異変
朝早い時間に帰宅した朔夜はシャワーを浴びるとすぐ自室のベッドへ身を預けた。
身体も心も休息を欲していた。
起きたのはもう昼過ぎのことで、心配する母に「ごめん」と告げる。
「もう二度とあそこには行かないよ」
「さくちゃん。……やっぱり、あの子が犯人だったの?」
「そうだと思う。認めてはくれなかったけど」
「そう」
目を伏せる母。魔女同士の争いは通常の事件とは別ものとして扱われるが、権限のない者が器物破損や殺人を犯せば無罪とはいかない。
専門機関の介入が必要となるかもしれないが、そうした任務につく魔女は数が少なく──また、大きな事件の場合、犯人はそのまま「処分」されることも多いらしい。
あり合わせで作ってもらった昼食を腹に収めると、朔夜は「学校に行ってくる」と告げた。
「学校のほうも調べるの?」
「うん。銀さんが調べてくれてるけど、一人よりは二人のほうがいいと思う」
「銀家の……。うん、でも、気をつけてね? あれはちゃんと持ってる?」
「もちろん」
学校に到着した時にはもう六限が始まるギリギリで、何をしに来たのかよくわからない有様だったが、銀由依はあからさまにほっとした顔を見せてくれた。
「ご無事で何よりでした」
僅かな間に「二人だけの場所」になりつつある専門教室で放課後の作戦会議。
校舎から人が少なくなるまでにも多少の間がある。それを待つのにも都合が良かった。
「ごめん、銀さん。今回の件は半分僕の責任だ」
「貴槻くん? それはいったい……?」
「彼女は僕の魔力を使っている。二年以上、定期的に彼女へ提供してきた」
「そういうこと、ですか。……『彼女』自身の保有魔力量は少ないはず。にもかかわらずこれだけ大掛かりなことを起こせたのは」
魔力の少なさを外部供給によって補い、時間をかけて準備を進めてきた。
対処する側はいつだって突発的で余裕のないもの。ことを起こす側が積み重ねた策を手持ちだけで潰していかなければならないのだから世の理は理不尽だ。
「あまりにも不用意です。あなたの魔力は並の魔女を超えています。それを軽々しく提供するなんて」
「その通りだ。……あの人の力なんて絶対に借りちゃいけなかったはずなのに」
「それほどまでに成し遂げたいことがあったのですね?」
「あったよ。今でも、ある」
女の手を借りたことは後悔している。けれど、成そうとしたこと自体が間違っているとはどうしても思えない。
これだけのことが起こってもなお。
「できるだけのことはしたい。少しでも力になれないかな」
「心強いです。既に状況は第一段階を超えつつありますので」
「第一段階?」
「淀みの蓄積。第二段階に至れば、溜まった淀みが形を取って暴れ出します」
「暴れ出すって……マンガや映画みたいな話?」
一般人だった朔夜は自分に魔法が使われてようやく「なんとなくわかる」程度。魔力の流れを把握することも、魔力により生まれたモノを視ることもできなかった。
視えないモノはないのと同じ。
全く影響を受けないわけにはいかないものの、対処方法がないのであれば知覚しないほうが安全でいられた。知ることも視ること、視てしまうことを防ぐために有効だ。
けれど、今の彼にはおそらく「視えて」しまう。
「概ね『化物』という理解で間違いありません。負の感情の集まって生まれた存在──悪魔は多くの場合、醜悪な形を取りますので」
「悪魔。……悪魔か」
化物は排除しなければならない。
用意してきた護身武器を取り出して握りしめる。
懐中灯を改造したような、柄にスイッチが埋め込まれた器具。
「貴槻くん、それは?」
「母さんが渡してくれたんだ。今の僕でもこういう『わかりやすい武器』なら扱えるはずだって」
「なるほど。良いお母様ですね」
スイッチを入れると手のひらを通して魔力が流れこみ、柄の先端、その一方から光の刃が生まれる。
木刀程度の長さで安定したそれに「並の金属程度ならあっさり切り裂く」威力があることは既に確認済み。母の言った通り、刃を叩きつければいいだけなら朔夜でも感覚的に扱うことは可能だ。
光刃を消すと朔夜は「それで、どうしようか」と尋ねた。
「まずは陸上部へ参りましょう」
