リトルガールエンカウント

キングスマン

第一話

 それが演技なのは明らかだった。

 東の病院で医師は少女に告げる。

「おそらくきみは、王子様なんだ」

 西の病院で医師は少女に告げる。

「あなたはきっと、人魚姫なのね」


 同じ日の同じ時間、別々の病院にて。

 医師は、それがさも喜ぶべきことであるかのように、芝居がかった口調で少女に告げた。

 それを聞いた少女と少女は率直にこう思った。

 ばかにされている。

 心にもないことを言って、自分の機嫌をとろうとしている。

 タネを知ってる手品を見せられているみたいに、ばればれなのに、気づかれないと思ってる。

 こっちはもうすぐ小学生だというのに。

 医師の態度は少女を不機嫌にさせたが、少女は感情と正反対の表情を医師に向けた。

 しかたないから、気をつかってあげているのだ。

 それを見て、医師は安心したような笑顔を見せた。

 大人を操っているようで、少女は少しだけ機嫌よく笑った。


 それから二人の少女は小学生となり中学生となり義務教育を卒業して、新しい春を迎える。


 東から歩いてきた少女と西から歩いてきた少女が高校の校門の前で衝突した。

 東から歩いてきた少女は進行方向に壁を作るように地図を広げた状態で進み、西から歩いてきた少女は自分にだけ見えるパンの欠片をたどるようにうつむいた姿勢で歩いていた。

 ようするに二人とも、前を見ていなかったのだ。

 東から歩いてきた少女は反射的に謝罪を口にしようとしたが、入学案内に書かれていた奇妙な注意事項を思い出し、慌てて口をふさぐ。

 それは西から歩いてきた少女も同じのようで、二人は必要以上に深く頭を下げて相手に謝意を伝え、校門をくぐった。

 校内では同じ制服姿の少女たちが案内を確認しながら、それぞれの場所に向かっていた。

 この学校の制服は空を体現しているのだという。

 紺色のプリーツスカートは、上空が深く青に染まっていくブルーアワーと呼ばれる時間帯をイメージしてデザインされ、黒のブレザーは夜を、藍色あいいろを基調に二本の白が斜めに伸びているネクタイは流れ星をモチーフにしているのだそうだ。

 では純白のブラウスは空を泳ぐ雲をしているのかと思えば、どうやら夜明けを意味しているらしい。

 係員に導かれ、数十名の生徒たちが体育館に集められる。

 そこには、少しだけ口をつけたバームクーヘンのような欠けた円を描くようにパイプ椅子が並べられていた。好きなところに座っていいと言われ、それに従う。

 席についた東から歩いてきた少女は首を動かして目で生徒の数をかぞえてみる。

 五十人はいる。まだ少し席が空いているので、最終的には七十人くらいここに集まるのかもしれない。

 そう思ったのも束の間、体育館の扉は重い音を立てながら、ゆっくりと閉じられた。

 欠けた円状に並ぶ少女たち。その欠けた箇所を補うような位置に、二人の女性が立つ。

 一人は二十代半ば、もう一人は年配であることは間違いないけれど、静謐せいひつさと活発さを兼ねた不可思議な雰囲気をまとっているせいで、実年齢が予測できない。

 その年配の女性が口を開く。

「みなさん、おはようございます」

 そう言って、丁寧に頭を下げる。

 条件反射で数人の少女たちが口を開きかけたが、入学案内に書かれていたことを遵守じゅんしゅして、おじぎだけ返す。

 年配の女性は柔らかく微笑む。

「はい結構。その調子でこちらが指示するまで声は出さないでくださいね」

 二十代の女性と年配の女性は目配せと手振りで何らかの意思の疎通をはかり、何らかの結論が出たようで、再び年配の女性が少女たちと向きあった。

「改めまして、おはようございます。ようこそ葉ノ咲はのさき総合芸術高等学校の声優科へ。みなさんには説明不要とは思いますが、これまでの日本は作家や役者といった職業はごく一部の例外を除いて完全な世襲制せしゅうせいでした。しかし間もなく世界は二十一世紀となり、この国も年号が平成になって十年が経ち、新たな社会に向け、それらの職業の規制が緩和され、多くの人に可能性が開かれました。特に昨今はテレビアニメの増加やビデオゲームの高性能化によって、これからの声優業は若い人たちにとって花形の職業になることは想像に難くありません──あっ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私、本校の校長を務めております、甘梅あまうめと申します」

