青色の宇宙人はなによりも青を愛している。

玉大福

木曜日´

ゆらゆら、ゆらゆら。


記憶が揺れる。


ゆらゆら、ゆらゆら。


体も、それと一緒に優しく揺れる。


気づけば、私は羊水のような暖かい液体の中で1人ぽつんと浮かんでいた。

だだっ広い空間には、私と、目も覚めるほどの赤。

どこを見ても赤、赤、赤、赤。

世界中の赤を凝縮したような液体が水平線のようにひろがっている。更に、その色が光の膜となって液体以外の場所にも薄い紅色に包まれていた。

その液体は、強烈な見た目と相反してまるで空気のような存在だった。

視覚以外の五感全てに対して不感なのだ。

掬ってみても叩いてみてもなんの感触もなければなんの音も出ない。潜ってみても飲んでみてもなんの味もしなければなんの匂いもしない。

ただただ無だった。

それなのに、『暖かい』というだけが確かに届く。脳みそに直接記憶を差し込まれたような気持ち悪さがあった。

形容しがたい居心地の悪さを感じながら、私はしばらくの間虚無の中に四肢を投げ出して漂った。

液体に身体を預けながら瞳に映る赤は特別強烈で、私はあまりの鮮やかさに目眩がして目を閉じた。

ぎゅっと瞑った瞼の外側を、赤い光がチクチクと刺す。

私はそっと目を開けた。

結局その鮮やかさからは逃げられないのだと悟ったからだった。


何百秒、何千秒とそうしている内に、次第と僅かな感情さえも消えうせた。

時間が経つにつれ、私はこの赤い液体と同じ、完全に空虚な存在へと変わっていくのを自分のことながら感じる。しかし、そのことに対しても特段なんの感情も沸かない。

ただひたすらに無。

それだけだった。

永久とも思えるその時間を、私はただ黙って耐えることしか出来ない。いつ終わりが来るのか。それだけを考えて泥のように耐えた。


どれくらいの時間をそうして過ごしただろう。

何も、聞こえず感じず匂わず味のしない。そんな虚無を打ち破ってくれたのは、天から零れた1粒の青だった。

その1粒は、しかし1粒ながら強い存在感を放ち、赤い液体へ とぷんと飲み込まれた。

たった1滴によって不動だった世界に波紋が広がる。

赤一色だった世界に突如として起こったその現象は、異質でいてとても美しいかった。

ぽつん、とまた1つ波紋が広がる。

さらに、もう1滴、もう1滴と段々その時間の間隔は短くなり、気づけばそれは雨と呼んでも差し支えないほどのものになっていった。

大量の青が赤い世界を圧迫していく。

自由を体現しかのような澄んだ青。

その青は、私の体に当たる度に体へ触感を届けた。

あるいは、鋭い冷たさを。あるいは、穏やかな熱を。

不規則な温度や感触が矢継ぎ早に私に降りかかる。自分を刺激するその感覚が心地よかった。

私は空へ手を広げ、恵みの雨を余すことなく全身に浴びた。

二本の足で地面に立つと水かさはちょうど胸の下あたりまでだった。

それまでこの凪いた水面と同じようになんの動きもなかった私の感情が、僅かながらに高ぶっていく。


丸い、青の粒。

小さなそれらが私の身体中全てに染み込んでいった時、今まで無感触だった赤い世界もにも、一種類の手触りを感じることができるようになっていた。

「生温くて、ぬるぬるしてる。」

丁度人肌くらいの熱を持った赤い液体は、掬いあげてみるととろみを持って肌に張り付いた。

遥か昔に漫然と抱いていた嫌悪感が、この時初めて実体を持つ。付着している部分から身体がじゅくじゅくに腐っていくような気がして頭がおかしくなりそうだった。

自分の体半分以上がこの物質に包まれていることに我慢ができなくなり、無駄なことと分かりながら私は必死に別の場所を探して前へ前へと進んで行った。


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


何時までたっても何も見当たらない。


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


何処までいっても何も見つからない。


その間も降り止まない青だけが発狂しそうな私の心をつなぎ止めてくれた。

まるっこい粒が与えてくれる様々な触感だけが私を正気でいさせてくれた。


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


ぐしゃ。


ふと、今までと違う感触を足裏に感じた。

腐った果実のようなものを踏み潰したような、そんな感触。

赤い世界は、私に不幸なものしかよこさない。

ぶわっと全身の毛穴が逆立った。

頭の中では「ぎゃっ」と叫んだ筈だったのに、喉の奥でしゃっくりのように空気がつかえて間抜けた音が口から漏れ出るだけだった。

私は、それから更に歩みを速め、よりいっそうの青の浄化を望んだ。

赤を視界に入れて歩くのに耐えられず、液体が目に入るのも厭わないでずっと宙を見上げて進み続けた。

青の与えてくれたものなら、痛みだって嬉しい。

この悪寒と鳥肌の止まらない赤い感触をかき消してくれるくらいの衝撃を欲していた。

そうしてずんずん進んで行く数十歩に1回くらい、さっきと同じような腐った果実を踏みつけてしまう。

その感触は何度あたってもなれることは無く、毎回新鮮な吐き気と拒絶感を私に与えてくれた。

喉の隙間から悲鳴をあげながら私はひたすらに赤い世界を歩き続けた。



じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


ぐしゃ。

「ひゅっ」


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


ぐしゃ。

「ひっ」


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。


じゃぶじゃぶ。

じゃぶじゃぶ。

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