第8話 戯劇の邪神(仮)Ⅰ



 最初にそれを見た感想は「なんか昔の日本っぽいな」だった。

 あえて言葉にするなら木造平屋建て、だろうか。

 全体の8割ほどが居住スペースになっていて、通りに面する残り2割が売り場となっている住居兼個人商店。

 昔の八百屋スタイルで軒先にずらっと商品をディスプレイしつつ、手に取ったからにはおまえ買えよこの野郎という無言の圧力でソールドアウト目指して邁進する由緒正しきストロングスタイルの店構え。

 陳列されている商品は煙草をはじめとした各種雑貨類。

 メインの煙草類が占める面積はおよそ半分ぐらいで、あとはナベやフライパンなどの金物から、吊るされた謎のポン刀もどきや鎖分胴のついた湾曲した刃――突然の鎖鎌くさりがまは万人のテンションをガン上げすると初めて知った――まで、絶対に買わないのについつい見入ってしまうこと間違いなしのラインナップがこちらの少年心ボーイズハートをくすぐり財布の中身を狙いましやがる、きっと本当は売っちゃダメな物も普通に並んでそうな、スラムっぽいところにある怪しげな店。


 その奥にある居住スペースは、今やぐちゃぐちゃだった。


 屋根をぶち抜き空いた大穴の下には血まみれ老婆が倒れているし、どっかの誰かがノリとフィーリングで突っ込ませた黒杭がぶち破った壁はずたぼろに崩れているし、倒れたままぴくりとも動かない腹とノドに穴が開いてる爺さんもまた血まみれだ。さらにおれの吐いた血反吐もそのまま床にべしょっと残ったままで、どう考えても敷金は返ってこないレベルの大惨事。



 この惨状をつくった元凶は――おれと、もうひとり。



 そのもうひとりがたぶん、今死んだ。



 黒いローブの端がはためき落ちる。

 かすれた笑い声の途切れたイグナシオが崩れ落ちる。

 きっと、もう起き上がることはないだろう。

 なんか顔中の穴という穴から血が噴き出てたし、これで生きてたらもうガチのホラーだ。



 ――我が矜持だけは返して貰おう。



 手の平に乗せられた銀の指輪を見る。時間稼ぎの煽りで引き合いに出した、あの指輪だ。


 どうやら、おれが思うよりもずっと、この世界では誇りといったものに大きな価値があるようだった。


 ふと記憶の扉の向こうを覗けば、それにこだわるやつほどさっさと会社からいなくなってしまったしょっぱい現実が垣間見えたので、そっと閉じておいた。


 そこでひゅんと、視界の端から黒杭が飛び出した。


 押さえ込まれていた原因、幾重にも被せられていた馬鹿でかい『白い手』が一斉に消えたので、再び前進を開始したのだ。


 これ以上民家を破壊する前に慌ててストップをかける。びたっと静止する。なにか手はないかと即席でやった黒杭操作だったが、それこそ手足のように動かせた。まあおれの一部みたいなもんだし、これぐらいはね。


 などと油断していると、なぜか勝手にすいーっと戸口へ流れて行く黒杭。

 おれはなにも操作をしていない。

 ならこれをしているのはおれ以外の誰か。

 思い当たる候補は2人。

 どちらも『治療』ができる2人。

 黒杭の後を追い外へと飛び出す。


 ごちゃっとした露店と屋台と軒先店舗がひしめく大通り。なぜか人気ひとけは一切ない。しかし屋台の鉄板や鍋からは湯気が立ち昇っている。ついさっきまで誰かがそこにいた証。慌てて逃げた残りもの。判断と行動の早さが尋常じゃない。いきなり落ちて来たなにかが『己の命を脅かす危険』だと即座に理解し退避する身軽さはここいらの住人にとって標準装備なのだろう。逃げ遅れはひとりもいない。たぶんもう淘汰は済んだ後。治安の悪さが透けて見える、あまり長居したくない場所だ。


 そんな無人のゴーストタウンじみた向こうから、見覚えのある人影が走って来る。


「あ、ヨランダ! こっちこっち! お? ハウザーと姉さまも!」


 おおハウザーが速い。ダッシュ力がえぐい。ヨランダがぐんぐん離されて行く。ガチで脚力の次元が違う。……こっちの老人って、こんなんばっかなのかな。


「アマリリス様! ご無事ですか!?」


 そういうことを聞かれた瞬間、急に痛み出す不思議。


「むちゃくちゃ痛い。また吐きそう。けどこの爺さんと婆さんの方を先に頼む。身体を張ってわたしを助けてくれた恩人たちだ。特に爺さんがまずい。早く治療を」


 さすがにここで「なんか知らねーけどいきなり命捨てて特攻し始めたやべーやつら」などといっちゃえるほどアレではない。

 わからないことだらけだが、それでもこれだけははっきりとわかる。


 この2人は命をかけて、おれを助けてくれた。


「この男は何者ですか?」

 崩れ落ちたイグナシオへ向け、いつでもぶん殴れる姿勢を維持したままハウザーが訊いてくる。

「わたしの命を狙った敵。あの2人がやってくれた」

「了解しました」

 いうと同時に、どごっとイグナシオに一撃を振り下ろす。

 反応と反撃がないのを確認したハウザーが、爺さんの方へと駆け寄った。


「……相変わらず、遊びのない奴だねえ」

 倒れていた婆さんがむくりと上体を起こす。

 いやいや、ぱっと見でも血がだくだくの重傷なのに、なんでそんな普通な感じなの? つーか知り合いなの?


「貴女に手傷を負わせるほどの相手だ。本当なら首を切断したいところだが、そんな時間はないと判断した」

「……そいつは、助かりそうかい?」

「本職なら、あるいは」


 たしかマナナがいってたな。

 治療のできる衛生兵型メディックは全体の3%ぐらいしかいなくて、基準未満の真似事レベルを合わせても5%とかその辺だと。

 ならハウザーの治療はマナナのいってた『基準未満の真似事』なわけか。

 けど本職ならすぐに――とそこで、だだだだと足音が近づき、ヨランダが到着した。


「まってハウさん速すぎ――ってお婆! ええっ!? うそ、そんな、足、血、だ、大丈夫、すぐつなぐから」

「情けない声出すんじゃないよ。こんなもん、怪我のウチに入りゃしないよ」


 お婆という呼称。砕けた口調。初めて見る泣きそうな顔。きっとこの老婆はヨランダにとって、家族かそれに相当する存在だ。


「おまえそれ、浮いてる黒いの、さっき青空を裂いた大元かい?」

 ヨランダの肩らへんで謎ホバリングしている黒杭を老婆が指す。

「え? うん。そうだけど、そんなことより早く治」

「――こんの大馬鹿者がっ! 考えなしにあんなもんぶっ放して! 危うく落下死するところだったろうがっ!」

 え? おれのことで怒るの?

