EX2ー1 嗚呼遥かなるイルミナルグランデⅠ



 姉さまとの(旧王家基準で)楽しいプチ植物園デートの帰り道。

 薄暗い旧離宮の廊下で、おれはまたすぽっと落ちた。


 なにが起きたかなど、考えるまでもない。

 この、なんの前触れもない、唐突な謎ホールへの落下。


 超存在たるピラミッドさんによる、強制的かつ一方的な『開始の合図』である。


 前回と同じならば、きっとまた『誰かを助けろ』などといわれるのだろう。

 前回と同じならば、きっとまた行く先には余裕で死ねるレベルの危機が待ち構えているのだろう。

 つい6日ほど前にあった、第2特殊更生保養院ヨハンを助けろのダイ・ハード(個人的には2がベスト)っぷりはまだ記憶に新しい。


 ……いやいや、あんなのが週1ペースでくるとか、さすがにキツすぎない?

 これ、どっかでストップかけないと、本気でまずくない?

 ええと、週1なら月4で……年48か。

 うん、どう考えても、死ぬな。


 本気の危機感に背を蹴られたおれは、具体的なストップの方法へと考えを巡らせる。

 姉さまへお願いした調査。

 あの黒いピラミッドの在処。

 現実的に効力を発揮し得る手段。


 真っ暗な視界の中、ただ落下するしかできないおれは、ついつい無防備になってた。

 完全に失念していた。

 前回のピラミッドさんとのやり取りにおいて、おれは一言も喋らなかった。口を開かなかった。なのに意思疎通はできていた。

 つまりそれは。



 ――わたしを、殺しますか?



 あ、やべ。

 その言葉で気づく。

 ……たぶんこれ、頭の中、読まれてるっぽい。


 いや落ち着け。

 だとすれば、そんなにまずくはない……筈だ。


 ええと、わかってるよな?

 ちゃんと伝わってるよな?

 べつにおれは、進んで乱暴な手段を取りたいわけじゃないって。


 ――いえ、読めるのは表層だけなので、内心の深いところまでは。


 ああもうなにその微妙に都合の悪い仕様!

 おれがいいたいのは、ちゃんと真面目に話し合おうぜってこと。

 一方的に超危険な強制労働を課せられる現状に、おれは怒りを感じてる。

 けどあなたとは対話ができると、そうも思ってる。

 だから一度、ちゃんと話そう。な?


 しばし待つも、返事はなし。

 黙れば終わりなので、とにかく続ける。


 つーか最初にさ『強制はしません。あなたが何もしなくとも、わたしが干渉することは一切ありません』とかいってなかった?


 ――現地におけるあなたの行動には何ひとつ強制も干渉もしていません。


 うわ。

 完全に詐欺師の手口だわこれ。

 嘘はいってない。ただ告げていないことがあるだけ。


 ――そう構えないでください。あなたの望みは、遠からず叶います。


 え? とくになにかをリクエストした覚えはないけど。


 ――あなたが何もせずとも、あと2回ほどでわたしは消滅します。今回で1。次で2。そこが限界でしょうね。あなたのいうところの『死』となります。


 ……は?

 いきなりなにいってんの?



 ――所詮は、です。長持ちなど、出来よう筈がないのですよ。



 か細く透き通っていて、けれども確かな芯の強さがそこはかとなく感じられ、しかしある意味浮世離れした透明感ゆえに、童謡や民謡を歌えばなぜか怖くなってしまうような澄んだ声が響き渡った。


 ……ここまで、こいつの言葉に嘘はなかった。

 告げていない事柄はあったとしても、言及した内容に『嘘』はなかった。


 そこでふと気づく。

 落下している筈の謎空間が、いつの間にか妙に濁っていた。

 様々な不純物が混ざり、粘性を帯び、なんかぐじゅっとしていた。


 前回の第2特殊更生保養院ヨハンの場所へと『落ちる』際は、なにもない真っ暗な空間をストンと一瞬で落下したが……今回のこれは、ねるねる〇るね(暗黒コーラ味)の中をずぶずぶと沈み行く、といった感じである。


 一言でいうと、クオリティがガタ落ちしていた。

 言い訳の余地がないレベルで……劣化していた。

 こと闇に関する事柄だけに、正確に把握できた。

 こいつは本当に、こうしている今も、がりがりとしている。

 機能を失いつつある。

 ……死につつ、ある。



 ――もっと時間があったのならば、あなたとも、確たる信頼関係を築きたかった。ですが、現実はそうではなかった。……だからアマリリス、あなたはわたしを嫌い、恨んでください。わたしからあなたを嫌ったり恨んだりすることは絶対にないので、そこはお気になさらずに。



 ……とりあえず、聞くべきを聞いておこう。

 止めろとか嫌だとかいっても無駄なのはなんとなくわかった。

 きっとおれはこれから、またどこかにぶち込まれて『誰かを助けろ』といわれる。

 なら絶対に確認しておくべきなのは。



 向こうでおれが死んだら、どうなる?


 ――ただ元の場所へと戻ります。なにひとつ覚えてはいないでしょうが。


 今回も誰かを助けろというのか?


 ――はい。彼女を、ルーナを助けてあげてください。


 もし助けられなかったら、どうなる?


 ――すべてが、滅びます。


 ねえ急にスケールをデカくするの止めて。


 ――残念ですが、事実です。


 なぜルーナを助けなきゃ、全てが滅びるんだ?


 ――今はまだ、いえません。


 いつになったらいえる?


 ――わたしが消滅した死んだ後に、おのずとわかります。……もうすぐですよ。


 答えるつもりのない内容はスキップ。

 今はとにかく、ひとつでも多く情報が欲しい。

 優先順位が高いのは……。



 これから行く先は、どんな所?


 ――とても遠方にある別大陸の、ネグロニアとはすべてが違う国です。主にV2~V6に分類される知的生命体で構成された、少々特殊なラベリングが用いられるD2ゾーンです。


 謎ラベリングはなしで、わかる言葉で。


 ――あなたの語彙ごいで最も近しいのは……内乱の火種がくすぶる吸血鬼たちの斜陽国家、になりますか。


 え? 吸血鬼とかまじでいるの? しかも国家規模で?


 ――あなたの知るモンスターそのままではありませんが、多くの類似点がありますので、そう呼んでも差し支えないかと。


 それ絶対に危険なやつらだよね?


 ――決して油断はできない相手です。とくに貴種ノーブルと呼ばれる上位種との交戦は慎重に行うべきでしょう。


 あのさ、戦うこと前提で話進めるの、止めない?


 ――安心してください。たしかに危険度は前回の比ではありませんが、わたしも学習しました。今回は最も強力だと思われる助っ人を、あらかじめ可能な限り準備しておきました。これなら、戦力の面で遅れを取ることはないでしょう。


 いやちょっと待って。

 ケンカ腕自慢ばかりを呼ばれても困る。

 そういうのが集まると、大体全部ダメになる。

 たぶんそれ、コンセンプトから間違ってる。


 ――残念な、ら、どうやっても今回、穏便に、ません――


 途切れ途切れの声と入れ代わるように、闇の中へと混じり始める光。


 おい待てまだ――そこでびたんと横っ面に叩きつけられるぶ厚い感触。


 中途半端に横を向いた姿勢のまま、ぬたりとした『なにか』に頬からつっ込む衝撃。

 がぼっと口内に入る黒いなにか。

 しゅわっと歯の裏側にまで広がる、微妙なコーラ味。

 このお世辞にも「美味うまい!」とはならない絶妙なしょんぼり具合は……間違いない! ねるねる〇るねだ! うわ口の中一杯に満ち満ちてきっつ! これそんなドカ喰いするやつじゃないから絶対!


