第27話 裏切り
家に帰って眼鏡を外し、ひっつめ髪をほどく。着替える気にもなれず、そのままぼんやりしてしまった。窓からは暮れかける空が見えた。
そうして一人でいても、私はちょっと伏し目がち。だって、やらかしたと思ってるから。
ウィンリー子爵家に行ってみたのは私の提案だった。
魔女と深く関わっているらしい子爵。そして邸へ相次いだ嫌がらせ。
私が襲われた事件もそれらの関連かもしれないから、直接乗り込んで邸の様子を探りたい。それが第一の目的ではあったけれど、自分自身の心底はわからなかった。嫁ぐはずだった家を見てみたかっただけかもしれない。
だけどそれは、アリステアにとっては裏切りに等しいことよね。まがりなりにも夫婦として私を遇してくれているのに。
そのうえ結婚相手だったセオドアさまに遭遇してしまったんだもの。冷え冷えしたアリステアの声と瞳が私の脳裏を離れなかった。
「――エルシー」
静かに呼ぶ声と軽いノック。私はビクリとする。アリステアがこの部屋に来るのはいつも、おやすみの挨拶の時なのに。まだ夕方よ。
「――はい」
ノロノロと扉に向かったら、外からアリステアに開けられてしまった。薄い隙間からこちらをのぞき私の様子を確認してくれた表情は、意外に優しかった。
「着替えていないんだね」
滑り込んできたアリステアは私を見て目をすがめた。
「ん……ちょっと、疲れてぼうっとしてたの」
「そうか」
そのまま長椅子に腰をおろす。視線をそらして逡巡する様子はいつもの自信満々なアリステアとは少し違うような気がした。私は奇妙な焦りを感じて口走った。
「ステア――ごめんなさい」
「何が」
間髪入れずに問い返される。いつもなら誘導尋問かと思うところだけど、今のアリステアにそんな余裕はなさそうだ。たぶん本当に、私に言いづらい言葉があって迷っている。
――どうしよう。彼の気持ちが怖い。だけどまず、いちばんアリステアを傷つけたかと思う部分を謝った。
「あの……考えが足りなかったかなって。子爵家に行けばセオドアさまに会う可能性だってあったのに」
セオドア、という名前にアリステアは片眉を上げた。だけど口にしたのは別の人のこと。
「顔が割れている相手というなら子爵夫人もそうだろう」
「あの人は、私のことなんて見やしなかったわ」
「下っ端店員など歯牙にもかけない、か。それとも嫁などどうでもよかったのか」
「両方かも」
会話しているけど、元オシュウトメ予定の人なんてどうでもいいのよ。
わざと話をそらしたりして、絶対気にしてるでしょ。だけど流されたことを私から蒸し返すのもおかしい。もう、どうしろっていうの。
「だが、行ってみてよかったとは思った。エルシーの我がままも無駄じゃない」
「え?」
抑えた態度のまま、トゲはあるけどほめられた。
「どういうこと。ステアの方で何か探り出せたの」
「この一年ぐらいのことだけどね、使用人が不自然に退職しているらしい」
「不自然……?」
なんだか不穏に感じて眉をひそめたら、アリステアはチラリと私を見た。かすかに微笑んで手を差し出す。立っていないで長椅子においでということよね。私は遠慮がちに隣に座った。
「仲間内でおかしいと言われているのは二人。親が病気で田舎に帰った男は、もう両親ともいないと聞いた気がすると不思議がられていた。もう一人は故郷の恋人と結婚すると辞めた女。ベリントンの街の料理人と逢引きしているのを見たことがあるのに浮気者だと言われていた」
「はあ……」
「ついでに二人とも、退職寸前に体調不良を訴えていた」
アリステアは組んだ腕をトン、トン、と指で叩いている。考えをまとめようとしているのだろう。
「本人たちは同僚に何も言わずに消えている。退職理由は、後で執事と女中頭から伝えられたそうだ」
「お嬢さんも、退職者のことは言ってたわ。具合が悪くて辞めて、その後死んだ人もいるみたいって」
「ほう。死んだと断定したのか……」
「女の子だから、噂を大きくしているだけかもしれないけど」
「いや、私が聞いた方も外部の人間相手に慎重な言い方をしているだろうし」
間をとって考えても、あまりいい感じにはならなそうな話よね。
「その辞めた人間の行方も調べてみよう……生贄になったかな」
嫌なことをあっさりと言われてしまった。そりゃ私もそうかなとは思ったけど!
「ステアって、人の生き死にに淡々としてるわよね……」
「そうかい?」
「ん……これまでに何があったんだろうって、よく思う」
「――別に。普通に暮らしてきただけだ」
ほら、いつもと違う。そこは「そんなに私のことが気になるんだね」とか言って喜ぶところじゃないの? 私に言いたいことがあって、ためらっているんでしょ。
お願い、セオドアさまのこと怒っているなら、ちゃんと言って。謝るから。今の私はカーヴェル夫人なんだと答えるから。
そう思っていたら、アリステアはわからないことを言い出した。
「エルシーは、これからどうしたい?」
「……なあに?」
首をかしげる私に向ける視線はつらそうだった。
「きみは好きに生きていいんだということに思い当ってね――だってきみは、エリーではないんだから」
私は青ざめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます