第9話 戯劇の邪神(仮)Ⅱ



「そうだな、基本ペラ回すのは俺だから、あんま喋らなくてもいけるっちゃいけるな」


 目的地までの道すがら、打ち合わせとも呼べないような雑談を交わす。


「けど黙ってたら黙ってたで逆にナメられないっすか? アマリリスさま、見た目は可愛い感じだし」

「そうやって気を抜いてるところに凄いやつをどーん!」

「ノエミ、急に大声出さない。びっくりするから」

「そ、びっくりしたまま何もできずに終わるの。それもアリだよね」


 A&J組の3人は平常通りだ。緊張や気負いとは無縁なようで、なんなら楽しそうですらある。


「けど中に入ったらあたしお付たちがペラペラ喋っちゃダメだろ? それじゃ喋るのがミゲル様だけにならない? 大体お婆はそういう場じゃ黙ってるし」

「おまえも、黙ってても絵になる女を目指しな。雄弁は銀までだよ」

「わあ、じゃミゲルさまって純銀製だー。メタリックでカッコイイー」

「だろう? 魔性の類は一発だぜ?」


 あれこれ話し合った結果、野心溢れる皆さんが会合の真っ最中らしい現場に踏み込むのはこの6人になった。

 ミゲル、マナナ、ノエミのA&J組3人と、ヨランダ、ターナさんの娼館組2人。……とおまけのおれ。


 それが今一団になって、徒歩圏内の会場――地下につくられた個人所有の隠れ家らしい――へと向かっている真っ最中だ。


「アマリリスさま、声は低めっすけど、馬鹿なちんぴらは女声ってだけでナメてきますからね」

「ぱっと見でA&Jウチの関係者だってわかるし、最初に名乗りさえすれば後は勝手に向こうが理解するだろ」

「ミゲル様それ、旧王家の名前出すならこっちから名乗っちゃダメですよ。地に伏して願い奉られてようやく考えるぐらい値打ちこけってヒルデ様から厳命受けてます」


 今おれは再びA&Jの『正装』に袖を通している。

 さすがに店のお姉さんが見立ててくれた子供服のままではダメだろとなり、驚異のマジカルクリーニングで新品同様まで持ち直した『正装』に、もう一頑張りしてもらうことにしたのだ。


「うーん、ならわたしは基本黙ってるよ。やるタイミングはミゲルに任せる」


 足下のサンダルを引きずりつつ、ぼんやりと記憶の扉の向こうを覗いても……やくざ者を脅した経験なんてある筈もない。

 ここは大人しく専門家に丸投げだ。


「よし任された。ならあとは……オーナー殿、降伏は受け入れるかい?」

「必要ない。あの場に集った時点で、全員『屍骸』だ。妙な気は回さなくていい」

「オウケイ。なら最初に屍骸を2つのグループにり分ける。こっちに協力的な屍骸とそうじゃない屍骸だ。実際はどちらも同じだが、なぜか向こうはカン違いをする」

「あんた、ロクな死に方できやしないよ」

「やめとくかい? 内部でギスギスしてくれた方が、時間稼ぎの効率は上がるんだが」

「……四の五のいってる場合じゃないか。どうせやるなら、とことんやりな」

「いいね、だんだん固まってきた。オーナー殿が締め担当で俺が回し担当。なら残りはこれだな」

 いってミゲルが、握り拳の親指と小指だけをピンと伸ばした『アロハー』な感じのハンドサインを掲げた。


再従弟妹はとこ殿、これ、知ってるかい?」


「……陽気な挨拶?」

「違う違う。A&Jウチじゃこれは『想定外が発生。収拾不可能』ってサインだ。実際の現場じゃまれによくある」

「そんなの、わざわざ合図出さなくてもわかるんじゃ?」

「本気のピンチなのか馬鹿を釣る為のフリなのか、慣れてる奴じゃないとわからない時があるんだよ。今回みたいに初めて組む面子じゃ特にそうだ」


 要するに『これなんかやばくね?』と思ってもアロハーなサインが出てない限り心配ないよってことか。


「もしその合図が出たら、具体的にはどうするの?」

「余裕とか余分とか一切なしの、皆殺しを前提にした実力行使かな。もうそれぐらいしか方法がないってレベルで破綻した時しか使わないギリギリのやつだ。使わないのを、いつも心底願ってる」

「それ、最後に使ったのは?」

「3日前だ。笑えるだろ?」

 ちっとも笑えねーよ。


 Q:こういう時の理想的な返しは?

 A:もっと笑えないやつでお返し。


「わたしはつい昨日だ。あと2日は空けたいな」

「はははっ! そういやそうだったな!」

 ここで笑えるミゲルはやっぱ悪党だよなー。

「ま、今回一番大事なのは余裕のツラを崩さないことだ。きっと連中は常にこっちの顔色を見てるだろうからな。ビビるのは向こうの仕事で、こっちはビビらせる側。それを忘れちゃいけない」

「じゃあできるだけ派手に殺った方がいいんすかね?」

「連中はもう『屍骸』だが、あと2、3週間は働いてもらう予定だ。リーダー格と側近以外はなるべく生かす方向で――」


 なるほど、これは今まで『特別行動隊』とかいう物騒な殺し屋じみた集団にいたマナナとノエミに対するオリエンテーションでもあるのか――などと思いながらずるずる歩いていると、こちらを見るノエミの視線に気づいたので、

「どうかした?」

「うん。アマリリスさま、こういうやり方に抵抗とかないんだなーって」

「そりゃ、わたしもがっつり『こっち側』だからね。最悪の場合酷い目に遭うのは店のお姉さんたちだけじゃない。当然、そこにはわたしも含まれてる」


 それが理解できたなら、寝ぼけた言葉は全て消える。

 絶対にそうなるのは嫌だから、できることは全部やる。


「そっか、アマリリスさまは、都合のいい夢とかみないんだね。教えてくれてありがと。お礼にいっこだけ何でも答えるから、好きなこと聞いていいよー?」


 え? とくにないから別にいいよ。

 きっとティーンの頃のおれなら、ノエミのようなメンヘラタイプとはあまり距離を詰めたくない一心でついそんな返事をしてた。

 しかしアレな上司との会話を幾度となく潜り抜けた今のおれならば、玉虫色に輝くニュートラルな返しが即できる。

「じゃあずっと気になってたんだけどさ、結局姉さまはどうやって『爆弾』を除去したの?」


 ――おまえから聞いた2人は処置しておいた。


 そう簡潔に告げられただけで、詳細は聞いていない。

 まあ無事に除去されたのなら、正直どうでもいいっちゃどうでもいいのだが、そもそもこれはどうでもいい話題でお茶を濁す下等テクニックだ。


「これを飲めって黒い水を次々渡されて、限界まで飲んで、それだけ。なんか強弱は関係なくて、ただ上書きしたら塗り潰せるんだって」

「なにそれ地味にきつそう」

「心配してくれるんだ嬉しー」

 わざとらしくそういって、後ろから大げさに抱き着いてくる。

 そしておれにだけ聞こえるような小声で囁いた。

「飲み終わったあとにお腹見たら、ちゃんと消えてたよ。新しいのもナシ。アマリリスさまから見てどう? まだある?」

「……ないよ」

 同じく囁き返すとノエミは、ノーリアクションきつーい、とかいいつつ離れた。


 そういやノエミはおれが『足した』影響で見えてるんだったな。

 ……ならこいつ、ミゲルの嘘もおれと同じルートで気づいてた筈だよな。

 こうして小声で内緒話ってことは、闇爆弾が見えてるのは秘密なのか。


 薄々感じてはいたがこのノエミ、メンタルはヘラり気味だが、ちゃんと物事を考えるタイプでもあるようだった。


 正直、ちょっと見直した。

 考えるのを止めないやつには、好感が持てる。

 だからついついサービスしてしまう。


「リアクションていわれても。ノエミはわたしに『どんなもの』を望んでるの?」

 ちょうどヨランダとターナさん、ミゲルとマナナがそれぞれ話している為、誰もおれたちの会話なんて聞いてない。

「表面上はそっけなくしてても、内心じゃ大好きでいつでも味方だぜ、とかかなー」

「表現力のハードル高すぎない? ちゃんとギャラは出るんだろうね?」

「同じ気持ちをプレゼント! やったね、両思いになれるよ!」


 それぞれ立場は違うけど、こっそりと味方でいましょうね。


 言葉にすればそれだけの、なんの強制力もない、子供の口約束じみたそれ。

 捉え方によっては「スパイになります」とも聞こえるそれ。

 まあ確かにA&Jが胡散臭いのは本当だし、味方が多い分にはいいか。


「よしわかった。ならわたしの」

「アマリリス様。ここからはお静かに。もうすぐそこなんで」


 ヨランダの声に「あ、はい」と黙る。

 ばちこん! と音が出そうな目配せを送るノエミは、上司と同じ行動を取ることで集団に溶け込む策士なのだろう。


「あれが入り口です。もう制圧は済んでるみたいですね」


 いわれて見ると、先行していた2人――リリカとグリゼルダ――とその補佐の娼館スタッフたちが、地べたに転がるガラの悪そうな連中を拘束したり猿ぐつわを噛ませたりしている真っ最中だった。