 いや、待って待って。

 なんでこんなものがんだ?


 そこで、時間切れ。


 眩しさに痛む目を瞑る。ごんと背に当たる硬い感触。石でも鉄でもない、もっと温かみのある柔軟性を備えた優しい硬さ。


 ――アマリ、ス。


 途切れ途切れの呼びかけに、耳を澄ます。



 ――ち、――、――ん、、――、――、こ――。



 たぶんなんかキメ台詞的なことをいってたんだろうけど、ほとんど聞こえなかったせいで小学生の下ネタみたいな感じになったまま、声は完全に途切れた。


 いやお前さ、やってることはガチで超存在なんだから、もっとこう格好良く締めようよ。


 ……しばらく待ってみるも、返事はなし。

 もう聞こえないし、聞かれない。

 バレたかどうかは微妙なところだが……たぶん大丈夫、な筈。


 そっと舌先を転がす。

 今回のやり取りで得られた最大の成果。

 口の中にべたべた残る安っぽいコーラ味。

 ……きっとこれは、証だ。


 あの空間の一部が、おれのになったという証。

 弱りつつあるあいつから、その一部を分捕ぶんどった証。


 この調子なら、次はもっと上手くやれる。

 そんな確信を抱きつつも、おれはおそるおそる目を開けた。



 視界を埋め尽くす、それなりの高さがある木製の天井。前回のヨハンの部屋とは比べ物にならない広さ。

 その端々に見え隠れする闇。

 ネグロニアから遠く離れた地らしいが、昼夜が逆転するような時差はないらしい。

 おれの武器があることに、ひとまず安心する。


 と同時に違和感。

 前回あったものがない。声がない。音がない。語りかけてくる誰かがいない。

 広々とした大部屋は、ただただしんと静まり返っている。

 てっきり、すぐ側に喚んだ誰かがいるものだと思っていたのだが……。


 とりあえずおれは身を起こそうとして――そのまま空を切った右手側へと落ちた。

 支えにしようとした右手の下には、地面がなかった。

 だからそのまま、すこんと右手側へ落ちた。

 受け身をとる暇もなく、そのまま落下の衝撃が、



「う゛っ」

 


 痛――くはない。


 今の声はのものだ。

 おれの目の前には……うつ伏せに寝ている誰かの背中。無骨なレザーっぽいジャケットを着ているが、線の細さや髪の質感からしてまず間違いなく女性だろう。おれはその背中へどすんと上から墜落していた。

 慌てて飛び退き、視線を巡らせる。

 どうやらおれは小さなテーブルの上で目覚めて、そのまま間抜けにも落下してしまったらしい。


「……ル、ァ」


 おれのクッションとなった女性がうめく。床に散りばめられた長いブロンドの髪が波打つように揺れる。

 もしかしてこの人が、ピラミッドさんが助けろといったルーナだろうか?


「ええと、ごめんね……大丈夫?」


 いいつつ2、3回肩をゆすってみると、女性は弾かれたように顔を上げた。

 ばちっと目が合う。

 ちりっと違和感が走る。

 真っ赤な瞳。真っ白な頬。美白とかそういったレベルではなく、見ていて心配になるどこか病的な肌感。顔色が悪いを通り越して蒼白。どう見てもやばそうな感じなのに、ぎらぎらと目付きだけが鋭い。というか目力めぢからがありすぎてちょっと怖い。


「……ああ、本当に、来てくれたのね」


 声はガラガラ。なにかが詰まっている感じ。


「あの、なんかつらそうだけど、大丈夫?」

「……わたしはダメ。もう、どうしようもない」


 ふらふらと上体を起こし、おれへと向き直る。

 彼女の胸元から腹部にかけて、シャツの白い布地が赤黒く染まっていた。

 ……まるで斬られたかのように、ざっくりと一直線に裂けている。


 これ、どう考えても、やった犯人がいるよな。


 素早く周囲を探るが人影はなし。闇に反射した向こう側も完全に無人。室内はがらんとしており、異様な静けさに包まれている。

 あたりには、おれが落下したのと同じデザインのテーブルが幾つも並び、さらに奥にはカウンター席が見える。その全てがどこか安っぽくて粗雑な木製で、あまり上品な印象は受けない。

 ここはあれか、雰囲気からして酒場的な場所か?


 そこでぐいっと、視線を戻される。

 両手でおれの頬を挟んだ彼女が、抜群の目力で両目を射抜く。ぢ、となにかが走る。


「――だからお願い。あなたが、ルーナを、助けて」

「わかった。できる限りやってみる。お姉さん、ルーナとはどういった関係?」

「母娘。わたしの、たからも、の」

 そのままぐらりと倒れるのをどうにかキャッチ――したものの支えきれずにそのまま一緒に倒れ込む。

 どすん、とプロレスでいうフォールされるかたちに。

 地味に痛いが、カウント2で脱出。今はそれどころじゃない。

 まずはこの人をどうにかしなければ。


 ピラミッドさんが助けろといった『ルーナ』の母親。

 ぱっと見で30代くらいの、ハードなレザーを当然のように着こなす気の強そうなブロンド女性。

 もし彼女を放置して死なせたりしたら、最悪ルーナから敵認定されてしまう。



 ――今回は最も強力だと思われる助っ人を、あらかじめ可能な限り準備しておきました。



 たぶん、近くにいる筈だ。

 内容からして、おそらくは複数名。

 その内の誰かが『治療』ができるやつなら、まだどうにかなる。

 直に触れたのでわかる。この人には『治療』が可能だ。侵蝕深度フェーズでいうなら1以上は絶対にある。少し違うが、それでも大枠では同類だと確信できた。これならいける。


「大丈夫。血は止まってる。ちょっと待ってて。治療できるやつを探してくるから」

 立ち上がろうとするおれの手が、がしっと掴まれた。


「……止まってるんじゃなくて、残ってないだけ。終わっているの、もう」

 裂けたシャツの下に見える生々しい傷口。

 肉や骨は見えるのに、どうしてか血は一滴も見当たらない。


「こっちはいいから、とにかくルーナを、お願い。奥から外へ、逃げて、敵が、あとを追って」

 視線を辿ると、店の裏口らしきドアが風に揺れていた。

 ただこの静けさからして、もうルーナは近くにはいないだろう。


 いや、これ、結構絶望的じゃね?

 土地勘もない場所で、もう音も聞こえないくらい遠くまで行っちゃったやつを闇雲に追いかけても……まず追いつくことすら無理じゃね? おれの足の遅さ、ぱないよ?


