第38話 恒常性の問題


「どうすりゃいい? アリー!」


 そう大きな声で泣きついてきたのは巡察隊員のハリソンさんだった。

 号外が出た次の日のこと。

 午後のお茶にでもしましょうかと居間に向かうところでガツガツとノッカーが鳴ったのよ。その強い音に顔をしかめた私の隣でアリステアがため息まじりに玄関を開けたら、第一声がそれなんだもの。


「落ち着いてくれないか、ハリソン」

「だってなあ、ウィンリー子爵から魔女を探ろうとしてたってのに、子爵が殺されちまったぞ」

「まあ、ハリソンさんは子爵さまの事件を追っていますの?」


 ことさらにおっとりと口をはさんだら、ハリソンさんはハッとなりつつモゴモゴした。


「やあこれは奥さん。失礼しましたな、今の話は忘れて下さい」

「あら、物騒な話題ですけど、私も事件のことぐらい知っていますのに」


 ちょっと上目づかいですねてみせたらハリソンさんが照れたように目をそらす。同時にアリステアの雰囲気が剣呑になった。


「おまえ、もう帰れ」

「なんでだよ!? 何も話せてないじゃないか!」

「エルシーにデレるような男を家に入れられるか!」

「ステア、落ち着いて」

「そうだ落ち着け、俺には愛する妻が!」

「まあハリソンさんの奥さま? どんな方ですか?」



 ……けっきょく応接間に通されたハリソンさんとアリステアが二人で話すことになった。奥さんの話ぐらい一緒にしたっていいじゃないねー。

 まあそんなことより事件が本題。私が直接聞くわけにはいかないわ。表向きの私は何もできない病弱な女性だもの。


 ハリソンさんは魔女につながる糸が切れたと焦っているのよね。

 実はウィンリー子爵からダイアナの居所に関しても大まかに聞き出したのだけど、それをハリソンさんに伝えていいものか。情報を持ちすぎていてもアリステアが疑われてしまう。

 その辺のさじ加減は私が口を出さない方が安全でしょうから、おまかせするんだけど。


 私は一人で庭に出た。夏を迎えた空はそんなにスカッと青いわけじゃないけれど、灰色にくすむ冬よりは気が晴れる。

 陰惨な事件があろうとも、自ら起こそうとも、私が生きている――いえ、死んでいる? のかな――まあどっちでもいいわ、とにかく暮らしていくのは変わらないのよ。どうせなら心地いいのが嬉しい。

 庭の草花も元気だわ。でもハリソンさんから託されたヤバいものはあまり残っていない。使ったから。

 ベンチの横ではバラが花盛り。育てるのが難しい大輪の花ではなく、野ばらに近い種類だった。ジャックは庭に詳しくないもの。でもこれも自然の野原が思い出せて素敵よね。


「すこし切って飾ろうかな」


 咲いたもの。つぼみ。開きかけ。

 はさみを出してきて花を選んでいると後ろから大声で呼ばれた。


「奥さん!」

「きゃ!」


 ビクッとした拍子にトゲが指をかすった。薄く傷が走った指先から顔を上げ振り向くと、アリステアとハリソンさん。


「もうおいとまします! アリーから有益な情報がもらえましたので」

「あ、はい……それはよかったです」


 苦笑いを隠して会釈した。もう、いちいち声も体も大きいんだから。


「エルシー? 指をどうかしたのか」

「ううん、バラのトゲでちょっと」


 胸の前で固まっていた手に気づいたアリステアが急ぎ足できて私の指を確かめる。ひと目見て迷わず、血のにじむ傷を口に含まれた。


「やん、ステア!」

「……くそう、俺も家に帰りてえ」


 ハリソンさんが絶望的な声でつぶやくのが聞こえた。

 ああ、捜査が忙しいのか。愛する奥さまとイチャつけていないのね。私の指から口を離してアリステアは真面目な顔をした。


「じゃあ頑張って魔女にたどりつけ。私の調べたことが役に立つといいんだが」

「役に立ててみせるぞ」

「たいした話を提供できなくて悪いな。私も引き続き調べるから」

「いやあ、じゅうぶんさ!」


 ニカッと笑ってみせるとハリソンさんは帰っていった。早く解決して家に帰れるといいわね。見送りもそこそこにアリステアは私の手に目を落とした。


「傷、消えたよ」

「え? ……あれ」


 アリステアが吸った指先には、もう傷の跡形もなかった。こすってみても軽い引っかかりすらない。


「ステアが治したの?」

「いや。私は吸いたいから吸っただけだが」

「――人前でヘンタイを発揮しないでちょうだい!」


 恥ずかしいじゃないの、もう!

 でもアリステアは真剣に考えている。その伏せたまなざしは格好いいのよ。ああ私の夫って本当に見た目が好みだわ。嬉しい。


「うっすら傷ついただけだったからな――やはりエルシーの時間は固定されているんだろうか。そうすると一つまずいことが起こるんだが――」


 考え込むアリステアがつぶやいた。何よ、心配になるようなことを言うじゃない。


「なあに、私どうにかなっちゃうの?」

「いや――」


 アリステアがそっと私を腕に入れた。秘密の話のように耳に口を寄せささやかれる。


「一昨日の夜は、痛かったね」

「――バ、バカッ」


 かあっと身体が熱くなった。それってアレでしょ、夫婦のコトね。まあ痛かったわよ。答えを待たれているみたいなのでコクコクと小さくうなずくと、アリステアの声は深刻だった。


「だよな――もし、あれもとみなされるとしたら」

「あ」


 血の気がひいた。え? 毎回? 痛いの?

 ――それは、大問題じゃない?


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