第5.3話 藍色のシャツを着た色男Ⅱ



「けどあれっすよねー。なんか思わせぶりな副社長アンケンの真っ最中に光の河とか出てきて、もしかしてアレとぶつかるのかなって、実は結構ひやひやだったんすよー」


 いくら所要時間を半分にカットできたといっても、ダッシュ1本で着けるような距離でもない。

 到着しても疲労困憊では話にならないので、定期的に休憩を挟む。


「いやいや、まだ安心するには早ぇかもよ? 神様なんてロクでもない奴に決まってんだから、なんかの拍子にふらっと、賭場とか酒場とか娼館とかが並んでる旧市街をからかいに来やがるって線もあり得る。俺ならそうする」

「そんなのだったら、案外仲良くなれるかもしれないっすねぇ」


 などという軽口は、徐々に萎んで消えていった。


「……あの、ミゲル様。なんかめっちゃ光の河、降りてませんか?」

「あーうん。なんかこう、ほとんど豆粒ぐらいしか見えねえが、街っぽい所に降りてやがるな。あ、望遠鏡では見るなよ。ここで寝られちゃ俺が困る」


 いつの間にやら、今度は東の果てからこちらに向かうようにして、光の河が逆走して来ていた。


「使わなくてもわかりますよ。あれが旧王城だから、そこから1、2、3は外れて……ええ、位置的には、ばっちり旧市街っすね」

「まじでかあ。……器は子供の女の子だったから、目的は酒か博打かな?」

「そういえば見てるんでしたっけ。服装とか髪型はどんなのっすか?」

「長い黒髪の全裸」

「自信がなきゃできないスタイルっすね」


 もどかしいが、まだまだ距離はある。

 なので意図してゆっくりと、それでも平均よりは早いペースになってしまっているのを自覚しつつも、とにかく足を動かす。

 体力を考えると黙って走るのが1番だが、ついつい欲張って口を開いてしまう。


「マナナは普通に旧市街で暮らしてたんだよな? 表向きはレストラン『エルダーエルダ』の店員として?」

「はい。わたしは『表班』でしたから、ふつーに顔見知りもいますし、名前もそのまんまです」

「じゃあ、旧市街のボス――魔女の巫女と面識はあるのか?」


 魔女の巫女。名はターナ。姓は不明。年齢も不明。魔女が幼少期に滅ぼした少数民族アカシャの生き残り。およそ半世紀に渡り活動を続ける、殺害人数キルスコアがこの世で2番目と目される、魔女1番の右腕。


「顔は知っていますが、面と向かって会ったことはないっすね。直接の接触は厳禁でした」

「なんで? 同じ魔女傘下なのに」

「特別行動隊が旧市街に拠点を構えている理由のひとつが、魔女の巫女――あの婆さんが妙な動きをみせた際、速やかに始末する為っすからね。あの婆さん、実は魔女様のことめちゃくちゃ嫌ってるんすよ」


 やべえ奴がもっとやべえ奴を煙たがる。

 どこにでもある、実にありふれた構図だ。


「なら『仮想敵』の情報はきっちり押さえてあるよな」

「ええ、一応は」


 きっと人づての彼よりも、マナナの方が確度は上だろう。


「今回俺たちは、あの婆さんと仲良くやれるかな?」

「……不明っすね。あの婆さんって、なんか妙な『信仰』っぽいの持ってるみたいで……ええと何だったかな、たしかアカシャだったっけ、なんかそんなローカルな自然信仰みたいなのっす。とにかくそれが価値観の根っこにあるみたいで、ふつーの損得や常識が通用しない相手っすね」


 そう聞くと狂人の類としか思えないが、それでも、使えそうなネタはある。


「自分の娼館とスタッフは大切にしてるって聞いたけど、それを取っ掛かりにできないかな?」

「それ最低の悪手っすよ。あの婆さん、自分の店とそこの女の子に手を出す奴は、どんな手を使ってでも絶対に殺します。今のところ生存者はゼロっす。昔1度、親衛隊の数名が調子にのって店の娘相手に傷害事件を起こして、そいつらとその上司とそいつらに金を貸してた奴が皆殺しにされました」

「……魔女、キレなかったの?」

「報告書には『殺したかったので殺しました』とだけ書かれてて、それを見た魔女様も『そう』っていっただけでした」


 うーん、あったかい職場。


「親衛隊って、最低でも侵蝕深度フェーズ6以上の訓練を受けた戦闘員だよな。それを複数相手に、最初期の粗悪な処置しか受けてない婆さんが勝てるもんなのか?」

「次の日にはいつも通り会合に出てましたから、ほぼ無傷で虐殺できたみたいっすね。被害者の遺体に目立った外傷はなし。ただ内臓は軒並み全損。目撃者、生存者がいないので具体的な手段は一切不明。一応、未知の毒物ぐらいしかこんなの無理じゃね? ってなってますが証拠はありません」


 怪談じゃねえか。


「あとあの婆さん、なんか強化措置を受けてないみたいなんすよね。過去の施術名簿のどこにも名前がないって情報系の子が不思議がってました」


 普通に考えてそれはあり得ない。

 強化措置とその被験者は、国ぐるみで病的なまでに徹底管理されている。

 魔女自身がその最たる旗手となっているのだから、いくら己の右腕だからといって例外などは認めないだろう。

 あのおばさんは、自分以外が法を破ることは絶対に許さない、実に素晴らしい順法精神の持ち主だ。


「じゃあなんだ、ただ普通に強い婆さんだって、そういうことか?」

「隊の中では、万人向けに調整される前の、もっと尖ってた頃のほぼ処刑だった強化措置を生き延びた試作型、プロトタイプとかいわれてますね。ま、半分ネタみたいなもんっすけど」


 そんな本当にあった怖い話を聞きながらも足は進み、ようやく旧市街に入った。



 旧市街。


 一言に旧市街とはいっても、その東西で言葉の持つ意味合いは大きく変わる。


 西側は比較的治安も良く、町並みも整然としている区画が多い。

 昔ながらの隠れた名店や良店も数多くあることから、古き良きネグロニアのかたちを色濃く残す一角として、新市街を含めた外からも、それなりに受け入れられている場所である。


 対して。


 東側は文句なしに治安が悪く、町並みもごちゃごちゃとしていて、ワリと簡単に人が死ぬ危険地帯だ。

 賭場、酒場、娼館をミックスした治安悪化のフルコースをはじめ、軍人崩れ、魔術師もどきにくそカルト、どこかの工作員などなど暴力的な危険性もばっちり完備。それらに群がるろくでなし、管理するヤクザ者、手負いの負け犬、ここにしか住めないワケありども。

 住人の8割がそういった輩で、残り2割はその子供たち。

 つまるところ、掃き溜めだ。


 通常旧市街といえば東側こちらを指し、西側は『西区』や『西旧市街』と呼ばれる。



 当然『どこかの工作員』に分類される彼とマナナが向かったのは東側こっちだ。


 増改築を繰り返し、いびつなオブジェのようになった石造りレンガ造り木造りの建物が不規則に入り乱れ密集する品のない迷路。

 どう考えても耐久度的に無茶でしかないだろうに、それでもなぜか2階建て3階建てが多いのは、住人が天使の末裔だから少しでも故郷の近くへ行きたがる、というのが鉄板のジョークだ。


 実際は隣の建物と粗雑な板で繋がっていたり、あるいは向かいの建物と小さな橋で連結していたりするので、補強したりバランスをとったり辻褄を合わせたりを繰り返した結果なのだろう。


