22「どうしよう、とても楽しいわ」
「え……ちょっとヴェロニカ、どうしたの⁉︎」
朝、食堂に先に来ていたルイーザはヴェロニカの顔を見て思わず声を上げた。
「……徹夜で本を読んでしまったの」
目を赤くしたヴェロニカはそう答えた。
昨日、家からリチャード・マーカーの新作が届いた。
休日だったこともあり、一気に読んでしまったのだ。
一度読んだはずなのにまるで初めて読んだ時のようにドキドキして物語の世界に没頭し、ラストでは号泣してしまった。
そのせいで目が赤く腫れぼったくなってしまったのだ。
「まあ、ヴェロニカったら。食事が終わったら学校に行くまで目を冷やしましょう」
「ええ」
あきれたようなルイーザの言葉にヴェロニカはうなずいた。
「ヴェロニカ様⁉︎」
寮の門前でヴェロニカを待っていたエリアスは、その顔を見て目を見開いた。
「本を読んだせいよ」
腫れは治まったけれど赤みが残ったままの目元に触れながらヴェロニカは答えた。
「本ですか」
「ええ、泣いてしまって……」
ヴェロニカは照れ笑いをしながらそう言った。
「そうでしたか」
「それでね、教室に行く前に寄りたい所があるのだけれど」
「どこへでしょう」
「二組よ。本を貸したい人がいるの」
ヴェロニカは抱えていた本を示しながら言った。
(他のクラスって緊張するわ)
廊下から様子をうかがいながらヴェロニカは思った。
隣の部屋なのだが、入る機会がまったくないし、顔しか知らない人ばかりだ。
「私が呼びましょうか」
ヴェロニカの様子を見てエリアスが言った。
「……お願いするわ」
「かしこまりました」
エリアスがちょうど教室に入ろうとしていた二組の生徒に声をかけ、少し待つとカインが廊下に出てきた。
「ヴェロニカ嬢。どうした」
「この間お話ししたリチャード・マーカーの新作です」
ヴェロニカは本を差し出した。
「読み終わりましたので、持ってきました」
「ああ」
本を受け取ると、カインはヴェロニカの顔をのぞき込んだ。
「目が赤いけど」
「これは……その本を読んで泣いてしまったのが、まだ引かなくて」
「新作は泣けるんだ」
「はい! ラストがとても良いんです」
「それは楽しみだな」
「読んだら感想を聞かせてください!」
「……分かった」
赤い目を輝かせるヴェロニカに、思わず笑みがもれるとカインはその頭をくしゃりとなでた。
「ヴェロニカ様。いつの間に彼と親しくなられたのですか」
一組に戻りながらエリアスが尋ねた。
「この間火傷をした時にお話して。本の趣味があるのが分かったのよ」
好みも似ていて、ヴェロニカが知らなかった本をカインから勧められて読んでみたらとても面白かったのだ。
本の趣味が合って、優しく親切なカインはとても前世で人を殺したカインと同じとは思えなかった。
(私も前世でアリサを殺害しようとしたもの……多分、私たちは似ているんだわ)
「私、本が大好きなの。彼とは本の趣味が合うから親しくなりたいわ」
できれば友人になりたいとヴェロニカは思った。
「……そうですか」
複雑な表情でヴェロニカの横顔を見つめてエリアスは答えた。
*****
「あのラストはやばかったな……」
カインはそう言うと深く息を吐いた。
「最初の事件が、ああ繋がるとは」
「ええ。ずっとマイクにモヤモヤしていたんですけれど。まさか全て彼の手の内だったなんて」
ヴェロニカは大きくうなずいた。
「まあでも、俺は正直泣けなかったけどな」
「え、どうしてですか!?」
「というかヴェロニカ嬢はどこで泣いたんだ?」
「だってマイクの行動は全部主人公のためだったんですよ。あそこまで自分を犠牲にできるなんて、感動するじゃないですか」
「あー、俺はそれが理解できなかったんだ。自分を犠牲にするっていう考え方が」
「……そうですか」
「マイクに共感はできないが、ストーリーは面白かったよ」
不満げなヴェロニカを見てカインは笑みを浮かべた。
「リチャード・マーカーの愛憎劇はやっぱ最高だな」
「はい」
「一番好きなのは『殺意の調べ』なんだが、ヴェロニカ嬢は?」
「私は……『眠り姫の歌』でしょうか」
