第2話
レーヴェ・ギーゼンは辟易していた。
彼女は女の身ながら十四で士官学校に入り、そのまま特に問題もなく十八で卒業と同時に軍人となった。
そして直に二十歳になる現在、彼女はそれなりにかつ着実に重ねてきた実績により少尉まで昇進していた。
ただそれだけなのだが、それだけの事実が、周囲にはまあまあ奇異なものとして映るらしい。
レーヴェが士官学校を卒業し軍に入った後、出会う人出会う人から問われるのは「何故」である。
何故、軍人などになったのか。
だからレーヴェは答える。
「いえ、別に」
するとまた重ねて問われる。もしくは勘ぐられる。
不憫な生まれなのではないかと。
軍の士官学校に入れば、一定以上の高等教育が受けられ、かつ複数の技能を身につけることができる。そして卒業後、そのまま軍属となれば学費を始め在学中の諸経費は免除となる。
要するに貧しい貧民階級に生まれたか、身寄りをなくし食べるに困ったのではないのかと。
「いえ、別にそこまで困窮しているわけでもないんですけれど……」
困惑気に眉を下げて答える度に、相手はますます首を傾げる。そして尚、何故が重ねられるのだ。
レーヴェでなくとも辟易しよう。
一体どういうことだ。どうしてそんなに興味があるのか。
別に国史始まって以来初の女性軍人というわけでもない。
現に士官学校時代ですらレーヴェの同期はもちろん、二期上級に女子生徒は存在していたし、一期後にも女子入学者はいた。
少ないことは少ないが、希少価値の高い絶滅危惧種ほどでもない。
いやむしろ絶滅危惧種であったならよかったのかもしれない。それなら周囲の見る目もまた違うものになっただろう。同じ奇異の視線と一口に言っても、そこに含まれる内容には差異が生じるはずである。
残念ながら、先に述べたようにレーヴェ・ギーゼンは数少ないながら脈々と受け継がれてきた女性士官の血脈ともいうべきものに名を連ねる、一兵卒に過ぎなかった。絶滅もしていないし、そこまでの危機に追い込まれてもいない。
ではその出自はどうかという問題になる。
これまた理不尽だと思うが、どういう訳か女で軍属となるということは、それなりに何かしら背負っているものであると人々は考えるらしかった。
しかしレーヴェはどこかの貴人の隠し子とか、不遇に追放された他国の王族であるとか、そんな重たい出自の秘密を背負っていなかったし、家名を守ることを至上命題とするような先祖代々続く由緒正しい軍人の家系でもなかった。
彼女はごく普通の商家の娘で、三兄弟の真ん中だった。上に兄が、下に弟がいる。一人娘ではあるが、ギーゼン家においてそれは然程重要ではなかった。寧ろ何のしがらみも発生しなかった。
幼年学校を卒業し中等学校もこれまた無事に何事もなく通過した十三の彼女が、士官学校へ進むと口にしても止める者は特にいなかった。
商売をこよなく愛していた両親は仕事に忙しかったし、商売以外の物事には多少抜けている部分があった。両親――特に父親は子供が三人いることはさすがに把握していたが、レーヴェが唯一の娘であり、普通であれば中等学校を出る歳くらいになれば花嫁修業のひとつでも始めるものだということをうっかり失念していた節がある。何より商人魂に忠実すぎる父にとって、卒業後一定期間軍籍に身を置けば学費の返還義務がなくなる士官学校というものは、たいそう魅力的に聞こえたようだった。
幸か不幸か、ギーゼン家の良識、良心、最後の砦としてレーヴェの士官学校進学最大の障害となるはずだった長兄は、その頃後継ぎとして立派な商人になるべく隣国へ修行に出ていて留守だった。彼は後に自分の不在が妹の将来に多大な影響を与える破目になった事実に歯ぎしりすることになるのだが、その時にはもはや手遅れであった。
そして末弟は末弟で己のことに手いっぱいで姉のことまで考えるゆとりもなかった。
弟は当時八つ。姉のレーヴェがみても利発な子だった。
頭の良かった弟は、いずれは学者として身を立てたいと幼いながらに固く誓っていたらしい。幸い実家には家業を継ぐ兄という立派な人身御供がいたし、両親は子らにある程度の教育は必要だと考える人間であったから、幼年学校だけで終わらせてどこぞの親方の下で修行をしろとも言わなかった。ただ、やはり商人であったから金にはどうにも厳しい人間であった。無駄なものに投資はしない。先の見えない未来になどもっての外だ。