 そんな絶妙に視界の悪いごった煮の中ですら、それは彼の視界を一瞬で独占した。


 がくりと天から折れて滝のようになっている光の河。


 旧市街の外れにそびえ立つそれは、どれだけ距離があろうとも、いくら建物が邪魔をしようとも、無理矢理にでも目の中に飛び込んでくる厚かましさがあった。


 あと、やはり遠くからではわからない、近づいて初めてわかることもあった。


「……えっと、猫、っすね」

「葬式の時の『モドキ様』じゃない。皆笑ってる。けどどうしてか飛んでやがる」


 狭い空にぽつぽつと見える、謎の旋回をしている内の1匹が、彼の目の前をすいと通る。

 反射的に手を伸ばすも、すり抜ける。

 性質としては『モドキ様』寄りだ。

 だがどいつもこいつもちゃんと顔があって、しかもなぜかにっこにこだ。


「あ、やばっ、これ眼が合っちゃダメなやつです! たぶん最初に望遠鏡で見たのって、こんな感じの猫だった気がします!」

「いや遅い遅い。もうとっくに何度も眼が合ってるよ」


 だが『声』とやらも聞こえなければ気絶するでもなし。

 マナナの思い違いか、あるいは何か特別な条件でもあるのか。


 ともかく、こうして立ち尽くしていても始まらないので、大きな通りへと出てみる。

 意外としっかりとしたつくりの屋台や露店、住居の1階部分を改装した店舗などが軒を連ねている表通り。

 いつもは深夜だろうが、いや深夜だからこその賑わいを見せる場所だったが、今はその殆どが閉店状態で辺りは閑散としていた。


「なあ爺さん。あんな凄え見世物があるのに、なんで皆、家に引きこもってるんだい?」


 そこそこの値の煙草を手に取り、少し多めの料金を握らせる。


 ほぼ無人の表通りで数少ない、営業中と思しき煙草屋。

 そこの老店主は、じっと光の滝を眺めたまま、1度だけ手元の金額を確認してから口を開いた。


「ありゃたしかに、お空に浮かぶ分にゃいい見世物だ。けどよ、こっちの暮らしの中に来ちまうと、そりゃもうおまえ、おっかねえさ。それにさっきからごろつき共が騒がしい。面倒に巻き込まれるような愚図はここじゃ生きていけねェよ」

「なら、あんたはここで何をしてるんだ? 死にたがりってワケでもないだろ?」


 変わらず老店主の視線は光の滝へと固定されたままで、


「あれを見ている。ずっと見たかった。よもやお目にかかれるとは思わなんだ。オレぐらいの歳の連中は、みんなそうさ」


 いわれて周囲を確認すると……屋台も露店も店舗も、現在営業中のその全ての店主は、皆老齢だった。

 そしてその誰もが、酒や煙草をやりながら、あるいはただ呆然としたまま、じっと同じ方向を見つめていた。


 危機感のない馬鹿は旧市街ここではあの歳までは生き残れない。

 自分だけは大丈夫だとタカをくくっているワケではない。

 こんな閑散とした有様で、商売熱心というワケでもない。


 ならばきっと、彼や彼女らは。


 本気で、死んでもいいと思っているのだ。


 あれを1秒でも長く見続けることと己の命。

 そのふたつを天秤にかけ、見続ける方を選んだ。


 彼には理解できない。

 だからこれ以上、かけられる言葉もない。

 ただ、邪魔だけはしてはいけないと、マナナを引き連れ、静かに大通りを後にした。


「なあマナナ、旧市街ってあんなガン決まり老人ばっかなのか?」

「いえ、あの年代は湿地防衛戦の生き残り世代っすから、だいたいどっかイカれちゃってるんすよ。めっちゃ頑張ったヒトらだから皆優しくしよーね、みたいな風潮はあります。苦しむ腹じゃなくて頭狙って即死させてあげよう、ってレベルっすけど」


 旧市街クオリティに思わず笑いがこぼれそうになる彼の耳に、重く慌しい複数の足音が入る。向きはこちらへ、真っ直ぐと。


 彼は無言で上を指差し、使い捨ての足場を駆け上がる。

 訓練の甲斐あって、完璧に彼の動きをトレースしたマナナと共に3階の屋根上へと身を潜める。


「やっぱズルいっすよこれ。便利すぎます」


 小声で何かをいってくるマナナへ、最高にむかつくと評判の顔を返しておく。


 2人の眼下――さっきまで自分たちがいた脇道に、3人の男たちが現れる。

 その顔を確認した彼は、なんだお前らかよ、と警戒を解いた。


 彼らは協力関係にあるこちらのスパイ――カルミネの側近たちだ。


 向こうから来てくれるとは、探す手間が省けた。

 なら早速現状の報告でも聞かせてもらおうかと、屋根から身を起こそうとした彼が、慌ててまた伏せる。


 3人の背を追う影があった。


 大柄な3人にも引けを取らないどころか、頭半個分は背の高い、しかし3人よりは細身のシルエット。

 髪も肌も病的に白い、どこかまだ幼さが残る顔立ち。

 この特徴的な外見では見間違いようもない。

 魔女の巫女ターナが側に置き、直々に手管を仕込む唯一の存在。

 魔女の巫女の後継と目される、デカくて白くて細い女――白蛇だ。


「ねえ、なにしてるの?」


 おそらくは、急に消えた彼を探しているのだろう。

 きょろきょろと辺りを見渡している3人の背へ白蛇が声をかけた。


「リ、リリカ! なんでここに!?」

「あ、ごめん、驚かせちゃった?」


 飛び上がらんばかりの3人に、どこまでも明るい声色の白蛇。


 報告によればこの白蛇、殺しをする時と赤ん坊をあやす時のテンションが全く同じだという。

 努力による作り物ではなく、心底からの素でそうだという欠落が、魔女の巫女ターナの琴線に触れたのではないかと報告書は結ばれていた。



「いやさ、ばあちゃんから、側近さんたちのあとを追いかけろっていわれちゃってさ」



 あ、こいつら死んだかも。


「お、おれたちを、始末しろと言われたのか?」

「なあにいってんの、そんなわけないじゃん。あ、報告はいいよ。アタシもついでに『エルダ商会』の検分は済ませたからさ。ばあちゃんには、こっちからいっとくよ」

「い、いや、仕事を任されたのは、おれたちだから、報告もおれたちが」

「ここって娼館への帰り道とは逆じゃん。もう戻るつもりなんて、なかったんでしょ?」

「あ、いや、その、ちょっと知り合いに似た奴を見かけたっていうか、その」

「ばあちゃんは最初からわかってたみたいだよ。だからアタシがここに来たんだ」


 こりゃ、とっくにバレてたっぽいな。

 助けるつもりなど微塵もない彼は、そっと3人の冥福を祈った。


「いやね、アタシもばあちゃんもさ、べつに引き止めるつもりとかないんだ。ただ――」


 両手を後ろで組んだまま、白蛇が1歩進む。

 長身による歩幅の大きさ、奇妙な歩法、それプラスもうひとつ何か。

 その3つの複合効果により、白蛇と3人の距離は一息でゼロになった。


 上から客観視してこれなら、相対していた3人からは瞬間移動にしか見えなかっただろう。

 棒立ちの3人の頭上へ、


「ばあちゃんが、これ持たせてやれって」


 ぽぽぽんと、子袋のような物が置かれた。


「……あ? え? これ、……なに?」

「カルミーのへそくり。絶対に表には出せないけど、かなりの高値はつく宝石類。もうここからいなくなる側近さんたちなら、最後にうまいこと換金できるでしょ?」

「え? いや、そもそも、カルミネさんの物をおれたちが」

「魔女おばさんもカルミーも死んじゃって、ばあちゃんが良いっていうんだから、誰も文句なんかいわないよ。ばあちゃんは『退職金だ』っていってた。もらっとけもらっとけ」


 それだけいうと白蛇は「もう会うことはないだろうけど元気でねー」と、本当にそのまま去って行った。


 残された3人は――ただ黙って、その背に向け、頭を下げ続けていた。



 ――あ、やべえなこりゃ。



 今の一連の流れが、彼にとってどう作用するかを理解する。

 放置はできない。確認して、何らかのオチはつけなければ。


「なあマナナ。実はあの3人、こっちの協力者のカルミネっておっさんの部下なんだ。これから話聞こうかと思うんだけど、俺とあいつらは、まだ友達かな?」

「会話に出てきた『カルミー』がそのカルミネのことだとしたら、五分五分ってとこじゃないっすかね。あ、念の為おひとつどうぞ」


 いって望遠鏡を渡される。

 ありがたく頂戴し腰元に差しておく。

 そっと飛び降り着地、いつも通りに声をかける。


「ようお前ら! まさかあんなオチになるとは思わなかったぜ、結構まじでびっくりした」

「ミゲルさん! やっぱりいたんですね、てっきり見間違いかと思いましたよ!」


 反応は上々。

 そのまま旧市街の現状を尋ねると、魔女の死やカルミネの爆散、他の4つの組織の首領も同様の可能性、光の滝争奪戦、そして『エルダ商会』の惨状と、有用な情報の数々を惜しみなく提供してくれた。

