第2話 月の塔の再開

 おれは土を耕していた。

 まもなく春が来る。

 耕地に水を入れ、田植えをする時期が近づいている。

 おれは三十歳になっていた。

 妻とひとり娘がいる。

 自分と家族のために、おれは米をつくる。

 代かきをしていた頃、高札が立ち、月の塔の建設が再開されることを知った。

 馬鹿なことを、と思った。

 高空の寒さと空気の薄さは尋常ではない。また失敗するに決まっている。

 おれは田植えをした。

 おれの住む県からも労働者が多数徴発され、首都へ送られていった。

 少しずつ噂が流れてきた。

 今度の塔の建設には、月人が協力しているそうだ。

 設計は月の技術者の主導で行われたという。

 前の塔は外側に階段がつけられていたが、今度の塔は内部にらせん状の空洞があり、それが通路になって上り下りをするらしい。外気と接しないので、環境はかなり改善された。

 月人は気密服というものをつくっているとも聞こえてきた。防寒にすぐれ、体温を保つ。合わせて空気箱を背負う。箱の中の空気を吸う。外気がいかに冷たく、薄くても関係ないのだという。

 おれはかつて高度八千メートルほどにまで上り、死にかけた。もっとずっと高く、宇宙と呼ばれる空間まで達すると、真空になる。気密服と空気箱は労働者をその過酷な環境でも働かせることができるそうだ。

 田の水を入れかえ、雑草を抜き、害虫を取り除いた。

 稲穂が実り、刈り取った。

 収穫の半分が年貢として役人に持っていかれた。

 それでもおれと妻と娘が生きていける程度の米は残っている。

 狩人が持ってくる獣の肉と米を交換する余裕もある。

 冬になり、空気が澄んできた。

 首都の方を向くと、塔の根本の部分が見えるようになっている。太い。

 月の塔の建設労働者は四十万人にもおよんでいるそうだ。

 冬には農作業はない。

 おれは筵を編み、街で売った。貯めた金で赤いかんざしを買い、妻に贈った。娘が欲しがった。

 翌年も米をつくった。冬には筵を編み、橙色のかんざしを買い、娘に贈った。まだ幼いが、喜んでいた。

 月の塔が高くなっていく。

 三交代制で、昼も夜も建設作業はつづけられているという。

 夜になると、篝火で月の塔の形がわかる。

 おれは米をつくりつづけた。

 ときどき月の塔を見る。

 建設三年目、労働者はさらに増えて六十万人にもなっている。

 高度は六千メートルを超えた。

 気密服を着ているにもかかわらず、死者が出始めたようだ。

 頂上での作業はやはりきついのだろう。

 だが、一日に死ぬ者の数は、前の塔のときよりもずっと少ないらしい。

 月からも労働者がやってきたと聞いた。

 皇帝は黄金を山と積んで月の女王に贈ったそうだ。

 背中から羽を生やして空を飛ぶ月人の協力で、月の塔の建設は順調に進んでいる。

 おれの心は塔に吸い寄せられていた。

 あそこで働きたい。

 米をつくりながらそう想っていた。

 地に足をつけて米をつくり、一生を終えるつもりだったのに。

 空高く延びていく塔を見ていると、その決心が揺らぐ。

 月の塔の建設にかかわりたい。

 筵を編みながらその気持ちは育っていった。

「月の塔で働きたい……」

 我知らず声に出ていたようだ。

 妻はおれを抱いて首を振った。

 金を貯め、金のかんざしと銀のかんざしを買い、妻と娘の枕元に置いた。おれは首都へ向かった。

 都へ近づくにつれて、塔が視界を圧していく。その巨大さと高さに唖然とした。

 前の塔より明らかにでかい。

 その基礎部分は首都を丸く囲う城壁より大きい。

 塔の周辺は労働者、技術者、商人、役人たちでざわめく街になっていた。

 おれは役所に行って、月の塔の建設に従事したい、と告げた。

「石を運べ」

 おれは巨石を積んだトロッコから石を地面に降ろす役を与えられた。

 建設工事にはさまざまな機械や車が導入されているが、人力がなければ工事は進まない。トロッコは前にいる人々が引き、後ろにいる人々が押して動くし、巨石を荷台に積み上げ、地面に降ろす人々も必要だ。巨石はロープでクレーンとつながれている鉄板に人力で載せられ、塔の上の方へ運ばれる。クレーンのロープを巻きあげるのも人の手で行われる。

 石降ろしは十人でひと組になって行う。親方が声をかけ、全員で力を合わせて石を動かす。

 おれの力は何十万分の一でしかないが、確実に月の塔の建造の役に立っている。

 石切り場は遠い弩山や賀山になり、トロッコで長い線路を経て運ばれている。首都に近い武山や文山は平地になってしまった。近場の山はことごとくなくなった。

 月の塔を見上げる。

 地上にいる月人と知り合い、教えてもらったのだが、高度は一万メートルに達したそうだ。頂上は成層圏と呼ばれる大気層にある。そこには雲はなく、雪は降らない。気温はマイナス五十度。

 頂上にいる労働者はあたたかい気密小屋で飲み、食べ、眠る。小屋の中で気密服を着て、外へ出ていく。頂上で労働者を監督しているのは月人で、人間をできるだけ死なせないように管理している。月人は人間を地球人と呼んでいる。おれたちが立っている地面は平らではなく実は球面で、巨大な球体であるそうだ。

「きみたちは地球という天体に住んでいるんだよ」と月人が教えてくれた。

「地球……」

「月の塔の頂上から見たら、地平線が弧を描いているのが見えるはずだ」

 おれは役所へ行き、頂上での労働を願い出た。

 気密服と空気箱が支給された。服と箱は管でつながれていた。管は不思議な素材でできていた。弾力があり、やわらかい。

 おれはそれを抱えて月の塔の内部階段を上り、頂上をめざした。   

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