私が寂しいと言ったって。

蒼井 狐

一日目

 私が、SNSの投稿で「寂しい」と言ったって誰からも連絡はこないし、「辛い」とか「病んでる」とか言っても結局誰からも連絡は来ない。

 冬の物悲しそうな夜のベッドの上で、暖房が出す「ザァァ……」という音を一人で聞いている。意識して暖房の音を聴き始めると煩いもんだ。暖房を消す事により、私は静けさを手に入れた……だが、数十秒経つと今度はその静けさから来るキーンとした音を煩わしく感じ、音をかき消すために毛布を頭の上まで掛け、ミノムシのように包まる。

 ミノムシごっこを終えると、陽の光が薄いカーテンと白い毛布を貫通し、私を起しに来た。お節介なやつだ。時計を見ると十三時、朝に目が覚めない日の憂鬱感と無力感が私を襲い、ベッドから起き上がる気力が失せた。

 毛布から顔だけ出した状態で天井をぼーっと眺める。シミ一つない真っ白な天井のテクスチャを見ている。そんなことをしていたら私は嫌でもネガティブなことを考えてしまう。

 小学生の頃はまともに過ごしてた。活発でいつも友達と遊んでたし宿題なんかもちゃんとやっていた。

 私が足を踏み外したのは中学生の頃だ。小学生の頃のように気楽に物事を捉えられなくなって色々と重く考え過ぎたのかもしれない。テストで自分の順位がしっかりと数字に出てしまい、その順位の低さに落胆した。成績表なんて開けば見事にひよこを模した「2」という数字で埋められている。夏に風邪を引いてしまったことが原因で長期間休んでしまい、いじめを受け、仲の良かった友達にもズル休みだと言われ私は酷く傷ついた。それからは学校への足取りが重くなり、少しずつ少しずつ休む日数が増えていた。それでもなんとか学校に行かなければならないという気持ちが残っていたため、少しずつ登校する事に身を慣れさせようと、好きな科目の授業にだけ出てみる事にした。けれどその行動は火に油を注ぐだけとなった。授業が始まる数分前に席に着くと、スクールカースト上位の奴らが私の席に集まり始めた。すると口角を少し上げ、冷ややかな笑みを浮かべてこう言い放った。

「なんでお前学校来たの」

 驚いた。最初はただの疑問から放たれた言葉なのかと思っていたが、空気から読み取るにそうでないことは明白だった。

 私が学校に行けば行くほどにいじめも悪化し不登校となった。いじめられた事が原因で外に出ること自体が怖くなり、暗い部屋での引きこもり生活を続けた結果、私は鬱になり、人生の基盤が壊れたようにどんどんと落ちていった。ご飯が喉を通らなくなり、体重が落ち、頬が痩けてしまった。

 寝る時に目を瞑ると、自分の将来をどれだけ悪化させることができるかを妄想するのが趣味なのかというくらいにネガティブな思考に勤しみ、涙を流してしまうため、薬を飲まないと寝られない夜が続いた。家に居るだけで何もできない自分が嫌になり被害妄想が止まらなくなった。学校にも行かない私を養うために働く父と母は私を邪魔な存在だと思っていないだろうか、本当は私を産まない方が幸せに暮らせたのではないか、と誰でも一度は思うような仕様もない考えをしてしまい家ですら落ち着けない状態に陥った。次第に父や母が朝起きてくるのが怖くなり、父と母がセットしているアラームの音に過剰反応してしまう様になった。アラームが鳴る度にくる、体全体が一瞬間にして凍りつくほどの嫌悪感と恐怖、不安が大きなストレスとなった。その後アラームの音の恐怖は消える事なく現在まで残っている。

 そして未来への不安を抱えながら私は、定時制の高校へ進学した。高校生活は、中学の頃に比べればかなり良い三年間を過ごせた。悪い思い出といえば、現代文の授業中に発作を起こし、教室を飛び出した後に、職員室の真ん前にあるソファーで過呼吸を起こしたことくらいのものだ。少しの引っ掛かりはあったものの楽しく通い卒業に至った。

 その後、専門学校に通うことになったが、そこは一年足らずでやめてしまった。実習室で倒れて以来、その実習室に入ると手が震え、まともに実習ができなくなり、末には実習室に入ることすらできなくなった。

 専門学校を辞めてからはバイトを始めた。十ヶ月ほど経った時に、バイト中だというのにも関わらず過呼吸を起こしそうになった。私は哀情が心の積載量をオーバーした様な気がした。もう一人のバイトの子に「お手洗いへ行ってきます」と言ってトイレでひたすらに自分のお腹、腕、太ももを殴った。私は精神的に辛い時は自分を殴る癖がある。気を紛らわせる様な効果を期待して殴っているのではなく、何故か自分を殴らなきゃ、という一種の強迫観念じみた様な感情で殴っている。そして自分を殴った痛みとは別の涙を堪えながらその日はバイトを終えた。家に帰ってからもひたすら自分の体を殴った。これ以上ここでバイトをしていたら迷惑をかけるかもしれないし、バイト仲間に、私が変な人間だと思われるかもしれないという恐怖心からそのバイトを辞め、今に至る。