 新鮮な情報を得た彼は笑顔。命を拾った3人も笑顔。誰もが皆にっこにこ。


 そうしてこのまま旧市街を去るという3人と別れの挨拶を交わし、彼は表通りへ、3人は路地裏へとそれぞれ背中合わせに1歩を踏み出す。



 ――これで終われば、本当に、よかったんだけどなあ。



 どうやら、ダメだったらしい。


 今回ばかりは、向こうが上手だったと認めざるを得ない。


 あのまま普通に白蛇が3人を始末したなら、マイナス3。

 見逃してさらに退職金まで握らせることで、プラス3へ。


 恩義。これ以上バラされない為の口封じ。なんかよくわかんねーふわっとしたお返しの気持ち。


 その一方的な算数は、される方からすれば堪ったもんじゃない。


 風切り音からして横なぎ。彼の右側頭部への軌道上に足場を固定。

 がぎ、と硬質なものがぶつかる音。振り向いて、ボルトのセットを終えた小型のクロスボウを相手の心臓へ向けたところで、降って来たマナナが頭部を砕いた。


 残り2人。マナナは左へ。だから彼は右へ。

 マナナへは反撃。彼へは防御。


 チンピラ崩れが特殊部隊員に正面から挑み、打ち勝てるだろうか。

 略式とはいえ王の血統の一撃を、何の工夫もなく凌げるだろうか。


 無理だ。


 砕いて、ぶち抜いて、残りゼロ。

 予想してた白蛇の襲撃はなし。

 どうやら向こうからしても、期待値の低い、かかればラッキー程度の一手だったのだろう。


「そのまま行ってくれたらよかったんすけどねー。案外、義理堅いタイプでした?」

「いいや。雰囲気で寝返る、あんまりモノを考えないタイプの連中だったよ」

「あー、だからさっきの寸劇でその気になっちゃうんすね」

「それと口封じも兼ねてただろうな」

「まだ他にネタあったんすか?」

「叩けば叩くだけってやつだ」


 1度は許されたが次はない。なら次の可能性を潰さねば。

 結局は向こうの働きかけの結果だ。


「この手のやつらも無駄にしない魔女の巫女、怖いっすねぇ」


 だからこそ、衝突の種は残したくない。


「俺の感覚じゃ目撃者はいないと思うんだが、そっちはどうだ?」

「いないっすね。この状況でこんな表の近くとか、死にたいやつ以外はいませんよ。煙草屋の爺ちゃんもいってましたけど、面倒に巻き込まれるような愚図はここじゃ生きていけませんから、あんま気にしなくてもいいかと」

「じゃ、さっさと行こう」


 とりあえず場所を移す。


「迎えに行く2人の居所はわかるか?」

「いつもなら商会本館の自室で寝てる頃っすけど」


 先ほど聞いた『エルダ商会の惨状』とやらの現場だ。


「行ってみよう」

「はい。最短ルートで行くのでついて来てください」


 マナナ先導のもと、ぐっちゃぐちゃの迷路じみた、絶対に地元民しか知らないであろうルートを急ぐ。


 道中、2回ほどよくわからん奴が襲いかかってきたが――マナナは一切速度を落とすことなく頭部にフルスイングを叩き込み走り抜けた。

 表には出さないが、どうやら内心ではめちゃくちゃ焦っているのが1発でわかる、殺意ましましかつ微塵の手加減もない見事な殴打だった。

 正直なところ彼は『今さら行っても手遅れだろうな』などと内心思ったりもしていたが、頬を撫でるスイングの余波をうけ、余計なことをいおうとしていた口をす、と閉じた。


 そうして到着したエルダ商会本館前。

 あの3人や白蛇が『館内の様子を確認して無事に出てこれた』時点で危険はないと思われるが……。

 無言のまま裏手へまわったマナナが「ミゲル様、足場お願いします」3階の窓を指差す。

 ルートは想定済み。用心深いのはいいことだ。


 窓を割り侵入し、室内に人気がないのを確認してから廊下へ。

 館内は完全に無音。痛いくらいに静まり返っている。彼の耳でも何も聞こえないので、少なくともこの館の廊下に音を出す存在はない。

 いくつか並ぶドアを無視して、マナナは『オーナールーム』のプレートがかけられたドアへと直行する。


「隊長室です。3階で使ってるのはここだけっす」


 聞いた話から、中がどうなっているのか予想はつく。どうにも気は進まないが、せーので踏み込んだ。


 想像よりずっと酷かった。

 ベッドの上に、男女の下半身だけがあった。

 両者共にすっぽんぽんなのは、まあそういうことだろう。


「……おいおい、まじかよ」


 腰から上はまるで爆散したかのような有様だった。

 ベッドの周辺はおろか、窓際までが派手に飛び散っている。

 いまだ滴る血が、さほど時間は経過していないと教えてくれた。


「この悪趣味な下着はアデーレっすね。彼女は隊長とデキてました」

 マナナがベッドサイドに几帳面に畳まれていた衣類を摘む。

「で、男の方は隊長で間違いなさそうっすね。右ひざの傷、船着場の時のやつです。古さ具合から見ても、間違いはないかと」


 マナナの言葉に「やっぱそっか」と返事だけはしつつも、彼の頭の中は全く別の驚きでいっぱいだった。


 知っていた。見覚えがあった。規模こそ違えど同じ手管としか思えなかった。



 ――いやいやこれ、アルフレド2番目の兄貴お得意の爆弾じゃねぇか!



