HydRangea - 老いない魔女と死なない少年 -
八雲たけとら*
HydRangea - 老いない魔女と死なない少年 -(約8,300字)
雨が嫌いだった。雨の日が嫌いだった。
別に太陽が好きなわけじゃないのだけれど、晴れの日の方がましだった。雨で濡れなくて済むのだから。
雨と雲が嫌いだった。
それでもその日は雨だったのに、なぜだか気まぐれに唾の広いとんがり帽子を被ったりして、外に出たんだ。特別な理由があったわけでもない。ただなんとなく、外に行ってみようかと思っただけだった。
アジサイが咲いていた。青紫が点々と、雨の森の中に開いている。
そうだ、と思い付く。アジサイにあやかろう。新しい名前は「ランジア」にしよう。
私には今、名前がなかった。
かつて人は私を魔女と呼んだ。残念ながらというべきか、私は純粋な人間である。不思議な人外の血が混じっているわけではない。ただ少し薬学に精通しており、不老の魔法をかけられているだけの、ただ普通の人間である。魔法が使えるわけでもない。
昔は名があった時期もあった。私が作った薬を渡して人々と交流していたのだ。しかし長い年月を過ごすうちに、魔女と呼ばれ忌み嫌われるようになった。名前を呼ぶことが災厄を呼ぶとでも思われたのだろうか、この頃から名前を呼ばれなくなった。そのうち、微かな交流すらなくなり、やがて魔女とすら呼ばれないほど孤独になった。
今では自分ですら、元あった名前を忘れてしまった。
でも決めた。今日からはランジアだ。
さて、と歩きながら思う。なぜ私は、こんな雨の中を、わざわざ歩いているのだろうと思う。本当に理由はないのだ。どうして濡れながら歩いているのだろうか。ない。圧倒的に理由が無さすぎる。
帰ろう。お家でゆっくりしよう。
なんのために出てきたのか解せない。不思議に思いながら、もう水浸しになったローブを引きずりながら振り返る。沢山歩いたと思っていたのに、視界に我が家を捉える。思っていた以上に歩けていなかったようだ。目と鼻の先の家へ歩きだす。実にくだらない散歩だった。
それに気付いたのは、ドアノブに手をかけたときだった。
家の前、扉からは死角になる草むら。出てくる時には気付かなかったのだが、何か麻の袋が置かれているのだ。大きさは、人一人分ほど……。
「……死体?」
第一印象が口から出てくる。そういえば声を出したのなど、いつ振りだろうか。まだ枯れてはいなかったようだ。
恐る恐るその袋を開く。中には案の定、人間が入っていた。少年の姿をしている。
ひとつだけ予想外だったのは、その子が生きていたことだ。
おぞましいほどに血だらけで、服も穴だらけなのに、傷は一つも見当たらない。ましてや安らかな寝息を立てている始末……。
「魔女だ……。この子こそ魔女だ」
いや正確には男の子なので魔“女”ではないのだが、自分が散々言われてきたそのワードがさらっと出た。この子にこそ当てはまるのではないだろうか。
「……」
しばらくそのまま止まっていた。どうしたものかと悩んでいた。
でも落ちてくる雨が鬱陶しくて、深く考えずにその子を連れて家に入った。
雨は、嫌いだった。
目が覚めると、見知らぬ天井があった。木造の、質素だが丈夫そうな家だった。いったいここはどこなのだろう。
起き上がり、周りを見回すことにする。
ふと、とあることに気が付いて、もう一度よく考えてみる。
だが、思った通りだった。
「……僕は、誰?」
見知らぬ天井も何も、何もかも覚えてなかった。
部屋を出て、廊下を歩き、階段を下る。歩き方は分かるようだ。
階段を降りきった先、そこに椅子に座っている人がいた。僕の足音に気付いたのか、そっと振り返った。
「ああ、起きたね。おはよう」
どこか無機質な喋り方をする女の人だった。とりあえず「おはよう」と返すことにする。
「あの」と言って話し出そうとする。色々聞きたいことがあった。だが、何をどう聞いたらいいのか分からず、口ごもってしまう。
そんな様子を見ていたその人は「君、名前は?」と聞いてくる。そんなの、僕が知りたい。
「……分からない」
かろうじて僕がそう言うと、その人は、ちょっとだけ笑った。ように見えた。それぐらい些細な表情の変化だった。僕がどうすればいいか分からずに困っていると、その人は小さく「私もおんなじなんだ」と呟いた。
座るように促される。座ると奥からあったかそうなご飯を持ってきてくれた。そうしてはじめて、お腹を空かせていたことに気がついた。
