第158話


 回復の魔法薬を部隊全員に行き渡る数……、ジャックスが連れてくる兵士は三百だそうだから、三百本と、更に予備で百本。

 僕、及びジャックスが使う為の、身体能力を強化する魔法薬を色々と合計で二十五本。

 生きている剣を五本。

 ツキヨの叫びの効果を弱める耳栓を、部隊全員と、それから僕とシャム、ジャックスの分も。

 またツキヨの叫びで失神してしまった人が出た時の為に、気付けの魔法薬が五十本。

 この気付けの魔法薬は、一本で数人が目を覚ますから、これで十分に足りる筈。


 他にも毒に応じた毒消しを調合できる素材や、強壮剤等。

 起こり得る多くの事を想定し、僕はできる限りの物を揃えた。

 もちろん、これらを詰め込める魔法の鞄も複数用意してる。


「それに加えてシャムさんとツキヨさん、二体の妖精も連れて行くという訳ですね」

 僕が準備した物の目録を見ながら、マダム・グローゼルは一つ息を吐く。

 感嘆か、それとも溜息か、判断の難しい表情で。


「これまで幾人もの生徒がこの戦場への志願を行いましたが、ここまでの準備を整えたのは、キリクさん、貴方くらいでしょうね」

 でもその次に続いたのは、間違いなく誉め言葉だった。

 いやもしかしたら、そこには少しばかりの呆れが混じっていたかもしれないけれども。


 実際、そりゃあそうだろうとは思う。

 こんな風に物資を大量に準備できるのは、基本的には水銀科の生徒だけだ。

 だがわざわざ戦場に赴こうって生徒は、多くは戦闘を重視する黒鉄科に進み、高等部の進路として水銀科を選ばない。


 自分で作らずに買いそろえる事は不可能じゃないが、とんでもなく金が掛かる。

 更に言うならば、こんなにも大量の物資を用意しても、一人や二人じゃ使い切れる筈もなかった。


 今回、僕がこんなにも大量の魔法薬やら何やらを用意したのも、貴族であるジャックスがフィルトリアータ家の精兵を連れてくると言ったからだ。

 そうじゃなきゃ、僕だってこんな大掛かりな準備はしない。

 マダム・グローゼルの言葉に若干の呆れが混じったとしても、無理がない事にも思う。


「ジャックスさんが多くの兵士を連れて行くという事も考えると、許可を出さざる得ません。これに許可を出さないなら、我が校からの志願自体を禁じねばなりませんから」

 だから魔法学校から志願の許可が下りるのは、当然だった。

 そう、仮に僕がこれだけの準備をしたのに許可を出さなければ、他の誰にも許可を出せなくなってしまうから。


 以前、シールロット先輩が教えてくれた通り、錬金術を使った戦い方とは、即ち入念な準備だ。

 自分の意見を通す為に有無を言わせぬ物量を揃えるというのは、彼女が教えてくれたやり方である。

 それに間違いがあろう筈もない。

 故に僕は、マダム・グローゼルが許可を出してくれた事を、ただ頷いて受け止めた。


「ですが、それでも貴方の置かれている状況を考えると、不安があります」

 しかしそれでも、許可を出さない訳には行かないくらいに準備をしても、不安はあるとマダム・グローゼルは言う。

 僕が置かれている状況とは、星の灯に狙われてるって事である。

 一体どうやって星の灯は、僕が彼らが求める星の知識の持ち主だって知ったのかはわからないけれど、林間学校での出来事を考えると、明確にそうと分かって狙ってきている可能性が高い。


