魔法少女ギフト

愛愁

第1話 目が覚めると

 結論、私は死んでいる。

 悪意ある他人に路地で後ろから刺されたとか、老朽化した手摺に体を預けていたがために高所から転落したとか、周りを見ていない小学生を助けるべくトラックに轢かれたとか、そういうわけでは無く、つまりは自殺したのだ。

 死ぬ原因はいくつか存在するが、死因はひとつだけだ。

 でも死んだら何も残らないと言うし、私に残された死因すらも残らないのかもしれない。

 死んでしまった今ならそこまですることだったかと思ってみたりする。

 私は、生まれてから命を断つまでの十数年間を振り返ってみたりした、というか走馬灯として全て思い出したのだけれども、この人生は長いのか短いのか分からないものだった。

 十数年ということの即ち、人生百年時代という今日の日本では、その一割以上を占める年月ということである。この十数年を、正確には十四年の月日をあと十回も繰り返して仕舞えば人間は問題なくご臨終するということであり、それを鑑みると長く感じる。

 それに十年の時間は人を変えてしまうとも言うし、何なら私は女の子だけど男の子なら『男子三日あわざれば刮目して見よ』なんて諺があるのだから、刮目してみるタイミングが最低でも千七百三回もあったという訳で、それはもう長い時の流れだと思える。

 そうか。私の人生は長くはあったが薄い人生だったらしい。

 この十四年の長い月日の中で私が身につけたものは、年齢と斜に構えた価値観だけだった。

 およそこの世に生を受けて産声を上げた瞬間から走り抜けた歳月は私に生きる希望を見せてはくれず、その代わりに死ぬ意味と生まれてしまった理由を考える機会を与えてくれた。

 幼少期から今に至るまで肉親の精神的負担の捌け口にされた私は所謂虐待を体験することになったが、それは神様が与えてくれた死ぬ意味だった。児童相談所に行く機会は何度もあったが親心から私を他人の元へ預けることを赦さず家を出ることなく人生を過ごしてきた。小学校に入ってからは劣悪な環境故に揃えることができなかった備品や集金共々、良い様に目をつけられて虐めの標的にされた。

 私にとっての光とも思った担任の先生は強姦未遂で逮捕された。勿論それをされそうになったのは私だし、止めてくれた理由は私の体の傷を見たからだった。

 中学に入ってからも私の立ち位置は変わらず一生このままであることを理解した。それは私にとって負担にはならずそれは当たり前でそれは息をする様なものだった。私以外の人は酸素を吸って私に二酸化炭素を吐く。箒でゴミを掃いたら芥箱に捨てる。その箱は私だった。それだけ。

 生憎顔が整ってしまっていた私はそれを買われて男の子に助けてもらった経験がある。少女漫画に出てくる様なキラキラしていて憧れの的というべき男の子だったが、私が優しくされているのを女の子たちは気に食わず、それまで以上に私に死ぬ意味を与えてくれた。

 私を哀れに思ったその男の子が看過出来ずに女の子たちに止める様、直談判した日もあったが、近くにその男の子は転校してしまい二度と会えない様な状況になった。

 でも私はちっとも哀れなんかじゃない。希望を見出せない日々も、寒くて眠れない公園も、涙で滲んだあの玄関も、私は生きていたのだから。

 希望を運ぶことのなかった翌る日の朝がいつか光を運ぶことを祈って言い続けたおはよう。当たり前の私を慰める様に呟いた煢然としたおやすみ。

 私は生きていたのだ。

 他の誰よりも毎日を生きた私が、毎日を生きようとして生きた私が、毎日を生きる意思を持って生きた私が、哀れで可哀想なわけがない。

 私は世界で一番幸せに生きた人間。

 私は世界で一番幸せに死ぬ人間。


おやすみ、と呟いて、私は死んだ。


⬛︎⬛︎


 私は美術館のような場所にいた。

 目覚めてしまったという事は死ぬことができなかったのかとも思ったが、こんな綺麗なところは生まれて初めてだったのできっと私は無事に死んで、ここは死後の世界と言ったところだと思う。生まれて初めてなんて言ったけど死んで初めての方が正確かもしれない。

