第3話 大地震
何日もかけて上り、頂上に到達した。
上りながら、おれは巨石と巨石の間に黒く薄い円柱型のものが挟まれているのに気づいた。
それがなんであるのかはわからなかった。
石の上に円柱があり、その上に石が積まれている。その構造がずっと上層までつづいていた。
内部階段から頂上への出口はあたたかい気密小屋につながっていた。
小屋から出て外を見ると、おびただしい数の人が働いていた。たくさんの気密小屋があって人が出入りしていた。
月人も大勢いて、労働者を指揮したり、自ら石を運んだりしていた。
外は、防寒をしていないと、血も凍るほど寒かった。
おれはかつて会ったことのある美しい女の月人が空に浮かんでいるのに気づいた。
月の姫だ。
彼女は指揮をするでもなく働くでもなく、ただ現場を見下ろしていた。
この場で最高にえらい者であるようだ。
背中に生えた二枚の羽をときどき羽ばたかせている。
おれは第十三機密小屋に配置された。第十三班で死者が出た。その穴埋め役。班長は若く見える男の月人だったが、本当に若いかどうかはわからない。月人は長命で、ゆるやかに老いる。
第十三班は班長を含めて総勢十一人。クレーンのロープを巻きあげるのが仕事だ。円形の巨大なドラムの二十か所に手すりがついていて、回す。班長は肉体労働はしない。下半分の十か所に班員がいて、手すりを引く。三百メートル下で積まれた巨石を持ちあげる。
おれは黙々と手すりを回した。
働いた。仕事に没入した。
ときどき黒く薄い円柱型のものを持ちあげることもあった。
「これはなんだ?」
「知らないのか。免震ゴムだ」
おれの前で手すりを引いている者が教えてくれた。
免震ゴムを石と石の間に挟むことによって、月の塔が免震構造物になるという。
これがなければ、塔は大地震によって確実に倒壊するのだそうだ。
月人はさまざまな技術をこの工事に投入しているようだ。
働き、飯を食い、水を飲み、眠り、働いた。
月の姫は宙に浮かび、やや不機嫌そうにその美貌を微かに歪めておれたちを見下ろしていた。
おれは仕事を終え、気密小屋に戻る途中、姫をじっと見上げた。
姫はおれの視線に気づいたが、軽く目を合わせただけで、すぐに別の方角に顔を向けた。
気密小屋に入り、気密服を脱ぎ、お茶を飲み、肉と野菜と麺を食い、寝袋に潜り込んで眠った。
起きて、水を飲み、粥を食い、気密服を着て、新しい空気箱を服に接続して背負い、気密小屋から出て、ドラムについている手すりを回した。重いが、おれは強い男だ。力仕事は苦にならない。
黙々と働き、仕事を終えるとまた月の姫を見上げた。相変わらず彼女は不機嫌そうだ。
持ち場と小屋の往復のとき、姫を見るのが習慣になった。
ある日、仕事を終えて姫を見ると、彼女は不機嫌そうな表情のままゆっくりと頂上に下りてきた。
「あなたはなぜいつもわたしを見上げるのですか」
「不機嫌そうにしている。どうしてそう機嫌が悪いのか気になっていた」
姫は、はああああ、と長く息を吐いた。
「かつてこの国の皇帝は、わたしたち月人と交易し、不老長寿の薬を入手するために月の塔を建設しようとしました」
「知っている。一回目の月の塔。そのときもおれは働いた」
姫はおれの顔をまじまじと見つめた。
「あなたとは会ったことがありますね。わたしは丸薬をあげ、あなたは捨てた」
おれはうなずいた。
「皇帝はいまは不老長寿のために塔を建設しているのではありません。わたしはすでに丸薬を皇帝に差し上げ、しわくちゃになるという副作用のことも伝えました。すると帝は、薬を投げ捨てました」
「誰だってそうする。猿になってまで生き永らえようとは思わない」
「今度はなぜ塔が建設されているか知っていますか」
おれは虚を突かれた気がした。
「知らない」
「面子のためです」
「面子?」
姫の目が険しく西の方を向き、唇が歪められた。
「西方の皇帝がバベルの塔の建設を再開したのです。こちらの皇帝は負けじと月の塔を再開しました。西と東の争い。どちらが先に月に到達するか。それが建設理由のすべてです。くだらない」
おれは姫の不機嫌の理由を知った。
「月にもいくつかの国があります。わたしはアルフォンズ国の王の娘です。王命により、月の塔建設の最高顧問となりました。バベルの塔の建設には、月のアルベド国が協力しています。アルフォンズとアルベドは仇敵同士です」
そう言って、絵のように美しい顔を歪めたまま、アルフォンズ国の姫はふわりと宙に浮かんだ。
おれは休息を取るために気密小屋に向かった。
飯を食い、めずらしく頂上に届けられていた酒を飲み、寝た。
働いた。皇帝の面子のためとは思わなかった。この塔を月に到達させるために働いた。一心不乱に働いた。
大地震が起こった。
月の塔は大きく激しく揺れた。まだ固定していない巨石が頂上から何十個も落ち、人も大勢落ちた。
稼働しているクレーンは四台。そのうちのひとつが落下した。
おれたちが回しているクレーンは無事だった。だが、おれの同僚が足を滑らせた。数メートル下のロープにつかまって、なんとか地上へ真っ逆さまに落ちることはまぬがれた。
「みんな、ロープを巻きあげろ。あいつを助けるんだ」とおれは叫んだ。
揺れはゆるやかになっていたが、まだ完全におさまってはいなかった。おれはひとりでも手すりを回そうとした。びくともしなかった。仲間たちも手すりを回し、ドラムが動いて、同僚を救うことができた。
おれはひとりの命を救った。
免震構造は月の塔の倒壊を防ぎ、塔の各所やその下で働いている何十万という数の労働者を救った。
大地震の後も、第二次月の塔の建設は続行された。
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