「お、お婆ならどうにかしてくれるって思ったんだよ」

「誰の命を勝手に使ったと思っている!?」


 あ、おれこの婆さんとは仲良くできそう。

 ただ今回の場合、なにをどうこねくり回しても、ヨランダは間違いなく最高だった――とかおれが余計なくちばし挟んじゃうと、もっとこじれるやつだよなこれ。


「いやそれは違うだろお婆! あのままじゃなにもできずにやられてた!」

「おまえ以外にも動いてる者はいた。勝手に決めつけるな。だからおまえは考えなしだってんだよ!」

「考えならあった! お婆なら絶対にアマリリス様を助けてくれるって!」

「おまえはいつまでだってんすっとろぎゃァ!」

 やべ婆さんが意味わかんない方言でキレてる――じゃなくて!

「いや爺さん! そろそろ爺さんが死んじゃうから、先そっちどうにかしよう、な!?」


 はっとしたヨランダが慌てて爺さんへと向かう。

 はっとした老婆が「見苦しいところをお見せしてしまい」と恐縮する。


 そこでかつ、と。


 硬質な足音が響く。

 自然と音の発生源に視線が吸い寄せられる。


「久しいな、ターナ殿。湖畔の茶会以来になるか」


 そこには予想通り姉さまヒルデガルドがいた。


「……そうだね。今は足がこれもんだから、座ったままで失礼するよ」

「ふむ。話の前にまずは治療だな。ヨランダ、代わろう」

「いえ、お婆はあれだけ喋れるなら最後でも大丈夫です。ヒルデ様はまずはアマリリス様を。あたしはこっちの爺ちゃんを」


 おいなんだよそのイケメントリアージ、好きになっちゃうだろ。


「……うわあ。なにこの傷怖っ」

 爺さんの傷口を見たヨランダがドン引きしている。

「実際はもっと怖いよ。串刺しにされても、足だけはがしがし動いてた」

「あー、……うん、なんというか、やっぱ湿地帰りは、イカれてるなあ」


 やっぱこの爺さん、平均値じゃなくて、振り切った極点だったのね。


「あ、そうだ。グリゼルダ、もういいから出て来な。とりあえず皆に顔見せとけ」

 爺さんの腹部の血をハウザーと2人で拭いつつ、ヨランダが声だけで呼びかける。

 すると、崩れた壁の向こうからぬるっとグリゼルダが現れた。

 一瞬で老婆が振り向きハウザーが身構え、


「待て待て違う違う! 彼女はグリゼルダ。わたしの仲間で、最高にキュートなできるヤツだ。――ほら、自己紹介」

「……は、はい。グリゼルダです。最高にキュートな、できるヤツです……」


 いや照れるならいうなよ。おれが無理矢理いわせたみたいになっちゃうだろ。

 ほらハウザーも婆さんも「あ、うん」みたいになってる。


「最高にキュートかは置いといて、できるってのは本当ですよ。あの『黒杭』を引き寄せればアマリリス様の居場所がわかるんじゃないかってのは、グリゼルダの案です。……あハウさんそこ、2番4刺し半折りで」


 そっかグリゼルダ、おれを助けようと、行動してくれたのか。


 正直、このどさくさに紛れてどっかへ行っちゃう可能性も普通にあるなと思っていただけに……なんというか、嬉しかった。

 おれを助けに来てくれたことが、その為に怪我を押して動いてくれたことが、思いのほか嬉しかった。


 だから、がしっと掴む。


「姉さま。このグリゼルダをわたしの護衛か付き人のようなかたちで正式に雇うことって、できるかな? 給与等級とかちゃんとしてるのが理想なんだけど」


 そう、こんな優良物件、一刻も早くがしっと既成事実ちゃんとした契約で囲っちまう必要があった。

 当然だ。

 今日会ったばかりのやつとの間に心通じ合う絆とかあるわけがない。

 だから、今後も一緒にいる枠組み作りは必須だ。

 昔の偉い人もいってた。

 無償のボランティアは長続きしないと。


「私の妹ならば侍従の1人や2人つけることは可能だが……本当には、使えるのか?」

「ここまで見た中では飛び抜けてる」

「具体的には?」

「元特別行動隊」

「そんなことぐらい、一目見ればわかる。次」


 ふむ『次』ときたか。

 パワハラレベル2。雑魚だな。

 残念だったな姉さま。おれは知っているよ。


 こういう時、倍のテンポで押し返せば、だいたい相手はぐだると。


「顔が可愛い」

「ほう」

「性格もわたし好み」

「ふむ」

「反則級に強い」

「いうではないか」

「全部本当だしね。あと手先が器用で視線と思考の誘」

「いいだろう。後日、正式な書面を用意しよう」


 やるな姉さま。ぐだる前にぶった切ったか。

 余計なことはいわず、黙って頷いておく。


 そもそもこの話、実際のところおれに主導権は一切ない。金を払うのはおれじゃない。グリゼルダのギャラは向こうが出す。なにをどうこねくり回してもその事実は変わらない。


 おれはスポンサーのゴーサインに意味不明な横槍を入れる変人ではない。

 あとスポンサーというやつは、利益の出ない投資は絶対にしない。

 妙な勘違いはせず、傲慢にもならず、この話はただ円満に解決した。それだけだ。


「聞いての通りだグリゼルダ。あらためて、これからよろしくね。旧王家の面子もあるだろうから、そこそこの待遇は期待していいと思う。もし給料がピンハネされたりワケわかんない理屈で減額されたりしたら絶対にわたしへ報告するように。いいね?」

「は、はい、よろしくおねがいします。そのええと、なんていったらいいのか、まさか給金が出るとは思わなくて、へへ」


 なんかめっちゃ嬉しそう。

 どうやら特別行動隊、無給だったっぽいな。クソすぎるだろ。


「アマリリス。私がそんな真似を許すとでも?」

「残ったローゼガルドの部下とかお友達の皆さん、たぶん許可とか求めないよね?」

「すぐにいなくなる連中だ。余計なことは考えなくて良い」


 怖っ。

 触るな触るなスルースルー。


「それでグリゼルダ、あれから皆はどうなった? マナナとノエミは? まさかミゲル死んでないよな? あの『大聖堂』は残ったままだったし、イグナシオの仲間もまだ何人かいたは、ず」