 いきなりの手詰まり感に固まるおれの目を、ずるりと彼女が覗き込む。


「あなたが何だろうと、どうでもいい。なにをしようが、構わない。ただ、絶対に、ルーナだけは、助けて」


 がんがんに高まる目力。

 ちりちりと走る違和感。

 ぎりぎりと強まる握力。


「いてっ」


 掴まれた手の痛みで、頭が冷えた。

 おかげですっかりと醒めた。

 彼女の手を引きはがす。


「あのさ、さっきからわたしにしてるよな? そんなことしなくてもちゃんと助けるつもりだから、こっちのやる気を削ぐような真似、するなよ」


 ワリと強めの言葉を叩きつけたが、彼女は微塵も動揺しなかった。

 むしろおれの方がびくびくっと驚いた。

 なぜなら、彼女の腰から下が、真っ白な灰と化して散り始めたからだ。


「……そう。きかない、のね」


 彼女は眉ひとつ動かさず、だたじいっとおれを見つめたまま、


「けど、それでも、お願い。あのこを、ルーナを、助」


 その全身はぼろぼろと灰になり、全てをいい終わる前に砕けて散って消えた。

 破れたシャツをはじめとした衣服だけが、ぱさりとその場で静かにしぼんだ。



 ――あなたの知るモンスターそのままではありませんが、多くの類似点がありますので、そう呼んでも差し支えないかと。



 疑っていたわけではないが、こうして目の前で見せつけられると、納得するしかなくなってしまう。


 たぶんさっきの目力ましましは『魅了』とかそんな感じのやつなのだと思う。

 さらに、死ねば灰となって消える。

 なるほどたしかに、おれの知る『吸血鬼』の特徴そのまんまだった。


 ……まあ実際のところ、四つ腕ムキムキ阿修羅マンやリザードウォーリアーに比べたら、見た目が人間とほぼ同じって時点でベリーイージーだ。今さらびびるに値しない。


 ただ肝心の『ルーナ』は今、数名の追っ手から逃げている真っ最中らしい。

 ものは試しと裏口ドアの向こうを覗いてみる。

 薄暗い路地裏の先が、いきなり3方向に分かれていた。

 うん、無理だなこれは。

 適当に走って追いつける気がしない。というかおれの走りで追いつけるなら、もうとっくにルーナは捕まってる。

 おれはそっと裏口ドアを閉めた。


 詳細はさっぱりわからないが、かなり絶望的なピンチであることだけはわかった。


 現にこの酒場も、落ち着いてじっくり確認すると……かなりの修羅場だった。

 付近に並ぶイスやテーブルの下には、そこかしこでばたばたと人が倒れていて――その数2、4、6の12人。

 誰も彼も血まみれで、生存者は1人もなし。

 ここは12、いや、13人が殺害されたであろう大量殺人事件の現場だった。


 ……なんつーか、初っ端からハードすぎて、正直ドン引きしてる。

 前回の第2特殊更生保養院がチュートリアルに思えてくるハードっぷりだ。

 目覚めて5分で死屍累々とか、なにここ? 修羅の国なの?

 つーかルーナママ灰になって散っちゃったぞおい。

 どうすんのこれ? どう考えてもダメじゃね?


 おれはしばし考えてから……とりあえず1度表へ出ようと、この酒場の正面入り口へと向かった。

 木製の両開きスイングドアが無駄に格好良くて、意味もなくばーんと開きたくなるのを我慢するおれの背に、


「――ちょっとちょっと! なんでそっから出て行くんすか!? 奥の方に逃げたっていってましたよね!? これ追いかける流れじゃないんすか!?」


 どこかで聞いた声がかけられた。

 もしやと思い振り向くと、雑に転がっていた死体の下からもぞもぞと這い出す影がひとつ。


「――マナナ! 来てたんだ! ……なんでそんなところに?」

「いや、そりゃ普通、いきなりワケわかんない所にぶち込まれたら、警戒くらいはするでしょ」


 手についた死体の血をそいつの服で拭いつつ、マナナが立ち上がる。

 相変わらず起業したギャル社長っぽい見た目の、元特別行動隊員にして現A&Jの新入社員。

 すらっとしたパンツスタイルがよく似合う、陽気な印象を与える健康系美人さん。

 そしておそらくは、ピラミッドさんチョイスの、最も強力だと思われる助っ人のひとり。


 ……あのピラミッド、ちゃんと説明とかしてるよな?

 ノエミの時の失敗を繰り返してないよな?


「アリリスさま、追いかけないんすか? さっきは『できる限りやってみる』とかいってたのに」


 なんか言葉に棘がある。

 どうにもダメな予感がする。

 だから面倒くさがらずに、ちゃんと答える。


「あのさ、土地勘のない場所で、全力で逃げ隠れしてる『ルーナ』を見つけられると思う?」

「追いかければその内追いつきますよ」

「わたしの足は、マナナの思ってる10倍は遅い」

「……死ぬ気でダッシュすれば」

「狭い路地で敵と鉢合わせなんかしたら、わたしはあっさりやられる。隠してもしょうがないからいっちゃうけど、わたしは殴り合いとか、めちゃくちゃ弱い。そもそも単独行動をする時点でもうダメだ」


 これなんの弁明なんだ? と思いつつも手は抜かない。

 正直なところ、おれとマナナの関係は良好とはいい難い。

 グリゼルダの件がある限り、おれと彼女の間には特大のがある。

 つまりはマイナスからのスタートなので、あらぬ誤解を受けぬよう誠心誠意、



「――じゃあやっぱこれ、アマリリスさまの仕込みなんすか?」



 距離は詰めず、一定の間合いを保ったまま言葉だけを投げてくる。

 口調は軽いが、その目は一切笑っていない。


「うん? 仕込みって、なんの?」

拉致らちって肉盾捨て駒っすかね?」


 あ、やべこれ。

 マナナ、おれとピラミッドさんがグルだと思ってるっぽい。


 こういう時は――。



 反射しろおれの脊髄!

 沈黙に意味を持たせるな!


「待て待て違う違う! わたしも使側だ。立場としてはマナナと一緒だ」

 え? まじで? みたいな顔をするマナナ。

 よし通った! 邪推が増殖する前に次へ行けた!

「ならあいつは、死者の声で喋るあいつは、一体何なんですか?」

「なにって……正体不明の超存在?」

「それ、何も答えてないっすよね?」

「誤魔化しとか嘘じゃなくて、本当に文字通り、わかっていることがほとんどないんだよ」

「なら知ってることを話してください」


 あ、待って待って、肩をこっちに向けて被弾面積減らさないで。最悪の場合に備えるの止めてそういうの怖いから。

 おれは素直に話すことにした。


「最初にわたしを喚んだのも、たぶんあいつだと思う。準備をしたのは他だったとしても、その根幹にいたのはあいつだと考えてる」

 おれも被害者でそっち側なんだぜ、と暗にアピール。届け、この思い。

「アマリリスさまを喚んで、あいつは何を?」

「指定する対象を助けろって」

「なんであいつは『ルーナ』って娘を助けたいんすか?」

 ピラミッドさん、ちゃんと目的は伝えているらしい。

「わからない。ただわたしには、ルーナを助けなきゃ『すべてが滅びます』とかいってた」

「なんすかその唐突な超スケール」

「わたしも困惑してる」

 そこでマナナは少しだけ考える素振りを見せてから、

「……あいつは本当に、どんなひどい状態でも『治せる』んですか?」


 たぶん、性質の話なのだと思う。

 前回のノエミは『帰ったらちゃんというから』とピラミッドさんとのやり取りは一切明かさなかった。

 だがマナナは、とくに隠すことなく直球でいった。

 おかげで、マナナとピラミッドさんとの間であったと思われる『交渉』について、その全容がほぼ見えた。

 今の質問を踏まえると、


 特定の誰かを治してやるから、その対価としてルーナを助けろ。


 あたりだろうか。


 これは間違いなく、おれと協力する理由になり得る。


「あいつの力の及ぶ限界をわたしは知らない。ただ、これまであいつが言及した内容に、嘘は一切なかった」

「……あいつは約束を守ると思いますか?」

「いったからには『やる』と思う」

 きっとあれは詐欺師の類だから、マナナの思うかたちとは違うかもしれないけど。


「アマリリスさまは、なんであいつのいうことを聞いてるんですか?」


 一瞬、言葉に詰まる。


 本気で、心底嫌なら、いくらでもやり様はあった。

 現におれは、最初の巻角野郎ゲオルギウスの時には、できる限りを尽くして全てを台無しにしてやった。


 なら、ピラミッドさんに対して同じことをしないのは、なぜか?