 相手の体内にそっと仕込む、見えないし触れない破裂する闇。通称、爆弾。


 ただアルフレド2番目の兄貴のやつはもっと威力が控え目で、ここまで派手に爆散する火力はない。腹から胸にかけて致命傷をどちゃり、といった感じである。


 だがそれでも、同系統の仕組みによる結果だということは疑う余地がない。


 この誤魔化しようのない、内から外へと蠢きながら這い出すように加工された怖気を誘う闇の汚泥は、やはりアルフレドのつくり出すそれとほぼ完全に一致している。


 たしかに理屈の上では、傍流のアルフレドにできることが本筋直系ど真ん中の魔女にできないワケがない。いわば完全上位互換だ。


 ――魔女がパクった? いやいや。一々傍流の枝葉まで監視するほどヒマじゃあねえだろ流石に。


 性根が腐り続けていった先の結論とは、似たり寄ったりになるとでもいうのだろうか。


 とりあえず彼は、違和感がない程度にはちゃんとやることにした。 



「……なあマナナ。この2人ってさ、隊内でめっちゃ嫌われてたりする?」

「魔女様崇拝派なんで、だいたい半分にはこっそり嫌われてますけど……どうしてっすか?」

「いや普通さ、いくら嫌いな奴らでも、隊の仲間がこんな様になってたら……上にシーツ被せてやるぐらいはするだろ? なんかそのまま丸出しにしておくのって抵抗感ない?」


 なにせベッドの上だ。遺体の上にかけてやるものなんてすぐそこにある。


「少なくとも、あの3人と白蛇はここで確認した筈なんで、ばってめくってそのまま帰ったとかじゃ」

「いや、シーツとか遺体の上にかけられそうなものには、血がついてないんだよ。こんな断面むき出しのところに被せたら絶対にじわっと染み込んじゃうだろ、血」


 あの3人と白蛇は確認に来ただけだ。

 基本、できるだけ現場のものには触らないだろう。


「……誰もシーツをかけてない。隊の誰も、ここには来ていない?」

「確認してみよう」


 彼の予想通り、2階の自室にいた5名の隊員たちは、その全員が同様の最後を迎えていた。

 上半身が跡形もなく吹き飛び即死。

 それが各部屋で連続して起きている。

 まさに惨状というほかない。


「そ、その! おかしくないっすか!? カルミネさんの所じゃ部下の3人は無事だったのに、なんで特別行動隊うちは隊長だけじゃなくて普通の隊員まで」

「魔女からすれば特別行動隊の隊員は、これまで自分がやってきたやばい非合法活動の生き証人だからじゃないか?」


 あの魔女のことだ。いつでも始末できるよう全員に『爆弾』をセットぐらいは平気でするだろう。

 今回の件をみるに、アルフレドの上位互換である魔女は、いつでも好きな時に、何の制限もなく起爆できたフシすらある。



 ――作戦行動中の行方不明、からの10日間経過による死亡判定って感じかと。



 そう考えると、行方不明から10日が経過した時点で、魔女が手動で『起爆』している可能性が非常に高い。


 今回マナナが弾け飛ばなかったのは、きっと彼女を拾ったのが、あのアルフレドクソヤロウだったからだ。

 偶然にも――というより外道の必然か――同じような方法で、とてもよく似た仕組みの、見えないし触れない破裂する闇を『上書き』できるあいつ以外では、行方不明から10日が経過した時点できっとマナナは終わってた。


 この流れ。


 おそらくはアルフレドがマナナを拾いに行くところから既に、今回の『副社長案件』は始まっていた。


「……あー、たしかに、そっすね。あの魔女様ならしますね、そういうこと」

「ここまでの中に、迎えに行く予定の2人はいなかったよな?」


 なにせアデーレ以外は全員男だった。


「はい。隊長の部屋にいたアデーレも自室は1階で、1階は全員女で7人――あ、いえ、わたしを抜いて6人っすね」

「わかった。まずは確認しよう。話はそれからだ」


 もし本当に魔女とアルフレドが、レベルの違いこそあれど同質のことをしているのなら。


 きっと1階にいる者は、爆散していない筈だ。


「あ、……ダフネ」


 1階へと下りる階段の踊り場。血とよくわからないもので酷いことになっているそこに、女性と思しき腰から下だけが転がっていた。


「なぜ彼女の名前が?」

「ここまでムキムキに鍛えてるの、他にいませんから」


 たしかに、まるで彫像のような見事な筋肉に覆われた足だった。


 1階の床から階段踊り場までの高さまで。

 きっとこれが限界だ。


 ダフネを足蹴にしないよう細心の注意を払いつつ階段を下り、1階へと辿り着く。

 そこで初めてマナナが動揺を見せた。

 だが反射的に踏み出そうとした足を一瞬で止め、彼と2人がかりで罠や待ち伏せがないのを念入りに確認してから、ようやくその人影の下へと駆け出した。


 1階の廊下、その中央辺りで倒れ込んでいる人影。


 それは、マナナよりほんの少し年下に見える少女だった。

 これまでとは違いちゃんと五体満足ではあるものの、首と胸部から大量に出血しており、もう既に事切れていた。


「……彼女は?」

「バンビです」


 迎えに行く2人の内の1人だ。


「俺は他の部屋を見てくるよ」


 そういって彼は使われている形跡のある部屋をひとつひとつ確認して行く。

 そのどれもが綺麗なもので、飛び散った何かやスプラッターな何かが転がっているようなことはなかった。


 やはり1階にいた隊員たちは、誰も爆散していない。


 たしかアルフレドのいっていた理屈は――大地を巡るなんちゃらと破裂する性質を帯びた闇との相性が絶妙に良くて、ことを起こす火種が延々と地に吸収され続けてしまう――とかなんとかだったか。

 もう少しちゃんと聞いておけばよかったと思う反面、地面から近ければ『爆破』はできないという事実だけわかっていればいいかとも思う。


「やっぱり、1階にいた皆は『ああ』はなってないみたいっすね」


 追いついて来たマナナが、見たままの結論をまとめた。


 もういいのかい? 大丈夫かい?

 もういいから来た。大丈夫じゃなくてもまだもう1人は生きている可能性があるので、やるしかない。

 クソみたいな言葉を吐いて、相手をイラつかせるのは彼の趣味ではない。


「1階で何が起きたんだろうな? 俺はここや彼女たちのことを知らない。だから残りの3人が何を考えて何所へ行ったのか見当もつかない。けどマナナはそうじゃないだろ? だったら、ちゃんと考えれば、少なくとも俺よりかはわかるんじゃないか?」


 まずはマナナが落ち着く為の時間を取ることにした。

 正直、1階で何が起きたかなんて見ればわかる。仲間割れで1人死んだ。それ以上でも以下でもないだろう。

 だからこれは、マナナが頭を冷やす為の儀式みたいなものだ。


 思えば、到着からここまでノンストップだった。ここらで少し休憩するのも悪くない。


 マナナはすぐには答えず、黙って考え込んだまま部屋の片隅に置かれてるベッドに腰掛けた。

 邪魔をしないよう彼も、黙って側にあった椅子へと座る。


「あ、ちなみにここって、やっぱり?」


 沈黙に対する耐性が極度に低いのは、彼の短所だ。


「ええ、元わたしの部屋っすよ」


 まあそうだよな、と彼は部屋を見渡す。

 椅子とベッド以外は何もない、遺品整理の済んだ戦死者の部屋。

 ただし誰かが出入りしている形跡はあり、清掃も完璧に行き届いている。


「脱落者が出ると、部屋に物が増えるんです。どうせ捨てるならって、使える物があったら好きに持って行っていいって決まりがありまして。わたしのお気に入りも、あちこちに散らばってました。バンビの部屋に、いつも『趣味が悪い理解できない』とか散々文句いってたチェストがきっちり置いてあって……なんなんでしょうね、あいつ」


 彼は何もいわなかった。

 これ以上藪をつつくのは止そうと静観を決める。

 それからすぐにマナナの考えは纏まったらしく、たぶん流れとしてはこんな感じじゃないっすかねーと話し始めた。


「まず夜空に光の河が現れて大騒ぎ。いくら深夜だっていっても各部屋に窓はありますし、あの眩しさっすから、まあ当然気付きますよね」


 彼らだってすぐに気付いた。きっとあれは、夜空が見えるなら見逃すことはあるまい。


「で、隊長が旧市街の各地に隊員を送り込んだりイロイロやったと思うんすけど、まあそこはどうでもいいんで省きます。しばらくすると光の河はどこかへ消え事態は集束。数名の見張りを残して、他の隊員は自室待機――いつでも100%で動けるようにちゃんと寝て体力回復してろってパターンだと思います」


 まあ確かに『あれ』の後に何かが起きるかもと警戒するのは当然だ。


「数名の見張りってのは?」

「旧市街の場合は2名をウォッチポイント――高くて見晴らしのいい絶景スポットに配置って感じっすね。今夜みたいな特にやばそうな時は、鷹が便利なノエミと、目がよくて足の速いダフネ以外の選択肢はないかと」