 甘梅校長は会釈をした。

「本校は現時点で日本で唯一、声優科のある学校ということもあり、みなさん全国から集まっていただき光栄に思います。横浜は素敵な名所がたくさんあるので足を運んでみてくださいね。しかし当然ですがここに入学できたからといって、それはみなさんの今後を約束することにはなりません。それに厳密に言うと、みなさんはまだ声優科の生徒ではありません」

 甘梅校長は微笑みを崩さず、さらりと告げた。

 パイプ椅子に腰かけている少女たちに明らかな動揺が漂う。

 校長、あとは私が、と言って甘梅校長の隣にいた二十代の女性が一歩前に出る。

「声優科の谷内やちだ。普段はプロの声優のトレーナーをやっているが、校長に頼まれてここではきみらの講師をするよう雇われた」

 耳元で剣を掠められたような鋭い声。

 引き締まった身体、高い背丈、短く揃えられた髪、強い視線。谷内先生は、見た目を補強するような凜々りりしい口調でつづけた。

「この業界は厳しい。ただでさえ仕事の奪いあいなのに、これから新しい人材を受け入れる余地があるとは到底思えない。同時に、少なからず私が業界に感じている閉鎖感を打ち砕きたいとも思っている。きみらの中から一人でもそういう存在が生まれてほしいと本気で願ってる。だから育てる」と断言する。「役者の世界は競争だ。それはもうはじまっている。例えば本来ならここには六十九人の新入生がいるはずだった。ところが五十八人しかいない。では残りの十一人はどうしたのか? 三人は無断欠席、四人は遅刻、残りの四人は案内書にあった、たった一つのルールすら守れなかったのでお帰り願った」

 どこかで息を呑む音がした。

「スタートラインに立つ気のない者はいらない。どのみち生き残れない。そして今ここにいるきみらには最初の生き残りを賭けた競争をしてもらう。明日の月曜日から金曜日までいくつかのカリキュラムを通して土曜日にその成果を見せてもらう。その結果、ここにいる五十八人を三十人にまで整理する。落ちた二十八人は普通科へいってもらう」

 疑問、あるいは抗議の声を誰かが上げるような気配を感じたが、実際に動く者はいなかった。

「勘違いしないでほしいのは、別に今回落選したからといって声優への道が閉ざされるわけじゃない。普通科にいても声の勉強はできるし私も相談に乗る。そもそも三十人の中に残ったからといって将来への保証があるわけでもない。はっきり言って一人でもプロになれたら奇跡だ」そこまで言って谷内先生はある一点を見つめた。「──まあ、ここにはすでに二人もプロがいるようだが──とにかく業界史上はじめてのことだらけで私たちも手さぐりなのは申し訳なく思っているよ。迷惑をかけることもあるだろう──それはさておき」

 感情を切り替えるように谷内先生は手を叩き、声を張る。

「案内書の禁則事項はここまでだ。そろそろきみらの声を聞かせてもらおうか。自己紹介のはじまりだ。言うまでもないことだけど競争はもうはじまっているよ? 私の頭の中のグラフは公平で正直だ。しっかりポイントを稼ぎたまえ」