「恩がある、からだと思う。わたしはあいつに、とても大きな恩がある」



 気まぐれか計算かは知らないが、ピラミッドさんがおれを喚ばなければ、きっとおれは存在してなかった。

 今ここにいるおれは、ピラミッドさんによって命を与えられたともいえる。

 それはきっと、最上級の恩だと、思う。



「……そっすか。あんなのが恩人とか、大変そうっすね」

 いくらか和らいだ表情のマナナが、いつの間にか持っていた筒状のものを振り払う。

 じゃこんじゃこんと特殊警棒みたいに伸びる。なにそのギミック、くっそ格好良い。


 って、え? それ武器だよね? なんで、


 次の瞬間には、振り下ろされていた。

 オーバースローみたいに振りかぶって、そこでマナナの姿が消えて、ぐちゃっ。

 おれの鼻先を掠めて、そのまま酒場の床板に叩きつけられた特殊警棒? の先で血飛沫を散らしている――頭だけの男。


 は?

 なにこれ怖っ。


 床板に伸びるおれの『影』から、見知らぬ男が顔を覗かせていた。

 そこへマナナの振り下ろし型フルスイングがばっちり決まり、男の頭部から昔やったドラゴン花火みたいに血が噴き出していた。


 絵面えづらとしてはちょっとしたコメディだが、ちっとも笑えない。


 マナナがそのまま男の髪を掴み、おれの足下――影から引きずり出す。

 大柄な、タキシードのような黒い上下に身を包んだ、長髪の男だった。

 男がよろめきながら立ち上がろうとするのを、マナナは掴んだままの髪を下へと引っ張り阻止する。横向きに曲がる首と腕力の綱引き。男は中腰のまま固定される。



「ルーナは今どこにいる? 素直に答えるなら命だけは助けてやる」



 マナナの問いに男は無言のまま身を捩り、掴む手ではなく自身の長い髪を切断した。突然のすっぽ抜けにたたらを踏むマナナ。男の手にはアンティークな彫刻が施された短刀が握り締められており、そのまま突き刺すより速くマナナの特殊警棒が男の手首を打ち砕く。

 ぽろりと落ちる短刀。構わず掴みかかる男。シャープなスイングで振り抜かれた一撃が男のアゴを打ち抜く。間違いない。今あいつはマナナに『噛み付こうと』した。


「アマリリスさま、下がって!」


 アゴへのクリーンヒットで倒れた男へ、どう見ても殺る満々な鈍器による振り下ろしを繰り出すマナナ。

 まあ降伏を呼びかけた返事がナイフによる刺突だったので、おれの方からとくにいうことはない。


 レコード更新クラスの超速でカウンターの向こうへ退避したおれは、そっと顔だけを覗かせる。


 ごっごっごっと断続的に鈍い音が響くなか、男が強引に立ち上がろうとする。マナナがその膝を打ち砕く。崩れ落ちる。床に転がりながらも懐に手を伸ばす。マナナがその手首を打ち据える。滑り落ちた予備のナイフを蹴り飛ばし頭部へ一撃。続いて2、3、4と連続してまたごっごっごっと断続的に鈍い音が響く。

 しかしそれでも男の抵抗は止まらない。最初の振り下ろしで陥没していた頭蓋骨が、いつの間にやら丸みを帯びている。少し目を離した隙に完了する、巻き戻しじみた超再生。たぶんあれ、一撃ごとに頭蓋骨が粉砕されてはを繰り返してる。


「アマリリスさま! こいつ仕留める方法とか、知ってますか!?」


 おれの『影に潜ってた』時点で、まず間違いなくこの男は吸血鬼っぽいなにかだ。

 だとするなら……杭を心臓に、あたりか?


「ちょっとやってみるから、そのままキープで!」 


 いって、酒場の天井付近にわだかまる闇から杭を射出する。

 品質としては中の下。平均よりやや劣るが、使えないというほど悪くもない。

 それをこう、マナナを避けて男の心臓を刺し貫くように……どん!

 べしっと、当たりはするものの、貫通はおろか刺さりもしない。

 感触としてはゴムタイヤを殴ったかのよう。


 そこでがしっと。

 ここまで殴られるままだった男が、振り下ろされる特殊警棒もどきを掴んだ。

 マナナはすぐさま手を離しそれを破棄。

 いつの間にか手にしていた新たな特殊警棒もどきでまた殴りかかる。

 男は奪った武器をマナナの振り下ろす先に挟もうとしたが――接触の瞬間、それは男の手からすっと消えた。結果マナナの振り下ろしはそのまま男の脳天にごすっと喰い込む。

 そうしてまた繰り返し。


 ごっごっごっごっごっごっごっごっごっ。


 ……なんか今、おれの黒杭(品質ちょい悪)が当たった瞬間、あの男、元気にならなかった?

 ボコボコに殴られまくって死に体だったのが、一瞬だけチャージされました、みたいな。


「なにしたんすかアマリリスさま! 今こいつ元気になりましたよね!?」

 やっべばっちりバレてる! ええとどうするこういう時は……とりあえず肯定しとけ!

「うん、なったなった! なんかそいつ『闇』で元気になるみたい!」

「ええー!?」

「だからそのまま押し切れマナナ!」

「他に手は!?」

「今考えてるところ!」


 多少強引にでも理屈を通そうとするのなら。

 たぶんこいつは吸血鬼っぽいなにかで、よくいわれるところの……闇の眷属。

 魚は水攻めでは死なない。

 つまりは。

 闇

 もしくは闇


 ごっごっごっごっごっごっごっごっごっ。


 相変わらず殴打は続いているが『闇』を用いた手出しは状況を悪化させる。

 なら『闇の手』でその辺のイスでも掴んで叩きつけるか?

 いや、それはもうマナナがやってるし邪魔になるだけだ。


 ならもう残るは。


 おれは親指にはめた銀の指輪を見る。

 なんだかいかにもな装飾が施されたガチな呪物。

 魔術結社闇の薔薇、盟主代行副首領イグナシオの置き土産。

 前回使用した後、いくら外そうと頑張っても外れなかった、本当にあった呪いのアイテム。

 専門家が『たとえ指を切断しても無意味でしょうね。別の指に移りますよこれ』と太鼓判を押してくれた、追加調査の結果待ちな無駄にハイスペックかつ邪悪なやつ。


 ……んなもん、使いたくないんだけどなあ。

 渋るおれの耳に入るマナナの声。



「おっ? これいけますよ! こいつ、だんだん弱ってきてます!」



 殴られ続けて、もう頭部の原形が欠片も残っていない男は、それでもなお抵抗を続けていた。

 しかしその全てが、馬乗りになったマナナに打ち払われ、潰され、へし折られ、ただ単純に押し負けていた。ありとあらゆる抵抗が排除され、ただただボコ殴りにされていた。


 なんというか、シンプルに強い。

 これが、ちゃんと鍛えて実戦経験を積んだ侵蝕深度フェーズ7。

 最初こそ少し焦ったが、落ち着いてみると……頭を潰しても死なない化け物が、終始なにもできていない。


「お前! だんだん! ワンパターンになって! きたな!」


 ごっごっごっごっごっごごっごっごっごっごっごり。


 ぽいっと放り投げられる棒状のなにか。

 べこべこになって芯から折れ曲がった、血でべったべたの特殊警棒っぽい鈍器……のなれの果て。

 今マナナは、まっさらな同じ物で再びフルスイングを繰り返している。それ、ストックは一杯あるのね。


「そろそろ手ェ! 限界なんすけど! これいつまで! 続ければ!?」

「うーん……もうちょい、かなあ?」


 ごっごっごっごっごっごっごっごっごっごっごっごっ。


 もう男は抵抗も反応もしていない。

 既に死体殴りといった感じになっているのだが……。


「死んだら灰になると思ってたんだけど」

「たぶん! 違うんじゃ! ないっすかね! 周りで転がってる死体も! 灰になってないし!」


 いわれてみればたしかに。

 じゃあルーナママが特別だったのか?


