【1*】-2 私の生存戦略

ホールから出てドレスルームへと向かった。

さっさと着替えて寮に帰り、ぐっすり寝たい。

明日以降に備えて、疲れを取っておかないと。


――私の生存戦略は3つ。

『アイラをいじめない』『味方を増やす』。そして『ミレーユの過去の【やらかし】を出来るだけフォローすること』。


アイラへのいじめや暴力はこれまで一度もしていないが、私は1年生のときに一度だけ、をやらかしてしまったのである。


(誕生日プレゼントでアイラが贈ってくれた花束。……目の前で踏みつぶしてから、ゴミ箱に捨てちゃったんだよね。ミレーユったら、なんであんなことしちゃったんだろう。アイラは泣くし周りはドン引きだし、本当に大失敗だった)


1年次の私の誕生日。

ユードリヒ殿下は私のところに来てくれず、誕生日プレゼントも貰えなかった。

イライラの絶頂にあった私のところに、きゅるんとした笑顔を浮かべてアイラがやってきたのだ。

『わぁ! ミレーユ様のお机、お誕生日プレゼントでいっぱぁい♪』


取り巻き連中からたっぷり贈られて私の机に山積みになっていた誕生日プレゼントを見て、

『ミレーユ様って、誰からも愛されててうらやましいです。殿下からは何をいただいたんですか?』

と聞いてきた。

殿下は下さいませんけど? 分かってて仰ってますわよね?? と答えるのが悔しくて、口をつぐんでイラついてた私。


『わたしもミレーユ様と、もっと仲良くなりたくて。これ、私の気持ちです』

とアイラが差し出してきた白い花束を、あろうことか私はその場で踏みつけてからゴミ箱に捨ててしまったのだ。


花束踏みつけ事件以来、ミレーユには非礼な悪女という悪評が定着し始め、一方のアイラには同情が集まっていった。


「……やらかしちゃったなぁ。イラついてたとはいえ、本当になんであんなこと仕出かしちゃったんだろう」


ゲームイベント通りの挙動だったから『原作の強制力』だったのかもしれない。

頭に血がのぼって秒で踏みにじっていたから、どんなお花を貰ったのかさえ曖昧だ。


「白バラみたいな花だった気もするけど……。もし白バラなら、花ことばは『尊敬』よね。それを踏むとか、本当に身の破滅だわ……」


このフローレン王国では、贈られた花を雑に扱うのは最低の行為と見なされる。

この国が「花の国」と呼ばれ、花の女神の祝福によって初代国王が選定されたといわれているからだ。

女神フローレンが醜い老婆に化けて、とある兄と弟に花を贈った。感謝して花を受け取った弟は国王になり、老婆をあざけって花を踏みつけた兄は荒れ地に追放されたのだとか……。

だからこの国では「花の贈答」には神聖な意味が付随するのだ。

にもかかわらず、あぁぁぁぁ。


「王太子は婚約破棄を申し立てるとき、絶対に花束事件を責めてくるわよね……ゲームでも言っていたし。事実だから言い逃れできないわ」


……過ぎたことを悔いてもしかたない。

せめてこれ以上ミスを重ねないように気を付けよう。


ともかく、前進あるのみだ。

   *





進級後初めての週末。

私は1年ぶりに、実家であるガスターク侯爵家のタウンハウスに戻った。

実家と貴族学園はどちらも王都内なので近いのだが、寮暮らしをしている私は入学以来まったく実家に近寄っていなかった。


……幼いころから、家族関係があまり良くないのだ。

2年前に馬車事故で両親が亡くなって以降、さらに疎遠になっている。


それでも私は、帰省を決めた。

『生存戦略:味方を増やす』が今日の帰省の目的だ。


実家に着くなり、私は唯一の肉親である兄の執務室へと向かった。


「お兄様。ただいま戻りました」

執務机で書類仕事をしていた兄は、こちらに顔を向けることもなく「ああ」と冷淡に呟いた。

1年ぶりだというのに塩対応……相変わらずの『氷の侯爵閣下』っぷりである。


そして相変わらず、美しすぎて目が痛い。


襟足の長いプラチナブロンドの髪は月明かりのようにしとやかに輝き、冬の湖面を思わせるアイスブルーの瞳は、髪と同じ色調の長いまつげに縁どられている。

要するに神作画なのだ、このミラルド・ガスタークという男は。


モブキャラのくせにビジュアルが尋常ではなく、攻略対象である王太子や宰相令息たちよりいっそ神々しい。

画面越しでも「絵師のこだわりすげぇ」と感心してたけど……生兄なまあには人間のレベルを軽やかに凌駕していた。


「その不躾な視線の意図は? 私の顔に何か」

「絵師の推しだったのかな、と」

うっかり口がすべった。

壊死膿死えしのうし?」


美しい顔をわずかに上げて怪訝そうに眉をひそめる兄・ミラルドは当家の現当主で、私より5つ年上の22歳だ。


「なんの話か知らないが、用件を済ませてさっさと学園に戻るといい」

(塩対応。……今はこんなだけど、子供の頃はすごく優しいお兄様だったのよね。あんなに私を可愛がってくれていたのに)


