第105話 超えられない壁
夏休みも進み8月の中旬が迫ったある日、事務所の1階にある秘密の練習部屋で、僕はななちゃんの練習を見てる。
終業式が終わってから彩音さんの周年ライブに向けて毎日練習をしているが、ななちゃんのダンスは一向に上達しない。
いまだに歌とダンスを同時に行うと必ずどこかでミスをしてしまう状態が続いていた。
「こんなに練習をしているのに‥‥‥どうして上手くいかないんだろう」
「しょうがないよ。ななちゃんは歌やダンスのレッスンを始めて1月も経ってないんだから。ミスはあるよ」
「でも、やるからには完璧にやらないと。彩音先輩の周年ライブなんだから、下手な物は出せないよ」
ななちゃんがそう言うのもわかる。僕も去年行われた彩音さんの周年ライブをアーカイブで見たけど、ものすごくクオリティーが高かった。
それこそアイドルの生ライブを見ているのかと思う程、歌もダンスも本格的である。
その中に今のななちゃんが加わると思うと、彼女には少しだけ荷が重いと感じた。
「サラ先輩も秋乃先輩もあたしよりレベルの高いダンスを完璧に踊ってた。たぶん今回の周年ライブは去年よりも更にクオリティーが高くなる」
「焦る気持ちはわかるけど、それで自分を追い詰めたらダメだよ。そんなに頑張って怪我でもしたら、周年ライブに誘ってくれた彩音さんに悪い」
彩音さんだってななちゃんと一緒に歌いたいから、自分の周年ライブに無理をしてコラボ楽曲を組み込んでくれたんだ。
それなのにななちゃんが怪我をして中止になったら、彩音さんが悲しんでしまう。
だからそれだけは絶対に阻止しないといけない。
「だったらどうするの!! このままの状態でライブをしたら、彩音先輩のライブがあたしのせいで台無しになっちゃう!!」
「まだ収録まで時間があるから大丈夫だよ」
「そう言われ続けて1週間が経ってるんだよ!! こんなにやっても全然上達しないんだから、あたしには才能がないのかもしれない」
駄目だ、今のななちゃんに何を言っても慰めにはならない。
僕が彼女の事を庇えば庇う程自分を責めてしまうどうしようもない状況だ。
「(こんな時に彩音さんがいてくれればいいんだけど、あの人はあの人で塞ぎこんでるんだよな)」
サラさんと喧嘩を始めてから2週間以上経つけど、2人はいまだに仲直りをしていない。
一体いつまで喧嘩してるんだといいたいところだけど、全面的に彩音さんが悪いので僕はサラさんに対して何も言えなかった。
「(正直この状況はまずいな)」
まずいなんて言い表せない程事務所の空気が悪いけど、姉さんは特に何もしようとしない。
前に姉さんと彩音さん達の喧嘩の件について話し合いをしようとしたが、時間が解決すると言って取り合ってもらえなかった。
「やっぱりあたし、この事務所に所属しない方がよかったんじゃないかな?」
「それは絶対にないよ!!」
「何で斗真君はそう思うの?」
「それは僕が誰よりもななちゃんの可能性を感じてるからだよ」
「あたしに将来性なんてあるのかな?」
「あるよ! 僕は将来ななちゃんが彩音さん達よりも凄いVTuberになると思ってる!」
「本当にそう思ってるの?」
「当たり前だよ!! もし可能性を感じてないなら、僕はななちゃんのマネージャーをやってないよ!!」
「斗真君‥‥‥」
「ななちゃんは将来VTuber業界で絶対に頂点を取ると本気で思ってる!! 僕はその業界でななちゃんが頂点を取った時一緒にその景色を見たいから側にいるんだ!!」
だからななちゃんには自分の可能性を否定してもらいたくない。
自分自身を否定してしまうという事は、応援している僕の思いも一緒に否定してしまう事になる。
なのでそういうことを彼女にしてほしくなかった。
「確かに今は少し調子が悪いけど、きっとなんとかなるはずだから頑張ろう。正直僕はななちゃんのことを凄いと思ってるよ。たった2週間で振りを覚えて、本番さながらの練習が出来るんだから。僕には真似出来ないよ」
「そうかな?」
「そうだよ。だからななちゃんも自分に自信をもって。ななちゃんは他の誰も持ってない非凡な才能があるよ」
現にこの前秋乃さんがななちゃんの練習を見ていた時驚いていた。
歌もダンスも初心者の人がこの短期間であそこまで踊れるのは凄いと、珍しく賞賛していたのを覚えている。
「ありがとう、斗真君。それとごめんね。八つ当たりなんてしちゃって」