「ああもう限界! ミゲルさま! さぼって見てないで! 交代して! くださいよっ!」


 そこでずるりと、視界の端がぶれた。

「おまっ、わかっててもいうなよ! 奇襲のうま味が消えちまうだろーが!」

「ここまで騒いで! 他が出てこない時点で! ここに残ってたのは! こいつだけっすよ!」

 ぱさりと落ちる完全同色な闇色の外套。

 カウンターの奥、灯りの届かない薄闇のなかに、クロスボウを構えじっと狙いをつけるミゲルがいた。


「しょうがねえ、3カウントだマナナ! 3! 2!」


 2でミゲルは矢を放った。

 3の時点でマナナは飛び退いていた。

 男が死んだフリをしている前提の小細工。

 どすっと矢が男の首に刺さる。


「頭潰しても動く相手に、矢とかどうなの?」

 諸々の挨拶はすっ飛ばしてミゲルに聞く。


「あのボルトは特別製、とびきり嫌らしいヤツだ。ぶっ刺さったのを確認したら、こうぐぐっと――」


 ミゲルが見えないなにかを引き絞れば――ボン! と矢が飛び散った。

 火薬による爆発ではなく、空気を入れすぎた風船が限界を迎えたかのような破裂。

 原理としては……闇風船? だとしたらこの威力はなんだ? ダメだわからん。


「お? 硬さ自体は、そう大差ねえのな」


 男の首が弾け飛んでいた。

 正確には、残っている状態だ。

 その損傷が治る気配はない。


「もう撃つの、それだけでよくないっすか?」

「このボルト、めっちゃ脆いんだよ。風が当たるだけでダメになる。だから室内で無防備に寝てる奴くらいにしか使えねえ。あと死ぬほどコストが高い」

「なんでそんなもの作ったんすか?」

「最強必殺技の失敗作だ。あまり触らないでくれ。かさぶたが剥がれる」


 ああうん、そりゃ『闇』をあれこれして武器をつくれるなら、絶対にそういうことするよね。わかるわかる。

 共感性羞恥から眼を逸らしたおれは、動かない男を見る。


「これはもう、さすがに死んでるよね?」

「ああ。反射すらねえってことは、俺が撃つ前にはもう逝ってたな。やっぱポイントは出血量かな?」

「血を流せばそれだけ、こいつは弱るってことっすか?」

 まだマナナは武器を手にしたまま男を注視している。


「根拠としては、灰になっちまった彼女の状態と、いくら『治って』も床にぶちまけられた血痕はそのままだった、の2点だな」

 こちらも次の矢を装填して、狙いをつけたままのミゲル。


「あ、それならこっちからも1点。いくら治るっていっても、頭潰すのは有効みたいっすね。大体2割くらい壊れた時点で、反撃がほぼ単調な繰り返しのみになりました。ぶっ壊れてる最中は、まともにモノを考えられないみたいです」


 そんな対策聞かされても普通はできねーよ、とはいわないでおいた。



「さっきから黙ってるが、再従弟妹はとこ殿はなにかあるかい?」

 いらん気を回してくるミゲル。

 おれに殺しの意見を求められても困るんだが……まあひとつくらいは。


「じゃあさ、切り傷とか刺し傷とか出血の原因をつくらない対策、そいつなにかしてない? 本当に弱点ならそこを『補う』と思うんだよね」


 マナナが男の残骸からジャケットを剥ぎ取る。

 そして男の取り落とした短刀を拾い、斬りつける。

 ぐっと喰い込む。

 が、それだけ。


「防刃ですねこれ。軽いのに鉄みたいに硬い糸で編まれてる。たぶんズボンも靴も同じっすね」


 うわあ。

 本当にやってたよ、出血対策。

 そりゃまあ、ほんのちょっとでも考える頭があれば、やるよな当然。


「決まりだな。連中は怪我してもが失血死はする。……いやダメじゃね? 防刃装備とかされたら、どうしようもなくね?」

「ちなみにパワーも侵蝕深度フェーズ5くらいはありましたよ。やり方によっては、普通に殺られちゃいますね。3以上の数で同時に来られたら、逃げの一択っすね」


 明るくさらっといったマナナが、手に持っていた特殊警棒もどきをじゃこじゃこんと折り畳む。

「ミゲルさまも、わたしと同じってことでいいんすよね?」

「ああそうだ。ルーナちゃん救出隊の一員だ」


 ピラミッドさんのいう、最も強力だと思われる助っ人の2人目。


「じゃあ殺り方もわかったし、行きましょうか? たぶんあまり時間は残ってないっすよ」

「待てマナナ。まずはここを調べてからだ」

 いってミゲルは、床に転がる12の死体を見た。

「……なぜです?」

「時間が押してるのはその通りだから、手を動かしながら聞いてくれ」


 マナナは左から頼むと素早く割り振り、ミゲルたちは床に転がる12の死体を探りながら話を続ける。



「俺は軽く外の様子を探ってから、この酒場に来た」

「最初からここにいたわけじゃなかったんすか?」

 そういや最初、裏口ドアは開いたままで風に揺れてたな。

「俺はここから50メートル先にあるボロ小屋に。それで、やたらとうるさかったこの酒場を覗き込んだら、ちょうどアマリリスがテーブルから落ちるところだった」


 おれよりも先にミゲルは『来て』いたのか。


「外の様子はどうでした?」

「まずここは、屋根に上がりゃ端から端まで見渡せるくらいの小さな村だ。けどなぜか村全体が静まり返ってて人っ子一人いやしねえ。ただぽつぽつと、あの野郎と同じ格好した連中がうろついてた。ありゃなにかを探してたな」


 つまりそれは。


「今ルーナは、隠れながら逃げてるってこと?」

「そうだ。さらにいうなら、この静けさは、まだ見つかってねえって証だ」

「……なんで、ここに他の奴が来ないんすかね? 結構うるさくやっちゃったと思うんすけど」


 いや、今聞いた話の時系列でいうと。


「わたしが『ここに落っこちてくる』前、既にこの酒場はとてもうるさかった。ミゲルはその物音を聞いてこの酒場に向かった。その時にここで騒いでいたのは……」


 ルーナママが致命傷を負ったタイミングは不明だが、まあ普通に考えるなら。


「この死体たちっすか。どうりでまだ温いと思った。こいつら、弱った女囲んで大騒ぎしてる時点で、ロクでもない予感しかしませんね」

「ああ。外の連中からすれば『うるさくて当然』なことをしてたんだろうよ。おかげでマナナがはしゃいでも、誰も気にしてない」

「じゃあこいつらは、ミゲルさまが到着するまでの僅かな時間で全員が死んだ、ってことすか?」

「凄え早業だよな。この手品には、きっとタネがある」


 じゃあおれが『落ちて来た』時には、まだ死にたてほやほやだったってことだよな。

 ……怖っ。


「たしかに気になりますけど、ルーナを探す方が先じゃないっすか?」

「今ここで慌てて飛び出したところで、俺たちもルーナを発見できない。そもそもルーナは俺たちを知らねえから全力で逃げる。そうこうしてる内に、あの野郎のお仲間に囲まれる。数は俺が確認できただけで8はいた。同じ服だったから全員防刃装備だろうな」

「それにつっ込むのは、半分自殺っすねえ」


 そういえば、助っ人たちがここで死んだ場合はどうなるのだろうか?