 ぐらりと回った。

 頭の中と視界がぐにゃりと渦巻いた。

 テンションで誤魔化してた痛みと吐き気が一気にきて、足元がふにゃふにゃになる。

 すっかり忘れてた。出血、まだ止まってなかった。地味にじわじわと出続けたままだった。


 すてんと滑ったが、床より速くグリゼルダが受け止めてくれた。


「なぜ今さら倒れる? 損傷を意に介さず話すものだから、てっきり不死身の類かと思っていたのだが……まさか、違うのか?」

「ぼ、ボクもそう思ってましたけど、違うみたいです。呼吸と脈拍が弱くて早くて、その、危険な状態か、と」

「なにっ? そういうことは早く言え! ああそうか、昼に『猫』はいないのか。グリゼルダ、ここへ寝かせろ。あとなにか目隠しになるものを――」

「そ、それでグリゼルダ、あれからどうなった? 凄い気になるんだけど」

「無理に喋るな」

「そういえばプルメリアも」

「あいつはまだ動かせぬが命に別状はない。いいから黙って目を閉じていろ」


 横になると、幾分か楽になった。

 閉じた目蓋の上に布っぽいなにかが乗せられ、視界が真っ暗になる。

 これはあれだ。病院とか歯医者とかでなにかしらされる時と同じやつだ。

 まあ、治療してくれるというのなら大人しく従おう。


「あ、姉さまもうひとつだけ。ローゼガルドの仕掛けた闇爆弾を無傷で綺麗に消せる方法とか知ってる? わたしがやると内臓にダメージを与えちゃうみたいでさ」

「なぜヨランダが弾け飛んでいないと思う? あの叔母上ローゼガルドが、己が館に巣食う反乱分子に何の対策も講じないと?」


 いわれてみればその通りだ。

 つまり、もうばっちり除去方法は確立していると。


「グリゼルダとA&Jの新入社員のノエミって娘の2人にはまだ仕掛けられたままで」

「わかったからもう寝ていろ。下手に動かれると手元が狂う」


 ばつんと。

 問答無用で落とされた。









※※※









 超マジカルな細胞活性によるなんか凄ぇテロメアオーバーフロー自己修復。

 おれの『回復魔法』に対するイメージはそんな感じだった。


 だが実際にされてみれば、これは全然違うぞとすぐに気づいた。

 闇関連の技術かつ己の体内でのことなので、知りたくもないのに十全に理解できてしまった。


 おれの知っている言葉で表現するならこれは、闇製の多機能ロボットアームを用いたマジカル心霊手術だ。


 痛みはない。感触もない。

 ただ『されている』という事実だけがある。


 たとえば今ごそごそしているこれ。


 臓器の破れた箇所に闇パッチを貼り付け、飛び出したり入り込んだりした血や内容物をずごごごと吸う。あ、それ歯医者で見たことあるやつだ。

 ものによっては損壊した箇所で闇をこねこねし『代用品』を作ってはめ込んでから闇パッチをぺたり。

 あ、あ、あ! 血管とか神経の繋ぎ方が雑! そんなまとめてごっそりって感じで大丈夫なの? いくらすり抜けピンポイントだからってそんなアバウトに……。

 内部で砕け散った骨の欠片を吸い集め、最後にねっとりした闇で塗り固め元の位置へ戻してはいフィニッシュ。


 1から10までインチキまみれの、本当にあったマジカル心霊手術、完了!


 うん、魔法だわこれ。


 謎の闇物質が奇跡のバーゲンセールを連発しすぎて、他にいいようがない。

 内臓も血管も神経も、たぶん雑菌とか感染症とかも全部あれでどうにかなるっぽい。IPS細胞はキレていい。さらには患部の状態を把握する謎スキャンに――とかいい出したらキリがない。こんなのガチで魔法としかいいようがない。


 ……んだけどさあ。


 なんで、こんな中途半端に外科手術っぽいのかなあ。

 ここまでめちゃくちゃできるならいっそ、ぴかっと光ってめきめき超再生! とかまで行ってもよくね?



 ――あの、そろそろ、わたしが話しても良いでしょうか?



 ん? このか細く透き通っていて、けれども確かな芯の強さがそこはかとなく感じられ、しかしある意味浮世離れした透明感ゆえに、童謡や民謡を歌えばなぜか怖くなってしまうような澄んだ声、









※※※









 ばちっと目が覚めた。

 なにかびっくりするようなことがあった気がするのだが……どうにも記憶がはっきりとしない。

 目に映る天井はさっきまでの大穴が開いた民家ではなく、3つほどグレードが上がった高級ホテルじみたものになっていた。

 なんだあれ? ランプ連結シャンデリア? コスパ悪そう。


 寝かされていたベッドから身を起こす。


「おはようございます、アマリリス様。どこか痛いところ、ありますか?」


 ここがどこだかは知らないが、まあヨランダがいる時点で安全な場所なのだろう。

 高級感溢れる室内はどこかそわそわするが、この2人がいるという事実が一瞬でおれを落ち着かせた。


「痛みはないけど、こう、胸と腹がずーんって重く苦しい。吐きそうだけどなにも出てこない感じ。……なにこれ?」

「肺と胃と数箇所の骨折だったらしいので、まあそんなもんです。ヒルデ様、ちょっと雑ですけど文句なしに上手くて速いから、それでもマシな方ですよ」


 当然のように出てくる肺や胃といった単語。

 ヨランダも治療――マジカル心霊手術ができるんだから、そりゃ当然知識はあるか。

 十全に健康な状態を知らなければ、いくらマジカルなサポートがあったとしても『どこかどう壊れているのか』がわからない。わからなければ治しようがない。


 なんかこの世界、おれの知ってる常識と謎の心霊医療がごちゃ混ぜになってそう。


「顔色は大丈夫みたいですね。失血量が多かったので、ちょっとひやひやしました」

「……失った血は、どうやってカバーしたの?」


 実際にのでよくわかる。あの『闇』は決して『血』にはならない。

 どこにでもある闇は、その者にしかない血の代替には、決してなれやしない。


「基本通り『増血』で対処しましたけど、もしかして、まずかったですか?」

「なにそれ凄い。血が増えるの?」


 おれの反応から知らないと察したヨランダが、なぜか声を潜めるようにして答えた。


「はい。その名の通りただ血を増やすだけの、誰でも簡単にできる『原初の魔法』とも呼ばれる初歩の初歩です。けど、気をつけてください。それを口にすることは禁忌タブーとされています。べつにいったところで、捕まったり罰を受けたりはしませんが、それを口にする者は『頭の弱い奴』『常識のない奴』『最低限のスタートラインにすら立てない奴』として明確に下に見られます。だから基本、その言葉は使わない方がいいです」


「……なんで禁忌タブーになってるの? 理由は?」

「国や地域によってバラバラですね。悪魔が云々だったり最初の殺しがどうたらだったり。けど『口にするな』っていうのはどこでも共通です。闇精霊だけじゃなくて、トカゲも四つ腕も角付きも、どこもかしこもこれだけは共通してます」


 なんだそれ?


