解離せよ!

筆入優

解離せよ!

 今までの敷布団生活とおさらばするべく、僕は寝具店でベッドを見繕っていた。陳列されたベッドの中に、一際目を惹くベッドを見つけた。


 それは、デザインが優れていたわけではない。


 マットレスの触り心地が良かったわけでもない。


 大きさの割に安かったわけでもない。


 ただ、そのベッドは普通ではなかったのだ。


「お客様」


 いつの間にか、僕の横に店員が立っていた。彼は卑しいスマイルを崩さない。


『買ってほしい』と顔に書いてあるように見えたが、気のせいだった。


「そのベッド、お気に召されましたか?」


「いえ、これからじっくり見ようと思っていたところです。変わったベッドだなあって」


 そのベッドがどう普通じゃないのか。


 まず、商品の売り文句が他とは一線を画している。今まで見てきたベッドが『低反発』やら『快眠!』などのありきたりな売り文句だったのに対して、今見ているものは『人じゃない。心を寝かせよう』なのだ。売り文句の下には、可愛くデフォルメされた心臓がベッドですやすやと眠っているイラストも描かれていた。


「そうでしょう、そうでしょう。しかし、全く売れないんですよ。珍しさよりも気味の悪さが勝ってしまうお客様が大半です。じっくりと見てくださるのは、お客様が初めてなんですよ」


 買わせたい、買わせたい。ひしひしと伝わってくる。


「あ、半額なんですね」


「そーなんですよ! なんと今日まで半額です。お客様、運が良いですね」


 店員が一歩近づいてくる。


「あの、このベッドは一体どういう使い方を? 見た感じ、普通に人間が寝る用ではなさそうですが」


「そこに書かれている通り、心を寝かせるんです。自分の中から邪魔な感情を抜き取って、寝かせるんです」


 このベッドを買わなかった客はベッドの気味悪さよりもこの店員の気持ち悪さから逃げたかっただけなのでは、という言葉は呑み込んだ。


「まあ、買ってみようかな……」


「ありがとうございます! いやあ、とうとう売れましたねえ」


 店員が食い気味に言う。買わないという選択肢は僕に残されていなかった。


   *


 数日後、自分のベッドと心用のベッドが届いた。早速どちらも組み立てた。午後にはどちらも完成した。


 僕は自分用のベッドに寝転がる。ふかふかで快適だ。硬い敷布団とは大違い。


 ひとしきりベッドを堪能した後、僕はレポート作成のため、大学図書館に足を運んだ。文献を選んで、丸机に向かう。


「圭くん、レポート?」


 キーボードを打っていると、僕の肩越しに誰かがパソコンの画面をのぞき込んできた。急なことで気が動転したが、顔を見ると友人の志保だとわかり、笑みが零れた。彼女は高校来の友人だ。たまたま、僕と同じ大学の同じ学部を受けたのだ。


「なんだ、志保か。脅かすなよ」


「ごめんなさい。ねえ、私もいっしょして良い?」


「構わないよ。明日提出だし、早く終わるといいね」


 志保は「そうね」とはにかみ、僕の隣に座った。さっきまで集中していた僕が嘘みたいに、視線が画面から彼女に移る、移る、移る。何度画面に視線を戻しても、彼女に移る。


 彼女に対する恋心を自覚し始めたのは高校を卒業した後だった。お互いに引っ越しなどが忙しくて会えない時間が続き、そこで僕は寂しいと感じたのだ。これが恋か、とその時は冷静に受け止めた。しかし、再び会えるようになると恋心は急速に膨張した。彼女と居る時は目の前のことが手につかなくなってしまった。


 僕は回想の中で『これだ!』と思いついた。これをあのベッドに寝かせてやろう。学生は恋も大事だが、学業をおろそかにしてしまっては、それも邪魔者に成り下がってしまうのだから。


「急用を思い出した。先に帰るよ」


 僕は一言そう告げて、足早に図書館を出た。


   *


 僕が寝かせたのは恋心だった。恋心に『出て行け!』と脳内で命令すると、心臓を模った真紅のそれが飛び出て、ひとりでにベッドに横たわった。


 ようやく、学業に専念できる。特別真面目ではない僕でも、さすがに直近の成績不良には悩まされていた。これから頑張って挽回しようと心に決めた。


   *


 期末テストが終わり、余裕ができた頃。ずっと寝ているあいつの存在を思い出した。


 さすがに起こさなければ。


 僕は彼の中心部分を二、三度叩いた。彼はあっさりと目を覚まし、身体を起こした。あれだけ長い期間眠っていたのが嘘みたいだ。


「おはよう。そろそろ、僕の中に戻ってくれよ」


 僕は言った。


「だめだ」


 彼は中心部分をグロテスクに開けてモノを喋った。まさか恋心が言葉を話せるなんて思っていなかった僕は、驚きからよろめき、その場に尻餅をついた。


「な、なんで?」


「お前、あの日俺のことを邪魔ものだと思っただろ。そんなひどいことを思う奴に——いや、俺にとっては、お前が脳内で思ったことは言われたのと同義か……とにかく、そんなごみ人間の中にもう一度戻りたくはねえ」


 彼は真っ赤な足を生やして玄関に向かった。


「でも、ベッドは気持ちよかったぜ。死ぬまで眠らなくても大丈夫だ」


 僕は茫然自失して何も言えなかった。


   *


 その翌日、僕の家のインターホンが鳴った。


 訪ねてきたのは志保だった。家に入れてほしいと言うので、僕は一瞬躊躇った。心臓の形をしたあいつが志保の胸に寄生しているのが見えると、僕は怖くなってドアを閉めた。しかし、すぐにドンドンとドアを叩く音がして、このままでは命が危ないかもしれないと判断した僕は、再度ドアを開けて、志保を中に入れてやることにした。ドアを叩いたのは、彼女の胸から伸びる真っ赤な手の仕業だろう。


「こっちが俺のベッドだ」


 その手は心用ベッドを指さしていた。


 志保はそれに腰かけると、僕にこう言った。


「私、圭くんみたいなクズよりもこの子のほうが好きだわ」


 志保は血に濡れたように真っ赤な手を、まるでペットを扱うみたいに優しく撫でた。


「志保に言ったのか、あれを」


 僕は彼女の胸を——彼女の胸から伸びる手を睨みつける。


「さあな」


 そいつは、くっくっくっと笑った。


 そして、彼と志保はベッドに寝転んだ。極めてカオスなこの状況をどうにかする術はなかった。


 と、志保の体から、寄生しているものとは異なる心臓もどきが飛び出した。そいつはてくてくと玄関に歩いていく。


「志保、あいつは?」


「……」


 志保が答えないので、心臓もどきに「おい、お前は誰の恋心なんだ?」と尋ねた。


「恋心じゃない。志保の彼氏に対する愛です」


 そいつはそう答えた。


「待ってくれ、志保の彼氏は、認めたくはないが胸に寄生している奴だろう? なんで愛であるお前が家から出て行くんだ?」


 僕は何が何だか、理解が及ばなかった。


「なるほどな」


 今度は僕の恋心がベッドの下に降りてきた。僕のつま先に立ち、数秒間硬直する。


「お前も何やってんだ。てか、あいつの言ってることが分かったなら僕に教えてくれよ」


 彼はつま先から僕の体内に侵入——いや、回帰した。


「浮気女とはやってらんねえぜ」


 僕の頭の中で、唾を吐き捨てる音が聞こえた。

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