 そして私の血塗れになった服はいつのまにか白衣に変わっていたのを見るとやはりここは夢なのか死後なのか、とにかく現世ではない事は確かに感じた。

 私は幸せなまま死ねたのだ。

 にしてもここはどこなのだろう。銀の甲冑や高価に見える絵画がたくさん飾られているけど、ここが私の聞いた天国という場所なのだろうか。

 死んだら楽になると聞いていたので死んだ後も意識があるとは思わなかった。聴覚は最後まで残っているとは聞くけど、私はすぐに死んだと思う。全く誰の声も聞こえなかったから。それは周りに誰もいなかったからか私がまだ一人でいるのか分からないことだけど、今更生きてた頃を振り返っても何にもならない。甦るわけでもないし、振り返る必要もない。

 周りを見ても何もない。誰もいない。この美術館以外は何もない空間。真っ白でなんだか少し不安になるけどいつもと違う朝に少しだけ、どきどきしてる。

 なんてことはない。

 それどころではない。

 私の体には神様からの贈り物とママとパパからの愛情が残っていない。どうして?私は幸せなまま死ねたのに、幸せに生きた分だけ死んだ後は苦労するの?なんで私から奪っていくの?死んだら何もなくなるというのはこういうことなの?私は何かそれ程の罪を犯したの?

 どうして?誰がこんなことやったの?私のものを奪わないで。私から何も取らないで。私のものなのに、違う。私そのものなのに。私が私じゃ無くなっちゃう。

「落ち着けよ、お嬢ちゃん」

 あれ?私は美術館にいたはずなのにいつのまにか裁判所の中にいる。

 私は裁かれるのだろうか。どうして?私が訴えられることなど何もないのに。

 死んだ後も幸せとは限らない。幸せなまま生き終わったけど幸せなまま死ねるとは限らない。私はやっぱり浅慮だった。考え無しだった。

 どうして私はこうなの?いつも詰めが甘くて脇が甘い。

 いつもいつもいつも。

 どうしようもない。

 どうしようもなく這いつくばって生きて、でもそれは幸せで、時には後悔するけどそれは不幸という意味では無かった。

 私は生きてて幸せだったけど他の人はどうだったのだろう。私を見ている他人は私のせいで不幸じゃなかっただろうか。私はいつもそうだ。周りのことを考えずに動く。

 自己中心的で利己的で利益的で。

 いつまでも幼稚で稚拙で子供っぽくて、そして周りに迷惑をかけていた。

 やっぱりそうだ。私の周りの人は幸せなんかじゃなかった。

 私のせいだ。他でもない私のせいで不幸だったんだ。

 私は幸せなまま生きることをやめたけど他の人は不幸でも生きている。こんな都合のいい話があっていいのか?私はなんて虫のいい人間なんだろうか。嫌気がさす。

 なんでもない日常を生きている私は幸せで、色んな人から色んなものを貰っていたけど、私は貰うだけで何もあげられていなかった。あげるものすら無かった。

 私は空っぽだったんだ。

 確かに神様からもパパからもママからもお友達からも沢山のものを貰っていたけど、私はそれを自分のものにし過ぎてしまってた。誰にも分け与えることをしなかった。

 分け与えるなんて言い方は傲慢だけど、実際問題私は誰にも贈り物をしなかった。動かぬ事実だ。

「あ〜。なんかもう落ち着きようが無さそうだから説明させてもらうわ。お嬢ちゃんは今から裁判を受けるんだ。生きてた頃を思い出してみろよ、天国と地獄なんてものがあっただろ?それを決めるものだ。生きてる時にどんなことをしたのかで行き先が決まるから、気張っていけよ」