「けどさ、マジカル心――ンン゛ッ! 治療の時には普通に使ってるんだよね?」

「そこはグレーゾーンってやつですね。どんな堅物でも『わかってるから口には出すなよ』でスルーするのが暗黙の了解になってます」


 理由ははっきりしないが、なんか文化的な背景があって『増血魔法』については口にしない方がいいらしい。


「わかった気をつけるよ。ありがとねヨランダ。結構本気でタメになった」


 そうして一段落ついてしまえば、もう触るしかなくなってしまう。

 ずっと視界には入っていたが、どう触れたもんかと躊躇していたそれに、とうとう言及せざるを得なくなってしまう。


 ……よし、まずは軽いジャブから。


「グリゼルダ。黒いもやもや――闇爆弾がなくなってるけど、姉さまがやってくれたの?」

「は、はい。ここ4階なんで、本当にもう大丈夫みたいです」


 さすが姉さま、仕事が速い。

 ならおれも、あまりうだうだせずにさっさと取り掛かるべきだろう。


 もし「そうですよ素敵でしょう?」と返ってきた時に備えて、いくつもの逃げ道を用意した言葉選びを心掛ける。


「あのさグリゼルダ。それって、私服?」

「えっ?」


 あらためてグリゼルダを見る。


 えっ? ていいたいのはこっちだよ。

 なんでそんなどすけべびっちサンドロスⅡ世みたいな格好してるの? 上に一枚羽織ったぐらいじゃちっとも隠せてないよ? なんだよそれ? 熱いの? 寒いの? どっちなの?

 おれの感覚では2回ぐらい限界突破したコールガールじゃないと着こなせない超上級装備だ。目的以外の全てを削ぎ落とした抜き身のすけべだ。

 そういう文化なら受け入れよう。

 正直、嫌いじゃない。

 ただ、もし新入りのグリゼルダがなんらかのハラスメントを受けているというのなら、これは無視できない。

 いやだって、ヨランダのメイド服とかクラシカルで露出なしの普通なやつじゃん。

 たぶんその辺の感覚に大差はないと思うんだけどな。


「あ、これ借り物です。ボクの着てた夜戦着、血でびしょびしょだったんで、代わりがくるまでここの、店のお姉さんが貸してくれて」

 あれを着ている店のお姉さん。

「なるほど。その手の店なのか、ここは」

 一発でそう断言できる、きめっきめの性装だった。


「アマリリス様。そういった娼館って、どう思いますか?」

 どうしてか、ヨランダの声色は真剣そのものだった。なのでこちらも真剣に答える。

「そうだな……最強に太い商売だと思う。絶対に需要があるし絶対に儲かる。ただし絶対にやくざ者が絡んでくるし、あと病気とか諸々あって、危険だし難しいとも思う。ハイリスクハイリターンの代表かな」

「そういうのじゃなくて、……いえ、やっぱりいいです」


 そういうのじゃないってことは。

 わざわざそんなことを聞く理由は。


「べつに忌避感とかはないよ。あんまり大きな声じゃいえないけど、そういう店、結構好き」


 なにいってるんですかと、ちょっとだけヨランダは笑った。


「ここ、お婆がオーナーやってる店であたしが育った場所だから、つい気になって」


 思ったより直球だった。

 そうかあの婆さん、経営者だったのか。……にしては戦闘力高すぎない?


「彼女はヨランダの?」

「はい。家族です」

 顔立ちや髪色が全然違うが、それに触れるのは野暮だろう。


「お?」


 などと考えていると、手にもさっとした感触。

 いつの間にか猫がいた。

 雪靴白い靴をはいた短毛の黒猫。

 黒一色じゃないのは初めてだな。


 窓のカーテンを開けてもらうと、茜色の入り日が眩しかった。

 まだ日は沈みきっていないが、猫ジャッジ的にはもう夜らしい。

 再びベッドに視線を戻すと、当然のように猫が5匹に増えていた。


「その猫って、べつに悪いものじゃなんですよね?」

「少なくとも、わたしのケガは治してくれるね」


 いつの間にか胸や腹の苦しさは消え、おれの体調は万全になっていた。

 今回は派手に光ったりせず、そっと静かにやってくれた。

 悪目立ちしないのはとても嬉しいのだが……。


 どこか得意げな雪靴を見る。


 なんでこのキャッツ、おれが『そうして欲しい』と知っているのだろうか? 直接伝えるのはもちろん、なんなら声にすら出していないのだが。

 ……んん?

 声に、出さなくても?


「ヨランダ、グリゼルダ。ちょっとこの撫でてみて」


 雪靴白い靴をはいた猫に伸ばした2人の手が、すっ、と素通りする。

 やっぱそうなるよな。じゃあ次は。



 ――白い靴が素敵なあなた。ちょっとこの2人に、ひと撫でさせてやってくれないか?



「2人とも、もう一度やってみて。優しく丁寧に、そっとね」


 すると案の定、2人とも普通に触れた。


「なにこれ凄い。ふわっふわ」

「や、やわらかいけど鼓動はなくて、でも体温はちゃんとあって、なのににおいはしない。なんだろこれ?」


 信じ難いがこのキャッツ、声に出さなくても、だた『そうしてくれ』と思うだけで、おれのリクエストを実行してくれるらしい。


 ……いやこれ、やばくね?


 なんとなくだけど、壊せとか殺せとかいう物騒なことはできないと思う。きっとこのたちは、そういった用途に向けてつくられてはいない。

 だが、それだけだ。

 他にはなにも、規定や制限などといったものがない。

 ピラミッドさんが貸してくれたこの若い衆、リミッターの類が存在しない。


 少なくともおれは2度、死にかけの状態から完全回復した。


 そのレベルの荒業が、夜間限定とはいえ無制限。


 ……いや、違うな。

 ピラミッドさんが『許可』する限りは無制限、だな。


 これってあれだよな、ばら撒かれた見せ金で有頂天になって、生活の水準が『それありき』になったところで供給を断つぞと脅されて傀儡になっちゃうパターンだよな。


 うん、あんま頼りたくはないな。


「あの、アマリリス様。なんかどんどん猫が増えてるんですけど、このままじゃ足の踏み場がなくなりませんか?」

 ヨランダの声で周りを見ると、ベッドに乗り切れなかった猫たちがカーペットの上で丸くなり始めていた。

「確かに。踏んじゃうと危ないよな」

 ならばと、にわかに漂い始めた闇をこねこねして、棒と板を組み合わせたキャットタワーもどきを立てる。

「はい注目。ここに乗りきらないは、また今度ね」

 しゅばばっと猫まっしぐら!