「陸上部?」
葉月の顔を思い出して複雑な思いに囚われる。
由依はこくんと頷くと険しい顔で、
「どうやら葉月さんだけでなく顧問の先生も悪しきものに囚われているようです」
「……あの先生か」
四十代の男性教師。部活指導の実績はあるものの、割とがっしりしていてかつ中年太り気味、セクハラめいた発言も多いため部員からは嫌われているらしい。
葉月から何度か愚痴めいたことを聞かされた覚えがある。
「行こう。どうにかするなら早い方がいい」
校庭では陸上部の練習が行われていた。
男女で別れており、葉月の姿も見える。件の教師は両者の間あたりに立って檄を飛ばしている。
意外と熱心に指導しているようだが──朔夜の袖を引いた由依が教師の右腕を示した。よく見ると彼には似合わないブレスレットが嵌められている。
「あれか。でも声をかけづらいな」
「まだ影響が出ていないのなら良いのですが……」
相手に気づかれないうちに移動して体育教官室のドアノブを握る。幸い、鍵はかかっておらず中に入ることができる。これなら後で「先生に用があった」とでも言い訳できるだろう。
土と埃の匂いのする男くさい部屋。
部屋の性質上そうなりやすいのは確かだが……それにしても。由依は露骨に眉をひそめて口と鼻をハンカチで覆った。外に出ているように促したもののそれには首を振られてしまう。
「貴槻くん。……既に遅かったかもしれません」
「え? それって」
「においの中に男性特有のそれが混じっています。……おそらく、女性のそれも」
行為の残り香。部屋に染みついているのだとすれば行われたのは一度や二度ではないかもしれない。となると、そもそも今回の一件が引き金ではないのか。
朔夜は教師の机に歩み寄ると引き出しを一つ一つ確かめていく。
一番下の引き出しに鍵がかかっている。思い切って光刃を生み出し鍵だけを壊すとなんなくスライドして中の品物が晒される。
あるいは杞憂であったほうがマシだったかもしれない。
「最低、ですね」
入っていたのは端的に言って「戦利品」だった。
透明な密閉袋に入れられた女性物のショーツが複数。一緒に女生徒の写真も封入されており、誰の所有物であったか一目でわかるようになっている。
それ以外にも淫らな形状をした道具が入れられており、見られては困るものをまとめて保管していたことが窺える。
道具の中に含まれていたアイマスクや手錠が「合意のうえの行為」でないことを示してもいて。
「こんなの間違いない証拠じゃないか」
手早くスマートフォンのカメラを向けて写真を撮っていると教官室の外に人の気配。
男の野太い声からして教師がやってきたらしい。今出て行ったら鉢合わせになる。由依に目配せをすると彼女も頷いてハンカチをしまった。
覚悟を決めて対峙するしかない。
どちらにしてもアクセサリーは取り上げないといけないのだ。
「貴槻くん。頃合いを見てわたくしが結界を張ります」
「わかった。……たしか、魔女以外の行動を封じるんだよね?」
「ええ。認識阻害の効果も含まれているので人払いも可能ですが、わたくしの結界は代わりに魔を刺激して敵対を促してしまいます」
おそらく悪魔が顔を出す。
「構わない。先生と揉め事になるよりはずっといい」
「かしこまりました。わたくしも覚悟を決めましょう」
果たして、やってきたのは教師一人だけではなかった。
肩を抱かれるようにして一緒に入ってきたのはウェア姿の三年生。たしか女子陸上部のキャプテンではなかっただろうか。
彼らは室内にいた朔夜たちを見て目を丸くする。
「なんだお前ら。こんなところに勝手に入るんじゃない。……まさか変な事をするつもりだったんじゃないだろうな?」
教師の言う「変な事」とは彼がするつもりだった行為と同様だろう。
ふざけるなと叫び返したくなるのを堪えたところで、朔夜はキャプテンからの助けを求めるような視線を受けた。やはり彼女も本意ではないのだ。
しかし、人に相談することもできない。
下手な態度を取れば教師の言動が余計に悪化するはずだ。
既に常態化していたというのなら、先日、葉月の様子が少し変だったのも関係があるかもしれない。
クラスメートの写真は幸いなことに存在しなかったが。