「別に構わないよ。上手くいかない時は誰だってイライラするさ」
そういえば最近のななちゃんは配信やレッスンの時以外はこの部屋でずっと個人練習をしている。
まるで何かにとりつかれたようにここで周年ライブの練習をしていた。
「(こんなに根を詰めて練習をしていたら、上手くいくものもいかないよ)」
こういう時こそ、マネージャーとしてななちゃんに何かしてあげる必要がある。
周年ライブも何もかも忘れられるような気分転換が出来る物を必死になって考える。
「(ななちゃんが肩の力が抜けるようないい息抜きが何かないかな?)」
部屋の中だと余計に塞ぎこみそうなので、出来れば外に出かけたい。
気分転換に最適な催し物を考えていると、僕の脳裏にあるイベントが浮かんだ。
「そういえばななちゃん、この前2人でコミフェスに行く約束したよね?」
「うん」
「確かそのイベントって今週だよね? その日は僕も休みだから、よかったら一緒に行こう」
「それはダメだよ。まだ周年ライブの練習が上手くいかないんだから、遊んでる暇なんてないよ」
「確かにそうかもしれないけど、少しぐらい息抜きも必要だと思うよ。ここ最近ずっとこの部屋にこもって練習をしてるんだから、1日ぐらい休もう」
むしろ毎日こんなぶっ続けで練習していて、よく怪我をしないと思う。
練習熱心なサラさんは置いておくとして、彩音さんや秋乃さんが練習している所なんて殆ど見たことないのに。その人達に比べれば、ななちゃんは頑張っている方だ。
「本当に休んで大丈夫かな?」
「大丈夫だよ。むしろ息抜きをしてリフレッシュすれば、歌もダンスも上手くいくんじゃないかな?」
「わかった。そういうことなら行く」
よかった。ななちゃんが承諾してくれて。
これで練習を続けるといっていたら、さすがに僕も無理矢理休暇を作るしかなかった。
「ななちゃんはコミフェスで行きたい所はある?」
「うん! あたしの好きな絵師さんが出てるから、そこの同人誌を買いたい!」
「なら最初はそのサークルに行こう。他に行きたい所はある?」
「今の所特には思いつかないかな。あたしの意見ばかり聞いてるけど、斗真君は行きたい所はないの?」
「僕も今の所はないかな。たぶんサークル情報を色々調べたら、行きたい所が出てくると思う」
最近は動画編集や彩音さん達タレントのスケジュール管理、それとななちゃんの配信のモデレーターや自分の配信を準備しているためものすごく忙しい。
なのでこの夏休みは殆ど遊ぶことなく事務所でずっと仕事している。その為コミフェスでどんなサークルが出ているか、全く調べていなかった。
「(なんだか社畜と呼ばれている人の気持ちが今ならわかる気がする)」
それぐらい毎日忙しく仕事をしている気がする。
休みという概念が全くないので、姉さんに申請したら1日ぐらいもらえないかな?
「それなら今からどんなサークルが出てるか調べない?」
「今から調べるの?」
「うん! せっかくだから一緒にサークルを調べよう!」
「サークルを調べるのは構わないけど、今日は家に帰らなくて大丈夫?」
「大丈夫だよ。お母さん達には琴音さんの所に泊るって話してるから、何も問題はないよ!」
「それならいいんだけど‥‥‥」
夏休みに入ってからというもの、ななちゃんはよくこの事務所によく泊ってるけど、親に怒られないのか心配になる。
ななちゃんの両親は娘がこんなに外泊して心配にならないのかな?
彼女の家庭環境がどうなっているのか少しだけ心配になった。
「今部屋の片づけをするから。片付けが終わったら斗真君の部屋に戻ろう」
「わかった。その片づけを僕も手伝うよ」
「ありがとう! そしたら一緒にやろう!」
ななちゃんと両親の関係は心配だが、そのことは一旦置いておこう。その話はまた別の機会にすればいい。
それから僕はレッスン場の片づけを手伝った後自分の部屋に戻り、ななちゃんと2人で部屋に戻りコミフェスのことについて話し合った。
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ここまでご覧いただきありがとうございます。
続きは明日の7時に投稿しますので、よろしくお願いします。
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