(2)

 はじめに言っておくと私はキルシュより年下で、ついでに言えば生き別れになった兄弟などというものはいない、ひとりっ子だ。


 キルシュが諸国を流浪し、旅を続けているのは「生き別れになった姉」を捜すため――というのは、私も風の噂で知っていた。


「『姉さん』って呼んでもいい?」


 けれどもキルシュのこんな様子を見ると、果たして「生き別れになった姉」が存在するのかどうか、ちょっと怪しくなってくる。


 あるいは、「生き別れになった姉」があまりにも見つかる気配がないので、おかしくなってしまったのか。


 いずれにせよ私にとっては降って湧いた災難だった。


 以来、キルシュは私のことを姉と呼び、姉と扱い、弟ヅラし出したのだ。


「だって姉さんは昔の記憶がないんでしょう? じゃあ俺ときょうだいかもしれない」


 この異世界には残念ながらDNA鑑定などというものは存在しない。


 そして私は異世界人であることを隠すため、記憶喪失を装っていた。


 キルシュは私が異世界人だと知っても吹聴するようなタイプには見えなかったものの、謎の基準で私を姉扱いしてくるちょっとアレなひとだ。


 そんな人間に私の最大の秘密を暴露するのは、心理的に抵抗感を強く覚える。


 ちなみにキルシュの顔が整っていることは先に述べた通りだが、私は平凡な、ごくありふれた黄色人種の顔つきをしている。


 キルシュもたしかに黄色人種的特徴を兼ね備えてはいるものの、私と比べるべくもなく美形と言い切れる顔つきだ。


 私とキルシュが血の繋がったきょうだいかもしれないと主張できるのは、人種が一致しているところくらいじゃないかなと思わざるを得ない。


 とにもかくにもキルシュは私のことを「姉さん」と呼び慕うようになった。


 はじめは周囲も私がキルシュの捜す「生き別れの姉」かと思ったようだが、すぐに違うのだということを知った。理解が早くて助かるような、別にそうでもないような……。


 しかし知ったからといってどうにかなる話でもない。


 じき、キルシュが私のことを「姉さん」と連呼していても周囲はスルーするか、腫れ物にでも触れるかのような扱いをするようになった。


 キルシュは、凶暴なドラゴンと渡り合えるどころか、両断できるほどの腕力の持ち主なのだ。


 下手に不興は買いたくない、というのが人情というやつなのだろう。


 私だって赤の他人だったらそうする。


 しかし私は当事者なのだった。


「本当はわかってるよ。でもあなたは俺の知る『姉さん』みたいにあたたかいひとだから――」


 しかし私はそのときまで当事者意識が欠如していた。


 キルシュはたしかに弟ヅラして、私を姉扱いしてくるというアレな言動を取っていたが、それ以外にさしたる害はなかった。


 なかったから、私はキルシュのその言動を放っておいた。


 黙認していたわけではないものの、言ってどうにかできるとも思えなかったこともある。


 望まない異世界転移に巻き込まれて、私はどこかであきらめ癖みたいなものがついていた。


 だから、キルシュの言動も一切合切放っていたのだ。


 一応、聞かれたときは「きょうだいではない」と否定はしていたが……。


「キルシュさん……そんなに落ち込まないでください。本当のお姉さんならどこかで元気にしてらっしゃるかもしれないじゃないですか」


 だから、だからついキルシュが普段の言動とは違う、「正気」みたいなものを見せたから油断した。


 油断して、今までに見たことのない弱音を吐くキルシュを元気づけるような発言をしてしまった。


 キルシュは「生き別れの姉」がもう生きていないのでは、とどこかで感じていて、でもそれを認めるのは辛いというような顔をしたから、つい。


 キルシュのアレな言動を無視するのが人情として仕方がないことなのなら、無視できないのも人情としては仕方がないことなのだ。


「ありがとう。やっぱりあなたは優しいね」


 キルシュは濡れた目を細めて微笑んだ。


「あなたは『姉さん』みたいに優しい。――俺に『姉さん』の記憶はないけど」


 私は思わず「おい!」と言っていた。


 「あれだけ『姉さん姉さん』言っておいてお前の記憶にないんかーい!」というツッコミはしかし、口が感情に追いつかず、心の中だけでした。


「でもきっとあなたは俺の『姉さん』だよ!」


 キルシュの言葉は、なにも感動的ではなかった。


 しかし私は心の中で涙を流す。


 「なんでこいつを元気づけてしまったんだ……」という後悔の涙である。


 しかし後悔は字の通りに先に立たないものだ。


 私から元気づけられたキルシュは、ますます調子に乗って弟ヅラしだすのであった。

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