魔女
中途半端な身体となった朔夜への学校側の対応は「現状維持」だった。
完全に女性化したわけではない以上、女子と同じ扱いにはできない。体育の授業は今まで通り男子として受けることになり、着替えのための更衣室のみ部活用の、授業時間中は使われていない部屋を貸し与えられることとなった。
おおよその事情は既にクラスへ伝えられており、何故こうなってしまったのか、という最も面倒な説明は省くことができた。
見た目上も学ランを着ていれば目立たない。
お陰で「ちょっと脱いでみて」といった要望は数多く寄せられ、他クラスからも「件の男子はどんな様子か」見に来る者がいたが。
「わたくしにできることがあれば協力させてくださいませ」
昼休み。
逃げるように教室を後にし、いつもの専門教室に逃げてくれば、程なく銀由依もその場所へと現れた。
示し合わせていたわけでない。ただ、退室する際に軽く視線を投げただけだ。どうやらそれで意図は伝わったらしい。
朔夜も話がしたかったし、向こうも同じだっただろう。
「銀さんも僕がこうなるって知ってたんだよね?」
「高確率の予測、といったところですが、おおよそは」
隠す様子もなくこくんと頷く少女に好感、そして親近感を覚えながら、
「銀さん。僕が休んでいる間、学校で何があったのかな」
「お気づきになられていたのですね」
「なんとなくだけどね。少しは感覚が鋭くなったみたいだ」
数日振りに訪れた学校に朔夜は言いようのない「嫌なもの」を感じた。
悪い魔力が淀んでいるような。
家にいる時の安心感とは逆の落ち着かない心地。似たようなものは通学路でも感じていて、
「これも何か関係があるんだよね?」
葉月の持っていたヘアピンを差し出すと、由依は安堵したように息を吐いた。
「あなたが説得してくださったのですね」
「魔法でどうにかするわけにはいかなかった?」
「人の心を変えるのはあまり好ましいことではありません。たとえそれがポジティブな方向であっても」
ベクトルが違うだけでやっていることは洗脳に近い、ということか。
「そのヘアピンにはある種の暗示、精神操作のような魔法が籠められております。装着者は知らず知らずのうちに影響を受けて人格を歪められていきます」
外すのを忌避させる効果も含まれているため、普通に「外せ」と言っても拒否されやすい。
魔法使いとはいえ転校生である由依よりは付き合いの長い朔夜に言われたこと、あるいは単に同じことを言う人間が二人に増えたことで葉月はようやく外す気になったわけだ。
「どうしてこんなことを」
「人の負の感情はある種の力となります。悪しき魔法のためにそれを集めているのかもしれません。よろしければそちらをお預かりしても?」
「ごめん。これはもうしばらく持っていたいんだ。ある人に確かめたいことがあって」
「この状況を作った張本人に心当たりがあるのですか?」
「確証はないけどね」
同時に、あの人以外にありえないとも思う。
由依は心配そうに眉を寄せると「危険です」と告げた。
「わたくしもご一緒させてください」
「いや、それこそ危険だよ。向こうも警戒するだろうし、銀さんが残っていれば何かあっても取り返しがつくと思う」
あの女にとって朔夜は旧知だ。
特別、とまで自惚れていいかはともかく、過度に敵対しようとしない限りは見逃してくれる可能性が高い。
逆に、見るからに「悪しき魔女」ではない由依とは相性が悪いだろう。
むしろ現状について知りたいと告げると由依はしばらく考えるようにしてから「かしこまりました」と答えた。
「この状況はここ数日中に仕掛けられたものと思われます」
朔夜が「あそこ」へ行かなくなった期間と一致する。
「日に日に違和感は強くなっており、わたくしも可能な限り捜索し原因を取り除いてまいりましたが追いついておりません」
「このヘアピンみたいなのがたくさんあるってこと?」
「備品に魔力が籠められたケースもありました。それに、例えば男子トイレにはわたくしも容易に踏み込めませんので……」
それなら手伝えることもありそうだ。
協力を申し出る朔夜だったが、由依は首を振った。
「でしたら貴槻くんは心当たりをあたってください。それが本命であれば足止めにも繋がるはずです」
「わかった。でも、信用してくれるんだ」
「もともと疑ってはおりません。あなたからはわたくしを信じられないとは思いますが……」
「信じるよ」