 まあ、あの2人が本気で不意打ちを仕掛けると、そりゃこうなるよな。

 ただ暴力で蹂躙するだけなら簡単だというのは、どうやら本当のようだった。


「よーうおつかれさん。なにか問題は?」

「ないよー。ちゃんと誰も殺してないし」

「新情報は?」

「な、ないです。聞いてたとおり、それぞれに1人だけ護衛の同行が許可されていると」

「数は?」

「20。少なくとも半分は戦える護衛だから気をつけてねー」

「上出来だ」

「あとはい、おたのしみ袋」

 必要な道具セットを受け取ったヨランダが、ざっと内容を確認する。

「傘は2本だけ? こっちは6人いるんだぞ?」

「そりゃ『ダメになってもいい傘』とかそうそうないって。こう、縦に並ぶとかしてがんばって」

「……まあ死にはしないけどさあ」


 このまま2人には、地下への入り口の番人になってもらう予定だ。

 やはり退路は大事。

 最悪、大人数相手でもどうにかなるこの2人がベストだろうとなった。


「あのさグリゼルダ。リリカと一緒だけど本当に大丈夫?」

 こそっとグリゼルダに耳打ちする。

「え? な、なにがですか?」

「いやほら、あの大聖堂のことろで2体ほど影分身アレがぐちゃっと潰されてたから」

 いってみればグリゼルダ、1発殴られたままなんだよな。

「……ああ、それ、大丈夫です。死なないかぎり、ボクたちは無限なんで」


 なにをいってるかはさっぱりだったが、怨みとか我慢とかはないようなので良しとした。


「ようし、じゃあ行こうか。ここからはムダ口はなしだ」

 薄笑いを引っ込めたミゲルを先頭に地下への階段を下りる。


 隠れ家というだけあって、その入り口は結構ガチで隠された場所にある。

 旧市街の大通りから外れた裏道の片隅にある、看板もなにもない単なる空き店舗と思しきボロ屋の扉を開けると、いきなりどどんと地下へ続く階段が口を開けている。

 こんなの、知ってなきゃ見つけようがない。

 じゃあなぜ知っているかというと、情報提供――密告があったからだ。


 新しかろうが古かろうが、己にとって利となる方を選ぶのは当然だ。

 なので、旧王家姉さま業界最大手A&Jの参入によって、ちらほらとこちらにつくやつも出て来たそうで、そこからの情報提供が今回のカチ込みに繋がったらしい。


 ちなみに、この隠れ家の所有者は会合の主催者でもあるらしいので、めちゃくちゃにぶっ壊しても問題ないというかむしろやれ的な説明をあらかじめ受けていた。


 早速ミゲルがそれを実践する。


 階段の終点、室内へと続く扉を派手に蹴破った。

 いくら上背があり体格もいいミゲルとはいえ、ただ無造作に押し込むだけのやくざキックひとつでがっしりとした木製の扉が吹き飛ぶのはおかしい。

 なので、きっとなにかを『やって』いる。

 そう思い眼を凝らすと、わずかだがミゲルの蹴り足にわだかまる闇の残滓が見えた。

「行きましょう、アマリリス様」

 ヨランダに促され、室内へと踏み込んだ。


 そこそこの広さの部屋に並べられた、2つの大きな丸テーブルを囲むようにして着席しているガラの悪そうなおっさんや兄ちゃんたち。その数ちょうど10。それぞれ背後の壁際にガタイの良い護衛っぽい連中が立っていて、それもきっちり10。聞いていた通り合計で20ジャストだ。


 最も入り口近くの席に座っていた兄ちゃんが慌てて立ち上がったところでミゲルに腹を蹴られた。さっきの扉と同じく、成人男性があり得ない勢いで吹き飛ぶ。2、3メートルほど滑空してから受け身もなにもなく墜落、それでも勢いは死なずにごろごろ転がり続け、壁にドンとぶつかりようやく止まった。

 壁際の護衛は近場の3名が、マナナとノエミが持つ鉄の棒? のような物で素早く殴打され動かなくなっていた。

 仕事が速い。前職のキャリアが遺憾なく発揮されている。


 そうして空いた椅子へミゲルがどかっと腰かけて、



「悪い、遅くなった」



 無音。場に居る誰もが無言かつ不動。喋れないし動けない。

 やっぱりミゲル、こういった場の雰囲気を呑む立ち振る舞いが抜群に上手い。


「……あ、ああ!? 手前ェなに吹いて」

 椅子を蹴飛ばし立ち上がった右隣のいかついおっさんに向けて、ミゲルが人差し指を向ける。

 そうして、伸ばしたままだった指をくいと曲げ、


「ドン」


 いうと同時に、おっさんの頬から矢じりが生えた。

 クロスボウのボルト――短い矢が、おっさんの頬を左から右へ貫通していた。

 声にならない悲鳴をあげる男の首根っこをターナさんが引っつかみ、ヨランダの方へと蹴り飛ばす。

 そうして空いた席にどかっと着席した。


「――ッ!」


 その姿を見た幾人かが、ひゅっと息を呑んだ。

 シュートされたおっさんには無反応だったのに、この露骨な反応。

 ……どうやらターナさん、中々の有名人なようだ。


「おい左のお前。邪魔だ、どけ」

 す、とミゲルが人差し指を向ければ、左隣のスキンヘッド男は慌てて席を立ち、そのままおれの方――つまりはその背後にある出口へと向け駆け出した。

 が、ノエミに足を払われ、倒れ込んだ頭部に向けて振りぬかれたマナナのサッカーボールキックにぐちゃっとされ動かなくなった。


「帰れとはいってねえだろアホタレ」


 ずるずると雑にスキンヘッド男を引きずり片付けるノエミが、ちょいちょいと空いた椅子を示す。


 ……やっぱり、おれも座らなきゃダメなの?


 ここでぐだってもしょうがないと思い、一息にえいやっと座る。

 テーブルクロスで見えないとはいえ、微妙に爪先立ちなのは格好がつかないので、どかっと胡坐をかく。


 それを確認したミゲルが、大げさな手振りを交えながらペラ回しを始めた。


「まあ見ての通りだ。お前らは失敗した。情報は筒抜けで、始まる前から裏切り者のひとり勝ち。あんまりだよな。だから今こうして話してる。当然だよな、お前らが大人しく席に着いてる内は会話ができる。そんなに難しい話じゃない、思い出せ、ここはそういう場なんだろ? なあマルカントニオ?」


 ミゲルに話しかけられた、おそらくはこの場の代表であろうインテリ風ガラ悪おじさんはすぐには答えず、たっぷりと3秒ほど間を、


「ドン」


 インテリ風ガラ悪おじさん――マルカントニオの左耳が弾け飛んだ。

 後の壁にどごっと突き刺さるボルト。

 あれどうやってるんだ? と思い眼を凝らすと、ミゲルの手から透明のクロスボウが消えるところだった。


「聞こえてねえならいらないよな? お、まだもう一個ついてるな? 邪魔だなその飾り。タイミングは同じだ、下手に動くなよ? 3、2、1」

「そうだ。その通りだ。ここは、会話をする場、だ」

「ならまずは自己紹介だな。何人かは知ってるだろうが初めまして。A&J大陸総合商社代表兼警備部長のミゲル・ベインだ」


 一度そこで切って、言葉を挟める隙間をわざと空ける。

 しかし誰も遮る者はなかった。

 満足そうにひとつ頷き、ミゲルが続ける。


「不幸な事故により急逝したローゼガルド殿の後任より、こちらのターナ殿と共に、この旧市街の治安維持業務を委託された。いってみればお前たちの新しい上司だ。初顔合わせがこんなかたちになって、とても残念だ。心からそう思う」


 そうして、ひとつ息を吸ってから吐き出された言葉は、静かで、冷たかった。


「最後のチャンスだ。これ以上やる気がねえなら、今すぐ椅子から下りて地べたに座れ。3、2、1、そこまで」


 3人、椅子から下りた。

 身の安全を保障するなんて一言もいってないのに、勢いに圧されて勝手に下りた。

 うん、こりゃ悪党の手口だわ。



 とそこで、もぞりと蠢いた。



 実際に誰かが動いたわけではない。

 ただここまで案山子のように壁際で突っ立っていた護衛の皆さんが、周囲の闇を寄り集め、なんらかの下準備を開始したのがわかった。


 きっと、そろそろだ。


 通常なら、マナナとノエミにこっそり渡しておいた透明クロスボウで動く端から撃ち抜いていくんだろうけど……今回はおれの発表会だと最初から決まっている。


 だから、そろそろだ。


 指輪の感触を確かめる。

 他の指では大きすぎて、かろうじて親指にはめている銀の指輪。

 イグナシオの置き土産。

 誰でも簡単に『現実改変系最終奥義的なやつ』ができる超アイテム。


 予想通り、夜間のおれなら闇をじゃんじゃか注ぎ込んで問題なく『起動』できた反則級の玩具。


 何時いつかの何所どこかの何かを『再現』することで現実を塗り替え、そこで起きる現象を問答無用で強制するという、まさにやった者勝ちのクソみたいな所業。


 その開始の切欠はミゲルに任せた。

 元ネタ的にも現実的にも、それが一番ムダがなくスムーズだったからだ。


 すうと。

 音もなく。

 壁際の護衛たちの前に、半透明の板――いやあれは盾か――が現れた。

 きっと飛来するボルトを弾くであろう、真っ当な対抗策。

 そうした上で数で押せばまず勝てるであろう、ちゃんとした打開策。

 


 護衛のひとりが叫ぶより速く。

 ミゲルが椅子の上で立ち上がった。

 右手に構えたもう隠すつもりのない武器クロスボウを全員へと向けつつ。

 叫ぶ。






 問題なのは、なにを『再現』するのか。

 これといって明確な記憶のないおれは、とくに悩むことなく、これまでのやり方を踏襲することにした。


 映画だ。


 どうしてか、こういったおれのパーソナルに無関係っぽい記憶だけは妙に鮮明だった。

 さらに、かつてピラミッドさんがいった「心震わす言の葉」「力ある言の葉」というワードの条件はなるべく満たした方が上手く行くのでは? と思い、ならばこれしかないだろうとなった。


 サンプルは、候補は、それこそ山のようにある。

 だが実際にやろうとした際、大きな問題が立ち塞がった。


 そもそもの前提として、かつてのおれは日本語しか話せなかった。なんか今は普通にこっちの言葉で会話できてるけど、それはこの件には関係ないので置いておく。

 とにかくおれは、英語がネイティブでもなんでもなかった。学校教育ですら平均ちょい下の成績だったと思う。


 だから基本、翻訳される前の外画の台詞なんて覚えてないし、当然、覚えていないものは再現なんてできやしない。


 一応、地上波で何度も観た日本語吹き替え版の超名作でトライなどもしてみたがダメだった。

 どうやらおれは字幕版で見るのが基本だったようで、再現というからには『そう』じゃないとダメだろうという謎バイアスがかかっているらしかった。


 じゃあ邦画ならいやけど大体人が死んでるシーンか家族団らんばっかじゃんどうすんだよこれ都合よく拘束とか緊縛系Vシネかいやそれ違うだろ。



 そうして進退窮まりそうになったおれの活路は、思わぬ方向にあった。

 サントラだ。



 とある映画を観たかつてのおれは、そのオープニングテーマのあまりの格好良さに衝撃を受け、ほぼ衝動的にサントラ――サウンドトラックCDを購入した。


 その1曲目、くっそ格好良いオープニングテーマ。往年の名曲。それ以降もあちこちでさんざん使われまくったイントロが特徴的なナンバーの冒頭は、劇中の登場人物たちの台詞から始まる。


 再生ボタンを押すと、かすかに聞こえる周囲の雑踏の中、男女が互いにアイラブユーと囁き合うシーンが開始される。


 劇中の音源でオープニングテーマまでの10秒ちょいがそのまま収録されていて、本編と同じ台詞の切り方、曲の入り方でオープニングテーマが始まるのだ。


 最低でも、1000回以上は聞いたと思う。

 さすがに、1000回以上も聞けば嫌でも覚える。

 10秒ちょいのやり取りぐらい、いくらおれでもそのまま丸暗記できる。できていた。


 冒頭、男女の2人組みが、日本でいうファミレス的な安いレストランで強盗をするシーン。

 脅された客たちは、無抵抗のまま場面。


 それは、男の方が周囲に武器を向けながら椅子の上で立ち上がり、叫ぶところから始まる。






 ミゲルが椅子の上で立ち上がる。

 指輪を起動ドライブへと入れる。

 ぴし、と空間に亀裂が走る。

 ミゲルが周囲へ武器を向けたまま叫ぶ。本気でやらなければ『成立』しないともうわかっているので、妙な照れや遊びはない。意味はわからないだろうが呪文の一種だと説明し、大まかな意図を理解してもらった上で、きちんと教えた通りのイントネーションで音を再現してもらう。


 ――始まる。


エビヴァディビコールズアロッブリィ!everybody be cool, this is a robbery!


