豊胸
三階の専門教室、というのはなかなかの穴場だ。
屋上は当然ながら人気スポット。中庭や校庭のベンチも混みあいやすい。その点、ここはいつも静かだった。汚しさえしなければ特に怒られることもない。
窓を開けて軽く風を感じながら弁当をつつく。
母は家事全般が好きで、いいと言っても欠かさず弁当を作ってくれる。単に照れくさいから言っているのを見透かされているのだとしたら猶更恥ずかしい。
素直に感謝の気持ちを伝えられればいいのだが──。
「こちらにいらしたのですね」
ゆっくりとドアがスライド。
入室者どころか外を通る者すら稀な室内に柔らかな美声が響いた。
顔を上げると転校生──銀由依が微笑んでいた。その手には丁寧に包まれた小ぶりの弁当箱がある。
「ご一緒してもよろしいでしょうか」
「みんなから質問攻めに遭っているかと思ったよ」
「お話したい方がいたので席を外してまいりました」
向かいに腰かけた少女は包みを開く。
現れた弁当は配置も彩も考えられた、いかにも手の込んだそれだった。焦げひとつない卵焼きはもちろん、エビフライも冷凍食品ではないだろう。
じっと視線を注いだせいか少女は気恥ずかしそうに頬を染めて、
「家の料理人が持たせてくれたものなのです」
「そっか。銀家は名家だもんね」
「ご存じなのですね」
身長はさほど変わらないはずなのに上目遣いめいた視線が来る。
「わたくしがここを訪れてもあまり驚いていらっしゃらないご様子でした」
「どうしてかな。なんとなくわかるんだよ、そういうの」
「探知魔法を感知していらっしゃるのですね」
言われた朔夜は由依の豊かな胸と、その間にあるアンクのアクセサリーに目をやった。
「大したことじゃないよ。繰り返し魔法に触れていたら肌で感じるようになっただけ。銀さんみたいに魔法が使えるわけじゃないんだ」
「そうなのですか?」
「知っているはずだよ。男に魔法は使えない。僕にも魔法の才能はない」
世界には魔力が溢れている。
動物も植物も、星そのものでさえもみんな魔力を持っている。人間も例外ではない。誰もが子供の頃に教えられる常識だ。
同時に、誰もが教えられる。
当たり前にある魔力を魔法として利用できるのは魔女──すなわち、女の中でも特別な才能を持った一握りの者だけだ、と。
苦笑して、朔夜は天井を見上げる。
蛍光灯。魔道具──家庭用魔法製品の一例だ。特殊な方法で収集、蓄積した魔力を魔法ネットワークによって全国へと送り、その魔力を利用して照明、調理、その他様々な用途の道具が稼働している。その製品も魔女の協力のもと、魔法の力が組み込まれて造られている。
男にも魔力はあるが、その量は女性の十分の一以下、魔女と比べたら誤差程度。
スマートフォンの利用認証程度ならともかく、魔法なんて使えるはずがない。
「銀さんは魔力量が多いんだね」
「貴槻くん、それはセクハラにあたる可能性があります」
少女は食事の手を止めて自らの胸を隠した。
「ごめん。でも、魔女の間ではそういう話が多いんじゃない?」
「そうですね。ですが、男性から指摘されるのは珍しいもので」
魔力の量はバストサイズに比例する。
以前は眉唾な俗説と考えられていたものの、魔力量を数値化して計測する手段が確立してからは一定の確かさを持つと認識を改められている。
魔力が女性と相性がいいとすれば、より女性らしさに溢れた者が豊富な魔力を持っていても何もおかしくはない。
女性の乳房に魔力を溜める機関が備わっているのではないか、という学説も唱えられているらしい。
魔女でなくとも女にはある程度の魔力がある。
魔法として用いる才能がない女はそれを日常的に──生活に支障のない範囲で吸い出されて国に提供。そうした魔力が魔道具に利用されている。
「銀さんはどうしてこの学校に?」
「お会いしたい方がこちらにいらっしゃるからです」
青い瞳に見つめられた朔夜はどうにも落ち着かない気持ちになった。