 こういった闇の操作はこの身体に備わった基本スペックだ。きっと手出しはできない。

 だが『製本』『崩界』『猫』はピラミッドさん由来の、いわば借り物だ。残念ながら契約書はない。取り上げるのに理由も手間もいらない。使うのはいいが『依存』になればお終いだ。


 なので、これ以上はなし。

 情けない話だが、もう夜間超回復サンキューキャッツは手放せないだろう。

 おれは既に、ピラミッドさんから借りた防弾チョッキを脱げなくなっている。

 貸し出し期間も賃料も不明。向こうがパチンと指を鳴らせばそれで消えるマジカルな一品。


 これ以上、その手のものを命綱にするのはダメだ。

 これ以上、キャッツに『勝手に新しいこと』をしないよう釘を刺す必要がある。


 きっと猫たちに悪意はない。だがこれは、間違いなくおれの為にならない。

 善意でつくられた奴隷契約書に、これ以上文字を書くつもりはない。


 だから、ここまで。


 オートでおれの『お願い』を読んで実行してくる相手にストップをかける方法。

 意図せぬ暴発の可能性をゼロにする方法。

 合言葉、枕詞まくらことば、いやもういっそパスワードでも設定してみるか。


 2本目のキャットタワーもどきをつくりながら、声には出さず語りかける。



 ――まずは皆、ありがとう。色々と助けてくれて、とても感謝している。けどここからは『3.14159265』のあとに続くやつ以外、おれのリクエストは無視して欲しい。これはおれにとって、とても大切なことなんだ。絶対に守って。本当に、心底からお願い。



 そうしてタワーの頂上にいるをひょいと抱きかかえて、



 ――今おれの手の中にいる黒くて素敵なあなた。どうかこの2人に、その毛並みを撫でさせてやってはくれないか?



「2人とも、今度はこのを撫でてみて」

 すかすかっと空振りする。



 ――3.14159265。手の中のあなた。目の前の2人に、あなたに触れる栄誉をひとつ。



「もう一回やってみて」

 今度はわしゃわしゃと撫でまくれた。

 よし完璧だ。


「これ、なんの実験なんですか?」

安全装置セーフティかな。結果は大成功。もう暴発は起きない」

「あ、あの、やっぱりこれって『精霊さま』なんですか?」

「どうなんだろうね。実はわたしにもよくわからないんだ」


 ピュアな本音を話すだけで誤魔化す感じになる不思議。

 もっと突っ込んだ質問がくるかと身構えたが、2人はそれ以上なにも聞かなかった。

 ヒルデガルド姉さまローゼガルド魔女で鍛えられたに違いない、2人の『なんかやばそうな話題には深入りせんとこ』スキルは熟練のそれだった。



「そうだヨランダ、プルメリアは大丈夫だった?」

「はい。意識も受け答えもはっきりしてました。けどまだ動かせないんで、今はハウさんがついてます」 

「他の皆――姉さまやミゲルは今どうしてる? ってそうだ! ミゲル死んでないよな?」

「ええ生きてますよ。今はヒルデ様とお婆の部屋で今後の打ち合わせをしてます」

「マナナとノエミは?」

「捕らえた『闇の薔薇』の2人がぶち込まれてる地下牢の見張りをしてます」

「なんでえっちな店に地下牢が?」

「行く所まで行っちまった超上級者でも満足できる、ガチで本格仕様のやつです」

 しまったつい余計な情報を。

「……結局あれから、どうなったの?」


 そう、ずっと気になっていた、おれがイグナシオに拉致された後の話。あれからあの場がどうなったか、その顛末。


 2人とも「なにが起きたのか完璧に把握しているわけではない」らしいのだが、主観でいいから聞かせて欲しいとお願いし、まずはヨランダから。


「割れたんですよ、いきなり。あの『大聖堂』ごと全部ぱりーんて。そしたら動けるようになったんで、とりあえずアマリリス様の黒杭ならいけると思って、全力で投げました。……やっぱあれ、マズかったですか?」

「いいや、最高だった。そこは気にしなくていい。けどなんで『大聖堂』は割れたんだ? 原因は?」


 グリゼルダが「たぶんですけど」と前置きしてから、


「マナナだと思います。彼女が基点か術者を、燃やしたんだと思います」

「あー、そういえば飛び出して来た連中、半分ぐらい燃えてたな」

「マナナの奥の手、です。なんて説明したらいいのか、あまりそっちのほうは詳しくなくて、ええと……そうだ、研究所にいた頃のマナナの識別名コードが端的に説明してるらしくて」


 連発される、研究所とか識別名コードとかいう不穏な単語たち。

 正直、触らずにそっとしておきたい。

 けど、聞かないわけにはいかないよなあ。


「そのマナナの識別名コード? なんていうの?」


「概念式集光レンズ2型、です」


 わーお、完全に部品扱い。劣悪な環境が透けて見える。というか隠す気がない。


 ただ、本当にそんなことが可能だというのならば。

 もし、その言葉通りの機能があるというのならば。

 その研究とやらのコンセプトは一発でわかる。


 それは。

 闇に属するものを問答無用で焼き払う。

 同族殺しの、光の剣。


「聞いた感じ、任意の箇所に光を集めて超高温にできるとか? あ、レンズだから視界に映るものとか?」

「ボクもそう思ってました。けどあの『大聖堂』には、見える範囲に術者とか基点とかはなかったです。なのにマナナは、見えていないのに燃やしました。燃やせました。2人は瞬時に炭化して、のこり2人はミゲルさまの指示で捕らえました」


 マナナには、誰にとっても予想外の奥の手があったと。

 それが、突破口になったと。


 つまりこれは。

 された時点でもうどうしようもないと思っていた『現実改変系最終奥義的なやつ』だが、実はなんらかの『想定外』さえ用意できれば、普通に破れるということか?