 元ネタと声もタイプも全然違うが、それでも『再現』は開始される。

 きっと参照されているのは、おれの頭の中。

 周囲の空間にヒビが入り、無機質な地下室とはなにもかもが違う、なんだか微妙に硬そうなソファ席――薄桃色したボックス席がいくつも連なるどこかの店内が、ちらりとその顔を覗かせる。


 よし。

 行け。

 照れるな。ビビるな。全力でやれ。死力を尽くせ。見せつけろ。こいつに刃向かってはダメだと一発でわからせろ! なんでそんなキレてるの? って引かれるレベルで喚き散らせ!


 上背のないおれは目立つ為にテーブルの上へと上がる。

 途中でノエミに渡された武器クロスボウを片手に威嚇しながら、死ぬ気で声を張り上げる。



Any of youエニ゛ィオブディユウ fucking pricks moveファッキンピッチム゛ゥブ!」



 割れて崩れて落ちて塗り代わる。

 嘘が本当を殴り倒し馬乗りになって、そのまま当然みたいな顔して居座り始める。

 時代も場所もお構いなしに、どこかで見たアメリカンなダイナーが地下室いっぱいに広がり満ちて、元よりあった地下室現実を押し込め縮め塗り込み潰す。



and I'll execute アナ゛ーラクシャキュevery motherfuckingヴリィェヴマザァファッキン last one of ya!ラ゛ストワナビヤッ



 本来なら『ドゥン』とギターが入りオープニングテーマが始まるところで固まった。

 完全に塗り潰しが終わり、ここはもう『そう』なっていた。


 夜の地下室だった筈のそこは、さも当然のように日の光に照らされていた。

 通りに面する側が一面ガラス張りとなっている、どこか日本のファミレスっぽい雰囲気の、なぜか安っぽさに妙な味があるアメリカンなレストラン。全体的に明るめの配色。薄桃色のソファ席に黒のテーブル。まだ日は高くないのでガラスのブラインドは全て開けられており、側の道路を走る車や背の高い街路樹がよく見える。なんなら向こうにガソリンスタンドらしき建物すらある。つまり外には、普通に現代の町並みが広がっているのである。


 こんなの、おれ以外の者からすれば意味不明の光景だろう。

 しかし、驚きや戸惑いの声はない。

 なぜなら、おれとミゲル以外は全員、薄桃色のソファ席に着席して黒いテーブルに伏せているからだ。店内にずらりと並ぶ各ボックス席にそれぞれ4人ずつ押し込められた彼らは皆一様に伏せるばかりで動かない。動けない。


 これは再現だ。

 このシーンにおいて、男女2人の強盗に制圧されたこの場で動ける者はいない。声を出すような命知らずもいない。動けないし喋れない。

 そういう場面だから、もうどうしようもなく、だただた『そうなるのみ』なのだ。


 ……自分でやっておいてなんだが、本当これ、される側からすればクソの一言に尽きる。


「ほら、始めるよ」


 最も近くのボックス席で向かい合って『動けなく』なっていた4人――ヨランダ、ノエミ、マナナ、ターナさんの肩を軽く叩く。

 おれが許可して触れた者はこの空間内で動けるようになる。

 事前の実験で判明している『これ』の仕様のひとつだ。


「ヨランダ、準備を」

「はい」


 すでに何回か『これ』を体験しているターナさんとヨランダは落ち着いたものだが、初体験であるノエミとマナナはめちゃくちゃ挙動不審になっていた。


 それでも決して声に出さないのは、あらかじめそう言い聞かせておいたからだ。


 本来のターゲットであるやくざ者の皆さんやその護衛たちは今、身動きこそ取れないものの、ちゃんと目は見えているし耳も聞こえている。テーブルに両手をついて伏せている状態なので視界の方はないも同然だが、その分、死ぬ気で耳を澄ませていることだろう。


 だからそこに余計な情報は入れない。

 なぜかこっちの身内までびっくりしているような間抜けは晒さない。



「――残念だ。本当に、残念だ」



 椅子から下りたミゲルが溜息混じりに語りながら、各ボックス席の前をゆっくりと歩く。


「もしかしたら友達ダチになれるんじゃないかって、心のどっかで、ほんのちょびっとだけ思ってた。だからわざわざ席についた。ナメ腐った態度のマルカントニオの脳天をぶち抜くのも我慢した。その結果が、護衛どもの突撃だ。ちっとも笑えやしねえ。ただただ残念だ」


 いやお前ハナからやる気満々でここに来てたじゃん。


「だからこれはお前らの選択チョイスだ。どこにでもある、ムカつく上司と部下って関係を拒絶したお前らの望んだ、クソみてえなオチだ」


 そういいながらもミゲルが「寝てんじゃねえよ」と3人のやくざ者の肩を叩いた。

 椅子から下りて地べたに座った、あの3人だ。

 弾かれるように起き上がった3人は慌てて辺りを見渡し、それはもう取り乱した。

 そう、場を制圧した内のひとりであるミゲルにも、おれと同じことができるのだ。


「喚くんじゃねえ。これ以上俺をイラつかせるな。いいから、今からあいつらがすることをよく見てろ」


 マナナがテーブルに伏せている護衛の髪を掴み、強引に引き起こす。

 いきなり飛び込んで来た意味不明の光景に目を白黒させる護衛の髪を更に引き、ノドと口が垂直になるよう固定する。

 そこにノエミが漏斗じょうごを差し込む。なぜか娼館に常備されていた漏斗じょうごを開かれた口へと雑に突っ込み、そこへヨランダがティーポットを傾け黒い水をじゃぶじゃぶ流し込む。抵抗などできる筈もなく全てそのまま胃へと直行する黒い水。

 目だけを彷徨わせた護衛がこちらを見たので、にっこりと笑っておいた。


 そうして1人分の作業は終了。


 ノエミが漏斗じょうごを引っこ抜きマナナが手を離す。バン! とゴム仕掛けの玩具みたいな勢いで再びテーブルへと張り付く護衛。


 暴れたり叫んだりといった抵抗は一切できない。


 なぜなら、そんなことをした客は『いなかった』から。

 再現の元となった劇中では、この場に居合わせた客はただの被害者だ。

 これは、そんな彼らが勇気を振り絞って強盗を退治するような作品ではない。

 だから決して、なにかが起きるようなことはない。


「見ての通りだ。同じ物がもうワンセットある。それを使って今やったのと同じようにして、そこで寝てるアホどもにティーポットの中身を飲ませてやるんだ」

「え? あ、いや、でも」

「腹くくれよ。あの時椅子から下りた時点でもう、連中からすればお前ら3人は裏切り者だ。なにをどう繕ったところで言い訳にもなりゃしねえ。違うか?」

「……そうだな。わかった」

「物分りが良いやつは嫌いじゃないぜ。お前らは手前側から順番に。残りはこっちでやる」


 うーん、見事なまでにやくざしてる。

 ちゃんとマナナたちには護衛だけをやらせて、この3人には椅子に座っていた他の面子をやらせるのが最高にタチが悪い。


「あの、こいつ、蹴られて気絶したままなんだが」

「作業の手は止めるな。寝てても起きてても結局は動けねえんだ。どっちでも一緒だ。構わず流し込め」


 うっすらと日が差し込む明るい店内で、まるで流れ作業のように次々と、人相の悪いおっさんや兄ちゃんが雑に漏斗じょうごを突っ込まれ流し込まれびたーんとテーブルに叩きつけられるのを繰り返す。

 流し込まれている真っ最中のどこか怯えたような瞳をひとつひとつ確認しながら、ミゲルは最高にむかつくスマイルと共に語りかける。


「今お前らが飲まされてる黒いソレ、気になるか? けど実はお前たちはそれが『どういった働きをする』のか、既に知っている筈なんだぜ? 頭の中で繋がってないだけなんだ。知らないワケがねえんだよ。旧市街ここを支配してた4大組織の頭がどうなったか、知ってるからお前らは今夜ここに集まった。そうだよな、マルカントニオ?」


 今まさに椅子から下りた3人組み裏切り者の手によってざぶざぶ流し込まれている真っ最中のマルカントニオが、殺意を込めた眼差しをミゲルへと向ける。

 期待通りの反応だったのか、満足気にへらへら笑うミゲルがマルカントニオに差し込まれている漏斗じょうご――正確にはそこを流れる黒い水を指差した。


「もう気づいたよな? そう、それが原因なんだ。4大組織の頭がぼんって弾け飛んだのは、今お前らが飲んでる『それ』と同じもんをローゼガルド殿に飲まされたからなんだとさ。意味わかんねえよな? 大丈夫、すぐわかる」


 この説明は重要だ。

 自分たちがなにを飲まされどうなっているのか理解して初めて行動を縛れる。


「どうした? そんな嫌そうな顔すんなよ。俺の奢りだちゃんと味わえ。数量限定ローゼガルド殿の置き土産ってやつだ。あのおばさんのイカれた研究成果のひとつだ。結構まじで凄ぇ代物なんだぜそれ」


 馬鹿正直にヨランダの名前を出す必要もないので、叔母上の負の遺産に積み立てることにした。


「そうだな。お前らには難しい話なんて理解できねえだろうから、まあ簡単にいっちまうと……その黒い水の中には、目に見えないぐらいちっこいローゼガルド殿がいると思え。そいつは常にお前らを見張ってて『条件』に違反したのを確認するとぼんっ! て弾け飛ぶ。すると当然お前らは即死する。昨夜ゆうべの4人みたいにな」