 そうして最初の光の河が消えてから少し経った頃。


「今度は『あれ』がこの旧市街の外れ――場所的には倉庫街あたりに降りてきた。それを確認した見張りの2人はそれぞれの場所から全力ダッシュで本館へ。まずは隊長に報告っすね」

「2人とも戻るのか? 1人ぐらいは残しといた方がいいんじゃ?」

「特別行動隊の任務って、だいたい緊急時に1人になった奴から死んでいくんすよ。特に今回の光の河レベルのやばさだったら、単独なら即死ぐらいの意識で動きます。ムダに各個撃破されるとか隊長ぶち切れ案件っすからね」


 彼の予想では、もっと捨て駒のような扱いを想像していたが……そうでもないのだろうか。


「スタートのタイミングに多少の誤差があったとしても、圧倒的に足の速いダフネの方が必ず先に本館へと戻ってきます。……で、本館に飛び込んだダフネはそのまま隊長の部屋に報告へ向かおうと階段を上ってそこで」


 踊り場で、弾け飛んだ。


「これは魔女様が最初から仕掛けていた爆弾で、神さまにぶっ殺された魔女様が最後のやけくそで全部爆発させた。わたしはそう理解してますが、ここまでに間違いはありますか?」

「……俺もそう理解しているよ」

「で、この爆弾、なんか理屈は不明なんすけど、地面に近ければ爆発はしないんだと思います」


 あ、やべ。

 彼は内心で焦り始める。

 仄かにかおりはじめた破綻のにおいが、徐々に濃くなっていく予感がしたからだ。


「たぶん1階から2階への階段の踊り場がセーフな高さの限界で、そこから上は問答無用でどかん、だったんじゃないかと」


 まずい。

 このまま進むと、まずい。

 アルフレド製と魔女製の違いがまだはっきりとしない。そもそも、術者が死亡した場合どうなるのか、その前例が全くない。きっとそう遠くない内に、下手したらもう既に、どうしようもない矛盾が浮き彫りになる気がしてならない。

 だから彼は話を戻す。


「たしかにそれっぽいな。ただ、残った4人はそれに気付けたのかな? 俺たちは3階から『色々と見つつ』下りて来たからすぐにそうだってわかったが」

「……確実に気付いて、理解したと思います」


 よし通った! 彼は飛び上がる内心を悟られぬよう、真面目くさった顔をつくる。


「ここにいるのは皆特別行動隊の隊員っすから、いきなり部隊員が変死したなら、無防備に駆け寄ったりは絶対にしません。基本、二の舞になると考えます。倉庫街に降りてきた光の河もあって、警戒レベルはさらに上がっていたかと」


 実際、ダフネ以外の1階メンバーは誰も弾け飛んでいないので、その通りだったのだろう。


「そんなところに、ダフネよりも遅れてノエミが帰って来ます。なら後はノエミの『鷹』を飛ばして上階の様子を把握することで、わたしと同じ答えに辿りつきます」


 いやまじで便利だなその鷹。

 つーか生物を再現できてる時点で、もうやってることの次元がひとつ上がってない?

 折角のいい流れを断ち切ってはならないと、彼は口を開くのを必死に我慢した。


「残った4人の内の2人、グリゼルダとマリアンジェラは魔女様崇拝派です」

「あー、じゃあ、2対2の構図になったワケか」


 マナナが迎えにきた2人――ノエミとバンビは『魔女うぜえくたばれや』派だった筈だ。


「いえ、正確には、2対1対1、になったと思われます」

「え、まじで? この状況で分裂すんの? 崇拝派」

「はい。マリアンジェラは『自分のプラスになるから崇めてる』感が透けて見える、ある意味理解できる奴です。けどグリゼルダの方はダメっす。根っこの底から、徹底的にイカれてます」

「それって、どんな感じに?」

「グリゼルダはこの惨状を理解しても『最後に魔女様が死ねと望まれたならその通りに死ぬべきだ。むしろ御一人にさせるなど言語道断。我らはすぐさま追従すべき』とかいって、即実行するような奴です。たぶんバンビは位置が悪かったんだと思います。皆がそれを理解した瞬間、不運にもグリゼルダの1番近くにいたのがバンビだったんだと思います」


 うーん、強烈。

 ある意味、彼が思い描いていた『特別行動隊』のイメージ通りの奴、というワケだ。


「他の2人が即逃げしたってことは、そのグリセルダ、2対1でもどうしようもない奴なのか?」


 廊下のどこにも損傷や血痕等の争った形跡がないことから、逃げの一手が窺える。


「殺しの腕だけでいえば、隊長よりも性能は上です。ノエミじゃまず勝てませんし、特にこんな廊下みたな狭い場所じゃほぼ無敵っすね。正直、わたしがその場にいても即逃げ以外なかったと思います」

「そんな奴が、色んなモンでごちゃごちゃの旧市街をうろついてんのか。嫌すぎるなそれ」

「たぶんグリゼルダは魔女様最後の『御意思』を完遂しようと、残りの特別行動隊メンバーを探し回っていると思います。厄介なことに、根は死ぬほどクソ真面目なんです、あの狂人」


 この話で最も重要なポイントは。


「マナナなら、そのグリゼルダ、いけるか?」

「はい。いけます。方法はいくらでも」


 そこまで聞き終えた彼は、するりと取捨選択を終えた。

 とりあえずこの話は、A&Jの利益には

 だがマナナは、きっとこの件を無視できないだろう。

 ポジティブに考えれば、グリゼルダとかいう捨て身の危険人物不確定要素を、進んでマナナが受け持ってくれると取ることもできる。


 マナナは邪魔者を排除しつつ戦力を確保する。つうか鷹、凄い便利そう。

 彼はダイレクトに本命へと赴き、今回の勝ち筋をみつける。

 あとついでに、魔女の爆弾などという意味不明の後だしジャンケンについてもこっそり調べる。ここにはサンプルが山とある。大まかな特性ぐらいは掴める筈だ。


 悪くない。決まりだ。


「よしマナナ、ここからは別行動だ。俺は光の滝の方へ。マナナは友達ダチの方へ」


 副社長案件――姉貴のオーダーは『マナナとネグロニアの旧市街へ行け。そこで最低限の権益を確保しろ』だ。

 別にずっと一緒に動けとは一言もない。

 なんなら、もう既に前半部分は達成済みですらある。

 副社長案件これは多少のアドリブで崩れるようなヤワなもんじゃない。

 それはこれまでで、十分に実証済みだ。


「え、ミゲル様、争奪戦に参加するんすか?」

「しないよ。あんなもん貰ってどうする? 光がうるさすぎて、夜に眠れなくなっちまうだけだろ?」

「じゃあ、野次馬っすか?」

「そうだ。たぶん、あれを押さえたヤツが主導権を握る。俺は、A&Jは勝ち馬に乗る。そのタイミングを逃すワケにはいかねえからな」


 きっとぐちゃぐちゃの大混戦となるに――いや、もう既になっているに違いない。

 いくらでも紛れる余地はある。

 仕上げのちょい前にプスっと一刺し手助けでもして、新しい兄弟と笑顔で握手だ。


「なら、わたしも一緒に行きます」

「え? なんで? ノエミ殺られたらダメじゃね?」


 マナナが一緒にいたら、魔女爆弾の解析に手が出せなくなってしまう。


「まず大前提として、ノエミはわたしが生きてることを知りません。さらにバンビも目の前で殺されて、勝ち目のないグリゼルダからは殺す気で追われて、既にあいつのメンタルはずたぼろです。マリアンジェラとは協力なんてできるワケないし、街の外へ逃げようにも行くアテなんてどこにもない。ないない尽くしのあいつが首をくくる前に行くとしたら、どこだと思いますか?」

