

「いや、それは『エスマイラ』じゃなくてもでき――」


 そんな会話を聞き流しながら、もうすっかり馴染みつつある『指輪』をきんと鳴らして起動する。そうしてこう、ぎゅううと絞る感じでごく一部だけの限られた再現を――と、そこでいきなりルーナが吐いた。

 なぜかご丁寧にこっちを向いてから、いきなりどかんと決壊するような感じで嘔吐した。

 つまるところ。

 荒っぽい女児による唐突なマーライオンがおれを襲う!


「――あ、ぶなあああっ!」


 全身全霊を振り絞ったヘッドスライディングでどうにかギリで避けた。

 勢いよく打ち付けた腕と膝がめっちゃ痛い。


「いきなりなに!? どうした!?」

「慌ててなんか言おうとしてそのまま、って感じだったな」

「アマリリスさまに向けてピンポイントでしたね」

 てことは……この指輪の起動か?

「うえっ、げほっ、ごぼっ、お、おまえ、いきなり、なにカマしやがんだよ! 信じらんない! なんだよそれ! 頭イカれごぼっ!」

 無理に喋ったルーナは第2波の到来に見舞われ「ああほらこの水で口ゆすいで」とマナナに介抱されていた。


「……ミゲルさ、吐くほどのなにかを感じた?」

「いいや。相変わらず寒気はしたが、それだけだな」

 こちらに変化はなかった。なら原因は向こう。


 いきなりフルスロットルで起動するのはルーナに謎の負荷がかかると判明したので、ちみちみと小出しで作業を進めていくことにした。


「あのな、その指輪がなんなのかは知らねーけど、それ作った奴、絶対に頭イカれてる。早く捨てた方がいいって」


 マナナを盾にしながらごもっともな正論を投げてくるルーナをいなしつつ、あれ? こんなんだっけ? そうだこんな感じだった、と試行錯誤を繰り返すこと数分。ワリとあっさりそれは完成した。

 なにせ物としては実にシンプル。本来ならモーターとかエンジンから電力を引っ張ってきてとか色々あるのだろうが、これは作中ギミックの再現だ。物さえあれば原作通りの働きをしてくれるという、1から10までイカサマまみれの嘘っぱちだ。



 そう。

 あり得なくて、バカみたいで、最高に楽しい、嘘。

 数え切れないほどの誰かに求められてきた『楽しい嘘っぱち』のひと欠片。



「……まあ、どういう道具なのかは見りゃわかるが。……なんでこれで連中が炭屑すみくずに?」


 幌馬車内にででんと鎮座する重量級かつダークメタリックなそれ。


 わかり易くいうなら、釣竿の電動リールの馬鹿でかいバージョン。

 スイッチをオンにすれば自動でパワフルにぐるぐる巻き取るシンプルな器械。

 タフな四駆とかによく搭載されがちなあれ。


 電動ウインチとワイヤーだ。


 ウインチがリールで、ワイヤーが釣り糸。

 サイズと強度が跳ね上がっただけで、やっていることは同じだ。


「ミゲル。ボルトを1本貸して」

「ああ」

 手に乗せられたボルトに、ウインチから伸びるワイヤーをがちゃこんとジョイントする。

「当然のように他の闇と融合すんのな」

 干渉とやらが起きないのは、すでにタッカー君で実証済みだ。

「はい。これをクロスボウにセットして」

 ワイヤーを接続したボルトが、いつの間にかミゲルの手にあったクロスボウにがしゃこんとセットされる。

「いつでも撃てるように、構えたまま歩いてみて」

「こうか?」

 ミゲルが進めば、ボルトに接続されたワイヤーが引っ張られる。その分だけウインチは抵抗なく回り、新たなワイヤーが吐き出され伸び続ける。

「これ、どれくらい伸びるんだ?」

「夜が続く限り、どこまでも」

「無駄にカッケエっすね」

「でかい糸巻きからぶっとい糸が出てくるだけなのに」


 外野の声は無視。


「よし。じゃあ次は、これをこうして被せて……はい完成。この樽を撃ってみて」

 入り口の脇に置かれていた重そうな樽に、落ちていた防刃タキシードを被せてまととする。

 躊躇うことなくミゲルが撃つ。どすっと防刃装備を貫き、ボルトが樽に突き刺さる。

「うん、ちゃんと刺さるね」

「一番安いボルトこいつでも、まあこの程度なら射抜けるさ」

「撃った感触はどうだった? ワイヤーが邪魔でボルトが上手く飛ばないとかは?」

「一切ない。このぶっといの、重さが全然ない。この強度でこの軽さとか、もうこれ意味わかんねえな」

 これは再現だ。

 作中のギミックを用いた状況の再現、その一端だ。

 なので「便利でいいじゃん」くらいで流すのが丁度いい。


「それで、こっから先は?」

「こうなる」


 おれは手に握っている、本編にもちらりと出てきた黄色いスイッチをぽちっと押す。

 するとウインチが作動し、ぎゅいーんと回転、ワイヤーの巻き取りを始める。


「いやこれ、無理に引っ張ったら、樽に刺さったボルトが引っこ抜けるんじゃね?」


 そうはならない。

 なぜなら作中で、対象に刺さったボルトが引っこ抜けたことは1度もないからだ。


 ワイヤーの先端に繋がったボルトが引っ張られ、突き刺さった樽ごとががががと引きずり、幌馬車キャビンの前までやって来たところでスイッチオフ。完璧だ。おれはこのパーフェクトな出来栄えに、軽い感動すら覚えた。


「……いやまあ、やりたいことは大体わかった。こんな感じで連中をぶっ刺して、ここまで引きずって来ると」

「その通り」

「……それで、どうなる?」

 そんなの決まってる。


「あいつらが引きずられて建物から出た瞬間、なんか全身から派手に火を噴いて炭屑すみくずになる」


「いやそうはならねえだろ」

「早くその指輪捨てろって! 絶対おかしくなってるって!」

「ちょっとどうフォローしたらいいかわかんないっすね」


 しまった端折りすぎた。

 おれはこれが『再現』であることや、その元ネタについて話す。



 これの元ネタは、まあいってみればヴァンパイアハンターが主役のアクションホラー映画ムービーだ。

 この作品のヴァンパイアは日の光に弱く、日光を浴びればなんか派手に火を噴いて炭屑すみくずになる。さらにテンションによっては爆散したりもする。

 だから主人公たち――品性と偏差値を武力に全振りしたようなちょっとあれなハンターチーム――は、この特性を生かし、最高に素敵な方法でヴァンパイアどもを狩る。


 それが先の電動ウインチとワイヤーだ。


 日中、敵の巣穴たる薄暗い廃屋に突入しエンカウント。

 ワイヤーを繋げたボルトをクロスボウで発射し、敵に刺さったら無線でゴーと合図。外で待機する、ごつい四駆に搭載したウインチの前にいる相棒的な男がスイッチオン。ぎゅいーんと巻き取り開始。そのまま引きずられた敵ヴァンパイアは日光の下へ晒され発火! 炭屑すみくず! 爆散!

 という最高に頭のいい革新的なヴァンパイアハントのスタイルは、観た者全てに多大な衝撃を与えた。少なくともおれは、吸血鬼っぽいやつらを狩る手段において、これよりも冴えた方法を知らない。


 さらに、この元ネタにおいてなにより素晴らしいのは。

 敵の親玉である、ヴァンパイアの始祖とかいう超凄いやつであろうとも例外なく――日光を浴びたら爆散したことだ。


 そう、派手に火を噴いて爆散――即死だ。

 始祖たるヴァンパイアロードだろうがお構いなしに即死した。


 つまり、向こうがどんな凄まじいバックボーンを持っていようとも関係ない。

 この『再現』が成立している限り、どんなやつでも絶対に、確実に、発火して炭屑すみくずになって即死する。……あとなんか、ここぞという魅せ場では爆散までしてくれる。そういう外連味けれんみ、大好き。



 おれは以上の内容を、本作のストーリーを交えながら皆に語って聞かせた。


「いや、開始20分でチームが壊滅したら、最大の売りであるどんぱちがしょぼくなる一方じゃね?」

「それ、中盤からの、敵の視界を逆に辿る展開ダルくないっすか?」

「相棒の男と噛まれた女のラブストーリー、いらねーだろ。あとおっさんの裏切りもべつにいらねーよな?」


 待て。違う。そうじゃない。短所にばかり目を向けるな。最高に格好良いギミックを見れただけで、間違いなくこの作品には価値があったんだ。

 というかお前ら、なんでそんな一角ひとかどのレビュアーみたいなことばっかいうの? 怖いんだけど。



「そもそも、べつに貴種ノーブルは日光に当たっても燃えたりしないし」

 あ、基本デイウォーカーなのね。

 それってもう、普通に人間の上位互換だよな。


「血を飲んだりは?」

「……普段はしない。パンとか肉とか野菜とか、そういう普通のものを食べる」

 時と場合によってはすると。


「まあ、そのくらいは誤差だよ誤差。ほかの要素がめっちゃそれっぽいし、うん、いけるいける」

「そうなの?」

「ルーナだって、あいつらが炭屑すみくずになった方がいいだろ?」


 そもそも向こうが超再生の半不死身とかいう無法なのだ。

 これくらいの理不尽を持ち出して、ようやく五分といったところではないだろうか。


「……それもそーだな。よし! あたしにもそれ1セットちょうだい! カスどもを炭焼きにしたい!」

「ルーナ、実戦経験とかあります?」

「あるわけないだろ」

「120日以上の戦闘訓練は?」

「1秒だってねーよ」


 いうまでもないが、護衛対象であるルーナを敵の待ち伏せの只中に放り込むなどあり得ない。

 しかもこの女児、いくら基本スペックが高まったとはいえ、実戦はおろか訓練すらまともにやったことのないずぶのド素人だとたった今判明した。率直にいって論外だ。


 かといって、ここで下手を打てば「動くな!」とか叫んでから1人で突っ込む未来がチラ見えする。

 だから回す。

 頭と口と損得を。


「わざわざルーナが行く必要ある? ここで待ってれば、勝手に連中が引きずられて来て炭屑すみくずになるんだよ? ちゃんと望み通り、連中がくたばる瞬間を目の前で見れる。なのにわざわざ、怪我したり殺られたりするチャンスを向こうにあげるのって、サービス良すぎじゃない?」

「……ううん。そうはいっても、やっぱりこの手でぶっ殺したいわ」


 なにさらっと『見たい』から『ぶっ殺したい』にエスカレートしてんだよ。

 まあとっくに気づいていたけど、ルーナって結構ガチでアレだよな。


「じゃあこうしよう。このスイッチはルーナが押す。連中へのトドメ、最後の一押しだ。これでどう?」

「……まあ、そこまでいうなら、それでもいいけど」


 よし解決!