「だからこうして調べて、知って、少しでも『何故』を潰すんだ。知れば知るだけ俺たちは有利になる。できることが増える。何故こいつらは一斉に死んだ? これっぽっちの出血量なのに何故傷が治っていない? 何故あの野郎は治る? 何故ルーナの母親だけ灰になった? 何故彼女には血がなかった? 何故あの野郎はどう見ても戦闘要員じゃないアマリリスを真っ先に狙った? タイムリミットはルーナが発見されて周囲が騒がしくなるまで。そうなったら全速でさらいに行く。なにか質問は?」


「ルーナが村から出る可能性はないんすか?」

「いった通り小さな村だ。出ようと思えばすぐに出れる。なのにまだ隠れてこそこそしてる理由はなんだ?」

「……母親が1人で、残っているから」

「そうだ。だから俺の予想じゃ、たぶんルーナはこの近くにいる。周囲が騒ぎ始めてから動いても、間に合う筈だ」


 こいつ地味に凄いな。

 行き当たりばったりなプランに思えるが、これ以上良いものを用意しろといわれても、おれには無理だ。

 つまり、現状ではベストなのだ。


「なあ、アマリリス」


 内心こっそり褒めていたミゲルに声をかけられ、思わずびくっとしてしまう。



「実は何か聞いてたりしてない? こう、とびきりのお得情報とかさ」



 誰から、を口にはしないが、その存在を認知している。

 やはりこいつも、ピラミッドさんと接触している。


貴種ノーブルと呼ばれる上位種との交戦は慎重に行うべきでしょう、だってさ」

「いいね。最高だそれ。貴種ノーブル? 上位種? 同族内で明確な位階があるのか。その差が今、俺たちの目の前に転がってんのか!」


 血が一滴もなくてもしばらく活動できて、最後は灰になったルーナママ。傷が治るけど失血死するやつ。傷が治らないやつ。

 たしかに3種類。3段階。上、中、下といった感じだ。


「けどそれなら、一番上の貴種ノーブルっぽいルーナのお母さんに致命傷を負わせることができる、たぶん同格以上の奴がいますよ、敵側に」

「だよなあ。そうなっちまうよなあ。基本逃げの、鬼ごっこ大会になりそうだよなあ」


 そっすねー、そんなのと殴り合いとかしたくないっすねーと、マナナのテンションもだだ下がる。



 どうやら、出し渋っている場合ではないようだ。

 そもそも、向こうが闇耐性な時点で、もうおれに選択肢はない。

 手段が、必要だ。

 理不尽ともいえる超再生を凌駕する手段が。

 向こうの理不尽を塗り潰し、全てを台無しにする、泥のような一幕が。


 おれは使えそうなものを、探し始める。



「そういえばさらっと流してましたけど、なんでミゲルさま、いるんすか? 今って『本社』に向かう長距離便の中の筈ですよね?」

「その通り、乗ってたさ、間違いなくな。車内で一眠りしようと横になったところで、すぽっと落ちた。そっから先は、マナナと同じなんじゃないかな」

「……ミゲルさまは『あいつ』のいうこと、信じるんすか?」

「信じなかった時のリスクがデカすぎる。……わかるな?」


 妙な間が空く。

 死体をあさる手は止めず、声だけが飛んでくる。


「そういや、アマリリスはいいのか? 義理で来たお前さんには、こんなことに命までかける理由、ないんじゃねーの?」


 実はかけてない。

 おれはたとえここで死んでも、元の場所へ戻るだけ。

 助っ人であるミゲルたちもたぶん同じ仕様だと思うのだが……確証もないし、余計なことはいわないでおく。


「それをいうならミゲルだって同じじゃないの?」

「いや。俺にはある。いっておくが聞いても無駄だぞ。答えられねえから」

 答えない、ではなく答えられない。

 そういえばマナナは……と、ちらりと見れば。

「超スケールのトンデモ話は正直アレっすけど、本当に『治せる』可能性があるのなら、わたしはやるだけっすね」


 ……んん?

 なにかが引っかかった。


 おれは基本的に、ピラミッドさんの言葉に嘘はないと思っている。

 なぜかそうだという、確信じみた予感がある。

 だからこうして、あれこれ頑張ろうとしているわけだが……。


 なんというかこう、繋がらないというか、どこか違和感があるというか……。



「マナナお前、病気だったのか?」

「わたしじゃないっすよ。もう死んでると思ってた恩人が、実はまだ生きてて旧市街にいるらしくて」

「なら全部終わったら挨拶に行こう」

「いいっすねそれ。けど実際、あいつのいってることが本当なのか、なんの確証もないんですけどね」

「なんか『すべてが滅びる』とかいっちまってるみてーだし、本当なら本当でマズいんだけどな」


 そこで全てが繋がった。

 なるほどわかったそういうことね!

 おっけーおっけー完全に理解した!


 そう。

 ピラミッドさんはいった。

 ルーナを助けなきゃ、すべてが滅びると。

 なら。

 ここでおれが死んでも、元の場所に戻るだけだからセーフとか、意味なくね?

 どの道ルーナを助けなきゃ、死んじゃうってことだよね?

 なんか安全マージンをとったフリして、実は全然そんなことなかったってパターンだよねこれ?

 たぶんこれ実質的に、しくじったら死ぬ背水の陣だよね?

 めっちゃ命、かかってるよね?



 ……うわあ。

 相変わらず、やってんなあ、あのピラミッド。



 思ってた100倍後がなかったおれは、頭の片隅から即座に『使えそう』なものを引っ張り出した。

 キーワードとしては『吸血鬼』『絶対殺す』『共有可能』あたりか。


 そう。

 自分が先頭に立ってあんな化物とやりあうとか、まず無理だ。自傷覚悟の突撃でぐちゃっとされて即死する未来が見える。はっきりくっきりと見える。


 だから頑張れミゲル!

 ファイトだマナナ!


 そんなおれの絶妙なリクエストに応える、最高に素敵な一作があった。



 それは、とある巨匠と呼ばれる監督の、それまでのお得意パターンとは一線を画す新たなジャンルに挑戦した意欲作っぽいんだけど結局はいつも通りだった一作。おすすめした友人からは「最初の30分で息切れしたよね」といわれぐうの音も出なかった一作。しかしおれには絶大なインパクトを残した(個人的)超名作。


 ただ使うのは、前回の反省を踏まえ、ストーリーやシチュエーションではなく――ギミック。


 本当に実現可能なのか、いくつか確認をする。



「なあミゲル。あのクロスボウって、他人に貸したりもできるんだよな?」

 前に1度『闇の薔薇の大聖堂』の際に見てはいるが、大事なことなのでちゃんと確認しておく。

「ああ、できる。ただし、勝手に当たるような便利機能はないから、射手には最低限の腕前は要るな」

 実際にマナナが撃ってるのを見たので、問題はないだろう。

 次は。


「発射する矢に、ちょっとしたアタッチメントをつけても飛ばせるパワーはある? 干渉は気にしなくていいから」


 ノエミのタッカー君には、おれ産の黒杭を括りつけることができた。

 なら今回も、同じ理屈でいける筈だ。


「俺が片手で『楽々持てる』くらいまでならいけるな。実物よりかはずっとパワフルだ」

「よし。ならできるかもしれない。実際にやってみて、問題がでたらその都度改善する方向で」

 おれの言葉を聞いたミゲルがにやりと笑う。

「なんだ再従弟妹はとこ殿、連中をぶっ殺す算段でもついたのか?」

「うん。上手くいけば、1発で炭屑すみくずになってくたばる」

「最高だなそれ」「最高っすねそれ」

 イエイと謎のハイタッチ。

 ピラミッドさんのやってる具合は相変わらずだったが……同じ視点の仲間になれたと、ポジティブに消化することにした。



「そっちはどう? そいつらを調べてみて、なにかわかった?」


 ミゲルとマナナは、2人ともに淡々とした調子で、


「こっちの6人は皆自殺だ。自分でいってて意味がわかんねーけど、全員がテメエのノドをナイフで掻っ捌いて死んでやがる」

「こっちの6人も同じっすね。ただ、どいつもこいつも、さっきのデカブツが持ってたのと全く同じ装飾が施された短刀で自害してます。あんなに豪華なやつじゃなくて、簡易版の量産品、って感じっすけど、デザインは一緒ですね」

