第20話 私のプチ旅
図書館のような森閑とした大きな書店を見つけ、店内で悩むこと二十分、三冊の小説を手に私はお店を出ました。
そこは今時では珍しく紙袋を採用したお店で、自分が選び抜いた本が入ったそれを小脇に抱えているだけで小さな幸せを感じられました。
そうこうしているうちに時刻は午後四時を回っていました。まだまだ夕ご飯には早い時間ですが、私は次の目的地である喫茶店へと足を運びました。
喫茶店の中は平日の昼下がりということもありポツポツと人がいるくらいで、すんなりと席に通されました。内装は明るめの茶色の壁紙と薄暗く光るランプ、他にもテーブルや窓など全てがアンティークなデザインで、壁と同じ色をしたソファは固そうな見た目をしていましたが、腰掛けるとずっしりと沈み込むように私を受け入れてくれました。
注文をする前もした後も店内を眺め回し、観察を続けました。『Rコール』との違いを挙げるならば個人経営ではないため店内は相応に広く、代わりにカウンター席がないということでしょうか。私もボスも無闇矢鱈に話しかけるような接客はしないと心がけていますが、お客様の心情的には一人の空間を作り出すのならばこっちの方が適しているのかもしれません。
「お待たせしました、こちらカフェモカとチーズケーキになります」
一人で飲食店に入ることがあまりないため緊張している私をよそに、まるでウグイス嬢のような通る声で店員さんは飲食物を配膳してくださいました。このお店の制服である、白と抹茶色をしたフリフリのエプロンのなんと可愛いことでしょう。古風さとは時に奥ゆかしさやお淑やかさを醸し出すのだなぁと私は感心しながらその制服を食い入るように見つめました。
この制服こそが、全国展開にまで至ったこの喫茶店の魅力の一つなのです。男性客はもちろん、妙齢の女性にはアルバイト先としても人気で、それはどちらもこのキュートな制服が大きく作用しているのです。私はふと、高校受験の時に制服のデザインで志望校を選んだクラスメイトの事を思い出し、今なら彼女の気持ちが分かるような気がしました。私もボスに士気に関わる仕事服の提言をすべきかもしれません。
敵地観察はここまでにして、私にも片付けなければいけない仕事があります。私は紙袋をなるべく丁寧に開け、文庫本を取り出しました。私が選んだのはそれぞれ向木呑のデビュー作、SFがテーマの作品、そして最新作です。
その中からデビュー作を手に取り表紙を捲りました。そうです、彼女とその中にいるもう一人とを、私は見分けたかったのです。
長居するときのせめてもの礼儀として定期的に注文をしつつ喫茶店に居座っているといつの間にか夕飯時になっていました。しかしお腹はくうとも鳴らず不思議に思っていたものの、伝票を見て納得し、その値段を見て唖然としました。少々、少々ですが食べ過ぎてしまったようです。
立ち上がるとまるで胃がずっしりと重しのようになって歩行を妨害してきます。自業自得と仰る方もいるかもしれませんが、ここの食べ物が美味しいのがいけないのです。長い長い伝票を恥ずかしいので折りたたみ、ふらふらしながらレジでお会計を済ませました。
その後バス停でバスを待つ間も、車内に乗り込み移動している時も夥しい数の文字列を睨んだ甲斐あって、家に着く頃には一冊を読み終えることが出来ました。普段一日で一冊を読み切ることは滅多にないので、まるで善い行いをした時のような清々しさを感じました。尤も、バスを降りるときに財布の中を覗いたときは胃がキュッと締め付けられるようでしたが。
家に帰ると徒歩の疲れがドッと押し寄せて、ベッドに腰を下ろし身体を横にした途端に睡魔が這い寄ってきました。本当は残りの二冊を読みたかったのですがこれではページを開いたところで脳が文字を咀嚼してくれそうにありません。読書は諦めるとしても、まだするべき私の品位を保つ為の常識的行動も億劫極まりません。「歯を洗って身体を磨かなきゃ…」
自分でも意味不明の発言をして、不可抗力に飲まれ目を閉じました。
意識が遠のく中浮かんだ情景は実家で暮らしていた時の事でした。夕ご飯の後に眠くなってベッドに沈みゆく私を、母がいつも起こしてくれていたことを追憶したのです。食べた後に横になったら消化に悪いよ、せめてお風呂入ってから寝なさい。こんなとこで寝たら風邪引くよ、宿題やったの?
今までこんなガサツなことはやったことなかったのは母のおかげだったのだと気づいて、閉じた瞼が雫を落とす為に再び活動を再開させました。
「目、覚めちゃったな」
身体を九十度起こし、右目を擦って立ち上がると、私はフラフラと常識的行動に挑みました。離れていても母が私を起こしてくれたのだと考えると、些か寂しさが紛れるようでした。当時は起こされる度に機嫌を悪くしたものですが、こんなことにも懐かしさを覚えるなんて不思議なものです。
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