 そこでミゲルが『もう流し込み終わった』やつの肩を叩き、

「1コだけ質問を許す。いってみろ」

 動くことは許可されなかったのか、顔はテーブルに伏せたまま声だけで、

「……条件って、何だ? オレは、死ぬのか?」


 あ、こいつさらっと2つ聞いた。


「よし、まずはどうでもいい方から答えよう。2コ聞いてくる図々しい阿呆の生き死になんざ、たった今どうでもよくなった。条件の方は――俺とターナ殿からそれぞれひとつずつ、決めておいた」


 たっぷり5秒ほど間を空けてからターナさんが、


「こっちはいつも通りだ。私の店に手を出す奴は、絶対に許さない」


 ミゲルは最初だけおどけたような軽い調子で、


「俺の方は秘密。だってお前ら、教えたらどうにか回避しようと必死になるだろ? なに、まじめにちゃんとやってる分には大丈夫さ。ローゼガルド殿ほど無茶をいうつもりもない。ただし、これ以上ナメ腐った真似するならそん時ァ弾けて死ね」


 しかし最後はただただ真顔で淡々と。


 うーん、こんなやり方じゃ、いつか絶対に反乱が起きるよな。

 やっぱこれって、2、3週間程度の時間を稼ぐだけにしか使えない、微妙なやり方だよなあ。


「ミゲルさま。全員終わりました」

 マナナの報告を受け、ちらりとおれの方を見るミゲル。

 おっけーおっけーわかってる。


「よし、ならあとは実践だ。お前ら起きていいぞ。ただしケツはシートの上、お行儀良く座ったままだ」


 ミゲルの合図にキンと指輪を鳴らす。

 これは持ち主のおれにしかできない『一斉許可』だ。


 そうして上半身だけ自由を取り戻した皆さんは、まあ大体テンプレなリアクションを一通りやってからちらちらとおれを見た。

 ミゲルによる第2幕の間、とくにやることのなかったおれは、ボックス席を一望できるカウンター席で胡坐をかき、ソファと同色の安っぽいテカテカ薄ピンクの背もたれに身を預け「あ、この椅子360度回転するんだ」と原作では映らなかった細部の補完具合にちょっとテンションが上がったりしてた。


 そんなおれにめっちゃ注目が集まる。

 だがここで言葉を発するつもりはない。

 どうも、この3人の中で『未知の恐怖』担当のアマリリスです。

 とかいっちゃうと台無しだもんな。

 隣で片膝立てて貫禄たっぷりに座ってるターナさんを見習って、気持ちふんぞり返っておく。


「よしお前はこっちだ! オラさっさと動け! そうだその椅子に座れ!」


 ミゲルが目的の男をボックス席から引きずり出し、強引にカウンター席へ座らせる。

 ちなみにこれも『再現』の範疇だ。

 元ネタでは厨房のコックや端の席にいた客たちが強盗2人に脅され、見える場所へと移動させられるシーンがある。

 その際、逆らったり反撃したりといった展開はない。

 なので

 どれだけやる気と能力があっても、ただただ


「ヘイお前ら! こっちに注目だ! これから実際にやるからよく見とけ」


 1番端におれ、その隣にターナさん、そこから5つ空いたカウンター席に座らされた男の椅子がくるりと回され、各ボックス席からその顔がよく見えるよう場が整えられる。


「つーワケでだマルカントニオ。お前には答えを出してもらう。大丈夫、お前みたいな馬鹿でもすぐわかる極々シンプルな2択だ」


 いってミゲルが、マルカントニオの隣のカウンター席をぐるんと回し腰かける。


「まずはひとつ。さっき飲まされた黒い水がどうたらなんて話は全部嘘っぱちのデタラメだって『つっぱる』選択チョイス。リーダーとしての意地を見せるならこっちだな」


 そこでミゲルはがしっと馴れ馴れしくその肩を抱き、


「そしてもうひとつ。大人しく『ごめんなさい』して命乞いする選択チョイス。まあ無理だろうが、ここでこいつを選べるなら俺はお前を見直す。……よし喋っていいぞ。選んで答えろリーダー。皆が見てるぜ」


 そうしてミゲルが席を立ち1歩下がった。しかしそのまま10秒が経過しても、発言を許可されたマルカントニオは黙ったままなにもいわなかった。


 これはおれでもわかる。

 考え得る限り、最悪の選択チョイスだ。


「おいおいおいおいヘイヘイヘイヘイ! なんだよそれお前がビビっちゃダメだろ!? お前はもう行動したんだ。やった後なんだ。やる前に呆気なく失敗した間抜けだけど、それでも、もう時間は戻らねえんだ。後戻りなんて出来やしねえんだ。だからお前はせめてこう言うんだ『は? 馬鹿じゃねえの? ちっこいローゼガルド入りの黒い水爆弾だ? ナメてんじゃねえぞ、そんな見え透いたハッタリで俺様が芋引くワケねえだろ!』ってな」


 まあ正直なところ、このままダンマリでも構わないのだとは思う。

 先頭に立って音頭を取った旗手たる彼が黙って下を向いた時点でもうお終いだ。

 きっと、そんな腰抜けには誰もついて来ない。


「具体的な啖呵の内容としてはそうだな、ターナ殿の店に被害を出してやるって宣言なんか言い訳の余地がなくていいんじゃねえかな?」


 沈黙。


「おいおいなんて顔してんだよマルカントニオ。言動や状況を把握して手前ェでアウトかセーフを判断する極小の爆弾とか、んなもんあるワケねえだろうが? いくら魔女殿だからって、できることとできないことがある。常識的に考えろ、わかるだろ? なあマルカントニオ!?」


 沈黙。


「オウケイわかった。お前は俺が思うよりずっとお利口さんだった。そうだよなマルコ坊や。怖いよな。なんでお前みたいな腰抜けがこんな大それた事をおっ始めようとしたのか、ようやくわかったよ。場のノリってあるもんな? ついつい自分は大したやつだってカン違いしちゃう瞬間ってあるもんな? お前はそれがたまたま今夜だった。もういいよマルコ坊や。小便は漏らさなくていい。泣きながら腹を見せる犬を殴るほど俺は悪趣味じゃねえ。お前にはお前にできる範囲の仕事を割り振るよ。ほどほどによろし」


「――ごちゃごちゃうるせえ! ナメてんじゃねえぞ糞ったれがァ!」


 そこでマルカントニオが吠えた。

 まさにやくざ者といわんばかりのドスのきいた大声だったが、

「いやもういいよマルコ。即答できなかった時点でもう終わってる。やくざ者としてのお前はもうダメだ。だからもういい。なにも本当に死ぬこたァねえ」

 対するミゲルの声は冷め切っていた。

「死ぬのは手前ェだミゲル! いいか! どんな手を使ってでも絶対に殺る! ここまでオレをキレさせて」

「本当にキレた奴は言葉なんざ選ばねえんだよマルコ。ちゃんと娼館には触れず俺に的を絞る時点でお前は冷静だ。しっかり生き延びようとしてる。下手くそだけどな」

「上等だ。そんなに言って欲しけりゃ言ってやる」

「だから遅せぇよ馬鹿。無駄なことすんなって。負け方も知らねえのな、お前は」

「ごちゃごちゃうるせえっつってんだろミゲル! 手前とA&Jは一人残らず徹底的にぶっ殺す! そしたら次は娼館とそこの萎びた売女だ! カビの生えた古臭い支配の象徴――」


 ばっと、ヨランダが割り込んだ。

 ターナさんごしにチラ見えするマルカントニオを遮るように、素早くヨランダが視界を切った。そうして、どこか見覚えのある骨組みに張り付いた黒い布地が展開された。

 一瞬遅れて理解する。


 あこれ、開いた傘の内側だ。


 ヨランダではカバーし切れない隙間を埋めるノエミも、同じく開いた傘を手にしている。

 そうして2人は傘を開き盾のようにして防いでくれた。


 なにを?


 派手に飛び散るあれやこれやを。

 水っぽい破裂音と共に飛び散ったであろう決して浴びたくはないそれらを、2人がばっちりと防いでくれていた。


 す、と傘が上げられ視界が通る。


 カウンターテーブルの上は、それはもう酷いことになっていた。

 爆心地から放射線状に飛び散った『あれやこれや』は少し離れたボックス席にまで届いており、そこに座る皆さんの顔や服にへばりついたり染みをつくったり、それはもうとてもとても酷いことになっていた。


 腰から下だけになったマルカントニオがどちゃりと椅子から滑り落ちる。


 ミゲルとマナナは自力でカウンターの角へ退避し難を逃れていた。

 ……あの距離を一瞬でとか、君ら中々のフィジカルお化けね。



「――アマリリスさま。護衛が1人消えた。動けないから逃げたんじゃない。あのおっさんが弾け飛んだら、消えた」



 普段とは違う鋭く尖ったノエミの声が、ただ事実だけを伝えた。

 おかげでおれも余計なことは考えず、ただそれのみに取りかかれた。


「どこにいたどんなやつが消えたの?」

「1番奥の右端、何の抵抗もせず大人しかった眼鏡の中年」


 まず思い浮かんだのは、術者が死ねば術も消えるよねという当然の話。

 そしておれは知っている。グリゼルダという無数の影分身を出せる存在を。


 嫌な予感が線となり、そんなことしなくていいのに、勝手に繋がり始める。


 おれができて、グリゼルダにもできた。だからたぶん影分身これは、この世界においてオンリーワンな技能ではない。もしかしたらワリとメジャーな可能性すらある。


「分身って、結構できるやついたりする?」

「うーん、なくはないかも?」


 だから。

 だからもし仮に、マルカントニオが『分身を出せた』のだとしたら。

 おれのようにステルスでもなく、グリゼルダのように無数でもないが、それでも自分と同じようなものを出せたとするなら。


 没個性とも取れるガラ悪黒ずくめファッションのせいで、護衛もその対象も遠目には服装に違いなんてさほどない。もし顔が同じだったとしても、髪型を崩して眼鏡でもかければ、きっと初見のおっさんの顔なんてわからない。


「ね、アマリリスさま。もしかして、もう1人いる?」


 事前に聞いていた室内の人数は護衛10人、参加者10人の計20人。

 おれたちが室内に踏み込んだ時点でマルカントニオの『分身』込みでジャスト20だったとするなら……残りの1はどこへ行ったのか?