学者となるならば、中等学校だけで終わるわけにはいかない。神学校か大学か、何にしろ更なる高等教育を受け師匠と仰ぐべき偉大な人物に師事しなければならない。弟は、中等学校を出るまでに、自分には投資するに値する価値があることを示さなければならず、彼は幼年学校を卒業と同時に都でも一二を争う名門校への入学権を己の力でもぎ取るべく勉強に明け暮れていた。
都に暮らしていて本当によかったわね、とレーヴェは弟に対して心の中で呟いた。
自分たちは商家という比較的裕福な家庭に生まれた。けれどこれが辺境の街の商家であったならどうだろう。いくら頭が良かろうと、中等学校の選択肢は限られても来よう。幼年学校の教師が推薦してくれたとしても、それが必ずしも己の希望に叶うかどうかはわからない。
都で暮らすということは、それだけ選択肢が与えられるということだ。
まあともかく、そんなこんなで実年齢の幼さに加え自分の未来に手いっぱいの弟が姉の問題にまで関わる余裕は欠片もなかった。
かくてレーヴェはさしたる妨害も反対もなく、中等学校の教師の推薦状を携え士官学校の入学試験に挑み、見事入学許可の栄誉をもぎ取ったのである。
士官学校入学後から現在に至るまで、レーヴェ・ギーゼンという人間をよく知らない者から投げられる問いはある程度決まっている。
何故、わざわざ士官学校に進んだのか。
そして話はぐるっと一周回って帰って来るのだ。
女が特に理由なく士官学校に入学してはならないのかと声高に訴えたい。
レーヴェとて、軍人とは男性社会であり、脈絡と受け継がれる筋肉の系譜であるということは理解している。「普通」年頃の娘が士官学校に進むということには何かしら理由があろうと推測されることも。少なくとも、この国ではそうだ。
が、頭でわかっていても、実際繰り返し尋ねられれば辟易するものだ。
別にレーヴェは軍隊で名を上げて立身出世を目論んでいるとか、あわよくば高官に近付き玉の輿に乗ろうとか、筋肉をこよなく愛するあまりに血迷って入隊したとか、そんなわけではない。
それがそれほど悪いことなのか。
「筋肉馬鹿でなければならないんでしょうか」
「……は?」
据わった目で呟いたレーヴェの言葉に、執務机に向かい事務仕事を処理していた上官が顔を上げた。
「どうした、またいきなり」
少し垂れ気味の目を瞬かせ、彼は首を傾げた。
「いえ、筋肉馬鹿でもなければ私が軍にいる意義がないのかと思ってしまいまして。どうなんですかね、実際。私が筋骨隆々の身体とか筋肉とか男臭さとか汗臭さにとんでもなく心ときめかせる乙女でなければ軍籍にある意味はないんでしょうか、隊長どう思います?」
「何のことかさっぱりわからんが、とりあえず汗臭さに心ときめかせる時点で乙女としては一般的ではないと思うぞ」
死んだ魚のような目で早口に捲し立てるレーヴェの謎の疑問にも、彼女の上官は律儀に返事をしてくれた。
しかしレーヴェはそれに対して「はあ」と気の抜けた声で返し、更に続けた。
「では一体何をもってして乙女の定義とするのでしょうか。というか乙女と軍属は矛盾していると言い腐ったお方がいらっしゃったように思うのですが気のせいでしょうか。私の気の迷いが生んだ幻聴ですかあれは」
「取りあえず君が今荒んでいることはよくわかるな。……何か問題が起きないことを願うよ」
「どういう意味ですか、それは」
じとりと睨むレーヴェの据わった目を気にするでもなく、上官は軽く肩を竦めて「今何か事が起きれば君は嬉々として飛び出していきかねないだろう?」と断じた。
「別に嬉々として飛び出していきはしませんよ」
ため息を吐き、レーヴェは平静を取り戻そうと頭を振った。
「乙女と軍属では矛盾するとかそれ以前の問題ですね、確かに」
自分で自分の言葉を否定する。
「そもそも言葉の分類というか、種類というか、次元というか、その意味で違うんですから同列に扱うのも無意味ですよね」
「さすがに誰もそこまでは言ってないだろう」
