第134話
「はい、ここは今日から君の研究室」
新しい年になってすぐ、錬金術の教師であるクルーペ先生に呼び出された僕は、見慣れたシールロット先輩の研究室に案内されて、そう告げられた。
あぁ、うん、そうだ。
もうここは、シールロット先輩の研究室だった場所で、今日からは僕の研究室か。
一時期は毎日ここに通ってたけれど、来るのは少しだけ久しぶり。
「普通はね、こんな風に器材も何もかも、丸ごと引き渡すとかしないんだよ。研究室は、自分の部屋以上に、自分を反映するプライベートな場所だからね」
クルーペ先生は僕に研究室の鍵を渡しながら、そんな言葉を口にする。
もちろん、それはわかってた。
ここにはそこかしこに、シールロット先輩の影が色濃く残ってるから。
僕にはまだそれを読み解けないが、人によってはそこから彼女の研究を読み解く手がかりを得るかもしれない。
例えば目の前のクルーペ先生には、今の僕には見えない何かが見えているのだろう。
「君とあの子の関係は、私は知らないけれど、受け継いだものに見合う成果を出すように。……まぁ、君には要らない心配か」
普段は、まるで錬金術にしか興味がないかのような振る舞いが多いクルーペ先生。
でも今日の彼女は、言葉の端々からシールロット先輩への感情が見え隠れしてる。
正直、かなり意外だ。
いや、錬金術にしか興味がないからこそ、優秀で目を掛けていたシールロット先輩への思い入れが強いのか。
受け継いだものは、単に研究室や器材だけじゃないのだろう。
周囲からの評価、クルーペ先生からの期待。
そういったものも、きっとこの研究室には籠ってた。
見合う成果を出すようにって言葉を、僕はそう解釈する。
「なんにせよ、研究室を持った以上は、生徒でも一人前として扱うから、仕事を一つ任せます。本当は準備の為に少し時間の猶予を与えるんだけど、君の場合はもう器材も全て揃ってるから」
ほら、やっぱり掛けられてる期待は重かった。
鍵の次に渡されたのは、一枚の発注書。
読み方は、シールロット先輩がこうした仕事を請けてるのを見てたから、ちゃんとわかる。
仕事の手順も、なんとなくは。
発注書に目を落とすと、肩に乗ってたシャムも身を乗り出して覗き込む。
えぇっと、何々。
依頼者はポータス王国の鍛冶職人。
この時点で、魔法薬の依頼じゃない事はもうわかった。
魔法の道具か……。
辺境で名を上げた冒険者から、強く矢を撃てる弓を求められたと。
今でも張りの強い弓を使っているが、硬い毛皮や外皮に覆われた魔法生物には歯が立たない。
具体的には、空を飛ぶハーピーは落とせるけれど、ダイアウルフ辺りになると一か八かで狙って目を射抜くしか、勝ち目がないとの事だった。
なので多少は扱い難くても構わないから、威力を出せる弓をと、鍛冶職人は求められたそうだ。
いや、狙って目を射抜けるって、とんでもない話である。
その冒険者は辺境で、ジェスタ大森林から彷徨い出た魔法生物と戦う人々の中でも、本当に上澄みなんだろう。
凄い人に求められてる仕事なんだなって、ちょっと感心してしまった。
魔法の道具の値段は物凄いが、魔法生物を狩れるなら、支払い能力は十分だ。
使い難くても良いから強い矢を撃ちたい。
それを解決する方法は、僕にも幾つか思い付く。
ただ、思い付きはするんだけど、問題が一つあって……。
「クルーペ先生、習ってないけれど、いいんですか?」
そう、僕はそのやり方を、まだ授業で習っていなかった。
できるか否かで言えば、シールロット先輩の仕事を横で見てたから、多分できるんだろうけれども。
武器という、時に人の命に直結する代物に、その多分で関わっていいんだろうか?
「私は教えてないけれど、できるでしょう? だったら構いません。もう一人前と認めると言いました。だから教わった事じゃなく、自分で身に付けた実力で解決しなさい」
だが、クルーペ先生は首を横に振って、そう言った。
甘えるなと言わんばかりに。
今日の彼女は、やっぱり何時もと雰囲気が違う。
口調にも、何時もの砕けた感じがない。
クルーペ先生と言えば、生徒に色々と魔法薬を使いたがったり、錬金術の作業に熱中して寝食を忘れたり、……ちょっと、こう、だらしないとか緩いとは違うんだけれど、独特の雰囲気がある人だ。
だけど今は、ピリッとした緊張感を漂わせてる。
何だか何時もよりもずっと教師のようであり、或いは優れたベテランの職人のようでもあった。
「もちろん悩めば、相談には乗ります。自分で解決できない場合はやり方も教えましょう。危険が予測される事をする時は、先に言いに来なさい。君がこれからどんな風に錬金術と向き合うか、楽しみにしてます」
相談すればヒントは貰える。
ギブアップすれば答えも貰える。
但しヒントくらいならともかく、答えを与えられてしまうと、一人前になったとの評価は揺らぐ。
そして危険に関しての報告は、寧ろできない方が評価が下がるのだろう。
どんな風に錬金術と向き合うか。
確かに僕は、それも決めなきゃいけない。
錬金術は楽しいし、好きだが、同じように他の魔法だって好きだ。
今の僕は、錬金術を使って果たす目標はあるけれど、自分がどんな風にそれと向き合うかまでは、決めていないし、わかってなかった。
今回の仕事で、僕は一体何を学ぶだろうか。
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