 連中はおれたちが踏み込んで来ることなんて知らなかった。

 だからこれは、事前に隠し玉を用意しておいたとかそういった話ではない。

 おそらくは、ただ中座していただけ。

 それならしょうがない、さっさと行ってこいと、ただそれだけの話。


 だからこそ、どうしようもないぐらいにまずい。


「だとしても、もう機会逃しちゃってますよ。何かするならリーダーのおっさんが弾け飛ぶ前にやらなきゃ遅いし。それにたしか『これ』が始まった時に部屋にいなかったヤツって、後から入って来れないんですよね?」


 そう、普通に考えるならヨランダのいう通りだ。

 事前に行った実験では『再現』の最中は内外の出入りは不可能だった。



 ただ、この『再現』には元ネタがある。



 護衛の1人が、これからの趨勢を決めるであろう重要な場で一時退出する理由なんて、きっと『あれ』しかないと思う。

 マルカントニオは咄嗟に自分の特技で穴を埋めて、たまたま席を外していた護衛を『死角からの一撃』に仕立て上げようとした。

 だからその『死角からの一撃』が戻って来るまでどうにか時間を稼ごうとしたが……我慢できずにああなった。

 肝心の『死角からの一撃』はきっといまだかつてないほどに大苦戦していたのだろう。とんでもない長丁場だ、その苦労は察するに余りある。だがそれもいつか必ず終わる。そうなると当然、



「あ、あああああっ!! ボ、ボスがっ! ボスがハジけて、し、し死、嘘だ畜生くそくそくそ手前ぇら! テメーらああああ!!!!」



 こうして戻って来る。


 通常なら外からは入れない筈のこの場に『元ネタのストーリー通り』だからという理由で普通に入室できたであろうこいつが。


 きっと急な腹痛かなにかで『トイレに篭っていたやくざの荒事担当』が。

 この場に現れてしまう。

 

「あー、おたく、どちらさん?」

「そこでおっ死んでるマルカントニオの子分だよう! こ、ここれからてめーらをぶっ殺すこのアルミロの名前を、刻んで、しし死」

「いや、あの下半身だけ見てなんでマルカントニオだってわかるんだよ? 別のやつかもしれねーだろ?」

「オレがボスの下半身を見間違えるワケねえだろうがっっ!! ナメてんのか手前ェ!?」


 まずい。これ、本気でまずい気がする。


 この『再現』には元ネタがある。


 それは場面ごとに主人公が変わるオムニバス構成の作品で、冒頭で男女の強盗カップル以外にも幾人かの主要人物が登場する。

 その中でも主役級といっても過言ではない『こと強盗が起きた時、たまたまトイレでクソをしていたやくざの荒事担当』との男がこの場に登場してしまうと……これ、どうなるんだ? 少なくとも今あいつは自由に動けている。被害者である一般客以外がこの存在している。


 状況が、場面シーンが動いてしまっている。


「オレがどんだけボスの下半身に尽くしてきたと思ってやがる! 親の顔より見てきたってんだよ畜生がああああ!!!」

「落ち着けアルミロ。お前は今、いわなくていいことをいってる」


 そもそもおれは、一場面だけを切り取って『再現』することしか考えてなかった。

 場面シーンを進めるつもりなんて微塵もなかった。だから間違っても、原作で強盗たちがやった次の行動――連中から財布を、なにか持ち物を没収するような真似は決してしないようあらかじめ全員に厳命しておいた。


 注意やお願いではなく、絶対にしないように、厳命しておいた。


 なぜなら、元ネタにおいて、男女2人組みによるレストラン強盗は失敗するからだ。

 最終的に命は助かり金もゲットできるのだが、強盗計画そのものはワリとあっさり逆転されて破綻する。


 そう、のだ。


 2人の衝動的な強盗は、偶然客として遅めの朝飯を食いに来ていた『やくざの荒事担当』コンビによって台無しにされる。

 ひとりはアフロヘアのナイスガイ。

 そしてもうひとりは『強盗が起きた時、トイレでクソをしていた』その相棒。


 幸いこの場にアフロヘアの男はいない。

 だがこれが『再現』だというのなら。

 おれの意図など関係なく、ただ条件を満たす存在さえいれば『成立』してしまうという、全く嬉しくない柔軟性を備えた場だというのなら。


 物語的に『勝利が約束されている側』が登場してしまえば、果たしてどうなるのか。


「ヘイ! アルミロ! 落ち着いて周りを見てみろ。何か変だと気づかないか?」

「あ? 変わってるけどイカした店だな――じゃねえっ!! ンなことァどうでもいいんだよ! ボスをやったのは手前ェか!? ああ!?」


 いつの間にかアルミロの両手には大振りなナタのような刃物が握られていた。


「いや。どっちかっていうと自殺だなありゃ」

「なんでボスが! 今夜ここで! 自殺するんだよ!? おかしいだろデタラメいってんじゃねェ!」

「ならそこで座ってるお友達に」

「うるせえクソったれが死にやがれえええええ!!!」


 殺意むき出しで突っ込んでくるアルミロに向けて、ミゲルはただ静かにすいと指を引いた。

 額のど真ん中。同時に両膝。1、2、3ではなく、1で同時に全箇所をボルトが射抜いた。

 どう考えても即死で、さらに膝に矢を受けた衝撃ですっ転んで、それでお終い。

 誰が見てもそれ以外の結末なんてあり得ない、理解不能の一射三矢が決まった。

 なのにアルミロは止まらない。

 額と両膝、3箇所からボルトの羽を生やし「ぶった斬れろやあああああああ!!!」と叫びながら両手のナタをミゲルへと叩きつける。

 びいん、と弦が弾け飛ぶ。クロスボウを盾にナタを受けたミゲルが押し込まれる。片手と両手。競り合いすら発生しない。ただ押されるのみ。だが空いた片手には新たなボルトが握られており、押されつつもその先端をアルミロのノドに突き刺した。

 なのにアルミロは止まらない。

 そのまま押し倒され背中から床に叩きつけられる。マウントポジションを取られたミゲルの首筋にナタの刃が入ろうかというその時、アルミロのノドに刺さったままだったボルトが『射出』された。ボルトの矢じりがアルミロのうなじから飛び出し突き抜け天井にどこっと刺さる。……どう考えても致命傷だ。

 なのにアルミロは止まらない。

 一瞬だけ脱力したようにも見えたが、またすぐやる気満々になって――。


 いやこれ、さすがにおかしいだろ。

 なんで生きてるんだよ。どうして死なないんだよ。

 あ、とそこで訪れる気づき。


 もしかして、じゃ死なないからか。


 元ネタにおいて、今アルミロがその『役割』を担っているであろうトイレから帰ってきた相棒は、この次の仕事で死ぬ。八百長を拒否したボクサーの手によって呆気なく射殺される。


 つまり、ここでは死なない。

 先で死ぬのが明確に描かれているから、

 そんな意味不明の理屈が、この場では現実としてまかり通っている……のか? いや通っちゃダメだろそんなの。

 というかこれじゃ別作品だろ、永遠に美しくなりそうだなおい。



「アマリリスさま、これ、なんかヘンだよ。もう止めた方がよくない?」



 ノエミの言葉で我に返る。

 そうだ、さっさと『解除』すればいいんだ。


 指輪にはちびちびと少しずつ『闇』を供給し続けている。

 そうすることで現状を維持し続けている。


 ならはいさっさとカットカット!


 よしこれでもう動力エネルギーの追加はなし。現状の維持はできなくなる。

 たぶん今すぐにでもこのアメリカンなダイナーは風景ごとぼろぼろと崩れ落ちて元の地下室へと戻――らなかった。


 供給は断った筈なのに、なんか指輪が力に満ちてた。

 霜降りステーキを満腹まで食べた後のようなギトギトした活力に満ちていた。


 なんでどうしてと焦る視線の先に転がるマルカントニオの下半分。

 あ。

 もしかして。


 元の持ち主だったイグナシオは仲間の命をエネルギーへと変換してた。

 なんか即席で組み上げた陣がどうとかいってた。

 指輪を起動した範囲内で弾け飛んだマルカントニオ。

 なぜか脂っこいものを満腹まで食べた後のようなギトギトした活力に満ちている指輪。


 足して引いて、答えがどん。



 ――これ、死んだ命をオートで喰らう最悪の呪物じゃねーか! いらん機能つけるなよ! 禍々しすぎるだろ!



 衝動的に拳を叩きつけ破壊しかけたが、寸前で思い止まる。

 確信に近い予感があった。

 たぶんこれ、強引に破壊とかしちゃうと、もっと酷いことになる。


 視線の先では、じゃこんじゃこんと3段階に伸びる特殊警棒っぽいなにかを手にしたマナナがフルスイングを決めていた。

 ミゲルに馬乗りになっているアルミロの頭部が、もうどうしようもないぐらいにひしゃげて吹き飛ぶ。つられて身体も引っ張られるように転がる。

 しかしすぐに「痛ェだろうがクソアマがよお」と当然のように立ち上がった。

 いつの間にか、両手に握り締めていたナタのような武器が1つ消えている。

 それはマナナ右腕に、深く食い込んだままぶら下がっていた。


 ダメだ。たぶんこのままじゃ、どうしようもなくなる。


 あのアルミロという男、ちっとも死なない自分に微塵の疑問も抱かず、ただボスの仇を殺すことのみに全力だ。それ以外を見ていない。見るつもりがない。

 きっと、元々まともなやつではないのだろう。

 だが決して馬鹿ではないらしく、段々と自分の不死身を生かした『相討ち戦法』を取りつつある。


「マナナッ!」

 叫ぶと同時にノエミが駆け出す。

 じゃこんじゃこんと3段階に伸びるマナナと同じ武器を手にしたノエミは、躊躇うことなくそれをぶん投げる。首だけで振り向いたアルミロの膝横にぐしゃっと当たる。

「だから痛ェんだって! いってんだろおおおおお!」

 叫んだアルミロの背後から、同じくマナナが投げた特殊警棒もどきが飛来するが、これは首の動きだけでかわされる。アルミロを素通りしたそれをノエミがキャッチして、そのまま振りかぶり殴りかかる――フリをしてもう一度ぶん投げる。さっきと同じ膝横にぐしゃっと当たり、堪らずアルミロは片膝をついた。

