第88話 本物のアイドル
「わぁ!! 凄い!!」
「これが彩音さんが振り付けをしたものなのか」
素人目から見ても彩音さんが振り付けをしたダンスはレベルが高い。
ダンスが激しいだけでなく、2人で息を合わせないといけない動きもあり相当な練習が必要なように見えた。
「(こんなにレベルが高いものをこの短期間で踊れるようになるのかな?)」
僕が懸念しているのはダンスの振りを覚えられるかだけではない。ななちゃんがこの激しいダンスを踊り続けられるかという問題もある。
このハイレベルのダンスを4分間もの間歌いながら踊らないといけない為、相当な体力が必要になる。
「(振り付けを覚えるにも時間がないし、素人のななちゃんには荷が重すぎる)」
何で彩音さんはこの振り付けを作ったのだろう。
誰でも出来るようなもっと簡単な物もつくれるはずなのに、あえてこの振り付けにしたように見えた。
「神倉さんの周年ライブを見させてもらったけど、このレベルの振り付けなら全然いけると思う」
「この振り付け、あたしにも出来ると思いますか?」
「うん。他の人がどう思っているかわからないけど、少なくとも僕は出来ると思ってる。頑張って練習をすれば、神倉さんでもこれぐらいは踊れるようにはなるよ」
彩音さんの頑張ってという言葉は他の人とは違い、とてつもない努力が必要とされる。
それはサラさんや秋乃さんのダンスの練習量を見てもわかることだ。彼女達もダンスレッスンが終わった後、ライブの振り付けを覚えるために個人練習をしているらしい。
「この歌って最近やってるアイドルアニメの主題歌ですよね?」
「そうだよ。この曲は神倉さんにぴったりだから選んだんだ」
「本当にそう思ってますか?」
「もちろんだよ。君はうちの事務所で誰よりもアイドルらしいから、僕はこの曲を選んだんだ」
「なるほど。言われてみればそうかもしれない」
一人一人の個性が強く色物が多いこの事務所内において、センシティブな配信が多いとはいえななちゃんは正統派路線といえるだろう。
だから彩音さんもアイドルの表と裏が詰まったこの曲を選んだに違いない。ある意味この選曲はななちゃんにぴったりだと思う。
「(だけどこの曲の歌詞って不穏な言葉も多いんだよな)」
アイドルのキラキラしている部分だけでなく、ドロドロした部分もこの曲の歌詞には含まれている。
それこそアイドルはみんなが想像するようなキラキラしたものではない。光の裏には必ず闇がある。それを体現したような曲だからこそ、彩音さんはななちゃんとこの曲をやりたがってるように思えた。
「そしたら早速練習しようか」
「練習ってどこでするんですか?」
「事務所の1階に空き部屋があるだろう? その一室に僕とサラがダンスの練習用に使ってる部屋があるから、そこに行こう」
「わかりました」
「それじゃあ移動するから、僕についてきて」
それから僕達は彩音さんの案内で1階に移動する。そして1階の応接室の隣にある普段使われてない部屋へと入った。
「この部屋が僕達が自主練習用に使ってる部屋だよ」
「凄いですね!! こんな大きな鏡が何枚も張られてるなんて、本当のレッスン場みたい!」
「驚いた? これが僕達お手製の立派な練習場だ」
「こんな大きい鏡を何枚も買って、かなりのお金が掛かったんじゃないですか?」
「そこはサラや秋乃と3人で割り勘をしたから大丈夫だよ。3人で割り勘をすれば、僕達が想定していたよりも全然安かったから、懐はそこまで痛まなかった」
安いとはいってもこれ1枚で数千円はかかるはずだ。それが何枚も並んでるんだから、結構なお金を3人で出しあったに違いない。
「彩音さん、この部屋のことは姉さんに伝えたんですか?」
「何も伝えてないよ。ただこういう場所があるのは気づいてるだろうね」
となると姉さんもこの部屋については黙認しているということか。
怪我にもつながるので本当はやめさせたいが、ダンス練習をする場所が事務所にないので目を瞑っているに違いない。
「さてと、世間話はここまでにして早く練習をしよう。神倉さん、さっき渡したトレーニングシューズの履き心地はどうだい?」
「あたしのサイズにぴったりでびっくりしています。もしかしたら普段自分が履いている靴よりも履き心地がいいかもしれません」
「そうだろう。このシューズは僕がオーダーメイドした特注品で、3Dスタジオでも使えるから君にあげるよ」
「お気持ちは嬉しいんですが、このシューズって高いんじゃないですか?」
「多少値が張るものだけど、神倉さんがこの事務所に入ったお祝いだと思って受け取って欲しい」
「わかりました。ありがとうございます」
「どういたしまして。今日僕が渡したそのジャージもあげるから、遠慮しないで使ってくれていいよ」
彩音さんは得意げに笑っているけど、どうやってななちゃんの服や靴のサイズを調べたのだろう。
1歩間違えたらストーカーと間違われてもおかしくはない。
「(服や靴も全てのサイズがななちゃんにぴったりという所が疑わしい。絶対に彩音さんは何かを使って調べただろう)」
そこまでは勘づいているが、どういう方法でななちゃんの採寸を知ったのかがわからない。
ななちゃんと彩音さんはそんなに接点がないので、その情報を知るすべはなかったはずだ。
「(考えてもわからないなら、彩音さんに直接聞くか)」
普通の人なら口を割らないが、相手は彩音さんだ。
今の調子にのっている様子からして、質問すれば答えてくれる可能性がある。
「時に彩音さん」
「何だい斗真君?」
「彩音さんはどうやってななちゃんの服や足のサイズを知ったんですか?」
「それは企業秘密だよ、斗真君。たまたま琴音さんの机の上に神倉さんのトラッキングスーツの採寸表が置いてあったわけじゃないから、勘違いしないようにね」
「わかりました。この事はあとで姉さんに報告しておきます」
やはり1度彩音さんは姉さんにしっかりと怒られるべきだ。
そんな重要書類を机に置いておく姉さんも姉さんだけど、この場はそれを記憶していた彩音さんに非があると思う。
「斗真君!? 琴音さんにだけは報告するのはやめて!? この前怒られたばかりなのに、また怒られちゃうよ!?」
「自業自得でしょ。それよりも早く練習をしましょう」
「はい」
明らかに落ち込んでいる彩音さんとやる気満々のななちゃん。
そんなテンションの違う2人によるダンス練習がこうして始まった。
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ここまでご覧いただきありがとうございます。
続きは明日の8時に投稿しますので、よろしくお願いします。
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