「ハイドって名前をあげるよ」
何も覚えてないことを伝えると、勝手に名前を決められてしまった。
「君がハイド、私はランジア。二人でアジサイ」
よく分からなかった。記憶が無いせいだろうか。とりあえず、ランジアと呼べばまた笑ってくれるだろうか。
「ランジア……は、魔女なの?」
唾の広いとんがり帽子に大きな外套、そのどれもが漆黒で、見た目の印象は魔女のようだった。
「ううん。私はランジアだよ」
質問に答えたようで答えてくれていない。とりあえずランジアらしい。
こほんと、ランジアはわざとらしく咳払いをすると「ハイド」と名前を呼ばれる。
「あなたには、不死の魔法がかけられています」
突然丁寧になったランジアの口調に戸惑う。
「ふし?」
「不死身。要するにあなたは死なない。死ねない、の方が正しいかな」
死ねない。そんなことがあるのだろうか。
テーブルの上に、先ほど使ったフォークが置いてあった。例えばこれで首もとを刺せば分かるのだろうか。腕を伸ばして、フォークの先を自分に向けようとする。
パシン。
次の瞬間には、ランジアに手をはたかれた。持っていたフォークがカランカランと床に落ちていく。
「だめ。命を粗末にしてはいけない」
淡々と、だがしっかり怒られる。
ごめんなさい、と口にする。ランジアは落ちたフォークと一緒に使った食器類をキッチンへ片付けに行った。帰ってくると、両手にマグカップを持っていた。片方を僕にくれた。珈琲が入っていた。
「私には、不老の魔法がかけられてる」
「ふろう?」
ランジアは、僕の珈琲に砂糖を入れてくれながら「つまり、老いないってこと」と説明してくれる。
「あなたの不死と違って、怪我や病気はするし、その結果亡くなることもある。ただ、この姿のまま成長も老化もしない。それが私の不老。逆にあなたの不死は、成長していずれは老いていくけれど、死んだ瞬間に元に戻る」
「……つまり、僕らは、似た者同士?」
僕がそう言うと、ランジアは「そうね」と、またあの表情を浮かべる。やはりきっと笑っているのだと思う。
珈琲は甘くて美味しかった。
「ハイド、足元に気を付けなさい」
「はい、ランジア」
ハイド、という名前は、思いのほかよく馴染んだ。もしかしたら、記憶を失う前も似たような名前だったのかもしれない。ランジアが僕の名前を呼ぶ度に、なぜだかしっくりくる感じがした。
ランジアとの生活は、よく言えば平穏だし、悪く言えば退屈だった。森の奥に何か娯楽があるわけもなく、する事と言えば、薬草を取りに出かける程度だ。今日も森で色々な草花を採取をしている。薬の調合に使うらしい。だんだん背負子が重くなってきた。
「ねぇ、ランジア。いつも思うんだけど、どうして薬をそんなに沢山作ってるの? 僕ら不老不死なんだからそんなに必要ないでしょう?」
「ハイド。不死なのはあなただけで、私は病気もするし怪我もするの。薬が無いと死ぬことだってある。ハイド、あなただっていずれ治るとはいえ怪我をする事だってあるの。不死であって無敵ではないのだから、身体を大切にするのを疎かにしてはいけません」
「はーい」
僕が、不死を理由に自分を粗末に扱おうとすると、決まってランジアに心底叱られた。本当に死なないのであれば、一度くらい試してみたいのだけれど、ランジアはそれを絶対に許さなかった。そんなこともあり、まだ一度も死んだことはない。
「あ、ほら木苺がなってる。もぎたてが一番美味しいんだ。ハイドもおいで」
今も無心に木苺を口に頬張っているが、正直、丁寧な口調になり叱る時はとても怖かった。こうして砕けてくれると、すごく安心する。
ランジアに最初抱いた印象は、すごく無機質な人だった。言葉の抑揚も無く、表情もそんなに変わらない。なんなら今でもそうである。聞くと魔女と呼ばれ煙たがられ、一人であることが多かったらしい。
だからなのだろうか。時折少し、何かが足りないように感じる時がある。大事なものが、欠けているような、そんな気が……。
「ねぇ、ランジア……」
声をかけると、口いっぱいに木苺を入れたランジアが振り向いた。どうすればそんなに入るのだろう。リスのような、その姿がちょっとおかしくて、笑ってしまった。
笑われた理由が分からないのか、ランジアは首をかしげて不思議そうに咀嚼している。だけど、そんな姿がまたおかしくて、笑いが止まらない。
