僕にとっての『毒』
舞島めぐみ
第1話 過去の僕の話
みなさんは『毒』と聞くと、どの様なイメージを持ちますか?
一番初めから良いイメージをする人はあまり居ないのでは無いでしょうか。
禍々しいイメージを持つ人が多いと思います。
ここでは、僕にとっての『毒』…僕の両親についてお話ししようと思います。
僕の父と母は僕が小さい頃に離婚しました。
僕は一人っ子です。
母は僕を引き取り、女手一つで僕を育ててくれました。
小学生に上がる前の大変な時期に僕の世話をしてくれた事、心から感謝しています。
そんな母は僕が小学1年生の頃にとある男の人と再婚しました。
僕にとっての義父です。
義父は一人っ子として我儘に育った僕に躾をしてくれました。
食わず嫌いや箸の持ち方など、義父のお陰で直った習慣は沢山あります。
ですが義父は僕にとって毒でした。
義父は(言い方は悪いかもですが)相手のことを自分より弱者と判断すると不必要に虐めて、自身のストレスを発散するような人でした。
幸いにも殴られたり蹴られたりなどの暴力は受けませんでしたが所謂モラハラの様なことを執拗にされました。
どれだけ頑張っても褒められることはなく、少しでも悪いことをすれば存在を否定され、喧嘩で言い返せばまた存在を否定され、遠回しに死んでしまえと言われ、最終的には全く別の事柄を引っ張り出してきて怒る。
当時小学生だった僕はなるべく義父との仲を穏便に済ませたいと思い、言われた通りになんでもして、怒られれば黙って説教を聞いていました。
そんな風に日々、穏便に過ごしていたはずなのに小学四年生の時に起こった喧嘩で義父は僕に「自分の意見を表明すること」を求めました。
僕は困惑しました。
何を言っても否定する癖に意見を求めるのか、と。
僕の中で何かが壊れた気がしました。
泣きじゃくる僕はその義父を無視し、玄関を飛び出しました。
初めての家出でした。
お小遣いも貰っていなかった僕は飲まず食わずで早朝から夜中まで目的もなく色々な所を泣きながら彷徨っていました。
ですが所詮小学生の家出です。
その日の夜には家から少しだけ離れた祖母の家にお世話になりました。
次の日に両親が迎えに来て、その時はそれで話は終わりました。
それから一年後、僕は中学受験を控えた受験生になっていました。
小学校での成績が良かった僕を中学受験させたいという親の意志に従って僕は中学受験をしました。
朝から学校に行き、帰ってきたら週に三回は塾に、それ以外は家でご飯の時間以外は勉強を強要される生活。
今の僕なら無理だと言い切りますが昔の僕はいとも容易くこれをこなしていました。
義父が「半分洗脳の様なものだ」と言っていたのを今でも覚えています。
小学一年生から教育と言う名の洗脳を受けていた僕は受験勉強を受け入れていたのです。
中学受験の結果が返ってきました。
2校受けたんだと思います。
最初、一方の県立の中学校では不合格、もう一方の私立の中学校では合格の通知を頂きました。
ですが、後になって不合格の通知が来た県立の中学校から追加合格の連絡が届きました。
義父は僕に尋ねました。
「どちらに行きたいか。」と。
県立の中学に行けばお金の心配はあまりしなくてよくなる。
しかし、県立の中学校には小学生の時に僕のことを馬鹿にした女の子たちがいました。
あまりに安直でしたが小学生の判断材料としては大きいものです。
「私立の中学に行きたい」
僕はそう答えました。
晴れて僕は私立の中学校に入学しました。
この中学校は中高一貫校でしたので入学式に周りにいる皆と一緒に6年間過ごすのか、と胸が踊りました。
それから二年間半、僕は悠々自適に中学生活を送っていました。
不穏な空気が流れ始めたのは中学三年生に上がった頃です。
中学に入り、成績が段々と落ちていました。
周りの子たちも受験して入ってきた子たちです。
当然、周りのレベルは上がるに決まっています。
それでもなんとかレベル別で一番上のクラスに三年間留まっていました。
しかし、義父はそれを良しとしませんでした。
「高校受験をさせる。成績がこんなならお前に無駄に高い金をかける理由がない。」
僕は反対しましたが義父は聞き入れてくれません。
中学の先生たちも交えて何度も話し合いをしました。
先生たちも僕を引き止めてくれました。
一ヶ月以上、話し合いを重ねたと思います。
学校では先生とこれからについて話し、偶に両親も交えて話し合いをし、家に変えれば受験しろと言われ、勉強を強要される。
一向に意志を曲げようとしない義父を説得するのを諦め、疲弊しきった僕は高校受験をしました。
義父が提示した高校は、僕の学力ではとてもじゃないですが受かるようなところではありませんでした。
それでも前期試験でその高校を受けました。
勿論、落ちました。
なのでレベルを下げて絶対に受かるであろう高校を後期で受験しました。
簡単に受かりましたが、僕は乗り気ではありませんでした。
何度も何度も友人と引き離された僕は情緒が安定しなくなり、高校に上がる前から睡眠障害と希死念慮に悩まされるようになりました。
しかし、心配をかけたくなかった僕はなんとか毎日隠し通していましたが友人の目にはあからさまに疲弊しているように見えたと後で聞きました。
きっとこの頃からもう崩壊していたのだろうと思います。
僕の意志を聞きたいと言いながらも表明すれば全否定し、自分の意志を「お前のためを思って」と押し付けてくる義父。
それを一番近くで見ながらも助けようとしない母。
高校に上がるまでの僕にとって両親は『毒』でした。
それでも、あの頃の僕はまだ両親を両親として見れていました。
僕にとっての『毒』 舞島めぐみ @cry_husky
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。僕にとっての『毒』の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
老婆のおひとりさま回転寿司/小柴茉莉華
★9 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます