第179話
水の扉を潜って抜けると、僕らの視界に飛び込んできたのは、薄暗い谷底の風景。
出た場所の周囲は、小さな泉になっていて、ちゃんと整備がされてるけれど、そこから少し離れたら、むき出しの岩場が続いてる。
ノスフィリア王国を中継せず、たった一度の転移でパージェット帝国の中にある邪竜の谷までさらりと移動するなんて、流石はマダム・グローゼルと言うべきか。
あぁ、……しかし、なるほど。
思わず唸り声を上げそうになってしまう。
これが転移の限界距離を超えた感覚か。
意識を集中してみたところ、魔法学校に置いてある魔法の鞄はどうにか引き寄せられるかもしれないが……、そこより更に遠くに住む、ツキヨをここに招き寄せる事は、今の僕にはできそうになかった。
何だか久しぶりに明確な自分の限界を突き付けられた事が、少しばかり面白い。
僕なんてまだまだ未熟な魔法使いに過ぎないのだと、上には上がいるのだと、思い知らされたようで。
ツキヨの力を借りられないのは、今回は仕方ないか。
こうなって来ると、クレイが言ってたノスフィリア王国に棲むスプリガンとの契約も、意味があるように思えてくる。
もし仮に僕がスプリガンと契約してたら、そちらはこの場に招き寄せられた訳だし。
まぁ、今更そんなことを言っても、それこそ仕方のない話だった。
今も傍らにはシャムが居てくれてるのだから、それ以上を求める必要もないだろう。
「ここが邪竜の谷の、ちょうど真ん中辺りになります。実はこの谷は、竜の爪や吐息で大地が抉られた破壊の痕なんです。辺り一面がガラスになった場所もあって、パージェット帝国ではそれを採取して、竜晶と呼んで売り、生計を立ててる人もいるそうですね」
まるで観光案内でもしてるかのような口調で、マダム・グローゼルは僕達に告げる。
尤もその内容は、観光案内としては些か恐ろしすぎるけれども。
「この辺りにはそうやって生まれた特殊な環境に適応した魔法生物が多く生息しています」
そして続くマダム・グローゼルの言葉に、僕は少し首を傾げた。
破壊された土地と魔法生物の生息が、僕の中で結び付かなかったからだ。
その魔法生物達は、破壊された場所にわざわざ他所から移り住んできて、その上で適応したのだろうか?
破壊されて荒れ果てた場所に移り住んで来るような魅力があるとは、僕には思えないが
ならばこの場所が破壊された後に、その魔法生物達は生まれたんだろうか?
竜の破壊という以上、この地に親となれるような命は殆ど残らなかった筈なのに。
まさか何もない所から、その魔法生物は発生した?
確かに魔法生物の生態には不明な事も多いが、……竜の破壊にはそうした魔法生物を発生させる力がある?
だとするとまるで、その魔法生物は竜の眷属のようなものだと、僕には思えてしまう。
「邪竜の谷は危険な場所ですが、皆さんは高等部の生徒ですので、その危険にどう対応するかは自分たちで決めて貰います。奥を目指しても構いませんし、この辺りで素材の採取に勤しんでも構いません。他では見られない珍しい物も多くありますしね」
マダム・グローゼルはこの場所の危険を説いて、その上で自由に活動しろと僕らに告げる。
高等部の生徒は自由、自主性を重んじられるが、まさか参加するしない以外にも、ここでの行動まで好きにしろと言われるとは思わなかった。
「自信があるなら一人で行動しても構いませんし、友人と一緒に動いても構いません。一人に一つ、私にその所在地を知らせる魔法の紐を渡しますので、それを切れば私が迎えに行きます」
助けを呼べる手立てはくれるけれども、基本的には自分の身は自分で、或いは仲間と一緒に守れって事か。
すると僕の隣に、シズゥがさも当然にような顔でやってくる。
あぁ、うん、そりゃあ、別に戦闘が得意でも、苦手でもないってくらいのシズゥだと、誰かと一緒に行動するって選択になるのは当たり前か。
……いや、そもそも彼女が参加を決めたのは、最初から僕も参加するって聞いて、護衛にしようと思ってたからって可能性が高い。
シズゥはそういった計算高い、強かな行動を、嫌味にならないように、ごく自然に行えるところがあった。
恐らくそれは、彼女自身の性格がどうという以前にウィルパ男爵家の令嬢として、貴族家の子女として、幼い頃から教育されて身について、その身の一部になった強かさなんだろう。
そうでなければ、複雑怪奇な貴族の社会では生き残れないからと。
尤もシズゥ自身はそうした貴族らしさを好いてはなくて、だからこそパトラの純朴さに惹かれて、仲が良いんだろうなぁとは、見てて思う。
強かさも純朴さも、友人達の特徴は、僕にはどちらも好ましく思えるけれども。
ガナムラは、少し考えた後に、僕の隣にやってくる。
彼は戦闘には自信がある筈だが、それでも高等部の一年生で単独行動を取るのは、流石に無謀と考えたのか。
もしくは、シズゥが僕の近くに来たのを見て、手伝ってくれる気になったのか。
僕とシズゥとガナムラか。
この場所で活動するには、意外といいチームかもしれない。
魔法生物との戦いには、戦闘学を専攻してるガナムラが頼りになるし、魔法の仕掛けに対しては、シズゥの魔法陣の知識が頼れるだろう。
見回せば、二年生も同じ学年で全員が集まっていた。
三年生は、数人で集まったり、一人で行動しようとしていたり、それこそ実力と目的によって様々な様子。
「僕らは、どうする? 一応、僕は奥を目指してみたいなって思ってたけれど……」
一緒に組む意志は、今更確認する必要もないだろうからいいとして、目的をすり合わせる為に、僕は彼らにそう問う。
個人的には奥に進み、悪竜の封印とやらを見てみたいが、シズゥやガナムラにもここに来た目的はある筈だ。
今回で奥まで辿り着けるかと言えば、多分少し厳しいだろうから、僕としては別に、彼らの目的を優先しても構わなかった。
「それでいいわ。私は侵入者を拒むっていう魔法の仕掛けが見たいのよ」
「俺も構わない。奥に行った方が、珍しい魔法生物を狩れるだろうし」
だが二人とも、奥に進む方針には二つ返事で了承を返してくれる。
どうやらシズゥは魔法の仕掛けが、ガナムラは魔法生物との戦闘が、それぞれ今回の目的らしい。
それは二人が、それぞれに選び専攻してる道を、前に進む為の目的だろう。
初等部の頃は一緒の教室で学んでた僕らは、高等部に上がって別々の道を選び、別々の目的を持つようになった。
けれども、それでも今、こうして一緒に行動をとれる事が、何だかとても嬉しく思える。
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