 ほらミゲルにマナナも、ルーナの気が変わらない内にさっさと行くよ! 急いで急いで!


「いや待った。行くのは構わねえが、どうやって『巻き取る』タイミングを知らせる? 大声でも出すのか?」

「またクラプトンが暴れ出したら、聞こえなくなっちゃいますよ」

 原作では無線で済ませていたそれ。

 実際、そこをどう落とし込むかに最も頭を使った。

 これはいうなれば、A&Jという別組織の完全には信用できない2人に、どこまで手札を晒すべきかという話。

 実は悩む必要なんて微塵もなかったという笑い話。


 おれはずるりと滑り落ちる。

 もはやたたらを踏むこともなく、す、とスマートに立ち上がる色付きの影分身子機

 グリゼルダ先生とのレッスンにより、最初からステルスのオンオフが任意で選べるようになった上、さらに5秒くらいなら喋れるようにもなったVER2.0ともいえる自信作だ。

 小さな進歩を披露する機会に、ついついドヤりそうになる表情を抑えつついう。


「こうする。こっちが突入する2人について行く。視覚と聴覚は共通だからタイミングは問題なくわかる」

「……それ、グリゼルダの多重身体じゃないっすか。もしかしてアマリリスさま、闇関連なら全部できるんすか?」

 マナナがばきばきの警戒心を覗かせる。

「まさか。これだって片方ずつしか動かせないし鷹にもなれない。ちっとも中身が追いついてないのが現状だよ。あと影分身そっちが殺やられると本体こっちも一緒に死んじゃうから、ちゃんとばっちり守ってあげてね」


 前回の助っ人だったノエミは、なにひとつ覚えてはいなかった。

 おそらくおれ以外、ここでの記憶は保持できない。

 なので、どうせ向こうに戻れば全部忘れるのだから、惜しみなく情報を開示してやる。



 グリゼルダの件がある限り特大のしこりが残り続けるマナナと、きっと信用してはいけない類の男であるミゲル。

 そんな2人に対し、まるで信頼の証といわんばかりに開陳する手札。ほのかに芽生えるであろうボジティブな関係値。絆のパワーは無限大! なんかいい感じに団結してミッションコンプリート!

 けど悪ィ。お前らとはどっかでモメそうな危険性があるから、その記憶は最後に没収な!


 実質無料でこの場の信頼が買える、まさにボーナスタイムである。



「オウケイ。それなら問題ない。こっちもせいぜい、全力で守ってみせるさ」

「安心してくださいアマリリスさま。実はわたし、要人警護もA評価なんで」

「うん、期待してる」


 それから細々とした打ち合わせといくつかの作業を片付けて、いよいよ突入する運びとなった。

 よし、ならまずは――。

 おれは幌馬車内に作った安眠スペース(ハニーのベッドを参考にした)でいそいそと横になり、そっと両目を閉じた。




※※※




「じゃあもう一度確認だ。なにか『非常事態』が起きたなら、このワイヤーを3回続けて引っ張る。連続で1、2、3だ。そうすれば俺たちは大急ぎで戻って来る」

「この程度の広さなら、どこに居ても5秒あれば戻れます。危ないと思ったらすぐ合図を送るんですよ?」

「あと無意味に突入するのはナシだ。正直、これが一番やべえ」

「ノリとフィーリングだけで動いちゃダメっすよ。いいですね?」

「さっきからてめーら、あたしのばあちゃんか?」



 うるさそうに手を払うルーナに見送られ、おれたち3人は出発した。


 そこそこの大きさを誇る村長宅(推定)の中へと続く、がっしりとした入り口ドアに片手をかけるマナナ。残る片手にはワイヤー連結ボルトが装填されたクロスボウが握られており、これから開けるドアの先に向けぴたりと固定されている。

 また、少し離れた位置からマナナの死角に向け狙いをつけるミゲルの手にも、同じくワイヤー付きボルトが装填されたクロスボウがある。

 それぞれウインチの両端から別のワイヤーを引っ張ることで、ゴリ押し気味に2本同時運用を可能とした突貫工事の産物である。


 マナナがこちらを振り向き、ミゲルが軽く頷く。おれも真面目くさった顔で頷いておいた。

 フォーメーションとしては、A&Jの2人が先行し、おれはその後に続くかたちだ。


 ちなみに今同行中の『おれ』は影分身子機であり、本体の方は幌馬車内に設置した安眠スペースで寝転がって目を閉じている。

 もしも想定外が起きて、足手まといのおれを守る余裕がなくなったら……さくっと影分身子機を解除して、お荷物は消える手筈となっている。

 ここで「おれが足手まといだと? ぐぬぬ」ではなく「やったラッキー1人だけ脱出装置搭載だ!」と喜べるおれのことを、せめて自分だけは好きでいてあげようと思う。


 がこん。

 となにかが外れるような音に続いて、ぎぎぎと耳障りな軋みをあげながら開くドア。

 思いのほか大きな音が鳴ったので、もういいやと開き直ったマナナが一気にドアを蹴り破る。……こいつ、意外とすぐ乱暴になるよな。

 躊躇うことなく突入する2人。悲鳴とか血飛沫がないのを確認してから続くおれ。


 踏み込んだ屋内に光源の類は一切なく、本来なら真っ暗闇の中を手探りとなる筈だったが……おれには普通に見えた。視界は良好。もちろん他の2人もそうだろう。ミゲルとおれは王の血統でマナナは侵蝕深度フェーズ7。デフォルトで超高性能ナイトスコープが搭載されている。


 だからこの、屋内に存在する全ての照明器具をあらかじめ破壊しておくという敵の事前工作は、全くなんの意味も成さない。完全に無駄な手間。浮かぶ純粋な疑問。なぜこんなことを?


 ミゲルとマナナが「Aクリア! Bクリア! Cクリア! Dクリア!」とかいいそうな勢いで素早くクロスボウの先を振り回しながらしゃかしゃか動いている。余計なことはせず、ただ後方で腕組み大物面をしていたおれは、もしかしたらと――その可能性に思い当たった。


 向こうがおれたち相手に、わざわざ真っ暗闇をキープしようと小細工する理由。

 無意味なことに、有限の時間を割く理由。


 もしかしてこれ、向こうはおれたちのことを、なにも知らないんじゃ。


「マナナ」

「はい」


 不意に2人の動きがぴたりと止まり、とあるポイントを注視した。


 入ってすぐにある、広々としたエントランスホール。

 その左手側にある2階へ上がる階段前に1つ。奥へと続く廊下の前にもう1つ。一際『影』の濃い箇所があった。

 どちらへ行くにしても必ず通るであろうポイントに、こう、あからさまに『影』が濃い、どう見ても怪しい箇所があった。


 なんというか……うん、不自然なまでに真っ黒で特濃だ。

 こうも露骨だと、どんな馬鹿でも一瞬で『そう』だとわかる。


 あの『影』の中にいる。


 あそこで待ち構え、通りがかった瞬間にざくっといくつもりなのだろう。もしかしたら、串刺しにされた仲間の意趣返しとして、あえて同じところを切り刻もうとしているのかもしれない。

 きっとこれは通常なら、手出しはおろか気付くことすら不可能な場所に潜むという、ある種の反則じみた待ち伏せに違いない。


 ただまあ、おれたちには丸見えなので、いいまとでしかないのだが。


 確信する。

 連中は本当に、欠片も、こちらについての情報を持っていない。

 王の血統だとか侵蝕深度フェーズ7だとかいう以前に、闇を繰るということすら知らない。


「3カウントだ」

「はい」


 こうなった理由は……少し考えれば予想がついた。

 きっと、連中と対峙していたクラプトンが終始『白い』シリーズしか使わなかったのが原因だろう。白いなにかと闇が結びつくことはまずない。


「3」

 ミゲルとマナナがそれぞれクロスボウを構えて狙いをつける。


 あるいはこれは、クラプトンが仕込んだ遅効性の毒なのかもしれない。

 必勝の一手を自殺の予備動作に変える、悪意に満ちた錯誤の毒。


「2」

 と同時に撃った。

 ミゲルは比較的距離の遠い廊下前の影へ。マナナは階段前の影へ。

 それぞれ、ワイヤーの伸びるボルトが力強く射出され、どすどすっと刺さる。影の中から声にならない悲鳴が上がる。

 2人は撃つと同時に駆け出しており、影に突き刺さったボルトを踏みつけるようにして全体重をかける。さらにボルトが深く突き刺さる。

 そこでおれは目を閉じた。




※※※




 すかさず、幌馬車内で横たわる『本体』で目蓋を開く。

 視界いっぱいに広がる、闇色で塗り固められた幌の内側。

 最悪の場合、ちょっとでも長く篭城できるようにと補強した即席の寝所。

 ハニーのベッドに比べると、ただ柔らかいだけの闇クッションに沈みながらも顔だけを外に出して、


「ルーナ! スイッチオンだ! 刺さった!」

「おし! 死ねやカスどもっ!」


 そんな掛け声でスイッチ押すやつ、初めて見たぞおい。

 ぎゅいーんとウインチが巻き取りを開始する作動音を聞きながら、おれは再び目を閉じる。




※※※




 絶叫。

 閉じていた目蓋を開いて最初に飛び込んできたのは、視覚情報ではなく耳をつんざく野太い悲鳴だった。

 まるでパニックになったかのように暴れ叫んでいる、タキシード姿のごつい男。

 その上半身は既に影から引きずり出されており、肩口に刺さったポルトから伸びるワイヤーによって今もなお引っ張られ続けている。

 影の中がどうなっているのかは不明だが、雄叫びじみた悲鳴を上げながらもじたばたと謎の踏ん張りを見せ、まるで綱引きのようにして辛うじて影の中に留まっているのが現状だ。


 階段前と廊下前。


 それぞれの影でそれぞれが全力シャウトしているものだから、もうめっちゃうるさい。

 投擲直後のハンマー投げ選手みたいなテンションで、ただ本能のままに恐怖の感情を吐き出し続けているにしてもホントうるさいなこれ!