「マナナ! やるならわかりやすく! よく見えて痛そうなやつ!」


 一見、ように見えなくもない。

 だが。

 指輪に満ちる力に果ては見えない。これがいつまで続くのか見当もつかない。


 ノエミが押さえ込み、マナナが手にしたナタでアルミロの腕を切断しようと試みるが――なぜかちっとも切れない。よくよく見れば血も出ていない。

 ようやく起き上がったミゲルは鼻や口から血を垂らしている。押し倒された際の揉み合いで武器の一部や頭突き等が当たっていたのだろう。つまりこっちは普通に負傷する。マナナも右腕から血を滴らせている。しかし、4本のボルトが刺さり今なお刃物で斬られている真っ最中のアルミロは血の一滴も流さない。


 そもそも、勝負になっていない。


 そう遠くない内に、確実に、こちらは息切れする。

 疲労も負傷も積み重なり続ける。だが向こうはそうじゃない。


 文字通りアルミロだけが別の舞台にいる。

 現実に起こり得る展開として、こちらの皆殺しが脳裏をよぎった。


 事前に行った実験では『再現』の最中は内外の出入りは不可能だった。

 続く限りは、入れないし、出られない。


 こりゃ出し惜しみしてる場合じゃないと、禁じ手にしたピラミッドさん由来の『崩し』を用いようとして……思わず固まってしまう。


 おれが自身で組み上げた界は、おれにとって気に入らない界とはなり得ない。前提条件が食い合う。これでは『宵の双葉』は発芽できない。

 自分でも半分以上意味不明だったが、それでもできないという事実だけはわかった。


 ならもうおれにできることはひとつしかない。

 事前にミゲルから受けていたアドバイスに従い、表情だけは余裕たっぷりに。

 ゆっくりと肩まで右手を上げ、躊躇いなど一切なく全力で。



 おれは『アロハー』なハンドサインを掲げた。



 え? お前がやるのそれ? つうかこれどうすんの?

 目蓋と鼻と唇から血を流しているミゲルが、そんな表情でこちらを見た。言葉がなくともひしひしと伝わるその思い。めっちゃいたたまれない。

 いやけどさ、致命的なミスが発覚したのに黙ってるのは最悪中の最悪、

 


「つまりは、アレを手前共だけでどうにかしてみせろと。そう仰るか」



 よく通るターナさんの声が響き渡った。

 いやそんな偉そうな話じゃなくて――とつい返しそうになるが寸前で踏み止まる。


 わざわざ響き渡るような声量を出す理由。

 きっとこれは、周りに聞かせる為の台詞。

 つまりターナさんはまだ続けるつもりなのだ。

 おれが『状況は破綻した』と判断したのは百も承知で、それもでまだ続けるつもりなのだ。



「……だとしたら、どうする?」



 よくよく考えるとその方が『お得』だと気づいた。

 どの道やるしかないんだから、もし上手くいった時に『計算通りですけどなにか?』みたいな顔ができる余白を残しておく方が断然『お得』なのだ。



「――やらいでか。魔女の巫女の手管、御覧に入れましょうぞ」

「期待してる」



 んん?

 勢いで乗り切ったが、なんでいきなり魔女の巫女?

 リリカじゃなくてターナさんが?


「け、けどお婆、やるったってどうするんだよ。アレ、毒でいけるか?」

「私がどれだけ『魔女の巫女』やって来たと思ってるんだい。この手の座興に巻き込まれるのは初めてじゃあない」


 やっぱこれターナさんが魔女の巫女って呼ばれるローゼガルドの右腕……なのか?


「え? じゃああの糞ローゼガルドも『これ』できたの?」

「あの性悪は間違いなく天魔の類だった。できないことの方が少なかったさ」


 それじゃあこれまで喋ってきたあれやこれやの意味が色々と変わ――たりはしないかべつに。

 ターナさんはヨランダの家族で婆ちゃんで、姉さまとミゲルと手を組んで娼館を守る決断をして、その仕上げをする為にここへ来た。


 うん、これといってなんも変わらないな。


「ヨランダ。ことの成否はおまえにかかってる。当時15かそこらだったヴィクトリアちゃんにだってできたんだ。おまえなら必ずできる」

「あたしがなにをするんだよ? ヴィクトリアちゃんって誰?」


 いやむしろこれ、凄くいいんじゃないか?

 あのガチな破綻者ローゼガルドの無茶振りを長年生き残ってきた実力者なら、もしかしたら本当にこの状況をどうにかできるかもしれない。


「おまえは自分にできることをすればいい。そしたらもう後は勝ったも同然さ。はしゃぐ坊やの1匹ぐらい、どうとでもなる」


 本人もなんかそれっぽいこといってるし……うん、いける気がしてきた。

 いや、絶対にいける!

 なにせ魔女の巫女だ! いけるわこれ!


「これがなにか、わかるね?」

 ターナさんが手を開くとそこには、黒く長い竹串のようなサイズの針があった。

 一目見ただけで眼にしみる、圧倒的なまでに濃厚な『良くないなにか』が凝縮された、おそらくは殺しの為だけに用いられる呪の塊。

「……黒串。お婆の持つ、最も致死性の高い即死の呪毒」

「今のおまえなら、こいつをどうにかできるな?」

「……わからない」

「即座に否定しないなら、まあ大丈夫さ」


 いってターナさんは無造作に。

 その黒串を自分の首へと突き刺した。


「――は?」


 目と耳と鼻と口からどろりと血が溢れ、糸が切れた操り人形のようにカウンターへと倒れ込んだ。

 そうして血の涙を流した目を開けたまま、ぴくりとも動かなくなる。


 なにが起きているのか、なにをしているのかさっぱりわからなかったが、ド素人のおれでもこれだけははっきりとわかった。

 今ターナさんの全機能が、停止した。



 即死だ。



「あ、あおば、う、ああ゛ああああああああああああああああ!!!」


 意味不明な叫び声を上げながら、ヨランダがティーポットをカウンターへと叩きつける。


「な゛に、なにやってんだよばかあああああああああああああ!!!」


 がちゃんと割れたティーポットをさらにぶん殴り破壊すると、一瞬で濁流じみた圧倒的な水量が溢れ出した。


 視界一杯に広がる黒い水。


 動かなくなったターナさんが濁流にのまれ、そのまま隣に座っていたおれも流される――と思い反射的に目を瞑るも、押し出す衝撃も水の冷たさも、なにも感じない。


 そのまま10秒ほど経ち、おそるおそる目を開けると……全身びしょびしょの筈のおれは、なぜかちっとも濡れていなかった。

 変わらず安っぽいカウンター席の上で胡坐をかいたままだった。


 ぬるりと残滓が頬を滑る。


 疑問は一瞬で理解となる。触れたのでわかる。さっきのあれは闇に属する一群だ。なのでするりと把握できた。


 きっとあれは、単一の機能のみを持たされたものだ。

 水という性質すら余分だと断じられ、ただ特定の呪毒のみを分解する為だけに生み出された、心底からの全霊を振り絞った切なる血反吐。


 どうか、お願い、絶対に。


 どこまでも切実なその思いに、ついつい涙が出そうになったおれは、それ以上の覗き見を止めた。


 そうして周囲を見渡すと、10センチほど浸水した床の上で仰向けに寝かされたターナさんに心臓マッサージっぽいことをしているヨランダの姿があった。


 たしか30と2サイクルだっけ? などと薄ぼんやりした記憶を辿っていると、ぴしと周囲の景色にひびが入った。


 がふ。


 ターナさんの口から黒い水が吐き出されると、ひびは亀裂となり、部屋全体を走り回った。


 なにが起きてると見渡す視界の端に、アルミロとゼロ距離で殴り合いをしているミゲルがいた。

 当然アルミロは傷つかないのでミゲルだけがばちばちにされているのかと思いきや、親指を目に入れるようにして殴り抜けたり、膝蹴りのついでに掴んだ耳を引き裂いたり、当然のように玉をシュートしたりといった残虐ファイトで辛うじて拮抗していた。

 そういやアルミロ、痛みは感じるっぽかったもんな。

 だがそれでも3発に1発はやり返されて、徐々にばちばちになっていくミゲルの限界は近い。


 そんなボスのピンチにマナナとノエミは一体どこでなにを――いた。2人はそれぞれ部屋の両端で、綱引きのように大振りのナタを引っ張っていた。

 なんらかの謎力でアルミロの手へと戻ろうとするナタ。

 それを床から30°ぐらい斜めになって引っ張り阻止する2人。

 なるほど確かに、いくら不死身でも素手になってしまえば、与えられる損傷の規模もペースもがくっと落ちる。最悪の事態に至るまでの時間は引き伸ばされる。


 凄いなプロフェッショナル。最短で最高効率に辿り着いてる。

 数秒ごとにボスがばちばちになっていく事実にさえ目を瞑れば、文句なしの冴えたやり方だ。


 ……いや、違うか。

 ここで矢面に立てるやつだからこそ、ボスたり得るのか。


 そこで亀裂が一斉に弾け、ぼろぼろと崩れ始めた。

 日の差し込む派手な配色のレストランがぼやけてくすみ、経年劣化した安い塗装みたくぼろぼろと剥がれたその裏側から薄暗い地下室が顔を覗かせる。


「お婆! まだ動いちゃ」

「……こりゃ凄いね。ほぼ完璧に無効化されてる」

「どんだけ各部にダメージが」

「許容範囲さ。おまえはよくやった。ならあとは私の仕事だ」


 何事もなかったかのように立ち上がったターナさんが、アルミロの側まで歩を進めた。


 言葉を発したわけでも、派手な動きをしたわけでもない。

 だが当然のように殴り合いは中断され、ミゲルはくるりとアルミロに背を向けた。


「2人とも、よくやった。もう離していいぞ」


 マナナとノエミが同時に、ぱっとナタから手を離す。

 アルミロの手へと吸い込まれるように1対のナタが飛んでゆく。


 あるいは。


 もしここでアルミロが、武器にこだわらず素手のままターナさんに殴りかかっていれば、もしかしたら、万が一があったかもしれない。


 なんだかんだいってもその身はつい先ほど蘇生したばかりだ。間違いなく衰弱しているだろうし、そもそもが老齢であり、単純な体力や筋力には恵まれていない。

 なので、きっとまだ半分ぐらいは不死身の成人男性アルミロに素手で掴みかかられたなら、もしかしたら、万が一があったかもしれない。


 だが。

 そうはならない。

 たとえどんな馬鹿だろうと。

 いや、理屈ではなく本能や直感で行動するタイプならなおさらに。

 に素手で挑みかかるのは、まず無理だ。


 なにせ、怖い。


 他に手がなければやけくそでそうするしかないが、武器が来るなら絶対にそれを手にする。

 おれだってそうするし、アルミロもそうした。


 キャッチして、武器を振って、相手に当てて、ぶった斬る。


 間に合わない。

 そんなの当然、間に合う筈がない。


 目の前から最短距離で突き出される、重さすらほとんどない針の一突きに、どう考えても間に合うわけがない。


 アルミロが両手同時にキャッチして、そのまま挟み込むようにナタを、


 とん、とん、ど。


 2突き目の針が抜ける瞬間にはもうアルミロの全身はぐにゃりと脱力し、3突き目は逆手に持ち替え脳天へ振り下ろすように。



 そこでちらりと垣間見えた術理の一端。

 薫る残滓にのった、むせ返るような闇の残り香。

 知ろうとせずとも叩き込まれる、常軌を逸した願いのかたち。

 きっとこれも『なにか』の押し付けだ。


 三つ目男なら『殿の御成りだ平伏せよ』と。

 イグナシオは『祭儀の最中に暴れるな』と。


 先達から引き継いだであろうそれらとは違い、一代独力でのみ成し遂げたからこそ可能な、より攻撃的で破滅的な血みどろの涅槃。


 ターナさんの『これ』を言葉にするならそう、


 ――私が死ぬのだから、おまえも死ねよ。


 といったところか。


 いやけど実際ターナさん死んでないじゃんとか、ひび割れたタイミング的に蘇生前提っぽくね? 矛盾してね? とか色々と腑に落ちない点もあるのだが……少なくともこれだけははっきりしてる。