「先生。ここで何をするつもりだったんですか?」
硬い声で尋ねると教師の表情がみるみる苛立ちに染まって、
「あ? お前達に関係だろう。いいからさっさと──」
「展開します」
短い合図。アンクのアクセサリーを握った由依から温かな光が放たれて体育教官室を包み込む。
展開された結界は良くない空気を払い、さらに悪しき魔力を駆逐しようとして、膨れ上がった気配がその動きを抑え込んだ。
ふらっと尻もちをつくように倒れる教師とキャプテン。
アクセサリーの嵌められた腕を基点に、朔夜でもわかる邪悪な気配。黒いわだかまりが一点に収束すると徐々に形を変え、見るも醜悪な姿に変わった。
男性器を模した触手の集合体。
手も、足も、醜い欲望を象徴するようなぶよぶよの物体で構成されており、いびつな人型をしてはいるものの目に相当する器官があるのかもわからない。
『それ』はどこか苛立たしげに身体を揺すりながら顔らしき部分を朔夜たちに向けて、
「オ、ンナァ……ッ!」
右腕を持ち上げ、その触手を伸ばしてきた。
光刃を伸ばして切り払う。物理的な手ごたえはほとんどないままに触手が切断されて床に落下。落ちたそれは形を保てなくなったのかぐずぐずと溶けるように消えていく。
「それは生物ではありません。倒すことに躊躇をなさらないでください」
「わかってる」
化物を倒せばいいのならむしろわかりやすい。
剣を構えると悪魔は一瞬怯んだ様子を見せるも、他の部位から触手を融通するようにして右腕を再構成。今度は両腕を一気に伸ばしてきた。
速度は決して遅くない。
相手の不気味さ、これが実戦であることを思えば竦んでもおかしくない状況なのに不思議と身体はスムーズに動いた。
慌てず片方ずつ触手を切断。
今度こそ明確な動揺を見せた悪魔へと一気に接近して、
「キサ、マァ!」
「貴槻くん!」
ぐばぁ、と、化け物の身体が縦に割れて食らいつくように触手が伸びてくる。
現実味のない光景。朔夜は何が起こっているのかを理解するよりも早く反射的に動いて、持ち上げた光刃を思いきり振り下ろした。
──両断。
身体を断ち割られた触手の集合体はびくびくと震えながら崩壊していき、室内から悪しき気配が霧散する。
「お見事でした、貴槻くん」
「終わった、のかな?」
「ええ。ひとまず、陸上部の問題については」
刃を消して武器をしまえば、由依も結界を解除して息を吐く。
気絶していた二人はすぐに目を覚ましそうだったのでさっさと教師のアクセサリーを外し、二人で教官室を退散する。
「結界の影響を受けた場合、前後の記憶が曖昧になります。わたくしたちのことはおそらく夢だったとでも思ってくださるかと」
教師がキャプテンとの行為を再開しないか不安なので、男子部のキャプテンに「先生が呼んでいた」と嘘の伝言を残した。
これで万が一があっても収まるはずだ。
後で教員用のメールアドレスにでも撮った写真を送りつければ彼の処遇も判断してもらえる。
「少しは役に立ったかな?」
「はい。男性がいてくださると心強いですし、貴槻くんのほうがこの学校に馴染んでいますから」
「まあ、僕も男なのか怪しいし、入って二ヶ月も経ってないけど」
一つの問題を解消したものの、これで学校が救われたわけではない。
他の部、あるいは教師、教室でも似たようなことが発生している可能性がある。気配が複数で拡散していると発見もしづらく、由依が手こずっていたのも頷ける。
むしろ、探りにくい中、由依が頑張って数を減らしてくれたからこそこうして対処に移れたとも言える。
「貴槻くん。よろしければもう一箇所、お付き合いいただけますか?」
「もちろん。いくらでもこき使ってよ」
朔夜はさらに由依の指示で男子トイレの壁に埋め込まれていた黒い宝石を破壊。
「明日は土曜日で休日でしょう? 一気に調査を進めようと思うのですが」
「手伝わせてよ。早く学校を安全にしておきたい」
「ありがとうございます。本当に助かります」
翌日の十時に集合する約束をしてその日は解散となった。
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