「……傷が治る奴らが、ちょっと1本肩に刺さったくらいでこの絶叫パニックとか、おかしくね?」

「ですね。普通なら、肩の肉ごと削り取るくらいはしますよね、絶対」


 いわれてみればその通りなのだが、原作ではそんなクレバーな対応をしたやつはいなかった。どいつもこいつも「ギャー」とか叫んで無駄に暴れるのみだった。


 だからきっと、あのワイヤーボルトが刺さって引っ張られたやつは

 素敵な機転でクールに切り抜けるような真似は、


「まあ、再現の一環だよ」

「了解。楽でいいっすね」

 叔母上ローゼガルドに鍛えられたであろうマナナのスルー力は凄まじい。超速で対応してくる。


 と、そこで、まずは階段前の影にいたタキシード男が力尽きた。

 ぐいぐい巻き取られるワイヤーによって、いつかどこかで見たマグロの1本釣りのように、どちゃっと影の中から引きずり出された。

 そしてそのまま、ちょっとした駆け足程度の速さでずざざざざっと、巻き取られるワイヤーに引っ張られ地を滑り始める。


「どこかに掴まるくらいの抵抗は『できる』と思うから、注意して」


 原作を思い出しいってみるが、ここは入ってすぐのエントランスホールだ。

 いくら広々とした空間とはいえ、入り口のドアまでは5、6メートルくらいしかないので掴めるものなんてどこにもない――と思いきや、引きずられるタキシード男の手が、入り口ドアのわくをがしっと掴んだ。

 慌てず騒がず、マナナが特殊警棒っぽい鈍器で男の手首を打ち据える。鈍く砕ける音と力なくぶら下がる男の手。最後の抵抗がへし折られ、そのままずざざざっとワイヤーの巻き取りに引きずられた男の全身が、とうとう完全に屋外へと出た。


 瞬間。


 明らかにそれ特殊な火薬とかバーナーとか仕込んでるだろ、といいたくなるようなド派手な炎が「しゅごおお!」とか「ばしゅうう!」とかいいながら男の全身から噴き上がる!

 そしてなぜか超スピードで溶けるように骨だけとなり、頭蓋骨と主要な骨だけを残し炭屑すみくずとなって風に散った!!


「いや、どう考えてもそうはならねーだろ」

「ミゲルさまうしろ、次の奴が来てますよ」


 続いて引っ張られて来る2人目に躓きそうになったミゲルが慌てて避ける。その足を掴もうと延ばした男の手は、新たに放たれたボルトの先端に一方的な握手を強いられた。


 そしてもう一度、繰り返し。


 その身が完全に外へと出た瞬間、ばしゅううと全身からド派手に火を噴いてしゅわっと燃え尽きそのまま頭蓋骨以外は炭屑すみくずとなって砕け散る! まじか! ここで爆散パターンがくるのか!


 やべえ。自分でやっといてなんだけど、問答無用の即死が強すぎる。

 しかもこれが向こうの親玉――貴種ノーブルだろうがお構いなしに通るのだから、あまりにも理不尽すぎて最高だ。


「……あー、なんだその、ちょっと意味不明すぎて、反応に困るなこれ」

 ミゲルがなんともいえない顔をする。

「便利でいいじゃないっすか。まともにやり合ってたら、結構大変だったと思いますよ」

「……百歩譲ったとしても、太陽、出てねーじゃん。いま夜じゃん。どうした整合性?」

「たぶん昼だったら、ちょっとでも日光が当たれば100%爆散するんじゃないかな。精度と威力が向上しそうな手応えがある」

 外に出るまで日照の具合は関係ないので、差が出るとしたらそこだろう。

「どっちにしろ同じオチがつくんですから、誤差みたいなもんっすよ」

「そうかあ……?」


 生粋のやくざ者であるミゲルの引き具合にちょっと心配になったおれは、ちらりと横目でルーナの様子を窺った。


 ルーナは地面を転げ回り、大爆笑していた。


 ……こっちはこっちでなんか不安になるリアクションだなおい。


「ほらミゲルさま、まだ向こうは3残ってますから、対応される前に一気に決めちゃいましょうよ」

「……オウケイ。たしかにその通りだ。都合が良いことに文句たれるとか、それこそ意味わかんねえよな」


 意外と素早く順応したミゲルが、おれから新たなワイヤーボルトを受け取りがちゃこんとセット完了。同じく装填を済ませたマナナをつれて再び屋内へと足を踏み入れる。

 おれは少し迷ってから……大爆笑から一転、なぜか蹲ったまま静かになったルーナのもとへと歩み寄り、


「どうしたの? 息が苦しい?」


 しゃがんで視線を合わせるようにして声をかけた。

 おれの声に顔を上げたルーナは、にやけた口元だけはそのままに、ぼろぼろと涙を落としていた。


「……泣くか笑うか、どっちかにしなよ」

「どっちでもいいんだよ、あいつらがくたばるなら、それで」


 今ルーナがどんな気持ちかなんて、おれにはわからない。

 ただなんかやばそうだ、というのだけはひしひしと伝わってきた。


「カン違いすんなよ。今あたしは嬉しいんだ。あのクソ強ぇカスどもが、あんな冗談みたいに、ははっ、おまえのことが大好きになったわ、アマリリス」

 これで大好きになってくれるのならお前、クラプトンのことも大好きだろ。

「……もし疲れたなら、そのスイッチは寝てる本体わたしの手に持たせといて。正直、その方がタイムラグがなくていい」

「嫌だ。ゼッタイに渡さない。いいから早く行って」


 うるさそうに手を払うルーナに追い払われ、再びおれたち3人は出発した。


 残る敵の数は、親玉である貴種ノーブルが1と、その側近である騎士が2。合計3。

 ……これは地味にまずい。

 もし全員で一斉に襲いかかって来られると、ワイヤーボルトの数が1本足りない。敵の1人はフリーになってしまう。だからここからはスピードが鍵となる。

 おれはそっと、いつでも影分身子機を解除できるよう万全の準備を整えた。

 たとえ数では不利になろうとも、きっとお前たちならいける。頑張れミゲル。ファイトだマナナ。

 そんな声なきエールを送りながら、まずは1階の奥から確認しようと進む2人の背を追った。


 が。


 1階には誰もいなかった。

 全ての部屋を回ったが収穫はゼロ。完全に空振りだった。

 なら本命は2階か。

 おれたちはどこか拍子抜けしたような気持ちのまま、行き道で伸びたワイヤーを辿るようにしてエントランスへと戻る。


「これ、絡まって大変なことになったりしませんか?」

 原作においてワイヤーがダマになるようなトラブルはなかったので、そこは気にしなくていい。

 むしろ今おれが気になっているのは。


「ルーナの状態、なんかまずくなかった? 口だけ笑って泣いてた」

「色々あったんですから、普通の状態じゃないのは当然だと思いますけど」

「俺としては、ここに来て急に鳴りを潜めたクラプトンの方が気になるけどな」

 たしかにそれも不気味ではあるが。

「たぶんわたしたちは、ルーナを第一に考えなきゃいけないと思う」

「なんだアマリリス、意外と優しいじゃねえの」


 いや、そういうことがいいたいのではなくて。


ピラミッドさんあいつは『ルーナを助けろ』といった。一言も『敵を殲滅しろ』とはいってない」

「それはたしかにそうっすけど……」

「それは今気にしてもしょうがねえさ。まずは目の前の脅威をどうにかしてからだ」


 ミゲルのいう通りではあったが、どうせ2階へ上がるには1度エントランスまで戻るのだ。

 ならちょっとついでにルーナの様子を確認してくるよ、とおれは切り出そうとしたが……それが言葉になることはなかった。


 なんの収穫もなかった空振り部屋のドアが並ぶのを横目に廊下を抜けると、2人の男たちが『影』に潜んで待ち伏せしていたエントランスに戻る――筈なのに。

 廊下を抜けると、なぜかまた室内に出た。

 家具の種類や配置を見るに、なんの収穫もなかった『空振り部屋』のひとつに思えるが……は? なんで?


 マナナが無言のまま後を確認するが、たった今通って来た廊下があるのみで、違和感なくごく自然に廊下と部屋が繋がっている。


 なんだこれ?

 わけがわからない。

 エントランス、どこいった?


 ミゲルが無言のまま前方に伸びるワイヤーを軽く引く。エントランスを通過して外にあるウインチへと続いているであろうそれは、するすると引っ張られた分だけ新たなワイヤーを吐き出した。


 ……壁の中から。


 部屋にある普通の壁の中から、にょきにょきっと2本のワイヤーが生えていた。

 ミゲルとマナナが躊躇うことなく同時に壁を蹴る。

 すこんと呆気なく倒れる壁。そしてまた現れる同じようなつくりの部屋。

 今度は2本のワイヤーが、部屋に唯一あるドアの隙間から伸びている。

 マナナがドアを蹴破る。続く廊下。遥か先から伸びるワイヤー。どう考えてもおかしい。突入した家屋の全長よりも距離がある。スケールが狂ってる。辻褄が合わない。



「……アマリリス、これ、か?」

「さっぱりわからない。これは『闇』を用いてない。向こう独自の『なにか』だと思う」


 即席の迷路? 距離の延長? 駄目だ本気でわからん。


「このワイヤーを使った『再現』は、まだ生きてますか?」

「それは大丈夫。ちゃんと機能してる」


 なにせ世界的巨匠の作品だ。

 セールス的にいまいちだろうが、その規模はワールドワイド。

 実際日本でも簡単に観れたしパッケージも手に入った。なんだったら普通にサブスク系の配信サービスにもあった。

 なのできっと、その『総量』は優に億を超える。


 これは、そう易々と崩せるものじゃない。



「じゃあこのワイヤーを辿れば、出口には行けるんすよね?」

「うん。それは間違いない」


 まずはマナナを先行ダッシュさせるか?

 などと考えていたおれの3つほど先の結論に、ミゲルは一息でいった。


「戻れアマリリス。敵の狙いはルーナだ。影分身それは連絡用に残したままで、まずはルーナをつれてさっさと逃げろ。俺たちはこれを辿る。そっちはとにかく逃げて時間を稼げ」


 マナナがおれの身体を背負う。

 その意図を理解したおれはすぐさま両目を閉じた。




※※※




 幌馬車内で横たわる『本体』で目蓋を開く。

 視界いっぱいに広がる、闇色で塗り固められた幌の内側。

 全身がずぶずぶと沈み込む闇クッションを蹴飛ばすようにして幌馬車の外へと飛び出る。


「ルーナ! 急いでここ――」


 最後までいい切ることなく、おれの声は萎んで消えた。

 いっても無駄だと、理解してしまったからだ。



「やはり居たか。だが遅い」



 そこに立っていたのはルーナではなく、見知らぬ男だった。

 黒タキシード姿に派手なストールのような物を羽織った、銀髪オールバックの神経質そうな若い男。


「もう終わったあとだ」


 姿勢よく立つ男の隣で、ルーナは仰向けで大の字になって寝転がっている。


 ――2。


 その胸のど真ん中に、ぶっとい木製の丸太のような杭が突き立っていた。なんの支えもなしに直立していることから、おそらくはルーナを貫通して地面にまで深く刺さっているのだろう。


 ――4。


 地とルーナの背中との隙間から血の絨毯がずるずると広がる。洒落にならない出血量。どう考えても致命的な出血量。


 ――8。


 どうしてかルーナの両目は真っ赤な包帯のようなもので塞がれており、その瞳が今も開いているのかはわからない。


 ――16。


 だからとにかく撃った。

 今のおれが今夜ここで可能な限りの全身全霊を振り絞って、ありったけの全弾を一斉に撃ち出した。


 横たわるルーナに向けて。


 1、2、3と着弾するたびにルーナの身体が跳ねて踊る。手加減なんて一切なしの全力だ、お上品にちゅるんと吸い込まれたりなんかはしない。叩きつけるように乱暴に、けれども絶対に黙って寝てるなんて不可能な質量を物量をただただ撃ち込み続ける。


 7、8、9でルーナを縫いとめていた丸太じみた木杭が砕けて吹き飛び。


 10、11、12でようやく言葉になった。


 駄目だ。

 死ぬな。


 ドミノママに頼まれたからとか。

 ピラミッドさんのオーダーだからとか。

 そういった筋道の通った理屈よりも先に動いていた。


 13、14、15。


 とくにこれといった思い入れがあるわけでもない。

 自己中心的な性格は好きになれそうにないし。

 ただひたすらに敵の死を望むその姿はどこか薄気味悪い。

 たぶんルーナこいつは、精神になんらかの異常をきたしているのだと思う。

 正直いって、かかわりたくない。


 けどおれはもう既に。


 このくそがきのことを、死んでもいいとは、思えなくなっていた。

 ここでこんな風に、ただ殺されて終わるのが、どうしても我慢ならない。許せない。許さない。許すつもりはない。


 最後の1本は特大のやつを。

 空いていた胸の傷口にねじ込むようにして。


 絶対に! 死ぬなっ!!