 星の灯との接触なんて、その執行者であるベーゼルと、一度会ったきりだというのに。


「……先日、結界の整備を校内に報せて行いましたね。あれはこの魔法学校に内通者が入り込んでいるか否かを確認し、炙り出す為でした」

 そしてマダム・グローゼルが口にしたのは、先日の結界の整備が行われた、その理由だった。

 あぁ、それは僕も気になっていて、この話が終わったら、彼女に問おうと思っていた事だ。

 でも、うん、なるほど。

 マダム・グローゼルは、魔法学校内に内通者がいる事を怪しんでいたのか。

 教師か生徒か、それとも別の学校関係者を疑っていたのかはわからないけれど、確かに内通者がいたならば、情報の流出はあるだろう。


「しかし結界の整備という絶好のチャンスに、星の灯は動きませんでした。林間学校の時は、あんなにも的確にキリクさんの班が活動している地域を攻めた彼らがです」

 だがマダム・グローゼルは首を横に振り、結界の整備に星の灯は動かなかったと、僕に教えてくれる。

 結界の整備は、魔法学校の防衛力が下がる、星の灯にとっては絶好のチャンスだったのに。


 もちろん、実際にはマダム・グローゼルは、相手が動く想定で、万全の準備をしていた筈だ。

 森で出会ったクー・シー、バナドは結界の整備が行われた理由を知っていた様子だったから、マダム・グローゼルは、信頼できるごく一部にはその事を教えていたのだろう。

 つまりその信頼してるごく一部が、彼女を裏切り内通者になっているのか、それとも内通者はおらず、別のやり方で星の灯は僕の情報を得ているのか。


「恐らく内通者は、この魔法学校にはいないのでしょう。しかし彼らは、確実に私達の動き、或いはキリクさんの動きを察しています。……故に私は、星の灯は預言者を有しているのだと判断しました」

 マダム・グローゼルの考えは、どうやら後者になるらしい。

 聞いた事のない単語が、彼女の口から飛び出した。


 預言者なんて如何にも胡散臭い言葉だけれど、口にしたマダム・グローゼルの表情は至って真面目だ。


「キリクさんはもう気付いているかもしれませんが、とても特殊な条件を満たせば、人間が発動体を用いずに魔法を使うケースが、幾つかあります」

 マダム・グローゼルはそう言って、僕の顔をジッと見詰める。


 発動体を使わずに魔法を使うケースに関しては、僕も少しばかり心当たりがあった。

 例えば、悪霊の存在だ。

 悪霊は、普通の人にも存在してる魂の力が、何かの切っ掛けで強く発揮され、理に影響を与え、魔法を織り成した形の一つだという。

 当然ながら、普通の人々は魔法の発動体なんて所持していない。

 しかし非業の死を遂げた人から、或いはその死が悪霊を生むと信じた人々から、魔法の力は発せられ、悪霊という名の魔法を織り成す。


 また、僕も発動体を使わずに魔法を使った事がある。

 あの時は、一体どうしてそういう真似ができたのかはわからないけれど、僕は確かにシャムと同じ妖精の魔法を、発動体なしに使っていた。


「その一つに、祈りがあります。普通の人々のごく弱い魂の力が、祈りという志向性の下に束ねられた時、魔法を織り成す事があるのです」

 ……そういえば、星の灯は宗教組織だったか。

 あぁ、それが彼らの言うところの、魔法使いが扱う魔法とは違う、奇跡って奴なのだろう。

 本当に、実に胡散臭いとしか言いようがないけれども。


「もちろん、人の祈りなんてものは皆がそれぞれにバラバラですので、魔法になる事は普通ならばあり得ません」

 マダム・グローゼルの言葉に、僕は頷く。

 そりゃあそうだ。

 人の祈りなんて、それぞれに違う。


 もしも皆が一度に幸せを祈ったとしても、その形はバラバラである。

 使い切れない程の金が欲しいと思う者、空いた腹が満ちる事を望む者、己の身を蝕む病に消えてなくなって欲しいと願う者。


 これが戦場で殺される直前のような、極限状態だったなら、或いは祈りの多くが一致する事もあるだろう。

 死にたくないという、生存本能に根差した願いは、魔法を発動させる程に重なり合ってもおかしくはない。

 だが平時にあっては、人の祈りにはあまりに多くの形があった。


「ですが時にそのバラバラの祈りを一つに纏め、特殊な魔法を扱える才能を持った人間が生まれるのです。例えば、彼らの求める未来に繋がる道を予知する魔法の使い手が」

 つまり、それがマダム・グローゼルが口にした、預言者という存在か。


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