疑ってもキリがない。
心当たりが外れだった時はそうせざるをえないかもしれないが、今はまだその時ではない。
軽くため息をついた由依はその青い瞳で朔夜を見て、
「本当はお話したいことがたくさんあるのです。ですが、今はこの状況を解決することを優先しましょう」
「そうだね」
朔夜の知識は一般人よりは多いものの十分ではなく、まただいぶ偏っている。
彼が探していたのは「魔力のほとんどない者でも魔法を使える方法」であって真っ当な魔法の知識ではなかったからだ。
真っ当な魔女である由依の協力はとてもありがたい。
昼休みの残り時間は相談に充てられた。
「おそらく相手は既に仕込みを終えていると思われます。放課後探し回っても姿を見つけられませんでしたから」
向こうも生徒である、あるいは何らかの欺瞞を用いて発見から逃れた可能性が高い。
「直接棲み処を探し当てるのは難しいのかな?」
「巧妙に隠されているためわたくしでは困難です。それに、街にも悪しき魔力が散っています。探知が逸らされてしまってうまくいきません」
「うちの母さんにも話をしてみるよ」
「そうですね。そうしていただけると大変助かります。おそらくお母様も既に退魔に動いていらっしゃると思いますが──」
由依の読みは当たっていた。
帰宅して話をすると母は異変についてすでに把握しており、日中はその対処にあたっていたと語ってくれる。
朔夜が家にいた間も毎日「少し出かけてくるね」と外に出ていた。あれは買い物や世間話が目的ではなかったらしい。
「具体的にどんな異変が起こってるの?」
「悪い魔力の籠もった品物があちこちに撒かれているの。街の何気ないものに魔力が籠められていることもあれば、アクセサリーみたいにして直接渡されているものもある。放っておくと淀みが生まれて悪いことが起きちゃうと思う」
人が持っている分は特に厄介だ。
移動するし、無理に奪うわけにもいかない。魔女を名乗って信用してもらうにしても時間がかかるし、そうしている間に事態が進行しかねない。
精神操作を受けた人間が何らかの問題を起こし、それがさらなる淀みを生む。
品物を一つずつ潰していくしかないものの手が足りない。
「近隣の魔女にも協力を求めたほうがいいかも。望み薄かもしれないけど」
人を介している以上、異変の範囲がきっちりこの街に収まるわけがない。
撒かれた品の数によっては近隣の魔女もまた手いっぱいだろう。
となれば、これ以上の拡散を防ぐことも必要だ。
「母さん。ちょっと出かけてくるよ」
「さくちゃん。もしかしてまたあの子のところに行くつもり?」
「うん。話をしないといけないから」
着替えを終えた朔夜は慣れた道を歩きながら彼女に電話をかけた。
通話で終わる話ではないだろうと思いながら。
◇ ◇ ◇
「いらっしゃい。今回は少し間が空いたわね」
出迎えるようにドアが開かれた途端、途方もない寒気を覚えた。
魔窟だ。
部屋の中にはとんでもない魔力が渦巻いている。今まで気づかなかったのは朔夜の鈍感さ故であり、巧妙に隠されていたからであり、その中にはおそらく朔夜専用の欺瞞さえも含まれていたからだ。
冷や汗を浮かべて立ち止れば、魔女はくすくすと笑った。
「わかるようになったのね。それのおかげなのかしら?」
当然のように胸を示唆される。
「知っていて今まで僕を利用していたんですか?」
「持ちつ持たれつ。当時のあなたは『いずれ魔法が使えるようになる』と言われてじっとしていたかしら?」
「……それは」
おそらく、じっとしてはいられなかった。
二年以上も待てるわけがないと同じ道を辿ったかもしれない。そうならないと言えないのはむしろ、あの子への想いが強いからだ。
「それで、どうするのかしら? このまま帰る?」
艶めかしく蠱惑的な問い。
今までと変わっていないような、本質的な部分がまるで変化してしまったような。
魔法の使える女性、という意味ではない、もっと深い意味での『魔女』。それが彼女だ。
「きちんと決着をつけます。あなたと」
「なら、コーヒーを淹れ直しましょう。立ち話の間に冷めてしまったかもしれないから」
カップはソファの前ではなく食事用のテーブルに置かれていた。
読みかけの本はない。電話口でも尋ねたとはいえ成り行きを全てわかっているような態度に心がざわつく。甘い空気と寒々しいまでの違和感が同居する室内の様子も原因の一つなのだろうが。