「起きろ! ルーナッ!!」



 叩き込む――と同時に、天地がひっくり返るようなめまい。

 頭の芯が回って、あちこちから力が抜けて、まるでスリップしたかのように派手にすっ転ぶ。

 頭をぶつけた痛みで、一瞬だけ落ちていた意識が戻る。

 御託を並べるより先に、やせ我慢を総動員して立ち上がる。

 胸の奥からこみ上げる吐瀉物を強引に飲み込む。

 今は反吐をぶちまけてのた打ち回っている場合じゃない。


 今必要なのは。


 目の前はぐるぐると回っているが、あいつがどこに居るのかだけはわかった。

 3度目ともなれば、その強烈な感覚には馴染みがあった。

 なので顔をそちらに向け固定する。

 一目見て理解した。

 ピラミッドさんのいう『カルマ値』とやらが規定値を超過する軋みが目蓋の裏を走った。

 当然だ。

 こいつがセーフだとかだろうが。

 躊躇うことなくルーナをやりやがったこいつは、だ。


 そう。

 こいつは、この銀髪オールバック野郎は『本』にできる。



「……ほう。それは『闇』か。だが死体を打ち据えて『起きろ』とは、やはり貴様らは気狂いの類だな」


 男がなにやらくっちゃべっている。

 おれは慌てず、息を整えることに専念する。

 こいつはなぜか会話を始めた。

 とにかく殴れば死ぬおれに対し、取るべき手段を間違えた。


「闇の行使にその指輪。もはや隠し通せるなどとは思わぬことだ、エルリンクの残党よ」


 は?

 なにいってんのお前?

 誰だよエルリンクって?

 とは思いつつも、とにかく今は落ち着く時間が欲しい。

 なのでゆっくりと慎重に口からでまかせを吐き出す。


「……そちらには、どう伝わっているのかな?」

「巣穴に閉じこもり吐き気を催すような研究に没頭する、錬金術師を自称する狂人の群れ。忌まわしき裏切り者の血統」

「酷いいわれようだ」

 意味もなく笑っておく。

「なにがおかしい」

 なんか怒られた。


 再度確認。こいつは『本』にできる。触れることができれば、それで決まる。


 ならやはり最もスマートなのは、ステルス影分身子機による『こっそりタッチ』だ。

 しかしおれはグリゼルダのように影分身子機の多数運用などできない。出せるのは常に1つのみ。

 で、今その1つはマナナにおんぶされて異次元と化した村長宅(仮)を移動中。

 なら1度解除して、新しいステルス影分身子機を出――がぎっと詰まる。


 解除ができない。

 向こうとこちらが隔てられている。途中で止まる。

 切り替える。

 できないものはしょうがない。できる限りでやるしかない。

 おれはこの生身で、どうにかして、あのオールバックのくそ野郎に触れなければならない。



「誰の差し金だ? とうの昔に消えた筈の貴様等を今日まで飼っていたのは、どこの身の程知らずだ?」



 実はそんな複雑なバックボーンとか全然なくて、なんかピラミッドホールにすぽっと落ちたらここに来てました。

 なんていっちゃうと、ナメてんのかてめえぶっ殺す! とかなりそう。


 よし。

 こういうのは、ふわっと流すに限る。

 勝手に1人で空回ってろ。 


「話してもいいが、条件がある」

「条件を出せる立場か?」


 互いの背景とか全然知らないので、苦しくとも今の話に終始するしかない。


「……そうだったね。こっちはもうすぐ3人が来るが、そちらはもう貴方1人だったな。間違えたよ。もっと強くて、野卑な言葉を用いるべきだった。少し優しくしすぎた」


 しれっと制御下にないクラプトンも頭数に入れておく。


「戯言を。我が騎士はいまだ健在だ」

 あ、そういうのわかるんだ。

 よし、その設定、パクろう。

「まだ生きているようなら、それはきっと、とても不幸なことだよ。1人、悪趣味な『遊び』に興じるのが大好きな困ったやつがいるんだ。うん、壊れない玩具。とても楽しそうだ。なるたけ早く死ねたら、いいのにね」


 煽る。

 多少ヘイトが溜まっていた方が、きっと上手くいく筈。


「そう怖い顔をするな。ここらが落としどころだ、エスマイラ。どうせ兵隊なんて、貴方がいればいくらでも補充できるだろう? そんな下らない些事が判断の妨げになることはないと、その程度は期待してもいいのだろう?」


 いって無防備にゆっくりと歩み寄り、すっと右手を差し出す。

 握手。

 ハンドシェイク。

 仲直りの儀式。

 まあどう考えても向こうは乗ってこないであろう一方的な提案。

 そもそも、全然そんな流れじゃなかったよね? と誰もがつっ込みを入れるに違いない、ゴリ押しにも程がある無理筋。


 賭けになっているのかも怪しい、分の悪い賭け。

 信じるのは、相手の精神の腐り具合と、うず高く積み上がっているであろうプライド。

 オッズとしては以下の通り。



 武器でざくっとやられると、一方的におれは死ぬ。負けだ。


 ふざけるなと素手でぶん殴られると、たぶんおれは死ぬが向こうも本になる。相討ちだ。


 なにかしら洒落たことをいわれて手を払われると――おれは無事に生き残り、向こうが一方的に本になる。完全勝利だ。


 だから頼む。

 エスマイラとかいう、なんか凄そうな集団のリーダーっぽいくそ銀髪オールバックさん。


 イラつく相手にナメた提案をされた場合に、ただキレてぶっ殺すだけじゃない、たしかなインテリジェンスを持っていてくれ。

 相手にそれ以上の屈辱を与えて、ばっちり自覚させてから殺すような、腐り切ったゴミのようなメンタルの持ち主であってくれ。


 間違ってもここで、死ぬほど妥協しておれの手を取れるような、まともで控え目な精神性を発揮するのだけは止めてくれ。

 それをされるともう、おれはお前を本にできない。そんな話のわかるやつ、とてもじゃないが本になんてできやしない。ただでさえ細い勝ち筋が完全に消えてなくなってしまう。


 だから。

 だからどうか。


 おれに、お前を本にしてよかったと心底から思わせてくれるようなどクズで、是非あってくれ。

 尊敬とは程遠い、粗暴で詰まらなく嫌悪しか覚えないような生ゴミじみた行動で、是非とも元気いっぱいにふんぞり返りながら本になってくれ。


 さあ。

 さあ。

 さあ!



 結果は。



 ――あはっ。



 声は出せずとも、笑いが漏れる。

 片手で行うネック・ハンギング・ツリー。

 首を絞めながら持ち上げる、威圧や脅しの王道。

 おれの身長では簡単に足が地を離れぶらぶらするそれ。

 普通に考えると、もうロクに抵抗なんてできないそれ。


「なにがおかしい」


 なにってお前。

 これといったインテリジェンスをみせることもなく。

 ありきたりなちんぴらの物真似しかできなかったお前のしょぼさが。

 ただもう、笑うしかなかったんだよ。



 ――悪魔の弁護人ディアボロス



 どろり、と染み込み、組み込まれ、解けて溶けた。


「き、貴様、いっ、に、を」


 拘束が解ける。

 おれ程度の重さを持ち上げ続けることすらできなくなった銀髪オールバックが、その手を離す。

 ただでさえふらふらだったところに首まで絞められたおれには、華麗に着地を決める余力なんて残ってない。どちゃっと地面に叩きつけられる。


 くっそ痛い。

 ノドになにかが詰まっていて呼吸ができない。

 必死に吐き出そうとして、吐いて、それはもう酷い有様になる。


 そうしてただ痛くて苦しいだけの時間が過ぎ去り、ようやく周囲を見渡す余裕が戻る頃。

 四つん這いになり、どうにか顔を上げたおれの目の前には、ただ乾いた地面に転がる黒い本だけが、ぽつんとあった。


 まあ解体からの裁断製本グロシーンとかべつに見たくもないし丁度よかったと、ポジティブに捉えることにした。



「ほらこれ」


 すっとマナナが持っていた革製の水入れが差し出される。

 受け取り、口をゆすいでうがいをしてぺっ。

 そうして口内がすっとしたら、一気に落ち着いた。


 なら次は。


 目の前に転がる黒い本――オールバックBOOK――に目をやる。


 べつに知りたいことなんてなかったが、こうして『製本』したからには読まなきゃ損な気がしてくるから不思議だ。


 手に取り開く。


「なにこれ? 真っ白じゃない」


 そりゃまだなにも聞いてないからね。

 ええと、そうだな、知りたいこと、最近疑問に思った言葉……。


「あれなんだったっけ? 最初にルーナがいってたやつ。なんちゃら主義とか」

「原初主義?」

「そうそれ」



 原初主義とはなんだ?


 ――貴種ノーブルに根付く古い価値観だ。長寿である我々は、常に若々しい姿であることが個の実力や変わらぬ権勢の誇示となる。それを競うのが先鋭化しすぎた結果、幼子の姿にまで行き着いてしまった。


 いやそこまでいくともう単なる馬鹿じゃん。


 ――若い世代はそう認識している。ただ、実際に幼い姿を維持し続けるには、飛び抜けた能力に多大な労力や財力、あるいはそれ以外のなにかが必須となる。並大抵の者にはまず不可能だ。


 それができてる時点で凄いと。


 理外の化生、といっても差し支えあるまい。奇しくも、頭抜けた実力の担保となっているのもまた事実なのだ。



「おお、凄い。勝手に文字が浮き出てる」

「謎のロリショタ文化の方が凄くない? ちょっと貴種ノーブルをナメてた」

「他にはないの? もっと見たい」


 ええと、そうだな……あ! あれだ! 人違いのやつ!