 こんなものを、さも当然のように行使できるターナという『魔女の巫女』は、間違いなくイカれてる。

 そりゃ普通に考えると、あのローゼガルドの下で長年生き残れる時点でまともなわけがないんだよなあ。


 ただ、なぜかおれに対しては妙に友好的なのがせめてもの救いか。


 とりあえず、この婆さんとは仲良くしよう。ヨランダの家族だし。あと娼館のお姉さんたちともマブダチ路線でいこう。



 最後の一撃と連動するように、なにかに引っかかっていたぼろぼろの塗装、その終端が、ぱりんと一気に消滅した。


 そうして。


 かつてのおれがいつか観た、陽光差し込むアメリカンなダイナーは、無骨な地下室へと回帰した。


 そこそこの広さの部屋に並べられた、2つの大きな丸テーブルを囲むようにして着席しているガラの悪そうなおっさんや兄ちゃんたち。

 その数9。

 マルカントニオの椅子が空席に見えるが、きっと腰から下はまだそこに座したままなのだろう。背後の壁際ではアルミロが横たわっている。


 そういや入室直後に頬を射抜かれた、あのいかついおっさんはどうなったのかと席を見れば……なんか雑に闇パッチみたいなのを頬に貼られて普通に座ってた。まあ、ボルトが刺さったままじゃ流し込めないもんな。



「――で? さっきのありゃ、一体どういうつもりだ?」



 ミゲルの鋭い声が部屋の隅にまで響き渡った。

 それがおれに向けた言葉だと理解するのに、2秒ほど時間がかかった。


 おれのハンドサインを見たミゲルは、ある程度の事態は把握している筈。

 つもりもなにも、ガチの想定外だとわかっていてこの問答。

 それをわざわざこの場にいる全員に聞かせる理由。

 あ、と思い出す。

 そうだ、まだ本来の目的は完了していない。

 娼館への被害の防止。おれが単なる『景品』ではないという周知。

 どちらにも共通する必須要素は、手を出してはダメだと『理解させるビビらせる』こと。

 それは今、なんか途中でぐちゃっとしたまま宙ぶらりんになっている。


 ばちこんばちこんとミゲルから送られ続ける奇怪な目配せの意図を汲み取るならば。



 ――お前がどうにかして辻褄合わせろ。んでもって良い感じにオチまで繋げ!



 急に試されるおれのアドリブぢから


 味方の筈のおれがなぜか急に敵へ不死身パワーを与えて「お前らだけでどうにかしてみせろ」とかいい出す理由。その必然性。


 いや、んなもんあるわけねーだろ。

 まともな理屈なんて、どう考えてもない。



「最前列で見てそれか? アルミロ、凄くなかった? ちゃんと痛みはあるのにちっとも挫けなくて。死んでも死んでもメンタルだけは前のめりなままで。濁った輝きがぎらぎらとまたたいて。……まあ、彼が勝てる見込みはなかったから、冗談の域は出なかっただろ?」



 結果おれは、邪悪なくそがきと化した。

 よくあるパターンだが、この世界においては結構新鮮だったりするのでは?


「……あんた、なにをいってるんだ?」

「考えてもみなよ。彼らだって、こうも一方的にやられっぱなしじゃあ納得できないだろ? 即死の爆弾を仕込まれて、起爆条件のひとつは秘密のままで、ずっとそれにビクビクしながら生きていけっていうのは……あまりにも可愛そうじゃないか。ちょっとぐらいは『憂さ』を晴らしてにっこりしなきゃ」

「けどまともにやったら勝ち目なんてねえ。だから死んでも死なない『化け物』にしてあげました。さあいくらでも死ねるから気が済むまで頑張ってせろってか? ……ちっとも笑えねえよ」


 いや待て、その表現じゃおれが悪者になりすぎる。せめて半分ぐらいはお前も被れ。


「刃向かうやつは殺していいって、ミゲルがいったんじゃないか」

「……オウケイわかった。確かに『回数』を指定しなかったのはこちらの落ち度だ。何度も殺せるって発想は俺にはなかった。それについては言葉足らずだったと認めるよ。……だがな、こういうのはこれっきりにしてくれ。命を玩具にするのは、俺たちにはちと刺激が強すぎる」


 あ、ミゲルこいつ、せっかく被せたのにまた返してきやがった。

 ……違う違う。落ち着け。目的はそこじゃない。


「じゃあ、ここにいる残りの18人には?」

「ダメだ。もうこいつらは俺の下についた」

「今度のは凄いよ。もっと派手で、きっとびっくりする」

「これからの働きで、ちゃんとびっくりさせてくれるさ」

「いや裏切るでしょ、絶対」

「まだ、なにもしていない」


 あ、ミゲルこいつ『良い警官』になりやがった。

 なら次に『悪い警官』が突っ込んどくべき穴は。


「じゃあ、あの3人は? 裏切ったフリして、アルミロが席を外してたのを黙ってた」

「それは俺も残念に思ってた。だからお前ら」


 ミゲルは備え付けのカップボードから高級そうな杯を3つ取り、それぞれの前に置いた。

 そうして放置されたままだった予備のティーポットから黒い水を注いで、


「飲め。少なくとも俺は、ちゃんと1度で死なせてやる」


 ぐびぐび飲んだ。


「これで一件落着、第二幕はなしだ」

「ふうん。ならいいけど。ターナからは、なにかある?」

「ございません。全てあなたさまの、御心のままに」


 ひゅー、演技派ァ!

 やるねえターナさん。まるでおれが魔女の巫女の新たな主みたいで、ローゼガルドぶっ殺してその座をぶんどった『邪悪ななにか』っぽい感じが出てる出てるー。









※※※









 残る細々としたあれやこれやを済ませたおれたちは、ぞろぞろと連れ立って地上へと出た。

 結局襲撃はなかったらしく、なんだか暇そうにしていたグリゼルダと合流し娼館への帰路につく。

 リリカと娼館スタッフたちはそのままマルカントニオの本拠地へ向かった。なんでも、ターナさんの手勢だけで行くことに意味があるのだとか。

 いやそんな5、6人ぐらいで行って大丈夫なの? とか思ったりもしたが……誰もなにもいわないので問題はないのだろうと、余計なことはいわないでおいた。


 そうして黙々と歩くこと3分ほど。

 周囲の目がなくなり、ようやくほっと一息つけたところでヨランダが、


「いやいやアマリリス様、邪悪すぎるって! あんなの、全種族が手を取り合って子や孫の世代の為に命捨てて最終決戦とか挑んじゃうやつですよ!」


 唯一現場にいなかったグリゼルダだけが「?」みたいな顔でおれを見る。


「いやそれはさすがに大げさじゃ? ワリとよくあるだろ、あの手のやつって」

「ないですよ。どこの地獄ですかそれ」


 やっぱエンタメ産業が論外レベルで貧弱っぽいこの世界じゃ、ああいう『いかにも』なやつはまだ新鮮なのね。


「えーとさ、アマリリスさま、あれって演技なんだよね? 本当に死なない化物にして『頑張るの観賞』が大好きとか、ないよね?」

 あ、まずい。ノエミの疑惑がガチな感じだ。

「ないない。どんな趣味だよそれ。ああなったのは本当に事故。イグナシオのやつが、指輪の効果範囲内で死んだ命を勝手に吸収する悪趣味な改造をしてたみたいで――」


 一通り説明する。

 アルミロが不死身になった理由については少しだけ迷ったが……今はそれどころじゃないと、構わず続けようとしたところで、


「ストップだ再従弟妹はとこ殿。正直凄ぇ興味深い話だが、自分から『その手の話』をペラペラ喋っちまうのはちょっと待った方がいい」

「なにかまずかった?」

「やっぱ知らないよな。やくざ者や日陰者にとって、自分から手の内を話すのは『そちらの下につきます』って意味を持つんだよ」


 おお、まさに異文化だ。

 けどまあ、極論じみてはいるが、いわんとしてることはなんとなくわかる。


「軍部じゃ上官への技能報告は義務っすけどね」

「旧王宮作法じゃ主君や同胞への信頼の証ですね」

「おおー。ヨラだんからハイソなにおいがする」

「いやあ、これでもあたし、現当主の専属だし。……なんで後ろ2文字入れ替えた?」


 1度間を挟んだことで、少しだけ頭が冷えた。

 そうだな、なにも底値で叩き売りすることもないよな。

 よし。基本に忠実に、恩着せがまし――ンン゛ッ! 価値を上げていこう。


「下につくとかそんなつもりはないけど、気にならない? 実際に危ない目にあったんだしさ」

「気になる気になるー。あの店とか景色とか、基本から全部違う感じだったよね?」


 おれはもう場面シーンを切り取った『再現』を使うつもりはなかった。

 偶然だろうと誰でもいいから役割さえ満たせばおかしなことが起きるとか、単純に危険すぎる。

 もし今回用いたのが北○作品や深○作品だったなら絶対に全滅してた。

 そしておれの記憶している邦画ストック――残りの使えそうな元ネタはそんなのばかり。

 調子にのっていつかギラギラしたらきっとおれは死ぬ。

 つまりこれはもう、封印予定の廃棄物でしかないのだ。


「なあミゲル、A&J経営陣――運営の幹部だっけ? そいつらに報告する内容は充実してた方がいいだろ? その方が今後色々と有利になったりお得になったりするんじゃないか?」