……そのまま笑ってしまって聞きそびれてしまった。ランジアは、僕が来るまでは一人で過ごしていたという。ならどうして僕はランジアのところに来たのだろうか。どうしてランジアは僕を側に置いてくれているのだろうか。
その理由を、僕はまだ聞けずにいたのだ。
「帰ろうか」
日も暮れそうになり、ランジアがそういった。ようやく帰れる。もう肩も限界だった。
帰り道は日中と違い、暗くなり遠くまで見えなくなった。油断すると木の根に躓いてしまいそうだった。あとどれくらい歩けば家につくのだろうか。
ランジアに、あとどれくらいで帰れるのか、聞こうとした。
その時だった。
「……ハイド、しゃがんで」
静かな、しかし緊張が張りつめるような声でランジアが指示する。
言われた通りにしながら「どうしたの?」と聞くと「静かに」と指を立てるランジア。身振り手振りで、あっちを見ろと示してくる。
「……っ」
危うく声を出すところだった。
熊……のような何か。熊にしては大きく、そして毛並みが血のように紅かった。
「フィルベールだよ」
「フィルベール?」
「血生臭い熊って意味。見ての通りの化け物だよ。これは困ったね……」
「危ないの?」
ランジアは黙って頷いた。こんなに困っている姿を見るのは初めてだ。なんとか力になれないだろうか。
「あ、そうだランジア。僕が囮になれば……」
「だめです」
ランジアは低い声で、僕の言葉を遮る。でも僕にはちゃんと考えがあった。
「だって、僕は不死だから死なないんでしょう? でもランジアは不老だから死んでしまうかもしれない。だから……」
「 だめって言ってるでしょうっ! 」
ランジアの声が大きくなる。これではフィルベールに見つかってしまう。僕は萎縮して声が出なくなる。
「……ハイド、あなたでは囮にならない。あなたが囮をやっても、私は逃げ切れない。逃げ切れなければ、結局無駄になってしまう。だからだめ。だからだめなんです」
二回言ったあと、ランジアがすっと立ち上がった。聞いたことのあまり無い、すごく怖い声だった。
「いい? 私が囮をやるのは決定事項です。大丈夫、私なら対抗策だってある。問題は、あなたがこの暗がりの森の中、一人で灯りもなく無事に家までたどり着けるのかってこと」
だんだんと、声がいつもの調子に戻ってくる。ランジアの手が、僕の髪を撫でてくる。
「ハイド。背負子ごと、薬草は置いていきなさい。かがんだまま、身を低くして。合図をしたら家まで全力で走りなさい。転ばないように、足元には充分気を付けて」
反論したかったが、有無を言わさない雰囲気があった。頷くしかない。
「大丈夫だから、決して振り返らずに走りなさい」
僕は諦めた。言うとおりにしよう。
ランジアは懐に手を入れた。対抗策というやつが入っているのだろう。
「……行くよハイド……走って!」
ランジアこ声に、僕は飛び出して走りだす。言い付け通りに、振り返らなかった。
後ろから、身の縮むような咆哮が聞こえてきても、一心不乱に、ただ家へ走った。
家に着くまでのことをよく覚えていない。見覚えのある家が見えてきたときには、さすがにほっとした。そして家に着いた後で、ようやく後ろを振り返った。しかし、当たり前だが、そこにランジアの姿はない。
「……」
そのまま扉の前でずっと、来た道を見ていた。もしランジアが帰って来たら怒るだろう。なんで家の中に入っていないのだと。
でも、一人だけで入る気にもなれない。どっちにしろ寝ようとしても、心配で眠れないだろう。僕は扉にもたれかかった。
全力で走ったせいで、心臓が飛び出しそうだった。汗が身体中から吹き出してくる。いつのまにか何度か転んでいたようで、至るところに擦り傷があった。
だんだんと立っているのが苦しくなり、座る体勢になり、横になり、次第に身体が崩れていく。無理もない。限界以上のスピードで長いこと走ったのだから。一気に緊張の糸が切れた。
もしフィルベールを無事に撒けたのならば、もう追いつくはずだ。僕よりランジアの方が山を走るのはうまいのだから。
もう来るはず。もう来るはず……。
もう、来ないとおかしい。待てども待てども来ない。
「ラン……ジア」
頭が、地面に落ちていく。僕は寝始めたことにすら気が付かないまま眠りに落ちていた。
目が覚めると、見慣れた天井があった。
起き上がり、周りを見回す。全身に、ランジアお手製の軟膏が塗られている。
「っ!」
気付く。昨日、僕は扉の前でランジアを待っていたのではなかったか。ランジアは?