 エルリンクとはなんだ?


 ――狂った研究者ども。裏切り者の血統。かの御方を連れ去り、遥か彼方へと雲隠れした忌まわしき逆徒どもだ。


 その『かの御方』をさらった誘拐犯ってこと?


 ――馬鹿をいうな。かの御方の言に逆らうことなど絶対に不可能。我らが絶対者に斯様な真似など誰ができようものか。


 うん? ならそのエルリンク以外は『かの御方』とやらに置いて行かれたってことじゃ?


 ――馬鹿をいうな。そのような戯言、断じて認める訳にはいかん。



 そこで1度ぱたんと本を閉じる。

 こいつの歴史認識など、心底どうでもよかったからだ。


「ふうん。これは本の形をした、聞けば答えてくれる『なにか』なのね」

「その理解で合ってる。けど聞きたいことがなければ、単なる気色悪い本もどきなんだよなあ」

「なら貸して。あたしには聞きたいことがいっぱいあるから」


 ずずいとセンターを奪われる。


「答えなさい。どうしてママ――ドミノを襲ったの?」


 その名を聞いて、そこでようやく気付いた。

 そういえばさっきからにゅっと水が出てきたり相槌があったり、色々さらっと流してたけどこれって、


「――ルーナ! よかった、無事だったんだ!」

「完全に忘れてたヤツの声なんて聞こえない」

 なにその面倒くさい女ムーブ。

 とは思いつつも、なぜかオートで反応するおれの口。

「普通に話してたから、そこはすっ飛ば――」

「ちょっと今いいところなんだから静かに!」

「ええー」


 ――命が下ったのだ。公爵閣下より勅命が。


「なんて?」


 ――ドミノとその娘ルーナを、確実に抹殺しろと。


「……なんで?」


 ――知らん。勅命に疑義を挟むことは許されん。


「……どうやって、あたしたちの居場所がわかった?」


 ――勅命は全ての血統に向けたものだった。幾らでも情報は入った。


「……全部の貴種ノーブルが、あたしを殺しに来んのか?」


 ――そうだ。幾つか反応の鈍い血統こそあったが、全て制圧下に置いた。



 なんだか凄い勢いで不穏な事実が明らかになっている。

 急に話がデカくなり、やばいことはわかるが、どれだけやばいのかがはっきりとしない。



「みんなは、ママの仲間たちはどうなった?」


 ――皆殺しにした。もはやこの世に『アイミア』という血統は存在しない。


「ウソだ。あいつらはみんなクソ強かった。そう簡単にやられるわけねーだろ」


 ――各地の有力な貴種ノーブルとその血統で手分けすれば、さしたる犠牲もなく掃討は完了した。


 そこでルーナは黙り込んだ。


 うん、これ、きっつ。



 ……よし、こういう時はシンプルに考えよう。

 ピラミッドさんはいった。

 ルーナを助けろと。

 で、現状、敵はとにかく沢山でこっちは4人。

 ならまず必要なのは?

 そんなの決まってる。

 味方、あるいは仲間。

 おれはずずいとルーナからセンターを奪い返す。



 エスマイラが最も警戒する、裏切り者候補は?


 ――ビイグッド。知識の番人を自称する血統の最大派閥。


 そいつらの裏切りを、どうやって阻止している?


 ――人質。主要人物の妻子に『血の棘』を埋め込んだ。


 解除方法は?


 ――不死たるエスマイラ。その総領の死。つまりは不可能。


 お前がその総領か?


 ――そうだ。我こそは栄えあるエスマ――



 うざったい自慢が始まりそうだったので、1度ぱたんと閉じた。


 そこでおれは、ただ黙ったまま身じろぎひとつしないルーナの様子を横目でちらりと窺った。

 いきなり全貴種ノーブルが殺しに来るとか、仲間っぽかった人たちがもう全滅してるとか、ちょっと展開としてはハードすぎる。ばきばきに心が折れて泣いたりしてたらどうしよう?


「……んな意味わかんねえ命令ひとつで、ママは、みんなは殺されたの……? ふざけんなよ、おい」


 ルーナはブチ切れていた。

 ぱっと見でわかるレベルで激怒していた。もうめっちゃくちゃに怒ってる。


「上等だよ、カスども。そっちが殺しに来るってんなら、てめえら全部、皆殺しにしてやるよ」

 え? そうなるの?

「いやいや待って待って、ちょっと強気すぎないそれ?」


 制止するおれを無視して、ルーナがまたずずいとセンターを奪い返した。


「答えろっ! てめーは! ママの血を飲んだのか!?」


 ――飲んだ。だが話に聞いていたほどの、


 そこでルーナが黒い本に覆い被さった。

 まるで、開いた本のページに頭突きをするかのような意味不明な行動に、おれは一瞬呆気に取られる。


 ……なにしてんの?


 疑問の答えはすぐに出る。

 頭突きをしたまま、ルーナの下あごが動く。

 それはなにかをむ動作。


 今回は見逃したが、前2回の『製本』の際はたしか……最後に『あれ』がぼちゃんと落ちてきた筈だ。

 グロい『製本』の過程においても、ことさらグロいあれ。

 脈打つ心臓。

 おれが大変なことになっていた間にも、変わらず着々と進行していたであろう今回の製本過程。

 それが始まる頃にはもう既にルーナは意識を取り戻していたとしたら。

 そしてその過程の全てを、つぶさに見ていたとしたら。


 あの黒い本の中には『それ』があることを、ルーナは知っている。


 そして今ルーナの歯が、それを咬み千切った。

 瞬く間に溢れ出す大量の血液。

 それを一心不乱に飲み干すルーナ。


「いやなにやってんの!? それ絶対身体に悪いやつだろ!?」


 おれが慌ててルーナの肩に手をかけると、これといった抵抗もなくルーナの身体は本から剥がれた。ぐにゃりと脱力する全身。意識がない。気絶してる。


 残された、だばだば血が溢れ出すどう見ても呪いの本は……そのままじわじわと塩をかけられたナメクジのように溶けて縮み最後には消えてなくなった。  

 そして場に残された大量の血液もまた、まるで気化するように真っ白い灰となり、夜の闇に紛れるようにしてさあっと散った。

 それは正真正銘、微塵も言い訳の余地もない、どうしようもないくらい完全完璧な『死』だった。


 いやいや『不死たるエスマイラ。その総領の死。つまりは不可能』とかいってたクセに、さくっと逝ってるじゃん。


 おれは『昔はやんちゃしてた』発言をしてた親戚のおじさんが『実はあいつ、いじめられてたんやで』と別のおじさんの密告により悲しい色に染まった瞬間を見たかのような、なんともいえない気持ちになった。


 本になれば嘘は吐けない。しかし所詮は個人の認識。事実と異なる場合も当然ある。


 製本したやつから得た知識を鵜呑みにしてはいけないな、と新たな学びを得つつ、おれはルーナの介抱を始めた。



 そうして、免許の講習あたりを思い出しながら試行錯誤すること数分。

 どうやらルーナはただ寝ているだけらしいと判明した頃、そこそこの大きさを誇る村長宅(推定)の入り口ドアがばんとから蹴り破られた。


「よう再従弟妹はとこ殿。間に合ったかい?」

「なにひとつ間に合ってないよ」

「だとしても生きてりゃオッケー。こっちの勝ちだ」


 これといった怪我もないミゲルと、影分身子機を背負ったマナナが出てくる。


「向こうの貴種ノーブルは死んだ。残りの騎士2人は?」

「1つはこっちでやって、もう1つはクラプトンがやった」

「やっぱりいたんだ。彼は今どこに?」

「ルーナが寝てるから、先にベッドの準備を整えるそうだ。なんでも『騎士』になると、そういうのがわかるんだとよ」


 いって地べたで寝るルーナを見る。

 たしかに、このままってわけにもいかないよな。


 ならさっそくルーナを村長宅(推定)のベッドに――と思ったが。


「アマリリスさま。クラプトンの前に出るなら影分身こっちの方がいいっすよ」


 マナナが背負っていた影分身子機をそっと地に下ろす。


「クラプトン、危険な感じだった?」

「危険っつーか、相変わらず得体が知れない感じだったな。なにをしでかすか、まじで読めねえ」

「あと純粋に強かったっすね。向こうの騎士がストレス解消の人形みたいになってて、エグかったです」

「ありゃ戦闘というより実験だったな。耐久力とか治癒力とかの」


 ノリでいった出任せが、そのまま実際に起きていた。

 なんだろうこの、無駄なところで運を使っちゃった感じは。


「けど俺が一番引っ掛かったのは『知識量』だな。あいつだっていきなりここへ放り込まれた筈なのに、明らかにこっちよりも多くを知ってやがった」

「……なんで、ほぼ国交もないような外国のことを?」

「わかりません。だからせめて、できる限り用心した方がいいと思います」


 うん、なんか不安しかないな。

 おれはマナナの助言を採用し、脱出装置的な使い方ができる影分身こっちで行くことにした。


 本体にはさっきまでと同じく、幌馬車内特設スペースで寝ててもらうことにする。


 見張りもなにもない完全なひとりっきりだが、もうこの村には生きてる存在がいない。

 ならどう考えてもクラプトンの方が危険度が高いので、そこはもう割り切った。



「……まじすか? 全貴種ノーブルが殺しに来て仲間は全滅とか、それもうどうやって『上手いこと負けるか』ってレベルの話じゃないっすか」

「その『ビイグッド』とかいうのに恩着せがましく泣きついて、どうにか妥協点や落としどころを探っていく感じか? いや逃げた方が早ぇか? つかなんで本になんの? しかも血を飲んで?」

