第37話 罪深い


 翌朝、私はものすごく寝坊した。目を開けてみれば朝というか、もう昼じゃないの。

 ずるりと起き上がって、むきだしの肩と背中に自分でびっくりして照れる。


「うわあぁ……」


 もう部屋にアリステアはいなかった。ちょっと安心。どんな顔をすればいいのか、わからないもの。


 ――つまりそういうこと。

 私の気持ちとアリステアの気持ち。ちゃんと言葉にしてみれば、重なっていたのだと確認できた。そうしたらアリステアは私のことをちゃんと妻にしてくれた。

 何よもう、幸せね。

 私が嫌がるかと思って紳士的にしていただけってさあ、あなたみたいな人がそこだけは遠慮するとか思わないじゃない。


 起き上がって身支度する。自分の部屋で普通に着替えてるのに、そそくさという気分になるのはこれいかに。


「思ったより、平気だわ」


 ダルいとか腰が重いとかって聞いてたけど、そんなことはなかった。むしろ良く寝た爽快感すらある。そんな自分が別の意味で恥ずかしかった。


 静かに階下におり、様子をうかがう。アリステアはどこにいるかしら。でもまず私を見つけたのはメラニーだった。


「あら奥さま、おかげんはいかがですか?」

「あ……おはよう。じゃないわね、もう日が高いのに」

「いいえ。夕べはお出かけさせて疲れたろうからと、だんな様が。すまなそうにしてましたわよ」

「う、うん」


 疲れたのは、出かけたからじゃないわよ? アリステアが放さなかったからでしょうに、自分のことを棚に上げて、もう。


「ステアは?」

「お出かけされましたけど」

「え」


 まあ。元気ね?

 どこに行ったのか――ってそうだわ、自分のことがいろいろあって忘れてたけど、昨日は他人の人生を終わらせたりなんだりしたんだった。

 その件が発覚しているのか、巡察隊が動いているのかを確かめなきゃならないのよ。アリステアが外出したならそれでしょう。


「ふぅ……」


 食堂でスープとパンを出してもらって、私はぼんやりしてしまった。

 意外と、いつも通りなのね。誰かの死に関わっても。食事もちゃんと飲みこめる。

 もっと悩んだり苦しかったりするのかと思ってた。いくら復讐だからって罪の意識がないわけじゃない。

 なのにその帰り道でもう、アリステアとの夫婦関係を確認し合った。喜びにあふれて帰宅して、そのまま夜遅くまでアリステアの愛を受け入れてとろけてた。


「……いいのかしら」


 こんなんで。

 なんとも自分勝手。人を踏みにじっても、我が身の幸せの前には消し飛んでしまう。ならば私はウィンリー子爵と変わらないじゃない。

 そう考えてしまっても、空きっ腹にメラニーの作った食事がおいしいんだもの。スープをおかわりしちゃったわ。そしたらとても嬉しそうにされる。それでいいと思ってしまう。

 日常って、暮らすって、たぶん何よりも重いのね。



 アリステアが帰ってきたのは夕方だった。

 どうなったのかと心配だった私は、居間で本を開き待っていた。ノッカーを聞いて弾かれたように立ち上がり迎えに出ると、玄関を入ってきたアリステアは私に微笑みかける。


「ただいま」


 帽子をジャックに渡し、ぎゅう、と抱きしめてくる。あう。


「まあまあ、だんな様」


 メラニーが笑顔だわ。なんとなくギクシャクしていた私たちが仲直りしたからよね。心配させて申し訳なかったけど、ちょっと顔が赤らんでしまう。


「お、おかえりなさい」

「うん。だいじょうぶ、万事うまくいっている」


 ジャックとメラニーの前だから詳しいことは言わないけれど、アリステアは端的に状況を伝えてくれた。ホッとして笑顔になる私にヒョイと渡したのは、新聞だった。


「号外だよ」


 薄っぺらいと思ったら――夕べの一件で、そんな?


「まあ、何があったんですか?」

「事件でもありましたかな」

「ゆうべ、子爵が殺されたんだ」


 眉をひそめる二人にアリステアはしらばっくれて答えている。もう、嘘つきなんだから。

 だけど居間で腰を落ち着けてそう言ったら悲しそうにされた。


「嘘なんて言ってない。どうしてそうなったかを省いて伝えたのは、そんなにいけないことかい」

「いけなくはないけど……」


 どうしてそうなったって、私たちがやったくせに。しらじらしいわあ。


 号外に目を通すと、なんとも煽情的な内容だった。

 貴族に向けられた恨みの原因は何か。料理人が我を失った凶行の裏側とは。ウィンリー子爵は世俗的な利益を追求する人物で――などなど。

 下町の料理店で子爵が亡くなり、厨房では店主も死んでいた。

 判明しているのはまだそれだけなのよ。なのに憶測だけでおもしろおかしく書かれている。


「これはゴシップ紙だからね。日刊紙の明日の紙面なら少しはまともだろうが」

「新聞社も独自に調査するの?」

「ああ――だが足はつかないようにしたろう?」


 私たちが捜査線上に浮かぶ理由はない。はず。誰にも目撃されていないし――。


「あ、ジョン・ダンタスという議員さんはだいじょうぶなの?」

「そうか名前を聞いていたっけね。彼なら昨日は中立派のパーティーで演説をぶっていたらしいから、アリバイは完璧だ」

「……よかったわ」


 抜かりなしね。ひと様を巻き込むようなことになったら本当に寝覚めが悪いもの。せめて余計な罪悪感を持たずにすんで、私はホッとした。


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