「……まさか『神頼み』とかいわないよな?」

「いっちゃいます。1度ローに入ったあいつは、死ぬほど愚かな選択を最低のタイミングでします」









※※※









 思っていたよりもずっと地味な展開が続いていた。


 彼の予想では、魔術結社『闇の薔薇』や退役軍人の扶助組織『護国の盾修友会』あたりが目の色を変えて殺到すると踏んでいたのだが……実際は統率もくそもない有象無象のちんぴらもどきが、わちゃわちゃと地味に殺し合うだけでちっとも核心には届かない退屈な展開がだらだらと続いていた。


「やっぱズルいっすよこれ。便利すぎますって。つーかこれ、弱点とかあるんすか?」

 マナナが腰掛けている不可視のそれを軽く叩く。

「山ほどあるさ。基本、夜しか使えない」


 まだ夜は明けていないというのに妙にまぶしく、無風の中を光の粉雪が散乱する倉庫街の東端、5番区画。

 今も光の滝が降り注ぐその一帯を一望できる、地上約20メートルほどの上空に彼とマナナはいた。


「あのミゲル様、もしかして『これ』って夜明けと共に消えたりしませんよね? この高さ、痛いじゃ済まないっすよ」

「出力は下がるが消えやしないよ。それよりも、こっちの姿が丸見えになる方が問題だ。ここまで楽ができんのは夜間だけの贅沢で、そっから先はちょいと便利な2段ジャンプくらいに思っとけ」


 延々と落ち続ける光の滝。

 地表がまばゆいほどに、対となる空の暗さは際立つ。

 今はまだ闇コーティング済みコートをしっかり着込んだ彼らが見付かる心配はないだろうが、移動のタイミングは見極めなければならない。


 などと考えている内にまたひとり、どさりと地面に転がっていた。


「あ、やべ見逃した。マナナ、今のヤツ知ってる?」

「たしかリベルトかリベリオかそんな名前の軍人崩れで侵蝕深度フェーズ3だったかと」


 ちょこちょこと強化済みの連中が混じり始めたが、それでもなお瞬殺の繰り返しだ。


「なあマナナ、もしかしてこれ『闇』とか『盾』とかの有名所が来ないとか、あり得るかな?」

「そっすねー、特別行動隊うちやお財布番のカルミネだけってことはないでしょうから、たぶん『闇』も『盾』もトップは弾け飛んでるでしょうね」

「それでもあいつらなら来るだろ? 好きそうじゃん、神さまとか」

「えーと、実はですね『闇』と『盾』に対しては、かなり昔から特別行動隊うちがこつこつと不安定化工作とか仕掛けてまして。今あいつらは、それぞれ身内同士や組織同士で、互いが互いを殺そうとしている蹴落とそうとしていると、なぜか強く確信してます。必死にそれを押し留めていたリーダーが両方そろって弾け飛んだなら、もう今頃、組織の体は成してないかと」

あのおばさんローゼガルドのそういうムダに有能なところ、苦手だなあ」


 そうなると、いよいよ選択肢はなくなってくる。


 おそらく、有象無象のちんぴらもどきがいくら突っ込もうと成果はないだろう。

 光の滝あれ相手に数で攻めるのは無意味だ。

 ある一定の距離まで詰めると、そこで一気に落ちる。


「あ、またチャレンジャーが来ましたよ! 今度は知らんヤツ! 7時!」

「毎回それ大変だろ? ちゃんと見とくからいいよいいよ」


 今彼らは光の滝を直視しても大丈夫なぎりぎりの距離に陣取っている。

 その見極めには、このようなチャレンジャーが大いに役立ってくれた。


 うず高く積み上げられた木箱や謎の積荷の合間にぽっかりと空いた、ばかでかい広場のようなスペース。

 その丁度真ん中あたりに叩きつけられている光の滝、その根元へ向かいマナナがいった方向から人影が飛び出す。遮蔽物から出て3歩ほど進んだところで、何かが走る。

 波紋と呼ぶのが最も適切だろうか。水面に石を投げた際に起きる波のような何かが、ほんのりと薄く空間をたわませる。

 それに触れたチャレンジャーの全身から一気に力が抜ける。そのまま前のめりに倒れ込み惰性のままにスライド。あのスピードに自重、鼻ぐらいはへし折れていることだろう。


「あーやっぱダメっすねー。そもそも防御も回避もしないってことは、たぶんあの波っぽいの、本人にはちっとも見えてないんでしょうね」


 1度あれを受けたマナナの証言によるなら、


「あいつらにも『声』ってのが聞こえてんのかな。ならあれは、音が見えてるとか?」

「試してみます? ここから望遠鏡で覗けば、たぶん何らかの結果は得られますよ?」

「……いや、それは最後の最後、ぎりぎりまで止めておこう」

「やっぱ、時間制限ありっすか?」


 いってマナナが光の滝の終点へと目をやる。


「ああ。マナナにも見えるか?」

「かなりぼんやりしてますけど、こう、光の根元の黒い猫っぽいのが密集してるところに……なんか、誰かが寝てるような?」

「寝てるというより、あんな小汚ねぇ地べたなんだから『ぶっ倒れてる』っていった方が正しいだろうな」

「ずっと不思議だったんすよね。降りてきたのに、なんでそこでじっとしているのか。やっぱあれって、休憩中とか回復中とかそんな感じっすよね、どう考えても」


 こんな小汚い場所でぶっ倒れて、治療っぽいことをしている理由を考えると、


「凄ぇよな魔女さま。ちゃんと相打ちにまで持って行ってやがる。……いやまじでなんなんだよあのおばさん、ゴッドスレイヤーまであと1歩だったとか、なんかもうただただ怖ぇーよ」

「そんなん今さらっすよ。けどそれなら、あの光の河って、全部神さまのごはん? 栄養? みたいなやつってことですよね?」


 つまりあれが夜空にある限り、延々と補充され続ける。絶対に死なない。殺せない。


「だから、腹一杯になる前に、どうにかしたいよな」

「弱ってるところに優しくするのが1番ってやつっすね?」


 言葉の響きは最低だが、まさにその通りだ。


「けど俺たちA&Jはここじゃ余所者だ。そんなヤツが他を出し抜くかたちで神さまと1番のお友達になんかなってみろ、地元の連中からすると横取りしたクソ野郎かつ侵略者だ。四方八方からマイナスまみれの袋叩きで、いつか必ずひっくり返される。利益どころの話じゃない」


 だから地元の有名所に『あれ』をかっさらって貰い、全力でそこへ擦り寄る構えでいたのだが……その最有力候補が2つとも、ゴッドスレイヤー未遂おばさん渾身のきれっきれな謀略により、勝負の場に立つことすらできなかった。

 4つの主要組織、その残るひとつは、絶対にこの場には来ない。

 ならば今あるもので、どうにかするしかない。


「……最悪の場合、マナナには『エルダ商会代表』になって貰う。かなり苦しいが、嘘はひとつもない。うん。たぶんいけるいける」

 副社長案件がわざわざマナナを指定した理由を考えると、あながち的外れな考えではないのかもしれない。

「いやいや、どんな阿呆でも一瞬でわかる傀儡じゃないっすか。それじゃ結局、ちょっとマイルドな侵略者ですって」

 ちょっとマイルドな侵略ぐらいなら、A&Jの通常業務の範疇だ。ここまで積み上げた実績がある。ノウハウがある。不可能が難しいぐらいにはなる。あれ、これ本当に行けんじゃね?