「血の話はルーナが起きたら聞きたいね」


 諸々の準備や後片付け(伸び切ったワイヤーの回収等)の片手間に、ざっとここまでにあったことを話して聞かせた。

 最初は少し面倒にも思っていた説明だったが……そうして客観的におさらいすることで、おれの中であるひとつの疑問、というか仮説が生まれた。

 こう、色々と繋げて考えると……たぶんそういうことだと思う。


「ベッドがある部屋ってどこ?」

「2階の端にある寝室だ」


 ルーナを抱えたマナナを最後尾にして、もう単なる大きめな民家となった村長宅(推定)へと入る。

 その途中でおれは、つい先ほどかたちになったばかりの疑問兼仮説を、その答えを知っているであろうやつに直接ぶつけてみることにした。


「なあミゲルさあ」

「うん?」

「たぶん『エルリンク』って名前、聞いたことあるんじゃない?」

 ミゲルはすぐには答えず、黙って階段を3段ほど上ってから、

「……王家の象徴たる国王のみに名乗ることが許された、長ったらしい名前の最後が『エルリンク』だな」


 あー、うん、やっぱりここの出身だったのね、旧王家。

 なんか遥か彼方へ雲隠れしたとかいってたし、おれが闇を操るのを見たオールバックが一瞬で確信してたし、薄々そんな気がしてた。


「これって有名な話?」

「当然上の方は知ってるだろうが、俺は初耳だな。どんな面倒があるかわからねえから、基本的には口外しない方がいい」

「あ、わたしはなにも聞いてないんで、大丈夫っす」

 マナナの反応速度に、叔母上とのハードな人間関係が垣間見えた。

 おれとミゲルは『ええんやで』と頷いておいた。


「じゃあもしかして、旧王家の人たちも血を飲んだりするのかな?」

「少なくとも俺は、見たことも聞いたこともねえな」

「こっそりひっそりやってるとか?」

「いや、どっちかっていうと……分かれてからめちゃくちゃ長い年月が経ってるだろうから、もう別種の存在になってるって線の方がありそうじゃね?」


 たしかに、400年前の江戸時代の日本人と令和の日本人には、数え切れないほど多くの違いがあるだろう。それが1000年前の平安時代にもなると、もはや全く別の存在といったレベルかもしれない。


 エルリンクが雲隠れしたのが何百年前か、あるいは何千年前なのかは知らないが、そうも長い間、全く別の場所で全く異なる年月を積み重ねたというのなら……うん、ミゲルのいう通りな気がしてきた。


「今度ヒルダに会ったら聞いてみるといい。あいつなら絶対に詳しく知ってるだろうよ」



 そうして2階へと上がり、しばらく歩いた先にあったドアの前でミゲルが足を止める。

「ここだ。やべえと思ったら、迷わず解除して逃げろよ」

「うん。そっちもね。べつにクラプトンは、潰さなきゃいけない敵ってわけじゃないからさ」


 まずはノックをする。

 返事がないのでもう1度。

 どちらも国際基準の4回だ。

 すると中から男の声で「どうぞ」と返事があった。

 ふむ、クラプトン、思ったより若くて高い声だな。

 さすがに面接ではないので「失礼します」はなしで入室する。


 室内はまさにザ・寝室といった感じだった。

 ダブルサイズと思しきでっかいベッドがあって、鏡台があって窓があって日当たりが良好っぽくて、とくにこれといって言及すべき点はない。


 やはり特別に目を惹いたのは、ベッドの脇にある椅子に足を組んで腰掛けているその男だった。


 服装は上下闇色のタキシード。きっと連中から奪ったものをそのまま着用しているのだろうが、まるでしつらえたかのようにばっちばちに決まっている。


 おれの予想では、常に舌を出したひゃっはー系のちょっとアレなやつをイメージしていたのだが……なんというか、凄くお耽美な感じの美男子がそこにいた。

 緩くウェーブがかかった長髪で色白の、インタビューがウィズしてヴァンバイアしそうな、94年の映画版に出てたよなお前とついいいたくなるような妖しげな美貌をまとった男が、じいっとおれを見つめていた。


 ……いや誰だよお前。

 こんなやつ、最初の地下空間にいなかったって。


「クラプトン、なんだよね?」

「左様」

「随分と見た目、変わってない?」

「おかげさまでな」

 お、かましてきやがる。

「そっちの方が格好いいよ」

「知っている。だが脆い」

「はいはいそーいうのは後にして、まずはルーナを寝かせましょうよ」


 マナナがどかどかと部屋に入りルーナをベッドに寝かせる。

 おれはどこに陣取ろうかと一瞬だけ悩んで――ルーナの寝ているダブルサイズベッドの縁に座った。ちょうどルーナを挟んでクラプトンの反対側だ。

 安全面を考えるのなら、もっと奥の方の、それこそミゲルやマナナのさらに向こうにちょこんと立っているのがベストなのだろうが……どうせこの部屋にいる時点で、クラプトンの『白い手』の射程範囲内だ。

 なら『全然おめーになんかびびってねーし』とアピールする方がお得だ。


 なにせおれは、やばくなったら即逃げができる。


 影分身子機の解除は、あらかじめ備えてさえいれば0.5秒もあればできる。

 マナナのナイスな助言のおかげで、おれの逃げ足は1つ上のステージに突入している。

 だからおれは、こうも強気になれるのだ。



「最初に、聞いておきたい」

 まず口火を切ったのはクラプトン。

 どうぞ、という意味を込めて視線を送る。



「あ奴の――イグナシオの最期は、如何様であった?」



 え?

 最期って、そりゃ死んだから合ってるけど。

 いやおま、ちょっ、いきなりぶっ込んでくるなあおい!


 視線は固定したまま、闇に反射する超視界を駆使してミゲルとマナナを見る。

 2人同時にばちばちっと瞬く、謎の目配せ。


 ああそうだった、事前の打ち合わせで、それは魔女の巫女殿がやったことに――。


 口を開く前に、一瞬だけ走る違和感。

 なぜこいつクラプトンはおれを一目見て、これを口にした?

 もしかして、ぱっと見ただけでわかる『なにか』が、あったのか?


 沈黙が意味を持ってしまう前に、振り絞れ。


 ありのままを告げる、勇気。



「大笑いしてた。実は最期に全部取り返されちゃってさ、一瞬こっちも笑っちゃったくらいで……まあうん、笑ってた。ふはははとかいって大笑いしてたよ」



 それを聞いたクラプトンは破顔して、


「――ならばよし!」


 なんかよしとなった。


「いいの?」

「よい。それを託す時点で、あ奴の最期に一片の曇りなし。無念あらば、今ごろ主はそのではなくなっている」


 ああ、か。そういやがあったわ。完全に頭から抜けてた。

 ……さらっと飛び出したくそやべえワードはスルーしておく。

 かたちが変わるってなに?

 めっちゃ気になるけどスルー。

 まずはこっちを即座に否定しておかなければ。


「託されても困る。これはイグナシオの形見だ。そっちで引き取ってくれ」

 というか、たぶんもうお前くらいしか取る方法を知ってるやつがいないんだよ。

 専門家の解析待ちって、要するに現時点ではどうしようもないってことなんだから。


「いや、その指輪は主が持っておくがいい。我等が一族に伝わる相伝の家宝にして、闇の薔薇の盟主たる証だ」


 いやいや、なんでそんなクソ厄介なもん託されなきゃいけねーんだよ。本気でいらないんだけど。

 おれはどうにか言葉を飲み込み――向こうからすれば肉親の遺品だ――手元を見る。

 そこには、本体と同じ指に同じ様にはめられている呪物指輪がきらり。


 そう、この呪物指輪影分身子機の指にもちゃんと現れる。通常なら衣服以外は影分身子機には反映されないのだが、なぜだかこいつは100%完全再現されて、しかもオリジナルと全く同じ機能を備えている。

 まるで指輪が『独自の判断で』おれの影分身を模倣しているかのような、もしかしてこいつ自意識でもあるんじゃないかという疑惑すら浮上し始めた最高に不気味な呪いのアイテム。

 こんなもの、本気で、心底いらない。



「そんな大切な物ならなおさら、これはクラプトンが持つべきだ」


 だがそのまま正直にいうわけにもいかないので、ふわっとオブラートで包んでパスする。


「それは、心からの譲渡以外では決して他に渡らぬ。イグナシオは主に託したのだ」

「わたしは闇の薔薇の決まりとか知らないし、守るつもりもない。相応しいとは思えない」

「我は既にそこなレディの『騎士』となった。誰かの従僕が長などと、笑い話にもならぬ」

「騎士は下男じゃない。部下を持つものだから、大丈夫だよ」

「組織の管理はイグナシオとその側近の領分だった。我にその手の才覚はない」


 あ、こいつ、実は面倒なだけだこれ。



「あの、たぶんもう闇の薔薇は崩壊してると思いますよ。なんか内輪で揉めて主要メンバー全員で殺し合ったとかで」

 さらっとマナナが告げる。


 視界の端で、ほんの一瞬だけミゲルが噴き出しそうになってすぐ真顔に戻った。

 今のマナナの発言、笑うポイントとかあった?


「……やはりそうだったか。アウグストゥスめ、野心を抑えきれなんだか……」


「そういう戻ってからの話は戻ってからにしようぜ。今話すべきなのは現状をどうするかってことだ」

 そこで一度言葉を区切ったミゲルの視線が、真っ直ぐにクラプトンを射抜いた。

「なあ外法。お前さんには何か案があるんじゃないか? きっとまだ俺たちが知らない、とんでもねえやつが」


 それを受けたクラプトンは自信に満ちた表情で、


「あるとも。実のところ我は、もう既にほぼ勝利したも同然だと考えている」

「……具体的には、どうする?」

「知れた事。レディの望み通りに事を成す。殺し、喰らい、従え、命じる。さすれば誰も逆らえぬ」


 ミゲルとマナナが『あ、ダメだこりゃ』といった顔をする。


「もっとこう、妥協点を探ったりとかは?」

「端から向こうは殺す心算つもり。レディに付くと決めたのなら、貴様等も腹を括るより他、道はないぞ」

「つまりこういうことっすか? ある程度ぶっ殺して、向こうに脅威度を認識させ――」


 そこでおれは聞いた。

 どこからか響き渡る歌を。

 幾つもの言語が入り混じったような、聞きなれない言葉で紡がれるヘタクソな歌を。

 最初はそれが一体どこから聞こえてくるのか、部屋中を跳ね回る波打つ音のせいではっきりとしなかったが……音程と曲調がぶつかり墜落するその先を辿れば、寝ているルーナの口元に行き着いた。


