麋芳の言い分

胡姫

麋芳の言い分

神様は不公平だ。

神様なんてものが本当にいたらの話だが。

兄と姉のことを考えると俺はいつも思う。東海一の大富豪、麋家に生まれたのだから俺だって本来なら大幸運なわけだが(食うや食わずの民草から見れば俺とて大幸運児に違いないのだ)、兄が温厚篤実で絶大な信望を誇る麋子仲、姉が才色兼備で名高い麋春蘭となれば話は別だ。麋家にもう一人、この麋子方がいることなど話題にも上りはしない。そりゃ俺は兄に比べれば学問はできないし信望もないが、俺だってなけなしの自尊心くらいはあるのだ。

こんなことを考えるのは、珍しくその兄と姉が言い争っていたからである。

「兄上が何と言おうとわたしは決めたんです。絶対嫁ぎますから」

「しかしお前、苦労は目に見えているのだぞ」

「兄上だって、劉備殿には惚れこんでいると言っていたじゃありませんか」

立ち聞きするつもりはなかったが、朝っぱらから大声で話していれば嫌でも聞こえるというものである。

昨夜兄は劉玄徳を屋敷に招いた。姉はそこで劉玄徳と顔を合わせ、熱を上げてしまったらしかった。といっても姉は宴席に侍ったわけでも舞を披露したわけでもなかった。噂の劉玄徳がどんな人物か見たくて、男装して入り込んだらしい。何をやっているんだか。

俺も麋家の男として当然同席しなければならなかったがバックレた。昨夜は夜通し取り巻きたちと飲んで騒いで朝帰りなのである。

「男の装して宴に紛れ込むなど…芳の名まで騙って」

兄がしきりに嘆息している。ということは姉は俺のふりをしていたのか。俺は少しだけ兄に同情した。温厚な兄を困らせるとは姉もやるものである。

俺は二人に見つからないようそっと後ろを通り抜けようとしたが、目ざとく姉に見つかった。

「芳、どこ行ってたのよ」

俺はばつの悪い笑みを浮かべた。酒臭い息に気づいて兄が渋い顔をした。

「昨夜はお前も劉備殿に引き合わせようと思っていたのだぞ」

「別にいらねえし」

「その態度は何?」

姉が詰め寄る。

「どうせ俺なんか、麋家の数にも入ってないだろ」

俺はくるりと二人に背を向けた。

「芳!」

姉の鋭い声と、兄の悲しそうな声が同時に聞こえてきた。言うんじゃなかった、と俺は後悔したが後の祭りだった。


またやってしまった。

どうして俺はいつもこうなんだろう。あんなこと言いたくないのに。二人を悲しませたいわけじゃないのに。

実は俺は劉備殿のことをとっくに知っていた。数か月前、苛ついてふらふらしている時に酒場で会ったのだ。彼は俺を麋家の者として特別扱いしたりしなかった。俺を麋竺の弟とも、麋春蘭の弟とも呼ばなかった。気さくな劉兄があの劉玄徳だと知った時は驚いたものだ。

昨夜宴に出なかったのは、兄の隣にいる劉兄が遠く見えたからだ。自分が蚊帳の外に置かれた気がして、俺は家を飛び出してきてしまったのだ。

その上姉まで劉兄に嫁ぐと言うなら俺はますます蚊帳の外だ。

いつだって俺は蚊帳の外。


神様は不公平だ。俺にだけ何もない。

俺は膝に顔を埋めた。

自分でも分かっている。この感情の正体。それは多分。

もう一人の俺が突きつけようとする言葉に俺は耳を塞いだ。

自分でも分かりすぎるほど分かっているのだ。


俺は悪くない。


        (了)


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