「ああ、そっち系か」
カインはうなずいた。
「はい。クラーセン様は復讐ものが好きなんですか?」
「ああ。特にリチャード・マーカーは人間関係が複雑で恨みも根深いだろう? 復讐を果たしてそういう恨みが晴れた時の爽快感がいいんだ」
「なるほど……でも後味が悪い復讐劇もありますよね」
「それはそれで、その救われない闇が胸の奥に残る余韻が好きなんだ」
「ああ、分かります」
(どうしよう、とても楽しいわ)
ヴェロニカは気分が高揚するのを感じた。
こうやって小説や作家について誰かと話すことが、こんなに楽しいとは。
意見は違うところもあるが、自分とは異なる視点で見た感想を聞くのも面白いのだ。
「ところでその『クラーセン様』ってのはやめてくれないか。カインって呼び捨てでいいから」
「……では私も『嬢』はいりませんので」
「ああ、その丁寧語もなしな。しかし、誰かと本の話をするのって面白いものだな」
「はい」
カインの言葉に、ヴェロニカも大きくうなずいた。
「今まで読むのも書くのも一人だったから……」
「書く?」
ヴェロニカが聞き返すと、カインはしまったという顔になり視線を逸らせた。
「……もしかして自分で小説を書いているの?」
「いや、小説というか……まあ、短いやつだけど……」
口ごもりながらカインは答えた。
「ええ、すごい!」
ヴェロニカは声を上げた。
「読んでみたいわ!」
「……人に読ませるようなものでは……」
「だめ?」
「――その顔は反則だろ」
期待に目を輝かせて上目遣いで自分を見るヴェロニカに、カインはぼそりとつぶやいた。
「分かった、持ってくるよ」
「お願いね!」
「――なあ、ヴェロニカ」
カインの顔がふと真顔になった。
「もうすぐ試験があるだろ」
「あ、ええ」
「今度の試験と三月の試験。俺、本気出すから」
「……え?」
「そんで二年は同じクラスになろうぜ」
一年の成績によって、二年に上る時にまたクラス替えがある。そのことを言っているのだろうが。
「……四月の試験は本気じゃなかったということ?」
カインの言い方だとそういう意味に聞こえた。
「ああ。ヴェロニカと婚約するには少なくとも成績が良くないとならないだろ」
(え……あれって本気だったの? というか……)
「どうして、本気を出さなかったの?」
「それは――」
「ヴェロニカ」
ふいにカインが眉をひそめると同時に、フィンセントの声が聞こえた。
「殿下」
「こんなところで何をしているの?」
ヴェロニカたちは中庭にあるベンチに座っていた。
「本の感想を話し合っていたんです」
「感想?」
「はい。リチャード・マーカーの新作です」
「リチャード・マーカー……聞いたことがあるな」
「重厚な作品が多い小説家ですね」
控えていたディルクが口を開いた。
「父も愛読していますが、ヴェロニカ様も読まれるとは意外です」
「そうですか?」
確かに女性はあまり好まない作風かもしれないが。ヴェロニカは大好きなのだ。
「ところで彼は、なぜあんな所に?」
フィンセントが視線を送った先には、離れたところで本を読む手を止め、こちらを伺っているエリアスの姿があった。
「エリアスは今読んでいるところなので、ネタバレしないように会話が聞こえない場所に離れてもらっているんです」
距離を置くことにエリアスは難色を示していたが、ネタバレするのはせっかくの面白さが半減するからと離れてもらったのだ。
「……そうか」
フィンセントは、ヴェロニカの隣へと視線を移した。
「君は、クラーセン子爵だったな」
「――は」
カインは立ち上がると会釈をし、ヴェロニカを見た。
「それじゃあヴェロニカ。またな」
「ええ」
振り返ることなくカインは立ち去った。
「ヴェロニカ。彼とは親しいのか」
フィンセントが尋ねた。
「はい、本の趣味が合うんです」
「本の趣味?」
「はい!」
「……そうか」
笑顔で答えたヴェロニカに、フィンセントはその眉をわずかにひそめた。
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