「ならこうしよう。あと5分様子を見て動きがなければ、マナナ会長の最初のお仕事『あれを突破して神さまとお友達になろう』が始まる」


「あ! 来ましたよミゲル様! 魔女の巫女っす! よしやったあ!」


 めちゃくちゃ嬉しそうなマナナのいう通り、魔女の巫女ターナとその一派が、今まさに5番区画へと足を踏み入れるところだった。


「あの婆さんは来ないもんだと思ってた」

 魔女の命令以外であの婆さんが能動的に行動するのは娼館が絡む時だけだ。

 なので今回は、騒ぎが収まるまではとりあえず守りに徹するものだとばかり考えていた。

「わたしも、自分の店にしか興味はないと思ってたんすけど、いやあ嬉しい誤算っすね!」


 そんなに嫌なのか、マナナ会長。

 だがまあ、勝ち馬としては申し分ない。

 店が大事だというのなら、そこを手厚くしてやれば十二分に上手くやっていける相手だ。


「お、バラけたな。正面から行くのは婆さんと白蛇と……あれ誰?」

「マリエッタっすね。辺境の暗殺教団『人寄形ひとよりかた』出身の元ドールナンバー7」

「なにそれ、凄そう」

「実際凄いっすよ。12歳以上平均生存率5%の壁を潜り抜けた、上澄み中の上澄みっすから」

「……なんでそんなんが娼婦やってんの?」

「あの婆さんが採用するのって、そんなんばっかっすよ。普通に生きてれば絶対にかかわれないしかかわらない方がいい美人ばっかの店、ってのがネグロニア男子の心を掴んで離さないんすよ」

 実はこっそり店に行ったことがあるのでその辺は完璧に理解しているよ、とはいわないでおいた。


 散開した2人1組からなる無数の小集団は回り込むように素早く、正面から行く3人はゆっくりと包囲が完成するのに合わせて展開して行く。


 どう考えても娼館の私兵ごときにできる動きではないが、一々突っ込んでいてはキリがないと思った彼はただ黙って成り行きを見守った。 


「あの、ミゲル様」

「ん? どうした?」

 眼下では魔女の巫女が、倒れていた男を放り投げて何らかの実験をしている。

「ここまでがっちりされちゃうと、わたしたちが介入する余地、なくないすか?」


 正直、現状ない。


「慌てるなマナナ。こうして様子を窺ってるのは俺たちだけじゃない。ノエミはもちろん、それ以外にだって横からかっさらおうと企んでる奴らは絶対にいる。俺たちの出番は、そいつらが我慢の限界を超えて飛び出してきてからだ」

「そいつら蹴散らして、魔女の巫女の婆さんに取らせるんすよね?」

「マナナ会長が嫌なら、そうなる」

「了解っす。全力で頑張ります」


 そうして彼とマナナの視線は、自然と一ヶ所に引き寄せられた。

 うず高く積み上げられた木箱や謎の積荷の合間にぽっかりと空いた、ばかでかい広場のようなスペース。その丁度真ん中あたりに叩きつけられている光の滝。

 そこへ向け、魔女の巫女ターナがとくに足を緩めるでもなくぬるりと、その一歩を踏み出した。


 彼の予想としては、少し前に白蛇が見せた謎の超加速を用いて一気に距離を詰める、あたりが本命だった。

 教え子にできることがあの婆さんにできないワケがない。

 体力的には劣ろうとも、そもそも熟練度の桁が違う。結果として、速度でも劣るとはどうしても思えなかった。

 もしかしたら一瞬で決まる、なんてこともあるかもしれない。


 そんなことを思う彼の眼下で、老婆は躊躇うことなく地に伏した。

 両膝を折り畳み手をついて、額を地へとはり付けた。


 速度がどうとかではなく、そもそも移動すらしなかった。


「……あれ、何してんの?」

「うーん、前にもいったと思うんすけど、なんかローカルな自然信仰みたいなのが価値観の根っこにあるみたいで、普通の損得や常識が通用しない相手っすからねぇ」


 たしかにその通りだ。

 あれはたぶん、損得とか常識とかの外にいやがる。


「あ、なんか凄くゆっくり動き出しましたね。なんすかねあれ、武術のすり足的なやつ?」

 魔女の巫女は極限まで姿勢を低く落とし、まるで地を這うように、2本の足でのたうつ蛇のような独特のすり足でじわりじわりと距離を殺している。


「今までのチャレンジャーの中での最高記録ってどれだっけ?」

「えーとたしか、目隠しして大きな盾で顔を隠したヤツの5歩だったと思います」


 今魔女の巫女の歩みは、成人男性換算で8歩目を越えようかというところだ。


「頭部をできるだけ下げて、体勢を低く保ち、超スローペースで進むのが『正解』だってのか?」

「いやいや、なんであの婆さん、そんなこと知ってるんすか。つうか、神さまへの接近方法とか、どこで習うんすかそんなの」


 まだ彼女が魔女の巫女と呼ばれる前。

 アカシャとかいう少数民族の巫女だった頃。

 歴史にも記録にも残らない、虚神の従僕が末を自称していた異端どものかんなぎ


 単なる僻地の民族カルトではなく、まさか、本物だったとでもいうのだろうか。


「あ、ダメ。ゆらゆら波、きちゃいました」


 マナナのいう通り、ほんのりと薄く空間がたわむ。

 それが波紋のように広がり、地を這う老婆へと触れる。

 がくっと、その全身から一気に力が抜けた。

 前のめりに倒れ込む寸前、1歩、足が前に出る。

 たたらを踏むように、2、3と進む。

 次の波が老婆に触れる。

 がくっと、その全身から一気に力が抜けた。

 前のめりに倒れ込む寸前、また1歩、足が前に出る。

 今度はたたらを踏むより先に、再度無色の波紋が老婆を貫いた。

 がくっと、その全身から一気に力が抜ける。

 右手側に崩れ落ちる寸前、握り締めた拳が地に叩きつけられた。

 それを支えに左手が前に出される。

 その隙間に膝を差し込むより速く、波が老婆を撫でる。

 がくっと、その全身から一気に力が抜ける。

 頭から倒れ込むより先に、地へと頭突きをかます。

 両の拳を地につき立て、足を1歩、前へと出す。

 二重となった波紋が連続して老婆を――。



 彼もマナナも、何もいわず、ただ無言だった。

 今も視線の先では、ゆっくりと、しかし確実に老婆が歩を――いや、あらゆる全てを使い、ただただ前進を繰り返している。


 なぜ、あんなことができるのか、わからない。

 気合や根性でどうにかなる次元ではないと、ここまでのチャレンジャーを見続けてきた彼は知っている。

 度胸や根性という意味では、光の滝へと突っ込んで行けるならず者たちも、まあ一角のものといえるだろう。


 だが、そんなものは『あれ』の前では無意味なのだ。

 そんな気持ちやら勢いは、全てなぎ倒されてきた。

 思いだけでどうにかなる次元のものではない。

 その実例は山と見てきた。


 だから、わからない。

 今目の前で起きていることが、よくわからない。


 魔女の巫女。


 あのローゼガルドが、およそ半世紀に渡り重用してきた理解不能な『何か』が今、光の根元へと辿り着き、その全てを蹴散らした。


 小汚い倉庫街に朝日が差し込む。夜が明ける。


 するとそこには、妙な格好をした男か女かもわからない小柄な誰かと、見覚えのある縞模様の上下を着たどこかの地下で棺に入っていたのを見た少女――ておいあれウチの『正装』じゃねーか!


 一瞬で正気を取り戻した彼が、ずっと腰に差したままだったマナナの望遠鏡を取り出しその細部を確認する。

 やはりどう見ても、実家の直系しか着用を許されない、今彼が着用しているものとサイズ以外は全く同じ正装だった。

 だがあんなお子様サイズなど――そういや昔、親父が恩着せがましくヒルダに送ってたな。


 そこでふと、繋がった。

 彼を逃がしたヒルダ。きっと酷いことになった降神の場。死んだローゼガルド。

 あの器――いや、降りた『何か』があれを着ている意味。



 ――あれ? もしかしてこれ、ヒルダが全取りしてね?



