魔女の統べる現代は胸の大きさ=魔力量です ~男なのに突然胸が大きくなったけど、目的のためには好都合~
緑茶わいん
プロローグ ~転校生~
墓前には彼女の好きだった白い花を供えた。
墓石は表情を一切変えることなくあの頃のままそこにあった。
見つめる側の目線の高さだけが毎月少しずつ変化していく。
「高校にもようやく慣れてきたよ」
五月。花の散った桜並木になぜか安堵の気持ちを覚えた。
先月見た満開の桜──新しい始まりを告げる景色はひどく悲しく残酷に見えたから。
「もうすぐ誕生日なんだ。……また、歳を取ってしまう」
心はずっと冬のまま。
歳を取らなくなったあの子を置き去りにして世界は変わっていく。
一ヶ月の間にあったことをぽつり、ぽつりと唇に乗せていくも、声はだんだんと途切れがちになった。いけないとわかっていてもこうなってしまう。
誕生日を一緒に迎えたかった。
綺麗な景色を見て笑い合いたかった。
同じ学校の制服を着て一緒に登校したかった。
夢は一つも叶わず、彼だけが取り残された。
最後は嗚咽だけをこぼし続けて──
「また、来るから」
後ろ髪を引かれるようにゆっくりと踵を返し、歩き出すと、数歩進んだ先に一人の少女が立っていた。
朔夜と同様、過ぎた年月の分だけ歳を重ねた彼女は咎めるような視線を向けて、
「もう来ないでくださいと言ったはずです」
「ごめん」
ただ、自重めいた笑みを浮かべる。
「でも、駄目なんだ。ここに来ないと次の一ヶ月を頑張れない」
「そんな生活、ただ苦しいだけじゃないですか。だったら──」
「ごめん」
もう一度繰り返してから、少女の脇を抜けた。
「貴槻さん!」
振り返ることはなく。もう来ないと約束することもなく。
彼女の墓前を明け渡すように早足で墓地を出て、帰路についた。
◇ ◇ ◇
桜ノ宮と呼ばれるこの街には特に桜が多い。
彼がこの街を初めて訪れたのはまだ物心つく前らしい。結婚、出産を経て新しい暮らしを望んだ両親が選んだ街がここだったのだそうだ。
彼女と出会ったのはまだ幼い頃。
いわゆる幼馴染というやつだった。すぐに仲良くなって、以来、毎日のように一緒にいた。幼稚園も小学校も、中学校も同じで──高校だって一緒に通うものだと信じていた。
あれから二年。
選んだ高校の制服は学ラン。
今時古臭いうえに朔夜にはまったく似合っていないが、彼女はもうそれを笑ってもくれないし慰めてもくれない。だったら別に構わないかと思う。
男子に比べて女子の制服は可愛くて、そっちは彼女に似合っただろう。
「ただいま」
朔夜の家はなんの変哲もない一軒家だ。
とはいえ、集合住宅の増えてきた昨今では十分に貴重かもしれない。
「お帰りなさい」
帰宅を告げるとすぐに母が出迎えてくれる。
結婚したのが早かったからか未だに若々しい。包容力を象徴するような豊かな胸は息子からすると恥ずかしいが、前に「どうにかしてくれ」と文句を言ったら一週間口を利いてくれなかった。
バツの悪さからやや視線をそらして相対すると母は小さく首を傾げて、
「さくちゃん、体調悪くない?」
「別に、いつも通りだよ」
朔夜は「そう?」という呟きを聞き流しながら自室のある二階へと上がった。
墓参りの度に気落ちしているのだからそれは心配だろう。
申し訳なさを誤魔化すようにため息をつくと学ランを脱いで私服に着替える。
僅か数分で降りてきた息子を母が再び出迎えてくれるも、
「出かけてくる」
短い言葉だけを残して家を出た。
雲が多めの青空。もう少ししたら日が暮れ始めるだろう。
自転車はあまり好きではないので徒歩でいつものコースを歩く。一人でただ歩いていると次第に感覚が研ぎ澄まされて意識が深く潜っていくような感じがする。
半ば機械的に足を動かし続けた朔夜が我に返ったのはとある高層マンションの前だった。
慣れた手つきでナンバーを押して相手を呼び出せば「こんばんは」と涼やかな声が応じてくれた。
『どうぞ、入って』
マンションの最上階、一番奥の部屋。
一歩足を踏み入れると甘い匂いを感じた。菓子や花のそれとは異なる女のにおい。極上の、と付け足すべきかもしれない。香水やシャンプーのそれに頼らない天然の香りであるがゆえに押しつけがましさはなく、それでいて室内にたっぷりと満ちるほど印象が強い。