呆れたような声は右から左へと流れていった。
レーヴェは己の言葉の愚かしさを挙げた口でまだ続けた。
「大体、キルステン大尉やリーツマン准尉と比較されても困るんですよ」
ロザリンド・キルステンやテレーゼ・リーツマンのような特殊例と十把一絡げにされても困る。こちらはあくまで一般人なのだというのがレーヴェの言い分であった。
投げやりな口調で遠くを見つめながら、レーヴェはぼやく。
「そんな誰もかれもが壮大な設定を背負って生きていると思ってるんですかね。というか、男は女にどんな期待を抱いてるんですかね。どうなんですか隊長」
「私に言われても困るんだが」
「だって隊長は男でしょう」
「女性ではないな」
「なら殿方の気持ちとやらが理解できるでしょう?」
理解も何も、殿方そのものなのだからわかりきっているだろう。
筋が通っているようでいてなかなかひどい、強引な理屈であったが、上官は咎めるでも否定するでもなく少しだけ首を傾けて考える素振りを見せた。
その横顔を何となく眺めつつ、レーヴェは自分が例に挙げた女性士官たちの顔を思い浮かべた。
レーヴェにとって士官学校の二期先輩に当たるロザリンド・キルステンは、第一師団団長を務めている第二王子の副官である。彼女自身、国内有数の古参貴族であるキルステン伯爵家の令嬢であり、王子とは幼い頃からの旧知の仲であった。王子の花嫁候補筆頭に名を連ねていた彼女は、とある事件が切っ掛けとなり、守られるよりも守りたいを信条に周囲の反対を振り切って士官学校に進んだ。
柔らかな金の巻き髪を揺らし、にこやかな笑みに乗せて紅薔薇のような唇から紡がれる毒舌は一撃必殺の威力を誇る。
もう一方のテレーゼ・リーツマン。こちらもやはり士官学校時代の顔なじみだが、彼女は十年程前に起きた内乱によって国を追われた、北の大公国の公女という生まれを背負っている。
くせのない銀の髪と、かの国の王族の特徴と呼ばれた翠玉色の瞳の美しい娘だが、ロザリンドとは対照的な鉄壁の無表情が特徴で、なおかつ彼女は徹底した男嫌いで名を馳せていた。
金と銀。太陽と月。陽と陰。
何かと対として例えられるこの二人のような特殊例がごろごろ転がっている方がよほど問題であろう。
静かに己の職務に励んでいるだけの自分のことなどそっとしておいて欲しいとレーヴェは切に願っている。
「なら私と結婚でもするか」
「……へ?」
間抜けな声が出た。
思考の海に沈みこんでいたレーヴェは、不意に飛び込んできた言葉に現実に引き戻された。
そしてレーヴェは思いっきり訊ね返した。
「なんですって?」
「いやだから、私と結婚でもするかと言ったんだ」
「はあ。……え、は?けっこん?」
しきりに目を瞬かせ、まじまじと上官を見つめる。どこからどう見ても彼は普段通りで、昼食の献立や明日の天気の話でもするのと変わらない調子で続けた。
「最近グラーツ団長から見合い話ばかり勧められるんだ。いい加減身を固めろと」
「はあ」
「ちょうどいい機会だと思わないかい?」
視線がレーヴェに投げられる。
「は、はあ。隊長、結婚なさるんですか」
「そう」
ぽん、と判を押し上官は最後の書類を決裁済みの箱に突っ込んだ。
「君と」
「……熱でもあるんですか」
「真顔で言うことがそれか」
呆れたようにそんなことを言われてもこちらが困るとレーヴェは割と真剣に思った。
結婚。
結婚。
……結婚?
誰と誰が?
「君と私が」
「私と隊長が?」
「嫌かい」
「いや、嫌ではない、と思うんですが」
嫌とかそれ以前の問題では、と口にしようとしたレーヴェだが、彼女はその機を完全に逃した。そしてこれこそが、後に考えると彼女の運命の分かれ道であった。
「なら、その方向で話を進めようか」
笑ってそう言うと、上官は決裁済みの書類の束を掴み立ち上がった。
「あ、あの、隊長?」
「団長に提出がてら報告してくるよ」
「いやあの」
ちょっと待ってくださいという間も与えず、彼は至極自然にかつ素早く踵を返し、颯爽と執務室を後にした。
残されたレーヴェはただぽかんとその背を見送ったのであった。
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