 どさどさっと、ミゲルとマナナが倒れる。

 胸は上下している。息はある。


「ふむ、レディ。今のは?」

「白鳥の歌。名前もない乞食女の、たったひとつの宝物なんだって」

「いや、そうではない。何故ああも音痴なのかという質問だ」

「うっさい」


 ルーナがもぞもぞと起き上がる。


「あー、まだガンガンする。クラプトンおまえ、こんなにとか、ワザと黙ってただろ」

「言おうが言うまいが、どちらにせよ『する』他ないのだ。それにレディなら耐えてみせると確信していたとも」


「……なんの話?」


 ルーナがだるそうにベッドから下りながら、

「力ある貴種ノーブルの血を飲むんだとよ。つまんねーデタラメならぶん殴ってやろうと思ってたけど……うん、なんか、本当みたい。歌が増えた」

「量ではなく質だ。そこを違えては純度が下がる」


 なんだかよくわからないが、つまりは。


「クラプトンはルーナに、エスマイラの血を飲ませるつもりだったの?」

「だから待っていろと言ったのだが、……まあ済んだことは掘り返すまい」

「あたしじゃねーぞ。あの囲いをぶっ壊したのはアマリリスだ」


 あ、ルーナこいつ、一瞬で売りやがった。

 ならおれも一瞬で話題を変えるまでだ。


「そんなことよりルーナ、その歌? で2人を眠らせたのは、なんで?」


 前後の流れからして、そうとしか思えない。


「やる気のねーやつは邪魔だからだよ。交渉とか妥協とか、もうそういう話じゃない」

「味方は多い方がよくない?」

「賢い理屈で足を引くやつを、あたしは味方とは呼ばねえ」

 うん、薄々わかってたけど、実にやばい流れだ。

「……わたしもどちらかというと、ミゲルとマナナ派なんだけど?」

「声も歌も、なんでかおまえには効かねーんだよ」

 さすがは旧王家ボディ。

 物理防御以外は激高らしい。

「それにおまえは、あたしに力ずくでいうことを聞かせようとか、しないだろ?」

「まあ、そうだね」

 初対面の時に確保しようとしたあれか。

 ミゲルとマナナに落ち度があったと責めるのは酷だが、いってること自体はわからなくもない。


「だがレディ。完全に切り捨てるのは惜しい。とくにそこなキッドマンなど、よく小回りの利く使える男でもある」

「ならどうしろって?」

「使者にしよう。エスマイラの総領の死によって開放された、ビイグッドなる血統への」

「おまえがそういうなら、まあいいけど」

「なに、この男は1あれば50をもぎ取って来る。そこに関しては間違いない」


 それだけいって、ルーナとクラプトンが部屋から出て行こうとする。

 その背に、


「――待った待った! 2人はこれからどうするの?」

「くそ貴種ノーブルどもを殺して、飲んで、回る」

「主も来るか? きっと、とても楽しいぞ?」


 うーん、猟奇殺人ツアーとか、行きたくない。


「この2人を置いて行くわけにはいかないよ」

「……そう。じゃあまたね」


 ぱたん、とルーナとクラプトンが出て行き、ドアが閉まる。


 まあ追いかけても無意味だよな。

 実力行使なんてしようものならクラプトンに殺されるだろうし、仮にできたとしても本気のルーナは絶対に止められない。


 基本的に、心底から本気のやつを止めることは不可能だ。

 それこそ殺害したり監禁したりするくらいしか方法はないだろう。


 つまりは今おれにできるのは、一刻も早くミゲルとマナナを叩き起こして、報・連・相のフェーズに入ることくらいなのだが……2人とも全然起きない。

 ちょっとやり過ぎかと心配するレベルでばちばちにしても、ちっとも目覚めない。


 ならもうおれにできることなどほとんどなく、かといってこの場を離れるわけにもいかず、とりあえずおれは2人が風邪をひかないよう掛け布団っぽい物をかけてから、なんとなくベッドの上で横になりぼーっとしている内に……いつしか寝オチしてた。



 こんこんこんこん。


 こんこんこんこん。



 かすかなノックの音で目が覚める。

 うっすらと目蓋を開けると、室内には眩しい日の光がこれでもかと差し込んでいた。

 その高さからして、どうやらとっくに夜は明けているらしい。



 こんこんこんこん。


 こんこんこんこん。



 一定間隔でノックは続いている。

 なんだよもううるさいなあ。


「……どうぞ」


 いってから気付く。

 いや誰だよ?

 もしルーナたちが戻って来たのなら、いちいちノックなんてしないだろう。

 わざわざノックをするやつに、心当たりなんてない。

 つまりは、今ドアの向こうにいるのは確実に知らないやつ。

 いやいや「どうぞ」じゃねーだろ!


 飛び起きる途中でドアが開く。


「失礼致します」


 そういって半歩だけ部屋に入って来たのは、全体的にだぼっとしたフォルムの野暮ったい礼服を着た地味な男。

 長くも短くもない髪を撫で付けた、美形でもないが決してぶ男でもなく、若くもないが歳をとっているわけでもないぼんやりした相貌。

 その角のなさから、一見優しげな印象を受けるがしかし、その眼鏡の奥の瞳は妙に冷たく微塵も笑っていない。

 そんなどこか胡散臭い男が、部屋の入り口を塞ぐようにして立っていた。


「まずは、皆様方にお礼を――」


 そうして始まる、聞き慣れない長ったるい言い回しの、どこか儀礼じみた言葉の羅列。

 どうにか意味を拾い集めると『まじでありがとう助かったわ! ほんまサンキューやで!』ということを最高に仰々しく表現しているようだった。

 つまり内容は空っぽ。最初の一言の繰り返し。


 これは……小馬鹿にしているのか、石橋を叩き過ぎているのか。


「……で? どちら様?」

「ロニー・ビイグッドと申します。この度は、新たな母にご挨拶申し上げるべく、馳せ参じた次第にございます」


 あービイグッドさんね。

 裏切り者候補筆頭で人質で縛られてたとかいう。

 もし本当にそうなら、わざわざ向こうから来てくれ――んん? 母?


「誰に、なんだって?」

「新たなる母に、ご挨拶を」


 母。ママ。おふくろ。母ちゃん。

 に挨拶に来ましたと。


「ドミノなら死んだよ」

「存じ上げております」


 ならそれ以外。

 ……まあどう考えてもおれではないし、きっとマナナでもない。

 さすがにミゲルやクラプトンを母とは呼ばないだろうし、なら単純な引き算で残るのは。


「……君のいっている意味が、わからない」

「おそれながら、その指輪、エルリンクの総領とお見受け致します。我らは今度こそ、そちらにと考えております」


 ううむ。

 どうしたものかと悩むおれの後から、


「いいじゃねえの。どうやら、話を聞く価値くらいはありそうだ」

 なぜかおれを総領と呼ぶミゲルの声が。

「そうっすよ総領。ちょうどいいじゃないっすか。話くらいは聞いてあげましょうよ」

 続くマナナが告げてくる。

 今からお前は『エルリンク』の総領だと。


 ……お前ら、寝起きなのに頭の回転は絶好調なのね。


「わかったよ。そうしよう」


 そうしてロニーさんを室内に招き入れて始まる、3体1の謎面談――いや、情報収集。


「あれ? 護衛の方とかお仲間とか、いないんすか?」

「和平の使者が槍を持たないのは、どこの血統くにでも同じかと思いまして。ならいっそ1人の方がいいのではないかと」

「もしかしておたく、貧乏くじを引かされるタイプかい?」

「我が血統の栄達への一番槍と、そう理解しております。無手ですが」

 こいつ、結構余裕あるな。

「オウケイ。なら最初に注意事項だ。ここは城中じゃあない。言葉に過度な装飾はいらない。最初のは遠回しな挑発じゃなくて用心深かったってことにしておくから、繰り返さないでくれ」

「承知しました」


 それからささっと、なんとなくネグロニア王宮作法っぽい上座下座的な配置にそれぞれを座らせてから、ミゲルとマナナは左右に分かれておれの斜め後に立った。


「こちらが我等が総領、アマリリスさまです。それではロニー・ビイグッド殿。来訪のご用件を、どうぞ」


 そうして、謎の圧迫面接が始まった。



「はい。わたくしどもビイグッド、遅ればせながらも貴種ノーブルの義務を果たさんと――『新たな母』へのご挨拶と恭順の意を示すため、御目汚しの機会を頂戴できればと馳せ参じた次第でございます」


 ミゲルもマナナも無言。

 あ、ここはおれの番なのね。


「さっきもいったが、君のいっている意味が、わからない」


 おれの言葉にロニーさんはにっこり。


「当然のお言葉かと。エスマイラの暴挙の後では、そう易々と口にすべきではありますまい」

 そこでミゲルがぎゅいんと切り込む。

「なら少し、安心させちゃあくれねえかな?」

「ええ。もちろんですとも」

「そう難しいことを聞くつもりはない。当然のことを、当然に答えるだけで、きっと俺たちは仲良くなれる」

「わたくしも、そう認識しております」

「ならまずはそうっすねえ……さっきからいってる『母』って、一体なんのことをいってるんです?」


 ロニーさんは表情を引き締め、一言一句かみ締めるようにゆっくりと答えた。



「全ての血統を統べるモノ。あらゆる血の色をその身に宿す全なる一。我ら全てが決して無視できぬ貴種の中の貴種。闇の一粒種にして約束された玉座の主」



 なんか凄いこといい出したなおい。


「既存の権力が全霊をもってその存在を否定し隠蔽している、かつてエルリンク以外の全てを見捨て給もうたあまねく夜の支配者。幾千幾万もの落日を経て、再びこの地に再誕した宵の明星」


 ミゲルがうんうん俺はわかってるよ、みたいな顔して相槌を打つ。


「そいつは凄ぇな。まさに女王クイーンだ」

「いいえ。長い歴史の中、女王クイーンは幾人も存在しましたが『それ』はたった1人だけでした。王権を授与される必要などなく、そう生まれたからそうであるという、生命の根源にあるルールそのものの具現化。理不尽の極みであるにもかかわらず、どうしてか許容してしまうその存在を、我々はこう呼びました」