当然のように玄関に立っていたのは長い黒髪の女だ。
髪を染めたことも大きく髪型を変えたこともない、と前に自慢していた。同色の瞳は一度吸い込まれたら戻ってこられないのではないかと思える深い闇をたたえ、どこか人形めいた怜悧な顔立ちは見る者全ての注意を惹きつける。
起伏の少なめな体型は好みの分かれるところだろうが、彼女ほどの美貌となれば「守ってあげたい華奢な容姿」と好意的に受け取られるだろう。
もっとも、当人は男に守ってもらう必要などまるで感じていないかのように泰然としていて。
「いらっしゃい、朔夜」
どこか艶を含む笑みを浮かべて腕を伸ばしてくる彼女を朔夜は押しとどめて、
「先輩。今日は大学は?」
「自主休講。私がそんなものに興味を示していないのはよく知っているでしょう?」
現在大学二年生である美女は当然のように自らの身分を放り捨てる発言をした。
「前回読みかけだった本を読ませて欲しいんですが」
「用意してあるわ。熱いコーヒーも一緒にね」
先導するようにリビングへと歩いていく彼女を追うと、黒で統一された室内が目に入る。
ふかふかのソファの前に置かれたマグカップにため息をついて、その傍らに置かれた分厚い本を手に取る。
深く身を沈めた彼の足元には当然のように女が跪いた。
恍惚を感じるため息。
ベルトが外され身体の一部が露出させられるのを朔夜は気に留めないように努めた。
もちろん、その後に続くねっとりとした質感と温かさ、肌を撫でる吐息、妙に室内に響く水音も。
慣れたせいか、そんな最中でも文字を追うことはできる。
集中してもなお読破するだけで一苦労、理解するとなれば猶更大変な書ではあるのだが、幸い時間はたっぷりとあった。
言われていた通り熱々のコーヒーからも「ゆっくりしていけ」というメッセージが受け取れる。
あの頃は飲めなかったブラックコーヒーだが、いつの間にか慣らされてしまった。けれど、あの頃と同じミルク入りのコーヒーをこの部屋で飲む気にもなれない。
三十分以上も時間をかけて立ち上がった女は満足そうに息を吐いて己の唇を撫でた。
「ご馳走様。今日もたっぷりと楽しませてもらったわ」
「それは良かった」
「最後までさせてくれたらもっと楽しめるのだけれど」
「必要はないはずです」
隣に腰かけられると肩が触れて体温が伝わる。
逃げるように口にすれば「そのほうが効率は良いのよ?」と耳元で囁かれた。
「いつものように適当な相手を見つけてください」
「つれないのね。……この部屋に入れる男はあなた一人だって知っているくせに」
確かに、この部屋には男のにおいがまったくない。朔夜自身の残り香は漂っているかもしれないが、自分のにおいというのはわかりづらいものである。
家に帰って私服に着替えたのはこの部屋のにおいを制服につけたくないから。
女は機嫌がいいのか鼻歌交じりに朔夜の胸を撫でまわし、身体を惜しげもなく押し当ててくる。無視して本を読んでいるとやがて立ち上がって、
「そろそろ食事にしましょうか。パスタでいいかしら?」
見れば、いつの間にか外は暗くなっていた。
返事をするまでもなく彼女は料理に取り掛かっていて、三十分もしないうちにパスタとサラダ、簡単なスープがテーブルに並べられた。
具はあり合わせのようだがニンニクと唐がらしが使われていてペペロンチーノに近い。
女は「体力を使わせてしまったから補充してあげないとね」と笑った。
「ついでにワインでもどう?」
「先輩もまだ未成年でしょう」
「大学生ともなると付き合いもあるのよ?」
食事の後、朔夜は読書を再開。
キッチンから洗いものの音が響いていたかと思えばそれはすぐに浴室からのシャワー音に代わり、女が着飾った姿でリビングに現れた。
肩の出たナイトドレス。薄く化粧を施すと持ち前の妖艶さがさらに強くなる。
「出かけてくるわ。いつものように、後は好きなように」
「ええ」
遠ざかっていく背に「おやすみなさい」と声をかければ、ちらり、と流し目が送られてきた。
「帰って来た時、あなたの姿があることを願っているわ」
静寂に包まれた室内で彼は一人、深いため息をついた。
「こんなところ、本当ならすぐにだって出ていきたいのに」
◇ ◇ ◇
金曜から休日にかけて魔女の部屋に入り浸っているせいか週明けは寝不足になりやすい。