 1回目の地下空間。ほぼ全滅。

 2回目の大聖堂。半数焼死。半数捕縛。


 ……結果から逆算するに、即死級の想定外じゃなきゃダメっぽいけどな。


 しかし、この事実は頭の中に入れておくべきだろう。

 なにせ、次からは、


 と、そこでここここんと、超速でドアがノックされると同時に開かれた。

 4回ってことは世界基準マナーなんだ。けど同時に開けちゃ意味ねーだろ。

 そんなおれのつっこみは、ノドの奥へひゅっと引っ込んだ。


 白くてでかい女――魔女の巫女が、なにやら両手に荷物を持ってそこに立っていた。


「おいリリ。同時に開けるならノックの意味ないからな。あたしだけじゃないんだ。ちゃんとしろ。そういうのは、最終的にお婆の恥になる」

「ごめーん。両手塞がっててさー。どっちでもいいからヨランダ持ってー」

「……すみません、アマリリス様。あれは決して馬鹿にしてるとか軽んじているわけじゃなくて、ただ頭のネジがゆるんだり飛んで無くなってるだけなんです。そういう生き物だと思って、軽く流してもらえれば」


 んん? この気安く親密な感じは。


「以前から彼女と面識が?」

 魔女の巫女という単語は使わないでおく。

 不仲だったらしいローゼガルドの傘下を意味するその言葉は、きっと侮辱の類だろう。


「こいつも家族の一員です。ほらリリ、挨拶!」

「はーい。リリカ・アカシャです! 上網走改伝流兵法かみあみばしりかいでんりゅうひょうほう中目録ですっ! よろしくねアマリリスさま!」

「お、おう。よろしくね」


 でかいやつにぐいぐい来られると圧が凄い。


「お前それ『アカシャ』って、お婆にやめろって、散々いわれただろ」

「最初に好きに名乗れっていったのはばあちゃんだよ。あと出しとか、しらないよー」


 家族であるらしいヨランダはいった。

 頭のネジがゆるんだり、飛んで無くなっているやつだと。


 ま、明るくポジティブな分にはいいか。


「ほーらグリちゃん着替えだよー。ヨランダと同じタイプのやつと、ちょっと攻めたタイプの2種類用意したけど、どっちがいい?」

「え? ええと、じゃあ、普……攻めた方で」

「グリゼルダ。いちいち付き合ってやらなくていいから。あんま甘やかすとドンドン調子にのるぞこいつ」


 通常タイプを手に取ったグリゼルダが隣室へ。


 おれはそっと、残されたちょっと攻めたタイプを広げてみた。

 ああなるほど、スカートが激短いのね。


「あ、そうだアマリリスさま、なんか来いって呼ばれてたよ」

「……誰に? どこに?」

「ヒルデガルドさまに。みんなで難しい話してる真っ最中のばあちゃんの部屋に来いってさ」

「え、なんで目が覚めたこと知ってるの? 怖いんだけど」

「そりゃー急に館中に猫が生えてきたらわかるよ。おもしろいね、気づいたらあちこちにいるんだもの。営業中ならもっとおもしろかったのに」


 居場所と意識の有無。

 大々的にばら撒いていい情報じゃないな。


 ――3.14159265。夜になったら基本的に『居て』欲しい。ただおれの周囲だけに固まらず、満遍なく散った感じで。あとプレイルーム的な場所は立ち入り禁止ね。









※※※









 ヨランダの開けてくれたドアから室内へと入る。


「おはよう再従弟妹はとこ殿。なんだ、ウチの正装、着替えちまったのか?」

「おはようミゲル。さすがに白地は汚れが目立ちすぎた。気に入ってたんだけどね」


 呼び出されたオーナールーム内には聞いていた通りの3人がいた。ミゲルとヒルデガルド姉さまと、

「お加減はいかがですか?」

 ヨランダの婆ちゃんでありこの娼館のオーナーでもあるターナさんだ。

「このたちのおかげで、もうすっかり良くなったよ」

「それはなによりで」


 事前にヨランダから「助けてくれてほんまおおきになサンキューベリーマッチ!」等の礼の言葉は口にするなと釘を刺されていた。

 なんでも姉さまがいる場でおれがそれをいっちゃうと、誰にとってもプラスがないらしい。

 そんな助言から、さぞ殺伐とした空間なのだろうと内心ビビッていたのだが……思ったより室内の雰囲気は悪くない。いつかのどこかの役員会議のように皆が険しい顔をしているわけでもなく、むしろ穏やかといってもいい様相だ。


 狭くも広くもない部屋の中央、長い机を挟むようにして置かれているソファにそれぞれが腰かけており、おれは姉さまの隣に座ることにした。おれの正面にはミゲル。姉さまの正面にはターナさんという配置だ。


「……その恰好は? グリゼルダの着替えと一緒におまえの分も手配した筈だが?」

 ヘイヘイ姉さま、切れ長の横目が怖い怖い。

 確かに、いかにも『姫』って感じのドレスがリリカの荷物の中にあったけど、あれはハードルが高すぎた。

「趣味じゃなかったから、店の女の子に見繕ってもらった。こういう路線の方がいい」

 まあ普通にパンツとシャツだ。……なぜ娼館に子供サイズの服があるのかは、怖かったり悲しかったりするエピソードが飛び出て来そうなので触れないでおいた。


 ただこういった『オフショット見せてますよ』『そんな姿さらすのは信頼してるからですよ』といったアピールは存外馬鹿にできない。

 胡散臭い邪神もどきにとって、その手のイメージ戦略はガチで命綱じゃないかと思ってる。


「ならA&Jウチがイカしたやつを1着――いや10着ほど届けようか? きっと再従弟妹はとこ殿も満足すること間違いなしだ。ちなみにあの正装は10点満点中何点だった?」

「8点」

「オウケイ。方向性は理解した。その足下がサンダルなのは、なにかこだわりが?」

「いや特には。けどこれ、新しく仲間になる儀式なんだって。味方は多ければ多いほど良いから、ありがたくもらっておいた。役職は猫総合管理だってさ」

「そいつはいい。俺も貰えるかな?」

「内に入っちゃうと、客として来れなくなるよ?」

「残念。縁がなかったみたいだ」

「おまえたち、そういった雑談は終わってからやれ」


 怒られた。そして「挨拶もまだだろう」といわれ、慌ててターナさんと自己紹介合戦をし、おめーんトコのヨランダまじ最高だぜ! とベタ褒めしておいた。

 なんか黒杭投げた件で怒られてたし、これぐらいのフォローはね。


 あとこれはあらかじめ決めていたことなのだが、姉さまとミゲルには呼び捨てタメ語なのでターナさんにもそれで通すことにした。

 ここで差異をつければ2人が下になってしまう。きっとこの場で最も偉いのは姉さまだ。


 なんで別世界に来てまで社内と同じようなことに気をつかってるんだよ、なんて思ったりもしたが……よくよく考えると、どこでも通用する基礎ができているとポジティブに取ることも可能だったので、そうした。


「なあ再従弟妹はとこ殿、本題に入る前にいっこ確認したいんだが、いいかい?」

「なに?」

は、お前さんの友達ってことで、いいのかな?」

 テーブルの上に乗っている黒猫を撫でようとして、す、と素通りするミゲルの手。


 ふーむ、姉さまとターナさんはともかく、この手のタイプと気安くしすぎてもナメられちゃうし、ちょっとかましておくか。


「友人と呼べるほど気安い関係じゃない。が、間違いなく味方ではある。だけど――」


 ミゲルの肩に乗っている猫にお願いして『触れる』ようにする。

 急に感じた肩の重みにびくっとするミゲル。

 よし今!