「こっちも全員そうだ。つまりこれはあれか? ここにいたロクでもねえ下っ端どもは、お楽しみの前に、皆一斉にそろって自害したってのか?」


 2人からの物騒な報告に、おれはピンとくる。

 きっとそうじゃないかな、と思いつつ、最初に目覚めたテーブルへと向かう。


「たぶんそれ、ルーナの母親がやったんだと思う。わたしも実際に『された』からわかる。彼女は相手を操ることができた。魅了とか魅惑とか、そう呼ばれる類のやつじゃないかな」


 おれは最初に目覚めたテーブルの上へ立ち、一段高い位置から辺りを見渡す。

 12人の『敵』たちは、ここを中心とした円を描くように配置され倒れていた。

 飛び散った血が、交わり重なり線となり、配置こそ違えど前回ヨハンの部屋で見た図形の総数と等しくなっていた。


 ……うわあ。ルーナママ、まじで怖ぇ。

 これをガチでやっちゃうか。

 つーかこれでも成立するのか、魔法陣的なやつ。


「……まじすかこれ。この、いかにもやべえ儀式で喚びました、みたいなのって」

 いつの間にか、すぐ隣にマナナいた。


「うん。最強の侵蝕深度フェーズ7。マナナさま召喚の儀式だね」

「まじかよすげーな。さすがマナナさまだ。いきなり1匹沈めたし、もう誰も止めらんねえな」

 いつの間にかミゲルもいた。


「ええー、こんな人相の悪いおっさんの魂で喚ばれたくないっすよ。なんかくさそう」

「マナナ、ワリと人の心ないよね」

「マナナ、あのおっさんのつらを見ろ。泣いてるように見えねーか?」


 頭特別行動隊なマナナはさておき、


「これは結構本気で重要な発見だと思うぜ。なにせ母親ができるってことは、もしかしたらルーナにもできる可能性がある。つーかむしろできなきゃ、こんな狭い村でずっと逃げ回るなんて無理なんじゃねえかな?」

「じゃあなんでここへ戻って来ない? 母親の安否が気にならないの?」

「それは違うんじゃないっすか? あんな血が一滴もなくなる意味わかんない致命傷とか、安否もなにも、絶対に死んでるに決まってるでしょ。結果を確認しに来いとか、逆に酷すぎません?」


 そうか。ルーナが母親の状態を正しく把握していれば、そうもなるのか。


「じゃあなんでまだルーナは村にいるの? さっさと遠くへ逃げればいいのに」


 そこでミゲルとマナナはテーブルからぴょんと飛び下りて、


「急ぎましょうアマリリスさま。たぶんルーナ、やる気っすよ」

「中途半端に『武器』があんのがよくねえよなあ。それでいけんなら、とっくに母親が殺ってただろうによ」


 おれも2人の後を追いながら、


「ルーナ、強気すぎない?」

「怒りでおつむがイっちまってんのか、あるいは、俺たちの知らねえ『なにか』があるのか」


 そういってミゲルは、酒場の正面入り口である木製の両開きスイングドアをばーんと開いた。


 あ、それ、おれがやりたかったやつ!


 ミゲルとマナナが外へ出たところで、またぐいんとスイングドアが戻ってくる。

 よし今度はおれの番だとタイミングを計るがしかし、なぜだかぴたりと止まる。


「どぞ」

「……ありがと」


 気をつかって開けたままをキープしてくれたマナナとミゲルに「余計なことすんな」というわけにもいかず、おれはどこかしょんぼりした気持ちのまま酒場を出た。



 乾いてかさかさな地面に立ち並ぶぼろぼろの家屋と粗末な小屋。風に混じる砂埃。気温はさほど高くはないが空気の乾燥が凄い。ネグロニアとは根本から環境が、気候が違う。完全に別の土地。別の国。

 なんかこれ、村の外は砂漠化とか荒野化とかしてそう。降水量とかめっちゃ少なそう。


「住みにくそうな場所っすね」

「向こうもきっと、ネグロニアを見たらそういうだろうよ」


 周囲に敵がいないことを確認した2人が、同じ箇所で視線を止めた。

 つられておれもそこを見れば……どうにも場違いな、ごてごてと派手な装飾に彩られた、錆びついて茶色になった鉄製の看板が傾いていた。



『ようこそ! あなたの輝かしい未来がある夢の国、イルミナルグランデへ!』









※※※









 走る走る走る。

 息が切れて足がもつれても、とにかく走る。

 今彼女の中にあるのは、とにかく走って逃げろという母のいいつけと、


 ……ママが、死んじゃった。


 その母がいなくなるという、ぐちゃぐちゃで意味のわからない焦りと恐怖。

 ぐるぐると渦巻く不安は、秒ごとに彼女の行動をかき乱す。


 ……違う。まだ生きてる。あんな、血が全部なくなるような酷いことになっても、まだちょっとの間は生きてる。

 急ブレーキをかけ、来た路地を戻ろうとした彼女の足がまた止まる。



 ――ルーナには見せたくないの。ルーナの最後の記憶に残るのは、品のない濁った灰なんかじゃなくて、今のこのわたしであって欲しいの。



 いいたいことはわかる。彼女だって、誰かの記憶に残る自分の最後の姿が濁った灰だなんて絶対に嫌だと思う。ましてやそれが、大好きな家族なら……。


 そうして1歩も動けなくなった彼女に、影がかかる。

 見上げるしかない大きな影。大男。あのクソの下僕。

 そのそびえ立つどでかい阿呆が、彼女に向け手を伸ばそうとして、


「――失せろ。クソチンカス野郎。汚ねえ手で触んな」


 こうして汚い言葉を使えば、いつものように母が注意してくれるかもと期待したが……当然そうはならない。

 ただでかい間抜けが、のっしのっしと去って行くのみだった。


 油断なくその背を睨む彼女が、がくりと膝をつく。

 とても立ってはいられない、目眩と頭痛と吐き気。


 ……やっぱり、ママみたいにうまくできない。


 そもそも母親からは絶対に使うなと、常日頃から厳しくいいつけられていた。

 だから『どう使う』のが正しいのかも、実はよくわかってない。

 なんとなく見よう見まねでやってみて、たまたま上手くいっただけ。

 いつもならもうそろそろ、くどくどとした説教が始まる頃なのだが。


 小汚い路地裏はただ静まり返っている。


 当然、彼女を叱る存在など、ここにはいない。

 きっともう、どこにもいない。


 そう理解すると同時に、息が吸えなくなる。吐けなくなる。そのくせ呼吸の間隔だけはどんどん短くなる。苦しくなる。涙が出る。どんどんどんどん溢れ出て止まらなくなる。

 ひ、とか、へ、などという変な音をノドから出しながら、しかし彼女の足は無意識に動く。

 鼻水と涙をぼとぼと落としながらも、ただ頭の中を埋め尽くすそれが、ノドの奥からせり上がり言葉となる。


「……ぶっ、して、る」


 あいつだ。

 あの青白くて薄気味悪い、いきなりママに不意打ちかまして得意げな顔をしてたゴミカス野郎だ。

 なにが貴種ノーブルだ。知るかくそぼけ。お前は絶対に。


「ぶっ殺して、やる」


 声に出して耳に入って、頭に浮かぶ当然の疑問。

 ……どうやって?