眠気覚ましと運動を兼ねて三十分ほどの道のりを歩いていると背後から「おはよう」と声をかけられた。
「ああ。おはよう、葉月さん」
目線は朔夜よりも僅かに上。
女子にしては高い身長としなやかな四肢を持ったショートヘアのクラスメイトは明るい笑顔と共に隣に並んでくる。
知り合ったのは高校からだが、通学路が重なることがわかってからはこうして話す機会が増えた。
陸上部所属。実はけっこう可愛いもの好き。アスリートなのでがっつり系の食べ物が好みと思いきや甘い物も好物で、からかわれると「カロリーが必要なの!」と頬を膨らませる。
雑談から得られる情報というのは意外と多い。相手のことを知れば知った分だけ愛着も増す。
友人、と言って差し支えないだろう。
「貴槻くんって歩くのけっこう速いよね? わたし追いつくの大変だったよ?」
「そうかな? 一人でぼーっと歩いてるせいかも」
意識して歩調を緩めれば、少女がふわりと笑みを強くする。
「ぼーっとしてると危ないから、誰かと一緒のほうがいいかも」
「そうなんだけどさ。友達作るの苦手なんだ」
「えー? ぜんぜんそんな感じしないけどなあ」
彼女を失って以来、人と関わることを恐れているからだ。
差し障りのない程度には体裁を取り繕っているつもりだが、さりげなく張った防衛線を超えてくるのは葉月のような屈託のないタイプだけ。
いい意味でも悪い意味でも空気を読まないタイプと言ってもいい。
おかげで朔夜はこうして穏やかな朝の時間を過ごせるのだけれど。
五月。
高校生活に慣れていく自分が少しだけ腹立たしい。
「葉月さん、部活は順調?」
「え? ……うーん、あはは。どうだろ。先輩はみんなよくしてくれるんだけどねー」
「何か悩み事があったら言ってよ。愚痴くらいなら聞くからさ」
「ほんと? んー、貴槻くんは本当に優しいな」
人恋しさからついつい距離感を誤ってしまう自分のことも。
「貴槻くんみたいな人が彼氏だったらなあ」
「────」
朔夜は何気ないフリをして少女の視線を追った。
気持ち良さそうに青空を眺めている。独り言のようでいて頬は赤く染まり、ちらりと横目で見てきた彼女と目が合ってしまう。
恥ずかしそうに、けれどどこか嬉しそうに逸らされる視線。
ふっと笑うと冗談めかして答える。
「僕は意外と悪い男だよ。女の子を泣かすのが得意なんだ」
「うそ。そんな風にぜんぜん見えないよー?」
「ほんとだよ。葉月さんも弄ばれて捨てられるちゃうかも」
「えー、やだー」
くすくすという笑い声。
雑談は和やかに続き、決して一線を踏み越えることはなかった。
「そういえば聞いた? 今日、転校生が来るらしいよ」
「この時期に転校なんて珍しいね」
意外とみんな事前に知っているものだけれど、一体どこから情報が漏れるのか。
葉月から「先生から聞いた子がいるんだって」と教えてもらいつつ高校にたどり着くと、朔夜の所属する1-Aの教室は件の転校生の話題でもちきりだった。
「ちらっと見たけど、すっごく可愛い子だったよ!」
「ほんと?」
「芸能人で言うと誰似?」
女子の話し声につい視線を向ければ、葉月から「気になる?」と釘を刺された。
「うん、まあ少しは」
「で、どこのクラスに来るの?」
「うちのクラスだよ。だからみんな騒いでるんじゃん!」
騒いでも騒がなくても転校生はやってくる。
HRが始まってすぐ、担任の声と共にドアを開けて少女が一人、教室へと入ってきた。
──息を呑む。
噂通りの美貌。黒と銀の中間のような髪を緩くウェーブさせたセミロングヘア。
青みがかった神秘的な瞳が室内を見渡すと誰もが息を呑む。
肌も白く、おそらく海外の血が入っているのだろう。ブレザーの上着に押さえつけられるようにして存在する胸部は実に窮屈そうで。
細いチェーンに繋がれたアンクのアクセサリーがその豊かな胸元で揺れていた。
「初めまして」
柔らかな笑顔。流暢な日本語が僅かに残っていた警戒心を打ち消し、
「
彼女の口にした転校前の学校名に生徒たちがどよめいた。
「え、じゃあ銀さんって」
「ええ。わたくしは魔女です」
魔女の名に、朔夜の胸がかすかな痛みを覚えた。
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