 ミゲルの肩から猫ジャンプでぴょーんと大きく跳躍してもらう。

 皆の視線がそちらへ吸い寄せられている間に館中の猫を総動員して、おれと姉さまのソファ周辺にスタンバイさせておく。

 着地する手前で、ふ、と消えるジャンピング猫。

 ミゲルが正面のおれへと視線を戻す。なぜか異様に増えてる猫に気づき、またびくっとする。

 スタンバイ中の皆さんキャッツには両目を閉じてもらっている。とくに意味はない。単なる演出だ。

 それを今オープン!

 一斉に全ての猫が目を開きミゲルを見る。その数44。計88個の目。どうだ? 怖かろう?


「このたちはとても気位が高い。わたしはいつも可能な限り慎重に接している。気安くなどといってくれるなよミゲル。へりくだる必要はないが、頭の上に足の裏を乗せるのはダメだ」

「……わかった。ウチの者にもそう伝えとくよ」

「大丈夫。まだどうとでもなるから」

「いつまで遊んでいる。いい加減、本題に入るぞ」

 しょうもない遊びを咎められたおれは、すみやかにキャッツを解散した。


 そうして聞かされた本題とやらの内容はこうだ。


 この旧市街を取り仕切っていた4つのでかい勢力が、ローゼガルドの死と連動した道連れボム大爆発で崩壊した。

 その残党や無傷の中小勢力が、今夜秘密の会合を開いて一致団結しようとしているらしい。

 彼らの目的は、これを機にこの旧市街に自分たちが新たな秩序をつくること。

 その為に排除すべき障害は、残る旧支配の象徴『魔女の巫女』および『魔女の縁者』となる。

 いやさせねーよ? その現場にカチ込んで皆殺しだ! けどそれやっちゃうと頭を失った大量の下っ端が統率をなくして暴走するよね? それは困るよね? というのがここまでのあらすじだ。



 うん、内容が物騒すぎてむせる。

 わかっちゃいたけど旧王家、やくざよりやくざしてる。



「時間を稼ぐ必要がある。A&Jや私の伝手から人員を集めて派遣し、安全確実に掌握するまでの時間を。およそ2週間ほどあればどうにか、といったところか」


 ぶっ殺してはい解決! とはならないか。一応、統治側だもんな。


「じゃあ、今夜の会合に参加するリーダー連中を叩いて大人しくさせるとか、そういうの?」

「方向性としてはそうだ。だが連中とて最低限の知能はあろう。暴力で制圧されたのに命がある時点でこちらの狙いに気付く。自分が『殺されない』という確信は、きっと際限なく馬鹿を増長させる。勝てぬのなら、勝てる相手に標的を移す。そうなるぐらいならいっそ、最初から皆殺しにした方がまだましだ」


 そこで言葉を切って、じっとおれを見る姉さま。

 え? おれが返さなきゃいけないの?


「見張りとか定期的にお宅訪問とかできるような数じゃないんだよね?」

「それが可能な状態を『掌握できている』という」

「めちゃくちゃエグい見せしめとかして、歯向かう気が起きないぐらい震え上がらせるとか」

「それはもう叔母上がやり尽くした後だ。なにをしても二番煎じ。さほど効果はあるまい」


 凄ぇな叔母上、負の遺産が徳○埋蔵金レベルだ。


「……がんばれハウザー?」

「それは最後の手段だ。まずは叔母上の手法を使い回す。長く使えるような手ではないが、2、3週間程度なら問題なかろう」

 そういわれて思い当たるのは……。

「もしかして、できるの? ローゼガルドの闇爆弾」

「いいや。私には無理だな。だがヨランダなら可能だ。しかも叔母上をも上回る、自己判断力すら備えた前人未到の高次元でな」


 えっ? と驚く声に振り向くと、ヨランダが壁際で立っていた。

 あ、そのまま部屋の中にいたのね。


「連中の目的は『旧支配層の排除』だ。魔女の巫女と密接な関係にあると周知されているこの娼館も当然標的となろう」


 中でも狙い目は戦闘力のない女だ、とさらに姉さまは続ける。


「全てが終わるまで非戦闘員を一歩も外に出さないという手もある。安全が確保されるまで営業を停止するのもいいだろう。だがそうなると、店の女を狙うのは有効だ。痛手を与えた。向こうは怯えて縮こまるしかできない。などという『成功体験』を下種どもに与えることとなってしまう。なら後は繰り返しだ。なにかある度に、同じ事が繰り返される」


 いい加減気づき始める。

 姉さまは『絶対にこの娼館に被害が出ない』のを最優先にしている。

 たぶんいつもなら「多少の犠牲は必要経費」とかいいそうなのに、なぜかこの娼館を優遇し、通常ならあり得ない手間をかけようとしている。


 きっとこの人は、必要のないことはしないタイプだ。

 だからこの『娼館に被害を出さない』は必須なのだ。


 なんの為に?

 決まってる。

 今回の一件を、理想的なかたちで収める為に。


「ヨランダ、守りたくば手段など問うな。おまえは今、大切な場所に砂をかけられようとしている。もっと怒り狂え」

「当主殿、この馬鹿は仕掛けて来る相手に遠慮するような腑抜けじゃあないよ。そんなヤワにゃ育ててない。きっとありゃ『自分にそんなことができるのか』っていう戸惑いさね」

「断言しよう。出来る。ヨランダ、試しに『手に取って』みよ」


 いわれるままに両手を構えたヨランダが、いわれるままになにかを引く。

 ずるりと、どこからか黒いかめが滑り出てきてその両手を塞いだ。


「うわっ! これあの時の重っ!」

「これから先必要になると思い、ついでにそれも渡しておいた。一晩を経てそれはもうおまえの物となった。ならば当然、持ち主に適した形となる。受け取るは枠組みではない。それそのもの――概念だと心得よ」


 姉さまの言葉が終わる頃にはもう、両手で抱えるほどの大きさだったかめは、片手で楽々持てるサイズの取っ手つきティーポットになっていた。


「あ、あのヒルデ様! もしかしてこれ、あたしの得物、ティーポットになったとかいいませんよね? ずっと昔から温めていた4種類の切り替えが可能な最高に格好良い剣のアイデアがあって」

「最初についた手癖の矯正はほぼ不可能だ。なに案ずるな。剣などより万倍役に立つ。そもそも、おまえが剣で近接戦を行う時点でもう負け戦だ。無駄な死蔵品にせず済んだと喜ぶべきところだぞ、ここは」

「……あ、はい。……あざす」


 誰かのテンションがここまで露骨に下がるのを初めて見た。

 詳しくはわからないが、ヨランダが望まぬものを押しつけられたのだけはわかった。


「ミゲル。地下牢の『闇の薔薇』の2人に使い道はあるか?」

「ないな。ちょっと話したが、ありゃダメだ。悪い意味で固まりすぎてる。あいつらはもう、やり方を変えられない。そんな自分が大好きな、気色悪ィ死にたがりだ」

「……かつての名門の面影は、もうないか」

「どんだけ昔の話だよ。さすがに夢見すぎだぜ、ヒルダ」

「ならやるか。なにをどこまで出来るのか、実際に試してみる必要がある」


 そろそろじれったくなってきたので、率直に聞いてみる。


「あのさ、わたし、なんで呼ばれたのかな?」

 情報共有してくれるのはありがたいが、わくわく拷問プランとか聞かされても正直その、困る。


「おまえがやらねばならんことが、あるからだ」


 ええー? このカチ込みプランにおれが必要な要素ある?