「その相手って、魔法も使えないごく普通の男子、じゃないよね?」
「ごく普通の男性、ではないと思います」
「買い被りだよ」
首を振って笑う。
「使えるものなら使いたい。ずっとそう思ってるんだ」
「では、もしかするとその日は近いかもしれません」
「どうして、そんなことを?」
少女は目を伏せると「とある方法による予測です」と答えた。
「貴槻朔夜さん。成人の年齢は古来より何度も改められており、一概に定めることはできません。ですが、十六歳というのは十分に一人前と言っていい年齢なのですよ」
言葉の意味は、深く問いただすまでもなく数日後に明らかとなった。
◇ ◇ ◇
身体が重い。
目を覚ました朔夜は妙な息苦しさに呻いた。
肌着に胸を締め付けられるような感覚。
ベッドに手をついて身を起こせば、あるはずのない膨らみがパジャマの一部を押し上げていた。
「……これ、って」
息を吐き、パジャマのボタンを外す。
窮屈な肌着を一思いに脱ぎ捨てれば──見たことはあるが所持したことないものがあった。
見間違いではありえない大きさの膨らみ。
恐る恐る指で触れると柔らかさと弾力を感じる。同時に肌から指の感触が伝わってきて「それ」の所有権が朔夜にあることを教えてくれた。
夢、なのだろうか。
俗世的な証明を試みるも残ったのは頬の痛みだけだった。
代わりに朔夜は目を閉じて己の意識を潜らせてみる。
感覚を広げて世界をより知覚する。今の「これ」が夢ならば細部に綻びが生じるし、幻覚であれば作り物めいた違和感を覚えやすい。母から教わった判別方法。
結果は、白。
「本当だったのか」
由依を疑ったわけではない。
しかし、同時に「そんなことはありえない」と常識を信じてもいた。
母に推されて二ヶ月ほど前に買った半身鏡に映せば、胸部以外これといった変化は見られない。
声も骨格もそのまま。
多少の違和感はあるものの「多少」で済んでいるのはもともと女顔だったからだ。遺伝、もっと言えば血筋なのだろう。
こうして起こったこの異常も、おそらくは。
「もしかしたらとは思ってたけど……」
パジャマを羽織っただけの姿で階下へ赴き母に声をかけると、キッチンで朝食の仕上げを終えようとしていた彼女はまず目を大きな丸にした。
ほどなくして吐息と共に紡がれた言葉に朔夜は頷いて。
「予想はしてたってことか」
「身体は大丈夫、って何度か聞いたでしょう?」
ただの過保護と思って聞き流していたが、あれは確認だったのか。
振り返ってみるとここ数日、多少熱っぽいような感覚もあった。
「さくちゃん、今日は学校お休みして病院に行きましょう」
向かった先は幼少期によくお世話になったかかりつけ医ではなく、とある大学病院。
「どう、静華ちゃん?」
母の要望により担当となった魔女にして女医──朔夜の従姉妹である若い女は検査結果をじっと見つめた後、やれやれとばかりに目を伏せた。
「Cね」
朔夜は何気なく胸に手を当てる。
今着ているのは自身の私服だ。ゆったりとしたデザインを選べば男物でも苦しくはない。思春期の男子的にはCと言うとけっこうありそうに思ってしまうが、実際はほどほど。無責任に評するなら「ちょうどいいサイズ」と言ったところか。
そしてもちろん、単に胸の大きさを測っただけではない。
胸の大きさと魔力量は比例する。言葉がギリギリまで省かれたのは両者が一致したからだ。
健康状態は問題なし。
丸みのあるフレームの眼鏡越しに女医の視線が朔夜を向いて、
「最後に魔力量を計測したのはいつ?」
「五年生の時に学校で測った時。女子は毎年測るらしいけど……」
「男子は二次性徴を迎えても普通増えないものね。あんたみたいな例外を除いては」
何もしていないのに一夜で胸が大きくなる、なんて普通はありえない。
「あの、静華さん」
「昔みたいにお姉ちゃんって呼んでくれないの?」
「静華さん。豊胸しても魔力は増えないって聞いたけど」
「普通はね」
胸を大きくするだけならばそれほど難しい話ではない。
