第16話 和解?
「クソがっ! テメェ、俺を離せ!」
コークスがジタバタと暴れる。それでもエルの拘束から逃れられない。コークスは見下していた相手に手も足も出ない状況に理解が追いつかない。
「まあまあ、二人になれたことですし、ちょっと話しましょうよ。」
(よくよく考えればこいつも可哀相だ。両親に愛されず、その上、父からは使えない駒認定。さらに兄弟仲も良好とは言えない。…そして残念なことに事実として兄弟の中でもっとも劣っている。)
エルは少しコークスに同情してしまう。きっと理想と現実のギャップに苦しんでのこの結果なのだから。
エルはパッと手を離し、コークスを解放する。
「ふざけるな! 貴様と話すことなんざない。」
鋭い視線を向けられるが、もう殴りかかってはこなかった。いやでも実力差を感じ取ってしまったのだろう。
(…別にこいつが劣っているわけじゃない。ただ上の兄弟が異次元なだけ。比較対象が比較になってないんだ。)
あまりに残酷な現実。エルはそれを最初に直視してしまったから灰色の世界なんてものを構築してしまったのだろう。もし一番初めに世界の綺麗な面に触れていたならば、結果は違ったはずだ。
「まぁ、そう言わないでくださいよ。こうして話したことなんてないじゃないですか。」
明らかにこれまでとは異なる飄々としたエルの様子にコークスは怒りが薄れて訝しむ。
「…貴様はそんなではなかったはずだ。どうしてそうなった?」
その問いにエルは悲しげに微笑み、灰色の世界を展開する。
初期よりも間違いなく深化している。今でははっきりと仙気を知覚できる。
(…ハァ、相も変わらずつまらん世界だぜ。)
「貴様、瞳が…、それに髪も。」
エルの雰囲気にコークスは身動きが取れなくなる。そして伝わる倦怠感――その中に含まれる哀しみ。
コークスはエルに大きな闇を感じた。
「偶然開花したんですよ。兄上、この世は本当にくだらないと思いませんか?」
「……。」
「俺たちが居なくとも大して影響を受けない世界。本当に心から信頼できる者がいない世界。――そして、いつか全部亡くなってしまうこの世界。何のために生きてるんですかね? 俺たちは。」
灰色の世界の根源そのものが投げかけられる。この問いに納得できる答えが得られれば、即座にエルの世界は色づくだろう。
「……。」
コークスは答えられない。軽く考えてみた事はあれど、真剣には考えてこなかった。自分にはやり遂げたいことがあったから。
「…とは言ってみたんですけどね。それって多分一人ひとり違うんですよ。ただ、俺はその答えを持たないってだけで。」
(だが、真に答えを持つ者などいるのだろうか? 持った気になっている輩は多そうだが。)
エルは感傷に浸る己を客観視し、自己嫌悪する。自分に酔っているように感じられ、主人公気取りの自分が情けなく、恥ずかしい。
「…それを考えてどうする。俺達は今を生きている。なら懸命に生きるだけだ。」
まさかのコークスからの返答。おそらく返ってこないだろうと期待せずに尋ねただけだというのに。
「それは思考放棄では?」
(面白い。独り言だと思ってたんだけどな。この機を逃すのはあり得ない。)
「断じて違う。この世に無駄なものなどない。俺達の積み重ねが次の時代の礎となるのだ。」
あまりに迷いのない口調。そしてこちらが赤面してしまいそうになるくらい詩的なセリフである。
「でもいつかは無に帰しますよね?」
結局はそこが問題なのだ。自分のすることが無為になるのであれば、何のために生きているのか? だが――
「かもしれん。しかし、だからといって未来に期待しない理由にはならんだろう? いつかはその滅びでさえ、克服できるかもしれん。」
コークスには立ち止まる理由にはならないという。
あまりに真っ直ぐなそれに、エルには眩しく感じられた。いくら優れていようとも己を支える柱がない者は何もできない。むしろ、無意味を理由にやろうとしていないだけだ、そう暗に指摘されているかのようで圧倒的な敗北感を味わう。
(…俺とコークス兄上の差は何だ? どうしてこうも前を見れる? 信じられる?)
同じ血でありながら、まるで違う。つい先程までの優越はすでに逆転し、より差をつけられている気がする。
「…兄上は母上のことを覚えていますか?」
エルの問いにコークスの顔が曇る。
「少しだがな。」
「どんなふうでした?」
聞きたくなかったが、聞いておかねばならないだろう。母こそが世界と繋がる切っ掛けになったのだから。
「…母上はよく子守唄を歌ってくれた。覚えてるのはそれぐらいだ。」
「…そう、なんですね。」
「…あと、お前の世話ばかりしていた。」
「…え?」
それはあり得ない話だ。だって、母は自分を嫌っていたはず。
「母上の部屋に行ったら、いつもお前が抱かれていたのを覚えている。」
だからこそ、コークスはエルが嫌いだった。大好きな母を独り占めしていたから。
(…バカな。それはただの幻想だ。あのノートに書かれていたことが全てだ。)
当時、コークスは幼かった。無理やり嫌な記憶を捏造している可能性もある。
それでもエルの感性はコークスの記憶を正しいと肯定する。
「それは正しいのですか?」
「フン、ここで嘘を言う意味はないだろう。」
確かにそれはそのとおり。
だとするならば、だとしても――
(もう遅いんだよ。俺はもう引き返せない、ここまで踏み込んでしまった。)
灰色の世界はすでに構築されてしまった。壊すには足りない。必要なのだ、世界を照らす圧倒的な光が。
「…なる、ほど。」
「次は俺が聞く番だ。貴様はいつからそれほど強くなった? もともと強かったのか?」
コークスはエルの訓練する姿を全然と言っていいほど見ていない。訓練せずにこの強さなら、極める分野を変える必要がある。
「誰も見てないところで鍛えてましたよ。」
(あんたが俺を強くしたとも言えるな。その点は感謝するよ。)
「そうなのか…。」
その答えに少しホッとする。努力せずにこの強さならやるせない。
「エルグランド、貴様、父のことをどう思う?」
「どう、とは?」
「回りくどいのは無しだ。俺は父が嫌いだ。手段を選ばず、泥臭く勝利を掴み取る。…フン、反吐が出る。それで何人の人間が死んだ事か。」
コークスの顔に嫌悪が浮かぶ。とても演技とは思えない。
(…もしかして、こいつは。)
「兄上、兄上が俺にオルトゥス学院に行くのを辞退しろというのは父上を自由にさせないためですか?」
今度はコークスがエルの回答に驚く。
「…そうだが、お前も分かっているのか。」
そう言って黙り込んでしまう。
(コークス兄上はゴッドステラと父上の関係を知ってるのか。…そのためにパピスビル家を逆に利用した?)
パピスビル家に取り込まれたように見せれば、ある程度は動けるだろう。その分リスクはあるけれども。
(俺は表面上しか見てなかったということか。嫌になるな、本当に。)
「トットットット」
扉の外からこちらへ走ってくる音がして、二人はハッとする。おそらくエクスだろう。もしかしたら先に帰った生徒から事情を聞いたのかもしれない。
「…俺は俺のやり方で父を超える。俺の邪魔だけはするな。」
コークスが立ち上がり、高らかに宣言する。
「肝に銘じておきますよ。」
(俺に実害がない限りは、ね。)
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