 おれたち3人は、したり顔で無言のまま先を促した。



「――夜の母ナイト・マムと。誰も逆らえぬ存在であると」



 ミゲルが口を開こうとして、やっぱりそのまま閉じた。

 軽口を叩くには、あまりにもロニーさんのテンションが本気マジすぎた。


「皆様方はもうその目で御覧になったのでしょう? 我等が絶対者にしてもう一度だけ与えられた望外の奇跡を。あなた方エルリンクが再び現れるに足る唯一無二の存在を――」


 まだまだ自己PRは続いていたが、とりあえずおれとしては。


 ……いやいや。

 小学校高学年くらいの女の子をマムて。


 謎のロリショタ文化をこじらせ、さらなる高みに到達している貴種ノーブルの上級者っぷりに、ちょっと引いていた。









※※※









 少し格好をつけすぎたかも。

 そんな後悔を抱えたまま、彼女は犬小屋もどきを出た。


 あんなにも必死になって自分を助けたのだから。

 あんなにも激怒してあのクソ野郎を『死ぬよりヒドイ目』に遭わせたのだから。

 当然、こっちについて来るものだと思っていた。


 ……やっぱり今からでも2階へ戻って「ついて来て欲しい」というべきだろうか。

 いやいや、1度「またね」とかいって出ておいてそんなダサい真似をするのは、


「それで、これからどうするのだ? 行き先の目星くらいはあった方がいいが」

 騎士の声で我に返る。


「クラプトン、イルミナルグランデここの地理は知ってる?」

「さすがにそこまでは知らぬが、最後に片付けた奴から地図は手に入れた」

「じゃあこっから西にボーリンナって町があるだろ。まずはそこからだ」

「承知した。ならば足の出番だな。徒歩かちで行ける距離ではなさそうだ」

「足って?」

「馬がある」


 そこで最高のひらめき。


「――じゃあこれだ! これを使え!」


 いって彼女は、馬が逃げて取り残された、真っ黒な幌馬車の車体を指した。


「……なんだこのむせ返るような『闇』のにおいは」

「いいものが乗ってる。便利だし持って行こう」


 馬車の中を覗いた彼女の騎士が、フハ、と笑う。


「ああも至近で接して! 会話すら交わしても気付けぬ写し身とは! ハハッ! 世は広いな! 底は深いなっ!」


 ぐぐんとテンションを上げる騎士に、慌てて彼女は告げる。


「いっておくけど、アマリリスを傷つけるのは絶対に許さねーからな。おまえは、絶対に、アマリリスには手を出すな。いいな?」

「……失敬な。我が寝込みを襲うような輩だと?」

「やりたきゃやるだろ、おまえは」

しかり」

しかってんじゃねーよ。いいな? 絶対にアマリリス傷つけるな。むしろ守れ」

「守るのは御免だが、傷つけぬは了承しよう。なにせこ奴はもはや、新たなる闇の薔薇の首領だ」

「なんでもいいから、いいつけは破るんじゃねーぞ」


 彼女の言葉に「わかったわかった承知しているとも」とぞんざいに返す騎士。こいついっぺんシメた方がいいのかなと悩む彼女をよそに、縦横斜めと様々な角度から眠るアマリリスを観察して、


「ふむ、これは……丁度いい連絡係になるのではないか?」

「そーいえば、向こうとこっちを一瞬で行き来してたな」

「むべなるかな。意識の分割を行わず、五感全てを繋いだが故の精度。距離の概念を越え得る狂気の沙汰。面白いな」


 彼女の騎士が、眠るアマリリス本体の手に――いや、正しくはその指輪に触れた。


「なにをしたの?」

「日が昇れば影法師は消える。だから消えぬよう、常に補給し続けるように調整した。常人ならば3日で狂死するが……まあこ奴なら問題なかろう」

「いや問題しかねーだろ」

「水に溺れる魚がいるとでも? 闇がこれに牙を剥くなど、あり得ぬよ」


 よしならば次は――といって御者台の前まで歩を進めた彼女の騎士がゆっくりと両手をつき、地に伸びる影の中から『ずるり』となにかを引きずり出す。

 ずるずるずるずる這い出てくるそれは――馬だ。

 全身が黒一色の、屈強な体躯をした巨大な馬が、1、2、3、4頭。


「うわでっかい! なにそれめっちゃ格好いい!!」

「3世代限りの借り物ではあるがな。使える内は使い倒すとも」

「どう見てもフツーの馬じゃないよな? なんか凄いことできるの?」

「強いていうなら、一切の補給なく72時間連続で最高速度を出し続けるくらいか」

 彼女の騎士が得意げな顔をした。

「……なんだよ、しょべーな。空くらい飛べよ」

 彼女の騎士が、初めて見るような顔をした。

 彼女はあははと笑った。


 そう、笑った。どうせなら、そうしようと思った。

 そう遠くない内に殺されるその時まで、できるだけ笑っていようと彼女は決めていた。


 実のところ、全ての貴種ノーブルが殺しに来る中で生き残れるなんて、彼女はこれっぽっちも考えてなかった。

 だからついつい、こんなことを口にした。



「なあクラプトン。本当にやばくなったら、逃げていいから。それは許可しとく」



 走行中の幌馬車内。

 大きな糸巻きに両足を乗せ、どこまでも沈み込む闇色の特大クッションに身を沈めながら、彼女は御者台に向けていった。


「聞いたわ。おまえ、エルリンクとかいう血統の末裔なんでしょ? どうりであれこれ詳しいと思った」

「……もはや何代前かもわからぬほど昔の話だ。すでに別種と化している」

「ならもうそんな昔の、先祖代々のなんちゃらに命までかけることねーって」


 眠るアマリリス本体の髪をうねうね手遊びしつつ、彼女は続ける。


「直接ママをやったカスどもは皆殺しにできたから、もうおまえとの約束は果たされたと思ってる。こっから先は、あたしのワガママだ」


 彼女の騎士はなにもいわない。


「だからおまえは、やべえと思ったら適当なところで逃げていいよ。べつに止めないし、恨んだりもしないから」


 出発前にクラプトンが施した『改造』により、馬車の揺れはほとんどない。

 どういう原理か、巨大な体躯を誇る馬の蹄の音すら最小限だ。


「そうか。言いたい事はわかった」


 だからその声は、彼女の耳に妙にはっきりと届いた。



「このクラプトン、逃げろと言われて逃げたことは、生涯一度たりともない。無論、これから先もだ。……あまり我を舐めてくれるなよ、レディ」



 こいつは馬鹿だなあと、彼女は笑った。


「しかしそう言うのであれば、なぜこ奴を連れて来た? よもや心中でもするつもりだったか?」


 騎士が眠るアマリリスを見る。

 彼女は言葉に詰まる。

 いわれてしまうとそうなるのだが、ぶっちゃけ、細かいことはなにも考えてなかった。


 ――なんとなく不安だったから。

 ――どうしてか、離れたくなかったから。


 実は心細くて寂しかったからとにかく連れて来た、などと正直にいってしまえば、きっと子供ガキくさいとバカにされる。

 だからそこだけは伏せた。


「ごちゃごちゃうるせーな。ノリだよノリ。いちいち細かい理屈なんて考えてねーよ」

「ほう。ノリとな」

「……文句あっか?」

「いいや、ないとも。小難しく考えたところで、何が変わるでもなし」

「……そうなの?」

「そうなのだよレディ。実際にやってみると、大方は呆気なくするりと片付くものだ。勢いノリというやつは、存外馬鹿にできぬよ」

「……そうかも」

「そうだとも。なに、やり方は幾らでも教授しよう。機会は山ほどあるし、放っておいても向こうからやって来る。入れ食いというやつだ」


 彼女を殺しに来る貴種ノーブルどもを殺る。

 いや、むしろこちらから狩りに行く。

 当然、そのつもりで出発したのだが……。


「……できるかな?」

「先にも説明したであろう? レディは特別だと。きっと、あらゆる才能がその身にはある。必ずや、できる。できぬのならできるまで教える。だから絶対に、できる」


 いわれてみれば、そんな気がしてきた。


「よし! そんじゃいっちょやってみるか!」

「応とも! 思うがままに殺ろうぞ!」



 そうして、若き夜の母ナイト・マムとその騎士による、未曾有の大虐殺劇が、幕を開けた。


 ……望まぬ供を引き連れて。










※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※










TIPS:おれ産の黒杭、実は魔術だった


これを見た魔術結社闇の薔薇、盟主代行副首領イグナシオは己が矜持をひどくくすぐられた。

練りに練られた絶死の一刺し。これほどの使い手に嗤われたままでは死んでも死に切れぬと。


そうして彼は今際いまわきわに全てを取り返す。

己が一族に代々に伝わるこの指輪。

本来の持ち主たる兄はもう生きてはいまい。

ならばこの、魔術の極みに手が届かんとする邪神に託すも一興か。


よい術比べだったと、彼は大笑した。




TIPS:ルーナ上だ! 早くこっちに!


結果的には人工物の上ならセーフだったが、この時のアマリリスにそこまで見通す余裕はなかった。

ただ同じ故人からの継承品である『足場』なら、絶対に大丈夫だという確信だけはあった。




TIPS:鳥殺し


分類上は自然現象とされている、原初の法則がひとつ。

どんな種族でも容易く行使することが可能な、開示された神秘。

これの失伝は絶滅に直結する為、どんな種族でも必ず最初に教わる基礎の基礎となっている。


いかなるエネルギーも燃料も消費せず、いくつかのルールに抵触するもの全てを問答無用で地に落とす、理外の理にして空に撒かれた猛毒。

また、石や木や粘土に特定の加工を施すことで無人化、自動化する技術も一部では存在する。


ただし原理は一切不明。

今日まで、その解析に成功した例はまだない。

この事実がある限り、根底に潜む不安が、恐怖が、完全に消え去ることは決してないだろう。


かつてこれを広めし闇精霊の王家ども。

もし彼奴等と本格的に敵対してしまえば。

今度は我らの弱点が『法則』と化して、ばら撒かれてしまうのではあるまいか。




TIPS:火吸い


エスマイラ一族に伝わる秘術がひとつ。

全ての火気を吸収する陣を敷くという、シンプルかつ強力なもの。

火付けを阻止しつつ灯りを消し、漆黒のみが満ちる閉じた狩場は彼らの独壇場と化す。


筈だった。




TIPS:牛迷い


エスマイラ一族に伝わる秘術がひとつ。

建物内の連結をぐちゃぐちゃにかき乱し距離をずらすことで、脱出困難な迷宮の如く場を狂わせる強力な足止め。あるいは仮初の牢獄。

ことの主体を狩ることで、呆気なく趨勢は決まる。


筈だった。




TIPS:エスマイラの騎士トバルカイン&ボルケイン


今代のエスマイラの要たる最強の双璧。

手段を選ばぬ無双の武人にエスマイラの不死性を乗せた、わかっていても対処不可能な歩く理不尽。

とくにその再生力は、たとえ首だけになろうとも半日もすれば完全復活を果たすほど。

ゆえに、多少ちくりと肩口に刺さった小さな矢など、見向きする必要すらない。


筈だった。




TIPS:不死たるエスマイラ、その総領


基本的に寿命以外で死ぬことはまずないという、存命中は最も不死に近い破格の存在。


ただし幾つかの例外がある。


その最もおぞましきは、邪神の敷くのりであり。

その最も優しきは、夜の母の口付けである。




TIPS:虚臓・食即是空融解炉


闇の薔薇第6代盟主が遺した今際いまわきわの渇望。

それを都合よく切り取った、悪意に満ちたパッチワーク。


特定の空間――今回の場合は室内と己が胃の腑を概念的に同一のものとする、半自殺行為にして確殺の檻。

1度は消化しきれず死に掛けた彼は、騎士となった我が身の耐久試験としてこれを選んだ。

制限時間はサンチャゴに焼き切られるまでの推定11秒。

果たしてそれまでに消化し切ることができるか否か。

あるいはまだ見ぬ邪神の虎の子が吼え猛るか。

未知の領域への挑戦に胸が――否、胃の腑が躍る。


彼はやる気だった。

その指輪を見るまでは。




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