魔女は自分用のカップを向かいに置くと腰を下ろして、
「それで?」
「これに見覚えはありますか?」
ヘアピンを差し出す。
手に取った彼女は「どうだったかしら?」と嘯く。
「これがどうしたの? あなたはこれをどうして欲しいの?」
「何かを企んでいるなら今すぐ止めてください。罪を認めて償ってください」
くすくすという笑い声が室内に響く。
「私に? 罪を認めろと? 他でもないあなたがそう言うの?」
「っ」
「わかっているでしょう? 私とあなたは共犯者。契約を結んだ同志。他者を弄んででも欲望を叶えると誓った間柄」
「僕は、あなたと自分と同じだと思ったことはありません」
けれど、相いれないとわかっていて手を取ったのも事実。
結局のところ自分と、あの子。それ以外は二の次で、何か手だてがあるのならなんでもすると短絡的な手段に走った。
悪魔の誘いに乗った代償は重い。
細い指先が艶やかな唇を撫でて、
「私はね。女だけが高い魔力を持つ理由を『役割分担』だと思っているの」
「役割?」
「そう。男は吐き出す性で、女は溜め込む性。だから、男は魔力を身体に留められない」
形のない魔力が脳内でどろどろした液体として浮かび上がる。
「だからもし、高い魔力生成能力を持つ男がいたのなら、彼は魔力を定期的に吐き出すことになる」
「飲んで。取り入れて。それを利用していたっていうんですか」
「あなただって本当はわかっていたはずよ。その上で目をそらして『仕方ない』と言い訳していた」
指が今度は下腹部へと向かって、
「溜め込む場所は胸の他にもあるでしょう? ……だから、直接注いでもらうほうが効率が良かったのだけれど」
彼女は夜ごと街に繰り出しては男を誘い、一夜の快楽に溺れている。
着飾って出かけるところを何度も送り出したし、この部屋のものとは違うシャンプーの香りをさせた彼女を出迎えたことも数えきれない。
それもまた、この女にとっては捕食。エネルギー補給のようなもの。
魔女は魔法を使えるという点で人と異なる。価値観に異なる部分が出てくるのも当然と言えるが、彼女の場合はとびきりだ。
人、どころか魔女の理からも外れている。
朔夜程度の存在が咎めたところでのらりくらりとかわされるだけ。
はぐらかされたということは「そう」いうことなのだろうが。
懐に忍ばせた護身用の武器に手を伸ばそうとして、やめる。実力行使に出たところで敵うわけがない。だからこそ、比較的好意を持って接してもらえる朔夜一人で来たのだし、由依と一緒に来なかったのだ。
思考を切り替えて今できることをする。
「契約を打ち切らせてください」
「あら。それはずいぶんと勝手な要求ね」
夜闇のような色の液体がカップから消えて、
「あなたが目的を遂げるまで『代価』をもらう約束だったと思うのだけれど」
「僕の目的も途中なんですからおあいこでしょう?」
「そうね。……なら、最後にとびきり濃いのをもらえないかしら? 中に、直接。そうしたら諦めてあげる」
おそらく、朔夜の魔力生成量は測っていなかっただけで今まで少しずつ伸びていた。
彼女はこれまでその生成魔力を端から吸い取っていたのだろうが──正式に蓄積を可能とし、魔力との親和性を濃くした朔夜の「それ」は果たしてどう変わったのだろうか。
呑める要求ではない。
虫のいい話だとは思う。それでも、目に見える形で「被害の予兆」を見てしまえば手を引かざるをえない。あるいはだからこそこのタイミングで事を始めたのか。
ここまで来てさらに協力するなんて、
「───っ」
立ち上がろうとした朔夜は眩暈のような症状を覚えてテーブルに手をついた。
視界がぐらつく。身体が熱い。酒に酔ったらこんな感じになるのだろうか、と思ったところで女の手が重ねられてくる。
柔らかい。
本来ならありえない衝動が強く湧きあがって、
「感じやすくなったということは、影響も受けやすくなったということ。注意しなくちゃ、ね」
手を引かれ、フローリングの床に押し倒される。
身体の熱さと床の冷たさ、官能的な息遣いと女の柔らかさと同時に感じながら、朔夜は耳もとで囁かれる声を聞いた。
「安心して。ただ、注ぐ場所が違うだけのことだから」
初めて感じる熱が朔夜の身体へ永遠に刻み込まれ、気づくと夜が明けていた。
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