 そんなこともあったと思う。

 天国はいいところで地獄は悪いところ。生きている時に良いことをすれば天国で、逆に悪いことをすれば地獄。

 聞いたことがある。

 でも、こんな私は行き先が決まっている。確実に地獄行きだ。

 私は生きている時に何もしていない。何もしてあげていない。他人の為に尽くすということをしていない。

 他の誰かから貰ったものを独り占めしていた。そんな強欲な私が天国に行けるはずもない。生きているうちに神様から沢山のものを貰った私が天国に行けるはずがない。

 私は罪を犯し過ぎた。

 私そのものがまるで罪だ。

 死んで終わりだなんて思っていた私が馬鹿だった。

 私は焼かれる。罪以外の全てを焼かれる。

 神様から貰ったものすらも焼かれる。人にあげることをしなかった下賤な私は焼かれて当然だ。

 それが相応しい。

 何もおかしいことじゃ無い。

「規定通りならお嬢ちゃんは親よりも早く死んだってことで賽の河原行きなんだがな。ちょっとしたトラブルがあって…」

 トラブル——問題。

 私は問題だ。生きてる時も死んだ後もずっと問題作。

 過去何十年も未来永劫全ての時間を問題作として生きる。死んだとしても私は駄作だ。

 そんな駄作で駄目な私が賽の河原に行っても、誰かに迷惑をかけることは明らかだ。地獄ですらも悪影響なのだ。

 私はどこにいくのだろう。この空間をいつまでも彷徨うのだろうか。途方も終わりも無く彷徨い続けるのは私にとってお似合いの罪だ。

 地獄以外に行く場所なんてない。

 天国は勿論のことだが、それとは他に煉獄というものを聞いたことがある。その煉獄は天国に入る前の地獄のようなものなので私にとっては無縁である。

 火を見るより明らかというものだ。

「貴方は例外です。地獄からも天国からも受取拒否の印が押されました」

 どうしてだろう。さっき話していた男の人はいつの間にかいなくて、代わりに機械仕掛けのマネキンのような人がいる。

 いや、さっきの人は姿は見えなかったけど男の人の声だっただけだ。

 裁判長の席に木槌を持っているマネキン。

 あぁ、私はこの人に裁かれるのか。

「貴方の魂は穢れている。穢れがこびりついている上に傷が残り過ぎている。かつてこれ程までに歪んだ魂は見たことがありません」

 当たり前だ。

 私の性格で、これまでの行動で、歪んでない魂だなんてことはあり得ない。私は穢れて傷ついた歪んだ魂を宿していたらしい。

 およそ利益というものを生産できなかった私はそれで当然だと思う。元より私の魂が崇高で透き通っているものだなんて考えてない。

「違います。貴方の魂は元々恐ろしく綺麗なものでしたが、生を体感するごとに汚れてしまっただけです。卵が先か鶏か先かの様に、魂と肉体に優劣をつけるのは難しい。ですが貴方は肉体の損傷により魂が汚れてしまった。」

 そんな筈はない。

 私が元より綺麗なわけがないし、肉体に損傷だなんてこともない。あれは愛情だ。

 生まれた時に美しい人が、私みたいな低俗な人間に成り変わるはずがない。

 その人がその人のまま生きているなら大した変化は起こり得ない。ただ一つ、周りからの影響によってのみ変化は起こる。

 でも、それは、

 そんなのまるで、

 それじゃあまるで、

 私以外が悪いみたいな言い方じゃないか。

「現実はそうなのです。貴方の顔が美しいのは貴方の魂が美しかったからなのです。貴方の魂が美しかったから貴方は綺麗な肉体なのです。貴方の容姿の反面、魂が穢れてしまったのは、貴方以外の人に責任があります」

 ちがう。

 そんなのおかしい。

 私以外の人はおかしくなんかないんだから、私以外の人に責任なんかない。幸せだった私が、神様から沢山のものを頂いてこそ幸せだった私が、そんな一人で美味しい思いをしていた私が、まるで被害者だなんておかしいに決まってる。