 これからはじまることを察し、少女たちは咳払いをして声を整える。

 名字を呼ばれた生徒は返事をして、指示されたわけでもないのに中央の位置に立ち自己紹介を開始する。

 最初の一人が出身地と名前、特技などに加え、なぜ声優を目指しているのかをべたため、それがひな形となった。

 笑いをとりにいこうとする者、歌い出す者、上手く喋れず声が震えそれが悪循環となり最終的に泣いてしまう者など様々だったが、次に呼ばれた名字にほぼ全員が反応した。

「──では次、紡椿」

 谷内先生の呼びかけに「はい」と短く応じたその声には、明らかにこれまでの誰も持っていなかったはな付随ふずいされていた。

 パイプ椅子から立ち上がった少女は、華麗な足どりで新入生たちの中心に立つ。

 この学校の制服は空をイメージしているという。

 スカートの紺はブルーアワー、ブレザーの黒は夜で、ネクタイは流れ星。

 だったら彼女は自らを太陽だと主張するためにそうしているのか。

 おそらくそれは自然界では空の上にしか存在しない色。

 きらめく金色に染めた長髪をなびかせて自由に語り出す。

「こんにち!」顔のすぐ横で花を咲かせるように右手を開いてみせ、にこっと笑う。

 開いた口から覗く歯は綺麗に並び、未使用であるかのように白い。

「こんにち!」

 数人の女子が、たかぶった様子でつられて声を返す。

「ありがとう! もしかしてラジオとか聞いてくれてるのかな。だったら嬉しいな。でもほとんどの人は、はじめましてだろうし、今は自己紹介の時間だからまずはそっちをするね」

 こほん、と声に出して咳をする。

「はじめまして。東京からきました紡椿白烏つむばきしお、十五歳です。白烏しおっていう字は白いとりじゃなくて、からすと書いて白烏しおです。みんなより一足先に声優としてデビューしてるけど、まだ三年目だし、全然みんなと変わらないから、なかよくしてやってください」水飲み鳥のような動きで、ぺこんとおじぎをして、すぐに戻る。「みんなと友達になりたいんだ。私のことは気軽に白烏って呼んでくれたら嬉しいし、一緒に勉強とか放課後遊びにいったりもしたいな。変なタイミングでデビューしたから中学のときは遊ぶ時間もなくて修学旅行にもいけなかったんだよね。だから高校では中学でできなかったことを取り戻したいし、高校生じゃないとできないこともやりたいんだよね。買い食いでしょ、ゲーセンでしょ、服買いにいったり、あと遊園地にもいきたいし、おっきなパフェ食べて、牛丼も食べたいでしょ──」握り拳から指を一本一本伸ばしながら願いを数えていく。息継ぎをすることなくまくし立てているのに、声は全く乱れない。「あとこれは本気で驚いたんだけど──」

 イソップ寓話『北風と太陽』に登場する太陽みたいにぽかぽかとした態度から一変し、北風のような挑発的な視線を一人の少女に向ける。

「──まさか、あんな有名な人と同じ場所で勉強できるなんて、本当に夢みたいです。本当に本気で楽しみな学校生活だなって、わくわくがとまらないよ」

 感受性の高い数名の生徒が、ぞくりとふるえた。

 白烏の声から敵意にも似た冷気を感じ取ったからだ。

 しかし、視線を向けられている当の本人は全く意に介していなかった。

「あ、そうそう。わくわくで思い出したんだけど──」白烏の声は陽気な太陽に戻る。

「おい紡椿」谷内先生が割って入る。「そんなに喋りたいならあとは自分のラジオで言え」

 その発言で周囲の少女たちが笑う。

「もう、谷内やちっちは融通がきかないんだから」と言って何かのつぼみのようにくちびるをとがらせる。

「谷内っちじゃない。ここでは谷内先生と呼べ」

「みんな知ってる? 谷内っちって見た目おっかないけど実はすごい──」

「つ、む、ば、き」怒りを煮えたぎらせながら左手で白烏の頭を掴むと、そのまま万力のごとくぎちぎち力を込める。「教師になったら言ってみたい台詞がいくつかあったんだ。その中の一つを今教えてやろう──あとで職員室にこい」