 今の私は学舎になんて通ってもないし、働いてもいない。何もしてないのにいつも漠然とした不安を抱えて日々を過ごしている。そんな制御できない自分の思考と感情にうんざりして、リストカットをしてみたり、処方されている薬を口いっぱいにして飲んだりしてみるが、カッターで切る傷は浅いし、口いっぱいの薬で死ねないこともわかっている。だけど、自殺の真似事をやっていると、リストカットによる痛みや、薬を大量に飲んだ後の失神したような眠りにより、これから先生きて行かねばならないという様な漠然とした不安感を忘れられる。そして、私の性格なのか症状なのかはわからないけれど、何故か気分が堕ちる時にはどん底まで落ちないと気が済まない。不安に抗うのが辛かったり、一度上がるとまた堕ちるという恐怖が頭にこびりついているのかもしれない。

 天井に文字を写す様にして自分の行動の意味を探してみたが特に心情に変化はないし、何かから自分が守られた様な気もしない。

 顔を天井から右に傾けると、脱ぎっ放しの服や食べ終わったお菓子の袋、飲みきらずに何故か三口ほど残してあるジュースの入ったペットボトルなんかで散らかった床が目に入り、気分が滅入る。部屋の中心にある低い机には今にも倒れ出しそうな状態で積まれた文庫小説が十冊、全て同じ作者のミステリ小説だ。そして、書こうと思ったが四日ほどで書くことがなくなり、そのまま放置している日記帳など……。

 私が純粋に遊びまわって、何も考えずに過ごせていた小学生時代に、唯一考えた事。それは自分が素敵な将来を歩めるだろうという漠然とした予想。当時はそういう人生を生きられることが普通だと思っていたけど、そんな将来は飛び越せないほどに高いハードルだったと思い知る。校庭に埋めたタイムカプセルだって、大人になってみんなで掘り返せると思っていたけど、そんな綺麗に人生歩めたもんじゃない。

 夢を叶えて、好きなことを極められると信じて止まなかった中学生時代の自分も、ネガティブを極めて病んでるだけの悲しい未来の私に絶望するだろう。

 高校時代の私は、小中時代の私に対して「将来の夢に向かって邁進しろ。今からやればほとんどの夢は叶うぞ」と言うだろう。だけど今の私は、高校生だった私に対しても同じことを言うと思う。多分、成人した私を見ている三十代の私も「まだ成人なんだからなんでもできる。まだ遅くない」とか言うんだろうけど、人は歴史を見て、経験して学ぶのが難しい生き物だということを私は学んだ。

 小学生の頃の夢である宇宙飛行士だとか中学生の頃の夢である個展を開催できる芸術家とか高校の頃に夢見たインフルエンサーとか……大きな成功例しか見えてなかった自分が愚かだとは思わないけれど、失敗例の一員になったと思う。夢見た時代に失敗例として見ていた、大学卒業後に一般企業に就職し、働く人間。それはとてつもない成功者なのだ。

 SNSを開き、今となっては友達と言えるのか怪しい人間の投稿を見ると彼ら彼女らはまさにその成功への街道を直走る様に大学生活を謳歌している。学業はもちろんのこと、それに加えてバイトをしながら車の免許も取り、友達や恋人を連れて旅行をしたり、誕生日にはバルーンなんかで装飾した部屋で盛大に二十歳を祝ったり、友達へのプレゼントや自分へのご褒美としてブランド物の香水や化粧品を買っていたり、講義をサボって一日遊んでみたりと例を挙げるとキリがない。

 そんなみんなの輝いたような生活の陰で、私はベッドに転がって何もせず、ぼーっと自分の部屋を眺めながらネガティブな思考に耽っている。

 最近の自分は朝に起きることもできないし、食欲もなければ一日を頑張ろうというやる気も出ない。中学生の頃、鬱になった時の感覚と似ている。目が覚めたと思うと体を起こす気がなくなって、布団のもふもふに甘えるかのように離れられなくなる。すると眠気がやってきて、抗うように思考を巡らせてみたり。その後になんとか体を起こしても、ベッドに座って何時間もネットサーフィンをするか、ウォーターサーバーからコップに水を注いで飲むくらいのものだ。たまに部屋の壁を使って急に倒立したり、大きな声で歌ったり。突発的に変な行動をしたくなるような強迫観念がこんなところで顔を出してくる。だけど、倒立しても歌ってみても何か変わるわけでもなく、またベッドに腰掛けてネットサーフィンしたり、枕に抱きついて一時間程度寝たりするだけだ。

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