幕間 ベリントン市街

アリステア・カーヴェル


「やあ、ジョン。待ってたよ」


 にぎわうコーヒーハウスで隅の席に陣取っていた私は、店に入ってきたジョン・ダンタスに呼びかけた。

 手を振って合図すると嫌そうな視線を向けられる。まったくジョンは、おじさんになったのに正直だね。

 集う紳士たちの垂れ流す侃々諤々かんかんがくがくの議論と紫煙を縫い、ジョンはむっつりと近寄ってきた。向かいに座るが椅子を斜めにされる。ささやかな抵抗というところか。


「なんです、ミスター。私もそれなりの身なのでね、こういうのは困る」

「まいど馬車に乗り込むのも飽きただけさ」

「飽き――呼び出されるよりはそちらが嬉しいですが」

「コーヒーハウスは嫌いかな?」

「人の目が多いと言っています」


 ジョンは手にしていた新聞を広げ、顔を隠すようにした。

 おやおや、大身になるのはご苦労なことだ。まあ庶民院議員も続けていると敵が増えていくのだろう。


「こんなあやしげな男と会っているのを誰かに見られたくはない、と。冷たいね」

「……自覚しているなら、控えていただきたいが」


 つぶやくような抗議は、それでも弱気に聞こえた。

 まあ、そうだろう。できる限りの便宜を私に、というのは尊敬する祖父からの厳命だものなあ。

 ついフフ、と笑いがもれた。ネイサンとのつながりのおかげでずいぶん助かっていたが、この分だとジョンの次の代は思うように使えないのだろう。

 仕方ない、ダンタス家とも別れが近いか。それでもネイサンへの義理があるし、こちらからもはなむけはするとしよう。


「この前、魔女の話をしたね」

「は」

「その一味をね、一掃するつもりなんだ。つながりがある改革派の大スキャンダルになるよ。嬉しいんじゃないかと」

「まあ、そうですな」

「そこでお願いなんだが、ウィンリーを個人的に呼び出してほしい」


 言ってみたらジョンは新聞の影で目をむいた。信じられないという顔でにらまれる。


「子爵のことですか」

「そうだね」

「貴族院議員ですよ。私とは対立する立場だし、何を軽々しく――」

「彼の弱みを握ってる。のことで話があると言って下町のを指定してくれればいい。その店には私が行こう。その後何が起こっても、きみは知らぬ存ぜぬでいい」

「――」

「できないのかい? ジョン」


 いい歳して青ざめるのはいただけないな。と言ったのに引っ掛かったのか。

 たかが犯罪者を始末しようというだけで顔色を変えるとは覚悟が足りないよ。私のエルシーですら、オーリッジの前では無表情を貫いてくれたというのに。

 心根が真っ直ぐなのは美徳かもしれない。だがそんなことでよく政治の世界を泳いできたものだ、かわいいジョン。私は困ったように微笑んだ。


「――きみには無理か」

「いや。いや、そうではないのだが――」

「じゃあ頼めるかな」


 私は返事を待たずにス、と紙片を置いて立った。オーリッジの店の名と場所を記してある。

 ジョンがそれを握ったのを横目で確かめながら、私は表に出た。

 大勢の声と靴音、馬車の車輪や蹄の響きが空に抜けていく。この街もずいぶんうるさくなった。



 ――さて。

 これでエルシーが殺された件に直接関わりがあった連中については片がつくだろう。

 ダイアナを締め上げるのは、もう少しかけてもいい。あちらはハリソンの手柄にしてやりたいしな。


「……きみは、何を選ぶ」


 事件が解決したらエルシーなりに生きていってほしい。そう言ったのは私なのに、結論を聞くのが怖い。

 エルシーはずっと私を嫌がっていた。ヘンタイとも罵倒されたっけ。私はどんなエルシーでもかまわないが。


 だけど卑怯ではいたくなかったんだ。

 エルシーが嫁ぐはずだった男がこの街にはいて、断ち切られた未来の断片がそこに見えて、なのにずっと私しか選べないように彼女を縛っていたのはフェアじゃなかった。

 エルシーが何を、誰を選ぶのか。それはきみの好きにしていいのだと示さなくてはずるいだろう。


 いきなり捨てるのかときみは怒ったが、そんなんじゃない。

 激しいきみの心が愛おしくて、つい抑えきれずに唇をむさぼった。あれが私の真実だ。きみが私を愛してくれるなら、いくらでも応えるさ。


 きみは、私から離れるのか?

 守られてばかりは嫌だと、エルシーにしかできないことがあって嬉しいと言っていたのは、自立して生きていきたいということなのだろう?

 それを思うと、オーリッジもウィンリーも、始末したくなくなってしまうよ。

 きみとの終わりが見えるのは、つらいな。




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