 どこだろうとその手の連中はうるさい筈だ。

 黙らせる材料を探すのは、決して馬鹿にできない主要業務のひとつだろう。


「だから危険に晒したお詫びとして、ひとつ受け取ってくれないか? たとえ使い物にならなくても、酒の席の小話ぐらいにはなるだろうしさ」

「まあ、くれるってんならありがたく貰っとくが」


 実のところ、こんな理屈はほぼ建前だ。後付けで思いついたプラスワンのおまけでしかない。

 おれがわざわざそうまでして話したがる理由はただひとつ。


 さっきのノエミの反応。あれはまずい。


 ああいった感情を『こちら側』で溜めすぎるのは本気でまずい。

 どこだろうと、やりすぎたやつは背中から刺されるのが常だ。

 本当にそうなのかは二の次で、そう『信じられた』時点でもうアウトなのだ。 


 だからおれは速やかに情報を開示して『そんなことはないんだよー。おれはそんなんじゃないよー。むしろお間抜けさんだよー』と全力でアピールする必要がある。

 支払うのはイグナシオからぶんどったもう使う予定のない廃棄物のスペックと名作映画のストーリー概要、プラスおれの見栄のみ。こちらの懐は微塵も痛まない。


 ならやろう。すぐやろう。


「――で、なんかアルミロが不死身になったみたいなんだよ」

「……なんでそんな物騒な物語が全世界規模で有名になるんすか? ちょっと色々狂いすぎてて消化しきれないんすけど」

「そっかそっかー、ゼッドが出てこなくてよかったねミゲルさま!」

「おいなんでわざわざそこを拾う? なんで俺の名前を出す?」

「八百長を拒否した男と運転手の女のくだり、要りましたか?」

 なんか君ら、全然目論見とは違うところばっか注目してね?

「じゃ、じゃあもう、その指輪は」

「壊したりその辺に捨てたりするのも怖いから、姉さまに押し付――ンン゛ッ! 預けるよ」

 こうしておれの手から危険な玩具は離れ、なんかやばそうな火種は1つ消えるのでした。

 めでたしめでたし。


「アマリリス様」


 それまで聞き役に徹していたターナさんが、丁度いい頃合を見計らったように、

「ひとつお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「わかった。その通りにするよ」

 ターナさんの問い掛けに、ノータイムで答える。

 ちょっと過剰演出な気もするが、おれの尻拭いで1度仮死状態までいってるターナさんの提案を断るのは困難だ。それにきっとこの人は、おれに対して論外な提案などしないだろう。

 なら最初から前のめりでいった方が皆いい気分になれる。

 決して擦り寄ってポイントを稼ごうとしているわけでは、



 ――すぽっ、と。



 落ちた。


 踏み出した次の足がそのまま落ちた。

 踏みしめる筈の地はどこにもなく、ただただ吸い込まれるように落ちた。


 反射的におれは身体を捻り横に倒れようとしたが……なぜだかちっとも動けない。

 そこでようやく気づいた。

 闇夜にまぎれ非常にわかりにくかったが、いつの間にか辺り一面が黒一色に塗りつぶされていた。

 塗り固められ、停止していた。


 おれは知っている。

 これを知っている。

 これができるのは。



 ――お待たせしました。ようやく準備が整いました。



 いつ聞いても惚れ惚れするような、透き通っていて、けれども確かな芯の強さがそこはかとなく感じられ、しかしある意味浮世離れした透明感ゆえに童謡や民謡を歌えばなぜか怖くなってしまうような澄んだ声が聞こえた。


 すぐ前を歩くミゲルのケツから。

 いや、ミゲルのズボンの尻ポケットから。


 は? なんでそんなところに?

 いやいやそもそも「お待たせしました」とかなにそれ? 聞いてないんだけど?


 ――伝えましたよ? 半覚醒状態でしたが認識はできていたはず。


 いやいや半分寝てたら記憶とかできるわけないから! なんで睡眠学習が流行らなかったと思う!? 起きたら忘れてるからだよ!


 ――そうでしたか。ですが案ずることはありません。此度に危険はさほどありません。


 うわあ、突っ込みどころが多すぎる。

 報連相ほうれんそうが微塵もできてないことに対する反省が皆無だとか此度とかさほどとか、とにかくいうべきことが多すぎて、


 ――疑問があるなら可能な限りお答えしましょう。ですが『これ』はそう長くはもちません。


 ええと聞きたいことは山ほどあるがまずは……この穴なに?


 ――門です。


 おれをどこへ、いや、なにをさせるつもりなんだ?


 ――彼を助けてあげてください。


 彼とは誰だ? どうやって?


 ――ヨハンを、彼が望むかたちで。


 ちょっとお腹の調子が悪いんで、1回戻してもらっていいかな?


 ――1度繋いでしまえば、もう不可逆です。


 やっべしょうもないことで時間を無駄にした!

 そうこうしている内に、黒の中に夜の色が混ざり始める。


 考えろ。

 目の前のことばかりを聞いてもダメだ。

 もっとこう全体を……なんて大きなことを考えようとした時ほどなぜか、くっそしょうもないことが浮かんでくる不思議。

 そういやミゲルはよくオウケイとか選択チョイスとかいうクセに、英語の台詞の意味はちっとも理解してなかったな。あれはどういう、


 ――実際に用いられている言語は、あなたのいう英語と一部類似点こそあるものの、まったく別の言語です。対話なくして生存は不可能と判断し、あなたの脳の一部を加工しておきました。意味やニュアンスなどを踏まえ、あなたの知識をベースとした最も近しい言葉で理解できる筈です。会話と読み書きに困ることはないでしょう。


 いやこれ拾わなくていいやつ! ああこんなしょうもない質問に結構な尺を――って、え? 脳の一部を自動翻訳機に改造しましたとか怖くね?

 というか貴女って、脳を加工とかそういう科学的な存在なの?


 ――怖いか否かの基準を論じるならば、あなたの知識でいう人工ペースメーカーも負けず劣らずで、


 あ、あ、だからそれ拾わないでもっと、 


 そこで完全に、黒は夜の色に塗りつぶされた。

 全てが動き出す。


 すぽっと落ちる途中で止まっていたおれは、当然そのまますぽっと落ちた。


 目の前にあったミゲルのケツが上へとかっ飛ぶ。

 そう錯覚するほど、おれはひとり下へ下へと落ちていた。


 落下の感覚はないが目に映る全ては闇色で、いくら眼を凝らそうともちっとも見通せない。

 ここってあれだよな、ローゼガルドの自爆泥ウェーブでぐちゃみそになった謎ワープトンネルと同じやつだよな。

 ……やっぱこれ、おれひとりでなにかやらされる感じ?


 ――大丈夫。きっとあなたなら、


 待て待て綺麗に締めようとすんな! ええとそう助っ人! せめて誰か助っ人的なやつ! おれひとりじゃできることが少なすぎる! おれの単体性能の低さ知ってるだろ!?


 ――で、ょう。うど、たの近く、規、値、いたよう、ので彼女を――


 途切れ途切れの声と入れ代わるように、闇の中へと混じり始める光。


 背中から粘度の高いプールに着水したような沈み込む感覚。


 眩しさに痛む目を瞑る。ごんと背に当たる硬い地の感触。畳でもフローリングでもない、もっと無骨な石の硬さ。



 ――う、――、ん、、――、――、こ――。



 たぶんなんかキメ台詞的なことをいってたんだろうけど、ほとんど聞こえなかったせいで小学生の下ネタみたいな感じになったまま、声は完全に途切れた。


 目蓋の裏で瞬く星が消えたのを確認してから、おれはおそるおそる目を開けた。


 そこは石造りの微妙にくすんだ白い部屋だった。

 印象としては病室か、あるいはモルモットの収容場所のような。


 考えるまでもなく、さっきまでいた娼館への帰り道とは全く別の場所だ。

 これ、闇ワープ的なやつで、どっか別の所へ飛ばされたってことだよな?


「……まじか。まじで、本物なのかよ」


 呟く声の出所を辿ると、おれのすぐ側に膝をついた20代ぐらいのチャラそうな兄ちゃんがいた。

 背中の冷たい感触とアングルからして、どうやらおれは床で寝ているらしい。


「まじかよっ! 凄え! 最高だ! ありがとうばあちゃん! まじで愛してる!」


 祖母への愛を叫ぶハイテンションな兄ちゃんは、上下共に灰色の病衣っぽいものを着ている。


 とにかく起き上がろうと床についた手に、べちょりとした感触が。


「……塗料?」


 濃い赤、あるいはワインレッドの絵の具のようなものが、辺り一面に散乱していた。

 いや良く見ると、それは無秩序に飛び散っているのではなく、寝ているおれを中心に、円や三角形や四角形を幾重にも組み合わせ、なにかしらの紋様を描いているようだった。

 これってたぶんあれだよな、魔方陣的なやつ。

 それぞれの終端に刻まれている、なんか達筆っぽいけど意味不明な文字列が5つ。

 どう見ても日本語でも英語でもない未知の言語で書かれているそれを、じっと眼を凝らして見れば……ピラミッドさんのいう通り、どれもつぶさに理解できた。



『どうか』『我が愛を』『救い給え』『温かい泥』『御達者で』



 なぜだか、涙がこぼれた。

 込められた熱量が尋常ではなかった。

 これに向き合っては危険だと思い、すぐに視線を切った。


 そうして逸らした眼の先に。


「え? え? なに、ここ、どこ?」


 どうしてか、おれと同じく床に寝転んだノエミがいた。







※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※







TIPS:悪霊ちゃん


ヨランダの行使する自己判断能力を備えた『呪』の仮称。


極めて強力ではあるが、実家たる娼館、あるいは家族や友人を『守る為』でなければ駆動しない欠陥品でもある。

プルメリアでは駆動するが、ヒルデガルドやハウザーでは駆動しないといった、意外とシビアな判断基準が設けられている。

それはひとえに、術者たる彼女に備わった、優しさや良識といった美点から発生した安全装置セーフティでもあるのだろう。


ただ客観的な事実として。

この大陸に住まう意思疎通が可能な生物のおよそ半数は、魔女の巫女を不倶戴天の敵と定めている。


彼女の身内への愛は、理論上、総数から半分を間引き得る。





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