ダッシュで階段を降りていく。いつもと同じところにランジアがいた。
「ランジ……」
「ただいま、ハイド。無事でよかった。」
そこに、ランジアがいた。
だが……ランジアは無事じゃなかった。
大きな外套の右側……そこにあるはずの、腕がなかった。
ランジアは左手で机に何かを置く。
「対抗策っていうのはこれ。止血剤と縫合用の針と糸。それから、口にすればお終いの猛毒。最後に……よく切れる鉈。ここまで言えば、私がどうしたかは分かるわね?」
ランジアの声が聞こえる。今の僕には、ランジアの顔を見る勇気がない。ずっと、自分の足元を見つめていた。
「あの状況で生き残るためには、あれが最善策だった」
「……嘘だ」
僕は、ランジアを見ずに、それでも口答えをしようとする。視界は涙に滲んでいく。
「ランジアは不老なだけだから……怪我は治らない。でも僕だったら不死なんだから死ねば治るんでしょう? どうして、僕の腕でやらなかったの?」
「無くなったものは戻らないからよ」
何を言っているのかが理解できない。そうして無くなったのは、ランジアの腕じゃないか。
「ハイド。あなたの不死、どういうものだか覚えてる?」
ランジアに聞かれて、かつて言われた言葉を思い出す。
「死なない。死ねない。成長して老いて、死ぬと元に戻る」
「その通り。そのままの意味。だけどハイド、あなたはその意味が分かってない」
「何言ってんのか分かんないよっ!」
思わず声を荒げてしまう。
さっきから、ランジアが何を言いたいのか分からなかった。焦れったくて……いや、違った。
腕を奪ってしまった事実が怖くて、目を背けたくて、涙が止まらなかった。それを僕なら防げたかもしれないと思えば尚更のこと、落ち着くなんてできるわけがなかった。
「僕が死ねば……僕が死ねば良かったんだ」
「ううん。違う」
「大事にしてもらったから死んだこともない! 一回ぐらい死んだって良かったんだっ!」
ランジアが一言「ハイド」と、僕の名前を呼んだ。たった一言、僕を呼んだ。それだけで、僕は言葉をなくしてしまう。
ランジアの声に、涙が混じっていたからだ。泣いているところなど見たことがない。でも顔をあげると、ランジアの頬に涙が伝っていた。
「……ハイド。あなたは以前にもここで、死んだことがあるわ」
「ランジアに出会った日のことでしょう」
ランジアは首を横に振る。
「いいえ。出逢ってから三度、死んでいるのよ」
「だって……」
そんな記憶はなかった。でも、ランジアが嘘を言っているようにも見えなかった。
「一度目は出逢ってすぐ、あなたに不死の魔法がかかっていることが分かったことを伝えると、フォークで自分を刺した。二度目は森で転んで運悪く枝が胸を刺してしまってそのまま。三度目は、フィルベールに襲われた。三度目の時は、ハイド、あなたのお陰で私は死なずに済んだ。でもその度に、あなたは命を落とす度に、全ての記憶を無くしてしまった。出逢う前に、元に戻ってしまった」
元に戻る。
その意味を、初めて理解した。
老いも全て元に戻るなら、記憶が元に戻ってもおかしくない。
起きたときに何も覚えてなかったのだから、その度に全てを忘れていたのだ。忘れたことさえも忘れて。
「でも……でもそれでも、腕の方が大切じゃない? 記憶なら、また始めればいいじゃない」
ランジアは、無言のまま首を振った。何度も何度も横に振った。首を横に振る度に、涙の雫が舞い散った。
僕は……何も言えなくなった。
ランジアはずっと涙を流していた。でも表情はおかしいぐらいに真顔だったのだ。
ようやく気付いたのだ。ランジアに足りなく感じていたものの正体が。
「感情が……欠けてるの?」
ランジアは、すっと僕を見た。
「僕が生き返る度に記憶を失うように、ランジアはもしかして、感情を失っていくの?」
ランジアは頷く。