ゲームにはミレーユの幼少シーンは出ないが、現世としての幼少期はもちろん存在していた。

ミラルドは本当に良い兄で、両親が私に愛を注いでくれなくても彼だけはいつも優しくて、私も彼に甘えていた。


でも、いつからか兄まで私を避けるようになって……。

これまで懐いていた分まで余計にショックを受けて、私も兄を避けるようになった。


(……まぁ、感傷とかはどうでもいいや。さっさと用件伝えようっと)

「お兄様、お願いがございます。私、寮を出て家から学園に通いたいのですが」


王立貴族学院は、寮生と通学性が半々くらい。自由選択制で、私はこれまで寮生だった。

「家から通うだと?」

「ええ。プライベートな時間だけでも、実家で過ごしたくて」


家に戻りたい理由は二つ。

一つ目は、味方を増やすこと。兄との関係性を少しでも改善しておけば、王太子が私の有責を訴えたときに色々守ってくれるかもしれない。


もう一つの理由は、寮生活だとアイラと遭遇イベントが発生しやすいから。

ゲームではアイラとミレーユが寮内で出会う『ハプニングイベント』が高確率で発生していた。

ミレーユにいじわるされるたびにアイラの「幸福度」や「評判」などが下がるのだが、私にとってもリスクでしかない。

アイラとの接触は極力減らさなければ。


「今まで家を避けていたお前が、どういう風の吹き回しだ」

「学業の傍ら、お兄様の仕事を手伝わせていただきたいのです」

「私の仕事を? 領地経営か」

「ええ。お兄様には王宮での、筆頭政務官としてのお勤めもありますでしょう? ご多忙なお兄様のお役に少しでも立てたら嬉しいです。馴れないうちはご迷惑をお掛けすることも多いと思いますが、必ず役に立ってみせますわ」


ガスターク家は、国内貴族の三大派閥のひとつ『中庸派ネルケ』の筆頭家門だ。

前当主である父の急逝により、若干20歳で家督を継いだ兄の労苦は計り知れない。

……顔には出さず氷の侯爵ぶりを貫いているけれど、その実、けっこう大変なのではないだろうか。

だから、『兄の役に立ちたい』というのは妥当な口実だと思う。


「ガスターク家の領地経営を学びたいのです。そうすればお兄様のお力にもなれますし、所領管理の経験は私が王太子妃となった後にも活かせるはずですから」

と、私は用意していた口実を述べた。


(まぁ、実際には私が王太子妃になる可能性はゼロだけれどね。お兄様の前では王太子妃前提で話しておいたほうがいいし……)

そのほうがガスターク家当主おにいさまにとって、利益の多い話になるはずだ。


「いつになく饒舌だね、ミレーユ。私には、耳触りのよいセリフを並べ立てているようにしか聞こえないよ」

――ぎくり。

緊張を顔に出さないようにしつつ、兄を見つめる。

兄は珍しく笑っていた。

性格のひねくれた、イジワルっぽい笑みを浮かべている。

こんな表情のミラルドを見るのは初めだ。


「どうせ他の事情があるんだろう。学園での人間関係がうまくいかないから実家に逃げ帰りたい、とかそんな幼稚な理由じゃないだろうな?」

「まさか」

思いきり図星を刺された。この兄、鋭い。

兄は執務椅子からスッと立ち上がり、私の目の前に立った。

怖い怖い怖い。


「私を手伝いたい? とてもお前の言葉とは思えないね。私を毛嫌いしているお前の言葉とは」

美貌で覗き込んでくる。

私の本音を見透かしている? 

冬の湖面より澄んだアイスブルーの瞳がすごく近くて、私は冷や汗をかいた。


だが、兄はふと表情を緩めた。

「お前の好きにしろ」

「えっ」

許可してくれるの? どう見ても拒否される流れでは……?


「よろしいんですか。あ、ありがとうございます、お兄様!」

よかった……! これでひとまず避難場所がキープできた。

「お前が私を頼るとは、珍しいこともあるものだ。こんな家がお前の安らぎになるとは思えないが。まぁ、いいよ。お帰り、ミレーユ」


どこまでも見透かしてきそうな兄が怖くて、私は思わずあとずさっていた。

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