「貴方の魂は歪んでしまった。その歪みの所為で貴方は『不幸な自分』を『幸福な自分』であると錯覚し始めた」

 何を、何を言ってるの、この人は。

 私は幸せだった。沢山のものをもらったのだ、幸せ以外の何者でもない。

 それなのに。

 私が不幸だなんて。私が不幸なら、私が幸せじゃないなら、この世に誰一人と幸せな人はいなくなる。

 私は世界で一番幸せだった。あんなに親の愛を、友情を、そして神様からの恩恵を、体いっぱいに受けた人間なんて私の他にいない。

 本当に私は幸せだったんだ。

 それは他人が決めることじゃない。

 他人が決めていいことじゃない。

 私が、私本人が決めることなんだ。

「貴方には凡そ、普通の感性が無い」

 私は普通だ。

 どうして私が普通じゃ無いんだ。

「その穢れがこびりついた魂も、傷が歪なほど残った体も、地獄じゃ浄化できないし天国でも幸せを感じることはできない」

 地獄で浄化できなければ私はどうすれば良いのだ。

 私は死んだのだ。死んで私は終わりだったのに。どうして私は死後に苦労するのだ。

 理由は一つ。私が生前、人に尽くすことをしなかったから。

 私が悪者だからだ。

 それなのに、どうして地獄にいけないのだ。私の気が収まらない。私は地獄に行かなくちゃいけない。

「その穢れも傷も、プラスマイナスゼロにするには現世にいかなければならない。つまりは現世で負った物は現世に返すべきなのです」

 それはつまり。

 私はこれから、どうなるのだ。

 それはつまり、私は死んでいないということになるじゃないか。

「現世に生き返ることになります。生き返って、その穢れと傷をあるべきところに戻すのです。貴方に準えるなら、貴方は生前多くのものを受け取り過ぎた。だからこそ貴方はそれをお返しするのです」

 どうして。

 返してしまったら私は地獄に行く資格がなくなる。

 返していないからこそ、返そうと思っていなかったからこその私で、高尚じゃない私で、低俗な私だったんだ。

 私は地獄行き確定なのだ。私という罪は地獄で焼かれるべきだ。何年経っても何十年経っても何百年経っても私は焼かれ続けるべきなのだ。

「貴方は天国に行く筈でした。その上天使にもなれる程の素質がありました。しかし、貴方の魂で天使になったのなら堕天することは明らかです。それは避けなければならない」

 私が天国に?

 一体どうして?私は生前不幸を撒き散らしていた。私が不幸を撒き散らして周りが不幸になっていた。

 不幸そのものの私がどうして天国なんだ。おかしい、おかしいおかしい。

 私から何も貰えなかった人が報われない。

「貴方は不幸の捌け口でした。貴方が不幸を撒き散らされていたのです」

 嘘。

 この人は嘘つきだ。

 私をどうにか洗脳しようとしている。

「貴方には天使になる代わりに魔法使いになって現世に降りてもらいます。魔法が切れたら貴方はここに戻って来られますが、それ以外の方法ではここには来れません」

 魔法?

 そういえば、新聞紙を丸めて棒状にしたものをステッキか何かと言って振り回したっけ。

 私は、魔法使いとか言って…。

——あの頃は幸せだった。

 あれ?

 そんなことはない。私は今も幸せだ。どんな時も幸せだった。あの頃以外も幸せだったのだ。

 何か変なことを言ってしまった。

 はは、おかしくなってるのがわかる。

 いつもと違う、この翌る日が私をおかしくしているのがわかる。

「貴方は贈ってもらったものを返すのです。貴方が贈り返すのです。貴方が地獄に行きたいというのは勝手ですが、周りの人達に迷惑をかけたと思う分はどうにかしなければなりません」

 あぁ、そうか。

 そうなのか。

 これが私に課された罰なのか。

 私はこの期に及んで自分のことを考えていた。地獄に行きたい私を考えていた。私だけが報われることを考えていたのだ。

 天国に行くことは私にとって不幸だ。

 だからこそ地獄行って報われる幸せな私を理想としていた。

 だけど、私以外の人はもっと不幸だ。ずっと不幸だ。

 私だけが良い思いをするなど誰も許してくれない。私は他人の為に尽くすべきなのだ。

 私は贈り物を分け与える必要があるのだ。

 また思い出した。

 将来の夢。

 私は魔法使いになりきっていたんじゃない。

 朝の番組に出てくる、魔法少女に憧れたんだ。それが私の夢。


私は魔法少女として、私の罪業を背負うのだ。

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