「今連中の目におまえは、どう映っていると思う?」

「派手に光る怪しいやつ?」

「違う。手にした者に主導権を与える、便利な道具だ」

「……頭にくるね、それ」

「実際はもっと野卑やひな言葉で語られていると思え。この件がどう決着しようが、その勘違いがまかり通っている限り、おまえにちょっかいを出してくる馬鹿が絶えることはない。だからおまえは示す必要がある。貴様等のような輩などいつでも皆殺しにできるのだぞと。軽く見て良い存在ではないと、その身をもって実感させてやる必要がある。ここまでに、異存はあるか?」

「……ない」


 ぐうの音も出ない正論だった。

 事情を知らない街のちんぴらからすればおれの現状は、ターナさんのところに『拾われた』としか映らない。

 そう、客観的にはまだ『景品』でしかない。


「先ほど話したヨランダ製の闇爆弾だがな、実はあのティーポットから出る水を対象の体内に入れるのが必須条件となっている。経口摂取が最も簡単だろうが、こちらを殺しに来る複数の相手に得体の知れぬ黒い水を飲ませるのは、ただ殺すよりも圧倒的に難易度が高い」


 水、黒いのかあ。

 そんなもん、敵じゃなくても飲んでくれないよな普通。


「私やミゲルにも幾つか手段はあるが、ここは丁度良い見せ場だ。拘束され身動きが取れぬという状況は、相手に無力感を植え付ける。それがおまえの手によるものとなれば、最低限の要項は満たせる」


 確かに、拘束され漏斗じょうごのようなものを口にぶち込まれざぶざぶ黒い水を流し込まれるとか、かなりガチな恐怖体験だ。そういや昔の拷問であったなそういうの。


「それを、できるか? アマリリス」


 指輪の感触を確かめる。

 他の指では大きすぎて、かろうじて親指にはめている銀の指輪。

 イグナシオの置き土産。

 誰でも簡単に『現実改変系最終奥義的なやつ』ができる超アイテム。

 きっと夜間のおれなら、いくらでもある闇をじゃんじゃか注ぎ込めば問題なく『起動』できるであろう、新しい玩具。


 問題なのは、なにを『再現』するか。

 サンプルは、候補は、それこそ山のようにある。


「なにをどこまでできるか、実際に試してみたいんだけど、手伝ってもらっていいかな?」


 色々と失敗し、何度もリトライすることになったが、したいことは大体できた。

 外にまで影響が及ぶとまずいと思ったので、姉さまに「なんか結界的なやつで囲ったりできる?」と聞いてみると本当に部屋全体を結界的なやつで囲われてちょっと引いた。


 そうして次の実験――ヨランダがノーリスクノータイムでつくり出せる自己判断能力を備えた液状の呪、仮称『悪霊ちゃん』のできること実証の為、本格玄人仕様の地下牢へと向かった。


 結果、ヨランダの『悪霊ちゃん(仮)』がばちくそ超クオリティなのがわかった。というか判断能力が術者であるヨランダとほぼ同等だった。しかもこいつ、状況はもちろん言葉すらもちゃんと理解するという「もう新たな生命が誕生してるんじゃ?」レベルのなにかだった。


 おれの知っている言葉で表現するならこれは、ほぼノーコストかつ秒で生成可能な自己判断AI搭載の謎センサーと音声入力機能つきナノサイズ即死爆弾――闇物質なので生理機能で体外に排出されることはないよ――といったところか。

 やだなにこれ意味わかんない超テクノロジーの集合体じゃん。


 だがこれはそうそう『つくれる』ものではないと判明もしていた。

 今回の娼館絡みは、そのピンポイントな『悪霊ちゃん作成条件』をばっちり満たしていた稀有なケースだったというわけだ。


 なので、ありがたくじゃぶじゃぶ使う。使えるものは遠慮なく使う。

 そりゃおれも店のお姉さんたちが酷い目に遭うのとか嫌だし、よくよく考えればちっとも他人事じゃない。


「2度はいわぬ。よく聞け」


 実験の最後、姉さまは損傷を治療した闇の薔薇の2人を解き放った。


「手向かえば殺す。まっすぐに街を出るなら、追わぬ」


 きっと本音だったと思う。どうしてか姉さまは『闇の薔薇』に対して妙に甘いところがあった。

 理由はわからない。聞いてもしょうがないので、聞いていない。


 タイムラグゼロでおれに向かって来た2人が飛び上がり、両手に炎を纏ったところで墜落し動かなくなった。

 ひとりは短い矢――ボルトが、もうひとりはおれが真似をした大元たる4種の黒杭の内の1つ――『死』の黒杭が、それぞれ突き刺さっていた。


 野良犬が吠え、鴉が飛び去る。

 日が沈み、月が昇る。


 ちっとも話し合いなんてする気のない、会合とは名ばかりの発表会が、始まる。







※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※







TIPS:魔術結社闇の薔薇


革命末期、当時の王家より下された本島への退避命令を無視し、意地の一念で残り続けることを選んだ貴族たちの末裔。

元来、特別な素養と高度な教育が必要とされる魔術はネグロニア貴族の嗜みだった。


権威と横暴の象徴として苛烈な迫害を受けた残留貴族のほとんどは死亡したが、わずかな生き残りは地下へと潜伏した。

魑魅魍魎蠢く貴族社会で培ったコミュニケーション能力や社交術を駆使し、同じく迫害されし者やまつろわぬ民たちを吸収することで1勢力をつくり上げるに至った不屈の狂人たち、その系譜。


全てを奪われ、野良犬にも劣る身となった彼らはそれでも、魔術だけは手放さなかった。

安全保障を騙る拷問により機能を破壊された彼らにはもう魔術は行使できない。

だが知識の継承はできる。次代に伝えることはできる。

ああ我が子よ。どうか、どうか。


そうして老いた父を荼毘に付した次代たる彼や彼女たちは。

敬愛する父の教え通り、地上に溢れる実験動物を用いた魔術の研鑽を開始した。



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