第73話
時間は有限だ。
三十時間をジェスタ大森林の中で過ごさなきゃいけないというのは確かに課題でもあるけれど、同時にその間にもう一つの課題、黒影兎の毛皮を手に入れるまでの制限時間でもあった。
だからこそ、
「今日のところは無理に黒影兎は探さずに、ゆっくり森に慣れながら、夜を過ごせる場所の確保を優先しようか」
僕は周囲を警戒しながらも、皆にそう提案する。
今の状況で、一番やっちゃいけないのは焦る事。
黒影兎は、見つけ出すのは難しいけれど、決して強い魔法生物じゃない。
それ故に、早めに見付け出して狩ってしまいたいって気持ちにさせる。
これが強い魔法生物なら、慎重にできる限り良い形で戦いを挑もうとか、怖いなって躊躇いを生むんだけれど、黒影兎の弱さには、それと真逆の効果があった。
だけどこのジェスタ大森林に生息する魔法生物は、黒影兎だけではないのだ。
今日、真っ先に黒影兎の確保に走れば、仮に仕留められたとしても、不完全な準備で夜を迎える事になりかねない。
昼間と夜、どちらの森が危険であるかは言うまでもないし、そして夜の方が危険であると頭でわかっていても、実際に過ごす夜の森の厄介さは想像を上回る。
守りの札を三枚、夜に使ったとしても、不完全な準備で夜を迎えれば、不安と緊張に体力を削られ、翌日に大きな疲労を残す結果に繋がるだろう。
いや、それよりも最悪の場合は、真っ先に黒影兎の確保に走ったにも拘らず、今日中に捕まえられずに夜になったら、不安と緊張に加え、徒労感が精神を削り、或いは朝を待たずにギブアップして連絡用の糸を切る事にも、ならないとは言えなかった。
ならば今日は森に慣れる事に専念し、より良く夜を過ごせる場所を見付けて、黒影兎の確保は明日に賭けた方が、より良い結果に繋がる可能性は高いと思う。
もちろん、今日だって夜を過ごせる場所を探す間に、偶然にも黒影兎に出くわせば、即座に確保を試みはするけれども……。
そんな都合の良い幸運は、簡単には転がっちゃいない。
「それで、明日だけで黒影兎を捕まえられるって保証はある?」
僕とは逆側を警戒しながら、クレイがそう意見を口にする。
それはまるで僕に対する反論のように聞こえるけれど、実はそうじゃない事は、この組の仲間達なら誰もがわかってる。
彼は誰もが抱くであろう疑問を真っ先に口にし、詳細を僕から説明させようとしてくれているのだ。
「ない。でも黒影兎の確保は、結局のところは運次第だからね。焦って無理に動いて夜に不安を残すより、確実に夜を越えて、森に慣れて、それから黒影兎を探した方が、評価は高くなると思うんだよ」
与えられた課題を達成したかだけじゃなくて、どんな風に動いたのかも、恐らく評価の対象にはなるだろうし。
もちろん両方の課題を達成するに越した事はないけれど、運任せに、直情的に動くよりは、慎重さを見せた方が、きっと良い評価を得られる。
僕の言葉にパトラは納得したように頷いて、ミラクはよくわからなさそうに首を傾げて、シーラはちらりと不安の表情を浮かべた。
パトラは問題ないとして、……ミラクは、話の意味が分からないというよりも、自分で判断をしたくないから、取り敢えず僕の言葉に従おうって姿勢だろうか。
シーラには、どうせなら黒影兎も早めに捕まえた方が、やっぱり安心できるって気持ちがあるらしい。
まぁその感情は、抱いて当然の正当な物だ。
黒影兎を仕留める事に、シーラが忌避感を覚えるだろうというのは全く別に、彼女だって可能ならば良い成績を取りたいって欲はある。
そしてこの林間学校は、その評価が戦闘学と魔法生物学、二つの科目の前期の成績に反映されるという。
つまりクラスで最も戦闘学を苦手としてるシーラにとって、林間学校で可能な限り良い評価を得ておく事は、苦手な戦闘学で好成績を収めるチャンスであった。
「あの、私は、二つとも課題は達成できるように、したいです」
故に、シーラはそう主張する。
もしかすると、人によってはシーラの感情の動きを浅ましいと感じる人もいるかもしれない。
ただ僕は、そんな風には思わないし、むしろよくぞちゃんと意見を口に出してくれたって、嬉しくなった。
ほら、やっぱりシーラって、僕らの中でも主張が激しい方じゃないし。
それでも彼女が、自分の望みを口に出せたのは、それができる雰囲気を、僕らの組が作れたからだ。
尤も、シーラが意見を出せた事を嬉しく思っても、じゃあそうですかと採用する訳には当然いかない。
それとこれは話が全く別である。
シーラの意見を退けるのは簡単だ。
単に決を採ればいい。
ミラクはシーラと仲が良いから、彼女の意見を支持するだろう。
だけどクレイとパトラは、このまま短絡的に動き回る危険を理解してそうだから、多数決を採れば僕の意見が通る。
……しかし、それだとシーラと、彼女を支持したミラクに不満が残りかねない。
「そうだね。僕も課題は達成したいよ。ただ二つとも一気に得ようとすると、どちらも取りこぼしてしまう可能性があるし、怪我人もでるかもしれない。途中でリタイアなんて事になったら、それこそ評価は最悪だ」
なので僕は、まずはシーラの感情に共感を示してから、彼女が最も避けたいだろう未来を告げる。
シーラの場合は、試験の評価が悪くなる事よりも、怪我人が出る方を恐れるだろうか?
すると案の定、シーラは僕の言葉に顔をサッと曇らせた。
去年は、パトラもこんな感じだったかなぁって、ふと思う。
そう言えば何が切っ掛けで、少しずつだけど頼もしくなっていったんだっけ。
友達の事なのに、僕はそのパトラの変化に、少し疎かったような気がしてならない。
僕の肩の上で、ピクリとシャムが顔を上げる。
あぁ、どうやら、のんびりと話せる時間はもうあんまり残ってないか。
「だから、まずは確実に一つを取れる体勢を整えてから、余裕を以ってもう一つを取りに動きたいんだけど、どうかな?」
でも僕は、左手の杖をしっかりと構えながらも、努めて穏やかに、シーラに対してそう問うた。
シーラは僕の言葉に、ほんの少しだけ考えて、それから一つ頷く。
どうやら、無事に納得してくれた様子。
唯々諾々と従うんじゃなくて、考えた上で僕の言葉を理解してくれたシーラは、きっとこの先も何か気付いた事があれば、意見を出してくれるだろう。
そしてもしかすると、その意見こそが、僕らを救う場合だってあるかもしれない。
だがその結果に満足してる猶予は僕らにはなくて、
「皆、敵意が近付いてる! 数、五。地を素早く駆ける大きな獣の魔法生物だ!」
クレイがそう警告を発した。
シャムが感じた敵の接近を、クレイも敵意を感知する魔法で察知したのだろう。
群れを作る、地を駆ける獣の魔法生物。
心当たりは幾つかあるが、まだ正体までは絞れない。
ジェスタ大森林の歓迎が、今まさに荒々しく始まろうとしている。
まぁ、僕らの相談が終わるまで待っててくれた辺りは、実に優しいなぁって思うのだけれども。
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