「ミゲル様、あの服って結構出回ってたりするんすか?」

「いや、完全オーダーメイドで、あのサイズは昔、親戚のヒルデガルドちゃんに送った1着だけだ」

「そのヒルデガルドちゃんが生きてるか死んでるかで、がらっと意味が変わってきますね」


 貰ったか、奪ったか。


「どちらにせよ、俺たちが次に取る行動はひとつだ」

「なにをするつもりっすか?」

「そう難しいことじゃない。魔女の巫女さんの所へ正面から堂々とお礼をいいに行こうって話さ」

「お礼? なにいってんすか急に?」

「いいか、俺たちはこういうんだ『をごろつきどもの手から守ってくれてありがとう』って」


 どういう経緯にせよ、あの格好をしているならA&Jの関係者だ。

 少なくとも、そう主張することはできる。

 最初の1歩が用意されているのなら、あとは彼の仕事だ。


「ほどんど出たとこ勝負じゃないっすか」

「いいやマナナ、こいつはデカい。最初の接触が脅しや暴力じゃなく対話で、しかもこっちにはちゃんとそうする理由がある。あと俺はアドリブがめちゃくちゃ強い。しかもヒルデガルドちゃんが生きてるパターンだったら、もうほとんど勝ちは決定だ。これをしないのは、慎重じゃなくて単なる腰抜けだ」


 彼のカンでは、たぶんこれで決まる。


「そんなに都合よく……あやばっ! まずいっすよミゲル様! 完全に忘れてましたけど、もう夜が明けちゃってます! ふつーに朝日昇ってますよこれ!」 

「あ」


 光差す明け方の空に、ぽつんと浮かぶ闇2つ。

 不自然だ。おかしい。違和感どころの話ではない。


「……慌てるなマナナ。ルート1、最寄の木箱からダッシュのコースだ。道はその都度つくる。階段を横歩きする感じでゆっくりと動け。大丈夫だ。光の滝とかいうとびきりの異常があったばっかだ。ちょっとした黒いもやもやぐらい、誰も気にしないし気付かない」


 そうしてゆっくりじりじりと横移動をしつつも、魔女の巫女たちの動向を窺う。

 幸い、まだ誰もこちらには気付いていない。散開していたメンバーが再集結し、今度は中心を守るように陣取っている。


「めっちゃ警戒してますね。襲撃があるのを前提に動いてますよあれ。しかも3人、弓持ちがいます」


 怪しく浮かぶ2つの闇が発見されると、即座に矢が飛んでくるだろう。

 急に動けば嫌でも目に付く。なのでゆっくりと落ち着いて。おちついて。

 と、そこで彼はふと気付いた。


「見ろよマナナ。あれだけいた猫が全部いなくなってる。たぶんあいつらは日光の下には居られないんだ。ならそれの集合体である『光の河』も同じだろう。ってことはだ」


 日中ならばあの神さまは、普通に死ぬのではないだろうか。


「あの婆さんが辿り着いたからじゃなく、夜が明けたから『光の滝』は消えたのかもしれないっすね。あんな頑張ったのに実は単なる時間切れでしたとか、なんかイロイロと台無しっすよねぇ」


 そんな微妙に噛み合わない話をよそに、眼下の魔女の巫女一行が動き出した。

 まずは白蛇が、黒い被り物をした顔も性別もわからない誰かを抱えて、先頭集団と共に来た道を引き返して行く。

 次いで魔女の巫女ターナは手ぶらのまま、その少し後を追う。

 そして最後の後方集団では、元暗殺者のマリエッタが『A&J期待の新人(仮)』を抱えて移動を開始した。


 前後に餌を振り分けて、少しでも同時に相手する数を減らす算段なのだろう。

 どちらかに現れた襲撃者が、ほんの少しでもまごつくと……正面から『光の滝』を突破する理解不能の怪物が、殺る気全開ですっ飛んで来るというワケだ。

 なんというかもうそれだけで、絶対に手を出したくない布陣だ。

 少なくとも彼が襲撃者側なら諦める。


「そのまま行ってくれるみたいっすね。正直ほっとしてます」

「あんなもん見せられたあとに、あの婆さんとやり合いたいと思うヤツなんていないだろ」


 そうして2人が安堵し、後方集団が木箱が連なる一帯に入ろうとしたところで――『A&J期待の新人(仮)』が地を転がった。彼女を抱えていたマリエッタが倒れたのだ。

 素早く駆け寄る男たち。

 ぐったりとしたマリエッタを2人がかりで持ち上げ、2、3回振り子のように勢いをつけるとそのまま木箱地帯へと放り投げた。


 瞬間、全ての木箱がまるで意志でも芽生えたかのように動き出し、並び、積みあがり、さらにうず高く積み重なり、光の滝が降りていた広場と外とを区切る、高く大きな壁となった。

 広場側に残ったのは3人の男と、眠ったままの『A&J期待の新人(仮)』のみ。

 分断のタイミングとしては完璧。何らかの不意打ちで実力者のマリエッタを無力化した手管も鮮やか。咄嗟の思いつきではない。これは然るべき準備の果てに訪れた、順当な結果に違いない。

 男の1人が『A&J期待の新人(仮)』を抱え直し、そのまま反対方向へと駆け出す。残る2人はその護衛。


 ――おいおいまて待て! 襲撃者っていうか、思いっきり身内が裏切ってんじゃねーか!


「ミゲル様! よりによって新人の方がさらわれちゃいますよ!」

「ああくそっ、わかってる! やるぞマナナ! 走れ!」

「はいっ!」


 もはや形振り構っていられる場合ではない。

 あの『A&J期待の新人(仮)』が行方不明になどなってしまえば、全てが瓦解する。

 しかも彼の予想が正しければ、日中のあれは普通に死ぬ。

 あの魔女の巫女を正面から裏切るような連中だ、とても正気とは思えない。

 最悪の事態は容易に起こり得る。


 存在の露見。多少の手の内。

 構わない。ボルトを装填する。

 矢種は1番。何も特別な効果はないが、彼が健在な限りいくらでも撃てる。


 射程圏内をあの程度のスピードで動く的など、外しようがない。

 彼は特に気負うことなく撃つ。

 走る男の腿を撃ち抜く。倒れ込む男の腕から『期待の新人』をかっさらう黒ずくめの誰か。今まで姿を見せなかった4人目。黒頭巾で顔を隠しているそいつの足に向け、さらに撃つ。


 両手で『期待の新人』を抱えている為、基本そいつにできるのは回避だけ。

 とはいえ、いくら子供サイズだとしても、それだけの重石を抱えた身では飛んだり跳ねたりはできない。

 なので狙いさえ外さなければまず当たる。

 当然、彼がこの距離で外すことなどあり得ないので、走る足の膝下へ吸い寄せられるように矢は向かいそして――そ、と矢の側面に足の裏が添えられ、そのまま軌道を逸らされた。


 両手でひとりを抱えたまま全力疾走をしつつ、ろくに見向きもせずにこの芸当。

 そこらのちんぴらとは格が違う。

 このタイミングで介入してくる別格の相手。


 ――特別行動隊の生き残りかよ!


 瞬く間に黒頭巾は積荷の陰に消える。

 急いで彼はマナナの後を追う。

 闇色の道を駆け抜け、積み上げられた木箱に飛び下り、黒頭巾とマナナが走り去ったと思しき方向へとにかく走る。

 律儀に障害物に付き合ってやる義理もないので、全てを無視して低空を駆ける。

 そうして倉庫街を抜け旧市街の端に出た彼の視界には。


 黒頭巾もマナナも魔女の巫女を裏切った男たちも、誰もいなかった。


「……やっべ」


 完全に、見失った。


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