医学的な知識と魔法の腕を併せ持つ者、例えば静華なら可能だ。高額な機器さえあれば魔女でない普通の医師でも施術はできる。
ただし、その場合は魔力量とバストサイズのランクにずれが生じる。
「魔力を溜める機能までは拡張できないんでしょうね。有力なのは魔力量が魔力生成量に比例しているという説」
「それって違うものなんだっけ?」
「一般的に魔力を扱う場合は切り離して考える意味はないわ。強力な魔女ほど生成量も多いから」
母を振り返ると彼女もこくんと頷く。
今の朔夜よりもボリュームのある母の胸はつまり、それだけの魔力を持つ証だ。
「静華ちゃん。さくちゃんの生成量はどれくらいなの?」
「本当はもっと時間をかけて測定するものだけど、大雑把に言ってFからGの間といったところね」
現在のバストサイズとは逆の意味で釣り合わない。
「生成しても十分に溜められない状態ってこと?」
「現象自体は成長期の女の子にも起こりやすいわ。そして、この不一致が器の成長を促すと考えられている」
「じゃあ、僕の身体は……?」
「理屈が正しければ、生成量に従って身体が変化していくはず」
女子の二次性徴と同じだ。
例外だらけの状況故に経過観察が必要だが、もし本当にFあるいはGに相当する魔力量を保有できたとすれば──。
該当するバストサイズの女子が多くないのと同じように魔女としても上位に位置づけられる。
「そんな魔力が、僕に」
拳を握る。
「やっぱり血筋なのかな。あの家でもこんなのほとんど聞いたことないけど」
「貴月の家は女系だものね。男はめったに生まれないし、生まれても必ずこうなるわけじゃない」
「うん。私が調べた限り、三代前に一人いたのが一番新しい記録だったから」
学校等への連絡はどうにでもなるだろう、と静華は言った。
魔法絡みならば不思議な現象はたいてい納得される。一般人にとって魔女は普段あまり接する機会のない別世界の存在であり、その在り方に疑問を呈されることはあまりない。
もちろん奇異の目で見られるのは避けられないが。
「朔夜。あんた、あんまり戸惑ってないでしょう?」
咎めるような視線を向けられた朔夜は、それでもはっきりと頷きを返した。
「もちろん。僕はずっと魔法の力が欲しかったんだ」
二年と少し前、彼は己の無力を痛感した。
だからこそ魔法について積極的に学んできたし、知識を得るためならやりたくないこともやった。
全ては男の身で魔法の力を頼るため。
そのことについて後悔する気はない。
答えを聞いた従姉妹と母は揃ってため息をついて、
「さくちゃん。気持ちはわかるけど、それはやめたほうがいいよ」
「あのね、朔夜。あんただって本当はわかっているでしょう? ……たとえ魔法を使ったって死者の蘇生なんてできっこないって」
「だけど、このままじゃあまりにも
これには母たちも押し黙った。
子供のわがまま。無知故の無茶。わかってはいても押し通す以外にない。
あらゆる方法で抗わなければ喪失の悲しみに耐えられない。
泣いて泣いて消沈していた朔夜の様子は彼女たちもよく知っている。
「わかってる? あんた、このままだと魔女になるかもしれないって」
呆れと諦めからか、静華は話題を露骨に逸らしてきた。
「能力に適応して器が変化するなら、胸以外だってそうならないとは限らない。魔法を使うためには転校だってしないといけない」
魔法を学ぶには専門の学校に通うのが当たり前だ。
最も適当な場所を挙げるならば由依のいた国立菊花学園になるだろう。
転校となれば今までに作った友人たちとも別れることになる。
それどころか慣れ親しんだ身体さえ。
それでも、迷わずに答える。
「構わない。というか、こうなったらなるようにしかならないじゃないか」
失われたものを取り戻す。
そのためならば何を犠牲にしたって惜しくはない。
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