 あの無敵だったママが、結局はやられっぱなしで逃げるしかできなかった。

 そんなヤツを相手に、どうやって?


 過呼吸と涙でまともに前すら見えていない彼女は、なぜかそこに『模範解答』を見た。


 大きな『白い手』でがしっと掴み固定し、もう片方の『白い手』で頭部を捻りながら引き抜く。

 ぶちっと千切れたそれをそっと優しく地面に置いて、しばし観察する。そして、さも不思議そうに語りかける。



「どうした? なぜ手に取り再接続しない? 邪魔はせぬ。手番をやろう。く繋げ」



 全裸の男だった。

 がりがりに痩せ細り、今にも風に飛ばされそうなみすぼらしい体躯の、いかにも貴種ノーブルといった顔つきをした長い金髪をなびかせた男。


「ん?」


 その男が、彼女の視線に気づいた。


「ああ、これは失敬」


 いって、道のど真ん中で血を垂れ流していた『あのクソの下僕』だったモノの残骸を、白い手がずずいと路地の端へ寄せた。


「……えと、そうじゃなくて」


 べつに通行の邪魔だから見ていたわけではない。

 ただ情報量が多すぎて、うまく言葉にできない彼女はつい見たままを口にした。


「その、格好」

「……見窄みすぼらしかろう? あれだけ重ねていた外装も癒着していた外因子も、流れ落ちる命の前払いとしてすべて剥がれ落ちた。そうして最後に残るはやはりこれ。結局はまた自身という檻の中とは……滑稽よな」


 いや、そんな小難しい話ではなく。


「なんで裸?」

「総身が腐れ落ちる死の床にいたからな。衣服など纏う余裕はあるまいて」


 いって男は、自分の手で捻じ切った『敵』の首を雑に掴み、ぐちゃっと元の胴体の切断面にひっつけた。


「おい。手間をかけさせるな。さっさと繋いでみせよ。貴様の、原種の可能性を、余にみせろ。まだ死ぬな。失望させてくれるな。きっとお前ならできる」


 胴体に押し付けられた首の目元が、ぴくぴくと痙攣した。


「いいぞ、その調子だ。あと1歩だ」

 しかしその目蓋は開かない。

「もう少し。あと少しだ。諦めるな。踏ん張れ! いいぞ瞳孔が収縮を始めた! その方向で間違いない! そう、そこだ……頑張れ。頑張れ! 頑張れっ!! ガンバレッッ!!!」


 なんか本気で応援し始めた。

 しかもなぜか、ちらりと視界に入った男の一物は勃っていた。

 母親の『曖昧にしたままではいつか必ず損害を被る』という考えのもと行われた適切な教育により、彼女の知識に過不足はない。

 かといって、冷静でいられるかはまたべつの話だ。


「てめ、気色悪いモン見せるな!」

 彼女の大声に振り向いた瞬間、しゅんとなる。

「勝手に見ておいて、なんたる言い草か」

「じゃあ外ですんな!」

「……確かに、いささか品がなかったか」

 押さえつけていた首を蹴り飛ばし、男は素早く死体から服を剥ぎ取り身につける。

 そして非の打ち所のない洗練された紳士の一礼をして、その顔を上げた。


「失礼した。もしやお嬢さん、ルーナという名では?」

 不審者がピンポイントで自分の名を知っている。

 しかし彼女の中に逃げるという選択肢はなかった。

 間違いなく、こいつはイカれてる。

 だがこいつなら、

 袖口で顔を大雑把に拭いながら、精一杯の虚勢を張る。


「なんで知ってる? てめーはなんだ?」

 いつの間にか、鼻水も涙も過呼吸も止まっていた。


「頼まれたのだ。ルーナを助けろと。思い当たる節があるのでは?」

 この状況でそんなことを望むのはただ1人。


 ……ママだ。


 その瞬間、一度は止まった涙と共に湧き上がったそれが、あっという間に彼女の頭を埋め尽くし溢れ出た。


「――だったら! 手伝えっ!」

「なにを?」

「ぶっ殺すのを!」

「誰を?」

「ママを殺したやつらを!」

「どこまで?」

「ぜんぶ! 全部! 1匹残らず! みんなっ!」

「根絶やしに?」

「そうだ! みな殺しにィっ!」

 息も絶え絶えとなり、うずくまりただ嗚咽をもらすしかできない彼女の頭上で、男の声が弾ける。


「……ははっ、ふは、はは、ハハハハハハ――!」

 大笑。

「応じたはいいが! 余にできることなど! ありはせなんだと思いきや!」

 上機嫌に笑う男が、そっと彼女の手を取り立ち上がらせる。

「それは得意だ! 誰よりも何よりも! 余の本分がゆえに!」

 続いて男は、とても静かで落ち着いた真摯な声音で、告げた。


「殺して進ぜよう、お嬢さん。誰も彼も、望むがまま、思うがままに」


 彼女はその手を振り払った。

「ガキ扱いするんじゃねえ。お前はママの使いっぱしり。あたしはママの娘だ。口のきき方に気をつけろ」

「承知した、レディ。ここでメソメソするような惰弱さがなくて、なによりだ」

「……てめーは何なんだ? あれをやっちまえるとか、貴種ノーブルなの?」


 見たことのない『手』だった。

 母から聞いた要注意の血統には、あんなものはなかった筈だ。


「ハ。程遠いな。この身は所詮混ざり者。何処の法からも外れる、外法よ」

「わかる言葉でしゃべって」

貴種ノーブルではないが、彼奴等を殺すことはできる」

「ならそれでいい。名前は? なんていうの?」


 問われたからには名乗ろうと、男が声を張り上げる。


「――魔術結社闇の薔薇、第八代盟主にして無種族合一体グランレギオン代表、クラプトン! それがレディの望む敵を殺し尽くす、哀れなる邪神がしもべの名だ」







※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※










TIPS:マナナとピラミッドさんの取引内容


すでに旧市街から『重病人』の存在は消えている。

だからマナナが願った『誰か』は既に完治している。

ただ『誰か』との連絡手段を持たないマナナには、それを知る術がない。


対象がどう行動しようとも、すでに望みは叶っている。

多少順序の前後はあろうとも、嘘は1つもいってない。


ありふれた、詐欺師の常套手段である。




TIPS:影に潜ってた時点で、まず間違いなくこの男は吸血鬼っぽいなにか


きっとアマリリスは『D』のファン。

光り輝く病弱そうな兄ちゃんが浮遊しながらつっ込んできたら、迷わず即逃げするだろう。




TIPS:マナナと正面からぶつかるのは愚策


とある流派のじょう術をベースにした近接格闘術。

幾度ものトライ&エラーを繰り返した実戦経験。

暴力の行使に微塵の躊躇いもない安定した精神。

天稟てんぴんとしかいいようのない、荒事に関する才能。

それら全てに侵蝕深度フェーズ7の出力が乗ると、手が付けられなくなる。

さらに彼女には『切り札』がある。

近接戦の間合いとは、当然ながら目視の範囲内であり、焼死の圏内でもある。


特別行動隊におけるマナナの役割は、正面切っての殴り合いによる確殺。

この事実を知る隊のメンバーが、真っ向から彼女と打ち合うことはないだろう。




TIPS:ルーナには見せたくないの


1人で逃げるのを渋る娘を行かせる為、どうにか絞り出した方便。


母の誤算は3つ。

外法たる左道の長と。

それを差配した人でなしと。

それらが些事と思えるほどの。

大切な宝物に湛えられた、無尽の憎悪。




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邪神さまがみてる 原 太 @sdf678

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