「……は、はい」焼けた石を水に漬けたみたいに、しゅんとする。

 そのやりとりで周囲の少女たちは一層笑う。

 そそくさと席に戻っていく紡椿白烏をため息で見送り、せっかくだからもう一人もいっておくか、とつぶやいて「じゃあ次は竹詠」と声を上げる。

 その名を聞いた途端、紡椿白烏のおかげで和んでいた雰囲気は消え去り、緊張が走る。

 一人の、ひどく美しい少女が立ち上がり、生徒たちの円の中心に立つ。

 白烏とは対照的。太陽を知らないような、これまで月明かりだけ浴びてきたようなつややかで深い黒髪は乱れることなく腰まで伸びている。

 ただ立っているだけなのに、目を奪われてしまう。

「はじめまして、竹詠たけうたかぐです。声優をしています。よろしくお願いします」

 一礼して席に戻る。

 必要最低限の言葉と所作に新入生たちは戸惑いつつも、どこか裏切られたような感覚におちいっていた。

 あの竹詠かぐ沙である・・・・・・・・・・

 紡椿白烏とはまた違った特別な何かを見せてくれるのではないかと期待していたのに、その片鱗へんりんすらうかがうことはかなわなかった。

 大半の生徒たちが肩すかしを味わっている最中でも、淡々と自己紹介はつづいていく。

「では次、恋芽」

 呼ばれて席を立ったのは、東から歩いてきた少女だった。

 円の中央に足を進める少女の姿を見て、数人の生徒たちが小さく同じ声をあげた。

 かわいい、と。

 それは常に彼女につきまとう評価だった。

 同い年のグループにいても一人だけ年下に見られてしまう小柄な体型。大きな瞳とショートボブの髪型が、その幼さをより引き立てている。

 姉の代わりにやってきた妹、バイオリンのパーティーに間違ってやってきたオルゴールのような牧歌的な違和感があった。

 東から歩いてきた少女は、少しぎこちなくおじぎをして、口を開く。

「はじめまして。岡山からきました。恋芽恋守こがこがみといいます。よろしくお願いします」

 その声を聞いて、全員、表情が硬直した。

 恋守は慣れた様子で、どこか達観した笑みを浮かべてつづける。

「あ、こんな声してますけど別に病気とかそういうのじゃないんで、気にしないでください」

 可憐な外見のオルゴールがあったとして、そのふたを開けば、当然その見た目から連想されるメロディーが鳴ると誰しも思うだろう。

 ところがこのあどけないオルゴールの蓋を開けて飛び出した音は、ドラムとシンバルとブブゼラだった。

 それ自体は決して悪い音ではない。しかし、チョコレートを口に入れて豆板醤とうばんじゃんの味がすれば、どちらも好きでも、ひとまず吐き出すだろう。

 簡潔にいうと、恋芽恋守の声は、明らかに中年男性のそれだった。

 プロの声優である紡椿白烏と竹詠かぐ沙が現れたときですら起こらなかったざわめきがフロアに充満する。

「静かに」

 従わなければ斬る、と威圧するような谷内先生の声に、一変して静寂が広がる。

「他に言いたいことは?」

 谷内先生からの問いに「えっと、特にないです。よろしくお願いします」と渋い声を返し、もう一度おじぎをして恋芽恋守は席に戻る。

 パイプ椅子に腰を下ろした刹那、異様な気配を察知して目を向けると、深海のような双眸そうぼうでこちらを凝視する竹詠かぐ沙と視線がぶつかった。

 自分に何か言いたげな表情をしているように見えたけれど、竹詠かぐ沙は、すっと視線をそらして目を閉じてしまう。

「では次、さねちか」

 呼ばれて立ったのは、西から歩いてきた少女だった。

 彼女はすぐに中央まで歩いていかず、その場に立ち止まって谷内先生を見つめていた。

「かまわない。普段通りにしろ」

 沈黙から何かをみとった谷内先生はそううながす。

 少女はうなずいた。

 西から歩いてきた少女の足下には青いスクールバッグがあり、それを開けて中から出てきたのは、サメだった。

 野良猫ほどのサイズのプラスチック製のサメで、胴体部分にカセットテープやボタンが配置されているのが確認できる。どうやらそういうデザインのカセットプレーヤーだとわかる。

 背びれの部分が取っ手になっていて、そこを掴んで少女は新入生たちの中心に立つ。

「……は、はじめまして……さ、愛々愛与さねちかいとといいます」

 聞いている側が不安になるほど緊張した有り様の自己紹介は彼女がはじめてではなかったけれど、愛々愛与のそれは、ひときわ異彩を放っていた。

「…………」

 短くはない沈黙の後、意を決したように、愛与はサメ型のカセットプレーヤーの再生ボタンを押した。

 スピーカーから声が流れる。

【はじめまして、愛々愛与といいます。私は──】

 あがり症か何かでうまく声を出せないから、わざわざ自己紹介を録音してきたのかと大半の生徒が想像した。

【──私は一日に十秒間しか喋ることができません】

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