「私たちにかけられてるのは呪いだから。祝福ではなく呪いである故、私たちは代償を支払わなければいけない。あなたは記憶を、私は感情を」
ずっとランジアはそういう性格なのだと思っていた。感情が薄いタイプの人なのだと。でも本当は違ったんだ。きっと世話焼きで、どうしようもなく心配性で、木苺がとっても大好きで、そして、すごくさみしがりや。
「私にとってこの代償は、都合がよかったのよ。ずっと孤独だったから。一人だったから。感情が無くなっていけば、苦しくない。寂しくない。そうして生き続けていくなかで、あなたが家に来た。真っ白になりつつある感情の中から、無くなったと思った楽しいが出てきたの。だから、だから……あなたが全てを忘れたとき、忘れる度に、一等寂しくなった。あなたとの日々が、消えていくことが、堪らなく嫌になった……」
「ランジア、ランジア……」
僕は気がつくと泣きだしていた。ランジアに駆け寄って身体を抱き寄せていた。ランジアの片手が背中に回った。
「ごめんなさい……ごめんなさい。何回も死んでしまってごめんなさい。忘れてしまってごめんなさい。僕のせいで腕を……ごめんなさい」
ランジアが、必死になるのは、いつも僕が死んだことのある場面だった。僕は何も知らなかった。
僕は、知らなかった。腕を犠牲にしたとしても、守りたかった……失くしたくなかった記憶を、僕は何度も失くしてしまったこと。何度も捨てようとしたことも……。
「私も、ごめんなさい。きっと笑ったり泣いたりどんどんできなくなっていくの。出会った頃よりどんどん、何も感じなくなっていくのが分かる。でも、でもね、ハイドが居なくなるのは嫌。もうあなたの中から、私が消えるのは嫌なの」
僕は、ランジアの身体をぎゅっとする。近付ける。離れないように。
「ランジアが笑えなくてもいい。泣けなくてもいい。僕がその分笑うから泣くから。だからずっと一緒にいよう」
昨日のように、ランジアが居なくなってしまうかもしれないのはもう嫌だった。ずっとずっと、一緒がよかった。
そう思って言った僕の頭を、ランジアはコツンと殴った。
「痛っ」
「馬鹿ね。ハイドが泣いたら悲しいじゃない。笑っててよ。笑って、ずっと一緒。ね?」
そう言うとランジアは笑った。
僕にはちゃんと、それが笑顔だと分かるから。
ある、雨の日のこと。僕は一人で収穫を終えて帰宅する。晴れている日は一緒に外出するランジアも、雨の日には何がなんでも外出を拒んだ。おそらく、雨が嫌いなんだろう。
「ランジアぁ、帰ったよー」
「……」
時が経つにつれて、ランジアから言葉も減っていってしまった。それはそうだ。感情が無くなっていくのだから、発する言葉も減っていくだろう。分かっているけれど、返事が返ってこないのは、いつも少しさびしかった。
「……」
ランジアが手に何かを持っている。タオルだった。
「ありがとう、ランジア。身体を拭くように準備していてくれたんだね」
僕は満面の笑みを向ける。これは約束だから。僕は笑顔を絶やさない。
受け取ったタオルで身体を拭き、背負子を拭く。
「あのねランジア!今日は良いものを取ってきたんだよ」
「……?」
首をかしげてみせるランジア。
僕は背負子からそれを取り出す。
「木苺! もぎたて……からは少し経っちゃったけど……」
差し出すと、ランジアは木苺を掴む。掴んでは口の中に入れる。掴んでは口の中へ……。
「ぷはっ」
僕はたまらずに吹き出す。りすのように、口いっぱいに頬張るランジア。
「変わらないね、その食べ方」
僕がそう言うと、ランジアは笑ってもう一個口の中に入れた。
〈終〉
HydRangea - 老いない魔女と死なない少年 - 八雲たけとら* @yakumo_taketora
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